前回、
『低負担・高福祉』と言われる我が国の社会保障制度、特に医療保険や介護保険は
支出に見合う収入が得られないため制度崩壊寸前である。
もういい加減、路線変更しないと本当に崩壊してしまう。
そして、
① 国が保証するのは必要最低限の福祉として、上乗せ部分は全て自費とする。
② 介護予防は枠組み作りのみを国が支援し、実践は民間や地域に任せる。
③ 低所得者救済は上記のそれとは別の枠組みで対応する。
と提言した。
①が議題にあがると決まって、「社会保障に貧富の差をつけるのはけしからん!」
と猛反発が出る。しかし国が保障すべきなのは憲法に定められる『健康で文化的な
最低限度の生活を営む権利』であって、最高級の権利まで保障することではない。
経済大国であろうと途上国であろうと、人間社会において貧富に差がつくことは
避けられないし、そのことで受けられる恩恵に差がつくことも避けられない。
それに、「社会保障に貧富の差をつけるのはけしからん!」とかいう人に限って、
「生活保護受給者が自分より贅沢な暮らしをしていてけしからん!」などと言って
みたりする。
たしかに、生活保護にかかる住宅扶助が、最低限度の生活にあたる家賃を保障する
のではなく、高級マンションの家賃を保障するとおかしなことになってくる。
介護保険制度においても、低負担・低福祉をベースとして、より高度な福祉は自費
とすることで、より多くの方が福祉の恩恵を受けることができるのではないかと
思う。
②については当ブログで、国が掲げる介護予防プログラムの愚と題して再三指摘し
てきたとおりであるが、「高齢者は体力が衰え、口腔機能が低下し、食事量が減る
ことで介護が必要な状態になってしまう」という理屈に基き、運動・栄養・口腔の
医学的改善プログラムを繰り返し行ってきた。
あきらかな病変があって対処する必要がある場合には、治療を受けることになるで
あろうが、人間の精神活動を医学的アプローチで改善しようとする考え方には無理
がある。介護予防には、医学的アプローチよりも地域活動への参加などの方が効果
が高いという研究結果も出ている。
介護予防について国がやるべきことは、場所や人を提供することであって、細かく
実践内容に口出しすることではない。
これではまるで、地域の公園で行われる『朝のラジオ体操』の細かな内容や参加
メンバーの基準を厳密に国が決めるようなものだ。本来は、土台ができたらあとは
地域に任せるべきで、地域で困りごとが発生した場合にサポートすればよいだけ
だろう。
①、②を徹底することで、介護保険が制度化された当初に広げすぎた大風呂敷を
随分とコンパクトにできるように思う。
③については、『最低限度の生活保障=低所得者救済』と勘違いすると話がやや
こしくなる。最低限度の生活を営む権利は全ての国民に当てはまることであり、
そのために必要とする保障の度合いが高いか低いかの違いがあるだけのことだ。
これは、どの世代のどの制度に対しても当てはまることであり、各種社会保障制度
とリンクすることではあっても同一のものではない。
それを「高齢者だから、弱者だから」などと論点をずらしてしまうと制度そのもの
がブレブレになってしまう。
高齢者人口が増え続け、若者が減り続けている今、『低負担・高福祉』から脱却
しなければ、より一層「路頭に迷ってしまう人」が増え続けることになるだろう。
当然本意ではなくだまし取られるという形ではあるが、詐欺を働く犯罪者へ金銭を
支払うくらいなら、受けた社会保障に対する費用負担に回した方がよほど健全で
あろう。
そういった観点などから、社会保障費の自己負担増額は、むやみに反対するべき
ではないと私は思う。