前回当ブログで取り上げた『ALS患者の嘱託殺人』について、マスコミ各社が連日
こぞって、その行為を肯定するかのような報道を繰り返している。
自分たちの主張する方向へ世論を導こうと印象操作する手法は、いつものことで
あるが、今回ばかりは許せない。
情状酌量の余地があるか否かは、その後の裁判で取り上げられれば良いことで
あって、殺人は殺人でしかない。たとえどんな理由があろうともだ。
間抜けなマスコミは、「生き地獄」=「安楽死肯定」と短絡的に結論付けているが
今回の事件では、同時により深く考えなければならないことは『延命処置』に
ついてではないだろうか。
その処置の内容にもよるが、一度選択すると「もうヤダ!」と言って、途中で止め
ることができないものが多くある。
ALS患者にとっての人工呼吸器もその一種だろう。
医療が進歩して、様々な延命処置が可能となっている昨今だからこそ、人の尊い死
をより深く考えるべきではないだろうか。
以前、親交のあった医者がこんなことを言っていたことを思い出した。
「年老いて、病気が原因ではなく食べることができなくなることは、人間が死に
向かって準備している状態である。それなのに、胃瘻を作って無理やり延命する
ことは人の死への冒涜である。」
この場で、この発言の賛否を論ずるつもりはない。
でも、生きることを大切にするということは、死ぬことも大切にするということ
ではないのだろうか。