ここのところ続けて、著名人が自ら命を絶つという報道を耳にする。
命を絶つに至った原因は一つではないだろうし、真の理由は本人しか知り得ない
ことなので、本人以外があれこれ予想することは適切ではないだろうと思う。
よく目にしていた著名人ばかりで、個人的に好きな人たちばかりだったので、残念
でならない。亡くなった方々へ心よりご冥福をお祈り申し上げたい。
しかし、命を絶つに至った理由をあれこれ予想することが不適切であったとしても
『コロナ渦における活動等の自粛』も一因としてあげられるのではないかと思って
いる。そしてそのことは、芸能の世界に身を置く人たちばかりではなく一般社会に
おいても同様ではないのだろうか。
人は一人では生きてはいけないと思う。
人は人とのつながりや結びつきによって、自分自身の存在を確認することが出来
たり、生活意欲を高めたり、情緒の安定を図ったりしているのではないだろうか。
そして、そのことが明日への暮らしにつながっていくと私は思う。
たとえ、テレビ電話やリモートで会話ができる便利なツールがあったとしても、
対面することで感じることができる温もりや雰囲気を代替えすることはできないの
ではないだろうか。
そのように考えると、当ブログでは再三に渡って訴えている『新型コロナウイルス
を感染症法の2類相当への分類は不適切』を改めて訴えたくなる。
国は、一体だれを守ろうとしているのだろうか。
この様な訴えを繰り返していると、「おたくは、基礎疾患を持つ高齢者の多くへ
サービス提供を行っている事業者なのにそんなことを言っていいのか」との指摘を
受けることがある。
しかし、その指摘は的外れも甚だしい。
一般の方々は、新型コロナウイルスが流行していなければ今ほどウイルス感染予防
に関心を持たなかったことだろうが、我々は平時からウイルス感染予防対策を講じ
ており、そのために必要なマニュアルや備品を常備しており、研修等も繰り返し
行っている。この度の新型コロナウイルス感染症拡大で我々が変わったことといえ
ば、「従うべきルールが増えた」という程度で平時の対応と何ら変わりはない。
今現在まで続いている同ウイルスへの対策は、“駄策”でしかない。
ウイルス感染予防対策を平時のこととして、国民の意識を高める必要はあっても
人と人とを無用に分断することはあってはならないと強く思う。
余談だが、
著名人が自ら命を絶ったという報道を自宅前で中継しているメディアに対して批判
する声が上がっている。
私も全く持って同感である。わざわざ自宅前で中継する意味が全く理解できないし
故人や遺族への配慮、倫理感のかけらもない。低俗な視聴者への受けを狙った下品
極まりない行為である。
だから『マス“ゴミ”』と呼ばれたりするのだろう。