北海道江別市でケアプランセンター、小規模多機能ホーム、デイサービス、訪問看護ステーションを運営するみのりの丘グループ

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お試し利用は正義か?

2024.3.14

次期介護報酬改定において、

世の中の当然の流れとして『(労働)生産性向上』の言葉が散りばめられている。

ご存知の方も多いこととは思うが「労働生産性とは労働者1人当たりまたは1時間

当たりに生産できる成果を数値化したもの。」である。

 

介護保険サービス事業は、一人の労働者が、大量の製品を生産することができた

り、在庫を抱えることができる製造業や不動産業とは違って、人手がかかるし在庫

を抱えることが難しい(不可能)なため、生産性が低い業種と言われている。

そんな業界にあって、さらに生産性を低下させている『悪しき慣習』が、ごく当た

り前のこととして取り扱われていることに大いに疑問を抱いている。

それは、「お試し(デモ)利用」である。

 

お試し(デモ)利用は、要援護のニーズは明確にあるものの、そのサービスや商品

あるいは事業所を利用するかどうかを決めかねている場合などによく用いられる。

そしてそのサービスや商品の提供は、保険適応をしない完全無償が一般的となって

いる。

このお試し(デモ)利用は、「サービスについて不安を持っている、あるいはよく

分からないという利用者に対し、実際に体験する機会を持っていただくという意義

がある」と最もらしい理由をつけて肯定され続けている。

 

一消費者でもある私も、「初回無料」とか「初回月半額」といったキャンペーンを

打って出る商品やサービスがあることは承知している。しかし、営利企業にあって

価格を自ら設定することができる商品やサービスについては、無料とか半額を取り

戻すことができるように本体価格を設定しているにすぎない営利戦略である。

一方で介護保険サービス事業は、介護報酬を自ら設定することはできないばかりか

無償のお試し(デモ)利用を含めた報酬単位の設定にはなっていない、文字通りの

ただ働きである。

 

それから、無償のお試し(デモ)利用であっても、介護保険を適応させて通常通り

に利用している方と全く同じサービスや商品を提供するため、当然のことながら

介護サービス事業所のスタッフは、介護保険を適応させて通常通りに利用している

方と全く同じサービスや商品を同じような対応で提供することになる。

あえて言えば、介護保険の適応としないため、より気を使わなければならないこと

を完全無償で生産性を引き下げてまで、人材が足りていないと叫んでいる状況下で

行わなければならないのである。

さらに言えば、介護保険法では禁じられている「不当な割引」に該当しない理由も

無償のお試し(デモ)利用を経ずに介護保険を適応させて通常通りに利用している

方との公平性が担保されている理由もどれだけ屁理屈をこねても見えてこない。

 

無償のお試し(デモ)利用を多投する地域包括支援センター職員やケアマネジャー

の中には、「私は不安を持っているご利用者のよき理解者」と自画自賛していたり

「お試し(デモ)利用の対応ができない事業所はサービスの質が低い」といい半ば

強制的にお試し(デモ)利用の対応をごり押ししてくる人がいたりする。

極端な人は、同一のサービスや商品に対して、5か所(品目)以上のお試し

(デモ)利用を繰り返したりする。そこまでいくと、ご利用者に決断力(判断力)

が欠けているのではなく、援助者側の提案力が著しく欠けていると言わざるを得な

く、振り回されるご利用者もたまったものではない。

 

「ご利用者の持っている不安を解消や軽減するための提案力やアセスメント力が

欠けていて、結果としてサービスや商品、事業所を選定することができず、その

しわ寄せをサービス提供事業所に背負わせている」現象をお試し(デモ)利用と

呼ぶのではないかとさえ思える。

こうした現象が介護業界の生産性の低下を生み出していると強く訴えたい。

 

稚拙な検証結果と対策

2024.3.13

会社などの一般社会においては、

何かのトラブルや事故が発生した場合に、「なぜそのようなことが起きたのか」を

検証することが日常的に行われる。そして、その検証結果を受けて同じことが繰り

返されないように対策を講じるものである。

こうした検証は、我々介護業界においても重大な事故を未然に防ぐことやサービス

の質の向上を目的として頻繁に用いられる手法である。

しかし身近なところで、「それって検証したことになるのか?」と疑問を持ち

たくなるような稚拙な検証が行われている場面が多くあるように感じている。

 

例えば、歩行機能の問題を抱えていない人が道で転倒してしまった時に「どうして

転んでしまったのか?」との問いに「道に石が落ちていたから」と答えたとすると

今後の対策を講じるには十分とはいいがたい検証結果と言える。

 

転倒した人が答えた通りに検証した結果を総括すると、「その人は石に躓いてしま

うので、転倒を防ぐためには、石が落ちていない道を選んで歩行する」ということ

になるが、この検証結果は現実的とは言えない。

石一つ落ちていない道がこの世に存在するのかというと中々そんな道はないだろう

し、その人が歩く直前に石を拾っておいてくれる人がいるわけでもない。

そもそも「石を避けて通る能力があるにもかかわらず、なぜ避けなかったのか?」

という新たな疑問がわいてくる。

つまり、事故の原因究明に必要な検証が十分に行われていないということである。

 

その転倒した人は、常に石に躓いているわけではなかろう。落ちている石に躓き

続けているようではおちおち道を歩いてもいられないし、「転倒するから道は歩か

ない」などと言う誤った判断に陥る危険性もある。

実際には、転倒した時に「いつもとは違う何か」が同時に起きてしまったために

「石に注意が向かなかった」、「石に気が付いてはいたが避けきれなかった」こと

が大きな原因であろう。

とすると、「いつもとは違う何か」とは何であったのか。そして、「いつもとは

違う何か」がなぜ起きたのかを検証することが求められることになる。

 

このことは、ケアマネジメントにおいても同じようなことが言える。

転倒したことがある要援護者に対して「筋力の低下が原因だからリハビリをすると

転倒の危険性を解消することができる」との短絡的なケアプランを目にするたびに

ウンザリさせられる。

かりにそのケアマネジャーの見立て通り、筋力の低下が転倒の原因であるなら、

その要援護者は常に転倒していることになる。なぜなら、数日で筋力の低下を解消

することは不可能だからである。

日常的にそして頻繁に転倒している人であっても、筋力低下だけが転倒の原因と

なることはほぼないし、数年に一度しか転倒していない人であれば筋力低下だけが

その原因となるなどはあり得ない。

転倒はその他の原因と相まって起きている。

 

先日当ブログで「ケアマネジャー不足の対策として、専門性が高い業務に相応しい

介護報酬の確保」を訴えたが、稚拙な検証しかできないようでは相応しい報酬が

得られることはないだろう。

身近な専門家

2024.3.12

先日、互助支援や地域社会福祉などを主な活動としている全国組織(一部海外にも

拠点があるらしい)の江別支部『ナルク江別』の役員の方から「開設25周年に

あたる今年の総会で講話を頂きたい」とのありがたい申し出があり、詳しく話を

聞くことになった。

 

同会は、コロナで休眠中の『大麻地域創造会議』のメンバーでもあり、古くから

お世話になっている馴染みの方でもあって、当方の事業や活動に積極的に興味

持っていただいている大切な方々である。

 

今回の講話の内容について打ち合わせをしていた際に、役員の方から「介護施設と

はどのような種類の物があり、それぞれどのような機能を持っているのかを知りた

いと考えている会員の方が多くいる」との話があった。

確かに、2000年に施行された介護保険制度は、24年の経過の中でバージョン

アップをし続け、複雑化し続けているため、一般の方には理解しきれない内容と

なってきている。

しかし、その場でもお伝えしたのだが「好奇心を満たすあるいは専門家からの説明

を理解することができる程度の知識を得るといった目的で施設の種別や機能の理解

を深めることは良いのだが、実践する目的で施設の種別や機能を記憶することに

あまり意味はない」と考えている。

 

なぜならまず第一に、先ほど申し上げた通り、介護保険制度はバージョンアップを

し続けている。今ある施設の種別や機能が今後も変わらず続く保証はどこにもなく

古い知識のまま実践に移そうとした場合にミスマッチが起こる危険性が高いため、

常に知識をバージョンアップさせておかなければならない。

そして第二に、ケアマネジメントの理解を深めずに、施設の種別や機能の理解のみ

が深まると、「〇〇という病気だから〇〇という施設がいい」とか「○○という

体の障がいがあるから○○という介護サービスがいい」といった具合に、短絡的な

カテゴライズ思考によって施設や在宅サービスを選択してしまう危険性がある。

これまでにも、不完全な知識を持つ身近な方の勧めでミスマッチな選択をしてしま

うケースを幾度となく見てきた。

 

これは、医学や薬の知識を深めることと似ている。

そういった知識を深めることは素晴らしい考え方ではある一方で、古い知識や偏っ

た知識をもとに行動しようとすると命を脅かすミスマッチを引き起こす危険性を

持っている。まして、自分の助言によって他者をこうしたミスマッチに誘導してし

まうなどということは絶対に避けなければならない。

 

年を重ねるにつれて、「今後も自分が思い描くような生活を続けることができるの

だろうか」という不安が頭をよぎることはとても理解できるし、だからこそ将来に

役立つ情報を少しでも多く集めておきたいという気持ちもわかる。

 

だからこそ、施設の種別や機能の理解を深めることよりも、「自分が思い描くよう

な生活」とはどういった生活なのか、「そんな思いを聞き取ってくれる専門家は

どこにいるのか」ということについて時間を使ってほしい。信頼できる専門家が

身近なところにいるのかどうかについて、仲間同士で話し合ってほしいと思う。

 

我々は、そういった不安を少しでも解消することができる「身近な専門家」であり

続けたい。

自主事業&食事会(第2弾)

2024.3.8

約3年間活動を休止していた『自主事業』を昨年から再開したことは、当ブログで

何度か取り上げてきた。

それから昨年10月に同年7月にオープンした『のみくい処とっかり』とのコラボ

企画で「自主事業&食事会」を開催した。

そして、本日は同企画の第2弾となる。

 

まずは、皆さん一緒に体操から!

 

 

その間に『のみくい処とっかり』ではお昼ご飯の準備!

テーマは「ひな祭り」だそうです。

 

 

完成品はこんな感じ(お稲荷さんで作ったお内裏様とお雛様がキュート!)

 

皆さんでおいしくいただきました。

 

 

 

新たに1名ケアマネジャーを増員

2024.3.6

今月、当方が運営する居宅介護支援事業所へ新たに1名の主任ケアマネジャーが

入職し、同事業所は常勤6名の体制となった。

当ブログでも再三話題にしていた「江別市のケアマネ不足」に対して、微力では

あるが貢献できるのではないかと今後に期待している。

 

今年、団塊の世代が全て後期高齢者となる。

そのため、自ずと要援護者が急増することが予測される。

要介護需要に介護支援供給が追い付かず、介護保険サービスを十分に利用できない

所謂『介護難民』が数多く発生することが懸念されている昨今にあるが、ケアマネ

ジャーがいないとなると、介護保険サービスを利用できないどころか、介護相談を

受けるところまで辿り着けない方が多数発生する危険性がある。

こうした危険性を少しでも解消したいとの思いから、江別市内でケアマネジャー

として従事してくださる方を探し求めており、ようやくご縁がつながった。

 

万一ケアマネジャーが足りず、介護相談を受け付けることが難しくなった場合で

あっても「自己作成ケアプランという方法があるじゃないか」という方がいる。

自己作成ケアプランとは、ケアマネジャーに依頼するのではなく介護保険サービス

の利用者自身や家族自らがケアプランを作成することをいう。

確かに介護保険制度では、償還払い方式を避けるために自分自身(家族)がケアマ

ネジャーに頼らずにケアプランを作成しても良いことにはなっている。

だが、この方法はあまりにもハードルが高く、ケアマネジャー不足を解消する選択

肢としてあげるには適切とはいいがたい。

 

例えるなら、「職人が不足しているから、ルールさえ守ってもらえるなら、自分で

家を建てて居住しても構いませんよ」と言われているようなものだ。

日本中を見渡せば、業者に頼らずに自力で家を建てることができる人がいるのかも

しれない。しかしそれは、ごくまれな事であって一般的なこととは言えない。

つまり職人不足の代替えの選択肢にはならないということである。

 

家を建てることとケアプランを作成することを比較すると難易度は圧倒的に後者の

方が低い。ただし、ケアプランの作成は家を建てることほど時間の余裕はない。

今まさに支援を必要としている状況に対応しなければならないため、半年かけて

作成するなどと悠長なことは言っていられない。

さらに、自己作成ケアプランを実施するには、事前に保険者である市区町村へ届出

を行い、必要な助言や支援を受けながら作成することになるのだが、人手不足で

数年毎に配置転換が行われることが多い役所(役場)にあって、専門的な助言や

指導を実施することができる人材を十分に確保することは至難の業と言える。

 

つまり、現状を見る限りにおいては、「自己作成ケアプラン」は絵に描いた餅と

言わざるを得ない。

何度も当ブログで訴えていることではあるが、ケアマネジャー不足の対策として

今一番求められていることは、専門性が高い業務に相応しい介護報酬を確保した

うえで、軽度要援護者を対象者から外すして総数を減らすことではないだろうか。

 

食材料費及び光熱費の高騰はどこまでも続く

2024.3.5

当方では、平成28年度から『給食・配食サービス事業』を開始している。

 

ここ数年の物価高に伴って食材料費の高騰が留まるところを知らず、事業開始当初

と比較するとここ数か月間の食材料費及び光熱費の合計は2倍にまで跳ね上がって

いる。どうやら物価の高騰は一時的なことではなく今後も高騰が続くようである。

その増額分をそのまま販売価格に反映させると、ご利用者の生活に大きな支障を

きたす恐れがあるため、ここ数年で微増程度の価格変更で何とかやりくりして

きたが、流石に限界だ。

 

『給食・配食サービス事業』部門の赤字が大幅に増えて、他の部門の運営に支障を

きたし始めてきたのだが、この8年間で多くのご利用者の給食・配食サービスを

担ってきたこともあり、今も多くの方へサービスを提供しているため、「赤字が

酷いからやめます。」という判断も簡単ではない。

 

母屋が傾く状況になるまで現状を維持することは経営者として判断ミスを問われて

も仕方がない。そこで、予告期間を設けた今年の6月から50円ほどの値上げを

決断することとした。

ご利用者や地域の方の生活を支えたいとの思いと所属するスタッフの生活を支え

引いては母屋の運営を安定させなければならないとの思いが相まって、非常に難し

いかじ取りを求められている昨今にある。

 

これから先も企業努力を怠らず、皆様にご満足いただける給食・配食サービスを

続けたい。

封建的機能と個人の自由や権利の尊厳

2024.2.29

今月27日に厚生労働省が公表した『人口動態総計速報(令和5年)』によると、

・出生数は、758,631 人で過去最少(8年連続減少)
・死亡数は、1,590,503 人で過去最多(3年連続増加)
・自然増減数は、△831,872 人で過去最大の減少(17 年連続減少)
・婚姻件数は、489,281 組で減少 (同 30,542 組減少 △5.9%)
・離婚件数は、187,798 組で増加 (同 4,695 組増加 2.6%)

という結果が出たそうである。

この数字を見て、何か思うところがある方もいれば、「たかが数字」と思う方も

いるかもしれない。

 

私が個人的に注目したのは、出生数と婚姻件数が減少し続けているというところ

である。その原因は様々な方が様々な場所で検証していることとは思うが、私は

「これまで封建的社会が婚姻や出生を支えていた側面が大きく、根底にその思想を

抱えたまま、個人の自由や権利の尊厳に傾けた結果」ではないかと思っている。

 

例えば、現在も国会で審議が継続している「選択的夫婦別氏制度」については、

夫婦別氏を望む声が多数あるにもかかわらず、一定数の反対意見があって中々結論

が見えてこない。

その反対意見の多くは、封建的社会の象徴ともいえる「家制度や家長制」が、家族

という共同体の感覚を下支えしており、その伝統は守られるべきであり、夫婦別氏

はその根底を揺るがす行為であるというものである。

 

こうした考えと「個人の自由や権利の尊厳、あるいは夫婦間に上下関係はない」と

の考えが相容れない関係性にあり、前者の考えを持つ方が一定数いる状況で後者の

考えを持つ方が増えてきていることから婚姻件数が減少し、結果として出生数が

減少し続けているのではないかと思ったりする。

 

会社という組織は封建的である。そうすることで組織が掲げた理念や目的を達成

することが可能となるため、そのような形態をとっている会社がほとんどである。

しかしそんな会社組織であっても、封建的機能を保ちつつ個人の自由や権利の尊厳

をさらに深めていこうと様々な取り組みを行っている。

 

会社組織よりも家族こそ、個人の自由や権利の尊厳をさらに深めていかなければ

ならない共同体ではないのかと考えた時に、「選択的夫婦別氏制度」はその考え方

の一つの象徴となるのではないだろうか。

別段、伝統を軽視するつもりも否定するつもりもない。ただ、変化し続ける社会に

対応する家族の在り方を考えなければならない状況にあるように思う。

思いに寄り添える専門職

2024.2.28

ご利用者とお話をしていてつくづく思うことがある。

先日も糖尿病を長く患っている方との話で、「糖質を控えなければ病気が悪化する

ことは理解しているが、左程長いとは思えない残りの人生を制限だらけのストレス

に悩まされる生活にしたいくない」との思いを聞いて、「そういう考え方もある」

と思ってしまう自分がいる。

 

こうした考え方は多くの医療従事者からお𠮟りを受けることだろうし、社会保険の

財政の視点からも異論をぶつけられることだろう。

また、「今はそう思っていても、いざ病気が悪化した時に本人がこれまでの行いを

悔やんでも手遅れになる」との意見も至極まっとうであると思う。

 

ただ、そういった考えや意見を理解した上でも、”本人の今の思い”を完全に否定

することが主流であってはならないと思っている。

病気になりたいと思っている人はほとんどいない。治る病気であれば直したいと

思う人も大多数であろう。

それでも、病気の発症や悪化のリスクを承知の上であっても、治療より優先したい

”思い”を持っているのが人間ではなかろうか。

例えその”思い”がスケールの大きなものではなく、些細な事柄であったとしても、

一方的に否定されるべきではないと思っている。

 

先日、『末期がんの父が結婚を控えている娘との生活を優先するために積極的な

治療は受けないことを選択した』というテレビドラマを見た。

作中では、父娘の揺れ動く思いや周囲の理解や支援が細かく描かれていた。

まだ完結していないドラマなので今後、父娘の思いがどのように変化していくのか

との視点で見ていきたい。

 

例え同じ病気を患っていたとしても、病気と向き合う考え方は人それぞれだから

100人100通りあってもおかしくはない。

医療従事者には、こうした”思い”を一方的に否定するのではなく、本人のその時の

意向に寄り添いながら、疾患管理と生活の両立をともに考える人であってほしい。

私自身、ご利用者の思いに寄り添える専門職であり続けたい。

 

生産性を向上するということは

2024.2.8

大学を卒業して社会人になったばかりのころ、よく先輩や上司に「とにかく仕事は

丁寧にやりなさい」と指導されたものだ。勿論その教えは今も守っており、できる

限り丁寧に仕事をするようにしている。

しかし、年数を重ね経験を積んでいくうちに、「丁寧に行うことと、時間をかける

ことを混同しているのではないか」と感じる場面が増えてくることに気が付く。

 

我が国においては、「手間暇や時間をじっくりとかけて」を美徳とし、その行為が

良質なサービスと捉える考え方が根強くあるように思う。

何も時間をかけることを全否定しているわけではない。時間をかけなければ完結し

ない仕事は少なからずある。しかし、時間をかけなくても完結することができる

仕事まで「どれだけ時間をかけたのか」が評価の対象となったりする。

そして、私見ではあるが介護業界のようなサービス業は特にそういった点が評価の

対象となりやすいように感じる。

「どれだけ長い時間、相手の話を聞いたのか」、「どれだけ時間をかけてケア内容

を話し合ったのか」、「どれだけ時間をかけて説明をしたのか」などなど上げると

きりがない。

 

人材も財源も時間も無限にある状況であれば、それでも良いのかもしれないが、

そんなことはあり得ないし、我が国においては人材も財源も減り続けているの

だから、時間の制約もよりシビヤになってきているはずである。

 

また、時間をかけることによる弊害という意識があまりに薄い方がこの業界には

多くいるように感じている。

長時間かけてケア内容にかかる会議を行っている場面や長時間電話でご利用者や

ご家族と話し合っている場面に遭遇すると特にそのように感じる。

会議や電話が長くなる原因はさまざまであるが、往々にしてその原因はまとめる力

が著しく欠落していることにある。議題が定まっていない会議に参加することほど

苦痛なものはない。

それから、自分以外の人と長時間何らかの作業を実施するということは、その相手

を長時間拘束することになる。合意なくこうしたことが行われていたとすると、

それはもはや軟禁である。

そもそも、長時間にわたって行われた会議の最初の議題など誰も覚えちゃいない。

 

 

私は、「如何に限られた時間の中で仕事を完結するか」が重要と考えている。

ただし、そういうことを言うと「手早く行うことと、適当に行うことを混同する人

が出てくる」というイタチごっこが始まったりもする。

 

平均値と中央値

2024.2.6

先日、報道された

『介護職で組織する労働組合「UAゼンセン日本介護クラフトユニオン」の賃金の

動向などを把握する最新の結果によると、月給で勤める介護職の2022年平均

年収は392万4000円で、ケアマネの平均年収が394万8000円。

厚生労働省の賃金構造基本統計調査によると、全産業の同年の平均年収は496万

5700円で、今回の介護職やケアマネとの格差は100万円以上にのぼる。』

との内容を見て思うこと。

 

当ブログで以前にも取り上げた通り、「数字はうそをつかないが使う人によって

恣意的に事実がゆがめられる」ことがある。

『その業界の平均年収』と言われると、「その業界における多くの人がもらって

いる平均的な年収額」と思う人が多くいることだろう。

しかし、年収の平均値はごく一部の高額所得者がその数字を引き上げているだけで

多くの人がもらっている平均的な年収額ではない。

多くの人がもらっている平均的な年収額を求めるのであれば、「平均値」ではなく

「中央値」を示さなければならない。

 

そして、介護の業界においては、同じ業界あるいは同じ会社に所属する正規職員の

年収格差はほとんどないことが一般的であることに対して、他の業界の中には同じ

業界あるいは同じ会社に所属する正規職員の年収格差が10倍以上あるということ

が、少数ではあっても存在し、億単位の年収がある正規職員も相当数いることも

決して珍しいことではない。

そのため、介護業界の平均値と中央値には大きな差はないが、全産業で見た場合は

平均値と中央値に大きな開きがある。

 

つまりは、介護の業界とその他の業界との間には、多くの人がもらっている年収額

に大きな差はなく、格差100万円以上というのは事実ではない。

 

『UAゼンセン日本介護クラフトユニオン』は、「介護職員の処遇を少しでも上げた

い」との思いから、情報を発表したこととは思うが、いたずらに業界の年収が低い

低いと自分たちを卑しめることは避けたほうが良い。

私に言わせれば「年収は低くないし、伸びしろが大いに期待できる職種」である。