『認知症の人と家族の会や全国労働組合総連合(全労連)など7団体が23日、・・
高齢者の自己負担の引き上げに抵抗していく方針を確認。与野党に提出する要望書
の素案には、2割負担、3割負担の対象拡大やケアプランの有料化への反対を明記し
た。要望書は9月にも各政党へ提出する予定。』との報道を見た。
介護保険サービスの自己負担の引き上げは、令和6年度に控える次期制度改正の
最大の焦点となる。制度の持続可能性の確保、現役世代の負担軽減を理由に財務省
などが具体化を求めているが、家族の会らは異論を唱えている。
特殊な状況下でもない限りは、経済的、精神的、身体的負担が増えることを歓迎
する人はそうそういないだろう。まして、自分や家族の生活に多大な影響を与える
ような負担となればなおのことだ。
そのため、今回の負担増へ反対の声をあげることは至極まっとうなことであろう。
しかし、このような報道を目にするといつも気になることがある。
それは、経済的に余裕がある人もそうではない人も一緒くたにして取り扱われがち
であることと、異論や反対ばかりで対案がないことである。
若者世代が減り高齢者が増え続けている日本においては、社会保障に係る収入が
減り支出が増え続けることはだれもが知っている。家計と同様に収入が減って支出
が増え続ければ、いずれ破綻する。
現状のままでも、若者世代の負担は増える一方である。そこに来て、高齢者は負担
増を受け入れないとなれば、世代間格差を助長することにもなりかねないし、世代
間における感情論にも発展しかねない。
感情論ついでに言うと、『高齢者は弱者、若者は強者』という単純な枠組みで物事
を捉えることはいい加減に卒業したほうが良いように思う。
経済的側面を単純な枠組みから見ると、『高齢者は超強者、若者は超弱者』という
ことになる。
経済的な支援策を高齢者や若者と言った世代で対比することには何の意味も持た
ない。対比するべきなのは『余裕がある人とそうではない人』である。
単に反対の声を上げるだけでは誰も耳を貸さないと思う。