集団生活の中である程度の秩序を担保する上で”規制”は重要な役割を持つ。
規制は”ルール”と置き換えることもできるが、ルールが無ければ皆が好き勝手に
行動することを助長してしまい、そうした状況が続けば得てして弱い立場の者が
大きな不利益を被ることになる。
そうした状況にならないためにも”規制”は大切な考え方である。
しかしその一方で”規制”は、集団を統制する性質を持つことから、一部の特権階級
によって悪用されることも少なくない。
権威主義のもと、独裁政権が国民の利益を度返しして傍若無人な振る舞いをしたり
敵国と認定した相手に戦争を仕掛けたりするなど、自国民に多大な損害を与える
行為を繰り返すような国には決まって強力な規制が存在する。
そして、軍国主義を貫くには、強力な規制は無くてはならない必須アイテムだ。
ところが、権威主義と対極にあるはずの自由主義を名乗る国の一部が、強力な規制
とともに国際社会において傍若無人な振る舞いを繰り広げている。こういった国は
もはや、「ルールを作るのは、国家ではなく特権を持つ個人」に成り下がってしまっ
ている。
そういった点において、自由主義国の一つである日本は一体どうなのだろうか。
我が国は決して規制の少ない国ではない。そしてその規制は、一部の政治家や官僚
にとって非常に都合の良いアイテムになっている。
ただ残念なことに「自分で考える」ことが苦手な日本国民にとって、規制が多い
ことはむしろ歓迎される傾向にある。
未だに、年配者の中には「お上に逆らうことはとんでもない行為だ」と真顔でいう
人が少なくない。
こういう国は、ちょっとしたボタンの掛け違いで簡単に軍国主義に走ってしまう
傾向がある。私たちは、自分の身を守るためにも「自分で考える」ことをやめては
いけない。昨今、戦争状態に発展している同盟国への軍事協力は絶対に許しては
いけない。
そして、「自分で考える」さきには、今ある規制が私たち国民にとって有益なもので
あるのかを今一度見直すことにつながるはずだ。
私たち高齢者介護業界は、公的社会保険サービスの性質から、多くの規制のもとで
事業を運営している。国民にとって有益なルールであれば、遵守するのは当たり前
のことではあるが、「誰のためのルールだ?」と首をかしげたくなるようなルールに
ついては、しっかりと考えて必要に応じて声を上げるべきであろう。
我々の業界には、「役人の役人による役人のためのルール」があまりにも多すぎる。
