『東日本大震災』が発生して10年の月日が流れた。
大地震が原因で津波や火災が発生し、多くの尊い命が失われた。そして、未だに
発見されず行方不明となっている方や不自由な生活を余儀なくされている方が
大勢いらっしゃる。
さらには、福島第一原子力発電所の被災が自国民に限らず、世界規模にまで影響を
及ぼす事態となった。
しかし、人間はおろかな生き物で、自分自身が直接的被害に遭わなければ、どこか
他人事に思えてしまい、時とともに出来事が風化していってしまう。
この大災害を契機に『原子力発電』の在り方を見直す動きがあったが、
今では「安定した電力供給には原子力発電の使用は不可避であり、これからも増え
続ける」といった主張の方が主流となってきているように思える。
また、核関連廃棄物の処理を「一万年先のこと」として、どこか他人事で問題を
先送りしている状況がまかり通ってしまっている。
かと言って、「原発反対」とプラカードを掲げて反対運動を起こしている方々の
多くが、日々多量の電力を消費している現状を見ると「推進派と同じ穴の狢」と
思えてしまう。
高齢者介護に係る政策や財政についても同じようなことが言える。
同政策を優先するあまり、『多数決の原理』で人口全体に対する割合が圧倒的に
少ない若者が冷遇を受け続け、付を払わされることになってくる。
「自分さえ良ければ」という発想で、問題を先送りしたり、自分の身に降りかかっ
てきていない事柄を他人事ととらえ、次世代にその尻拭いをさせるようなことを
続けて、いざ自分自身が支援を必要とする状態となったときに、冷遇されてきた
若者から積極的な支援を受けることができるのだろうか。
『想像力』が人類の持つ最大の能力ではないのだろうか。
自分自身に直接降りかかってくるか否かではなく、想像力を働かせて、現在そして
未来にとってより良い世の中を本気で作っていくことが人類に求められていると
思う。