北海道江別市でケアプランセンター、小規模多機能ホーム、デイサービス、訪問看護ステーションを運営するみのりの丘グループ

みのりの丘

みのりの丘代表ブログ

ルールやマニュアルは何のため?

2022.5.24

先週末に政府が新型コロナウイルス対策におけるマスクの着用に関する見解を示し

たことについて、多くの国民が反応しており、その多くが「政府は、より具体的な

指針や基準を示すべきだ」という声らしい。

日本の国民は、いつからこんな間抜けになったのだろう。

自身がマスクを着用すべきか否かについて、細かな指示がなければ判断できない

国民に成り下がってしまったということだろうか。

 

何らかの行動を起こす際に、自分で判断せずにひたすら指示を待ち、指示通りに

動くということは非常に楽なことだと思うしリスクを回避しやすい。

自分で判断しなくてよいのだから考えることをしなくてもよい。そして、何か問題

が発生したり批判を受けることがあっても、指示を出した者に責任を転嫁すること

ができる。『指示待ち人間』の本質はここにあるのではないだろうか。

その指示待ち人間が多数を占める集団においては、物事を推し進めるために多量の

マニュアルや多種多様なルールが作られる。そして、そのマニュアルやルールが

あまりにも多すぎて、指示を出す側も受ける側も覚えることができずルールブック

を持ち歩くことになる。何と滑稽なことか。

 

ルールは、人間社会において守られるべき大切な約束事である。

しかし、いつしか「ルールを作ること」が目的となってしまい、「人間社会を円滑

に進める」という本来の目的から逸脱してしまうことが散見される。また同時に、

「ルールを守ること」を第一として、「人間社会の営み」を顧みず同調圧力により

ルールから外れた行動をとる者の統制を図ったりする。

以前、日本の学校には理不尽あるいは下らない校則が多いという話題を耳にした。

ルールを作っている側も従う立場の側も考えることを放棄した結果だろう。

 

世の中には、その場で判断に迫られることは非常に多くある。そして、時にはその

判断が自分や周りの人の生命や生活を守る重要な役割を持つこともある。

例え細かなルールやマニュアルがあっても、考える習慣が身についていなければ

適切な判断や行動に結びつかないのではないだろうか。

先の知床半島の沖合で乗客・乗員26人を乗せた観光船が沈没した事故への対応も

しかりである。北の寒い海で船が沈没した場合、救命いかだがなければ乗客乗員の

命を守ることはできないことなど少し考えればわかることである。事故後に慌てて

無線や救命胴衣の法整備を進めようとしていることからも、対応にあたっている者

たちはルール作りに没頭して、考えることを放棄しているとしか思えない。

 

自らから考えることも判断することもせず、自分の行動に責任を持つこともしない

ことが良いとされる世の中になるのであれば、「人間はいずれコンピュータに支配

される」というSFの世界が現実になるかもしれない。

どういった場面でマスクを着用すべきか、少しは自分で考えろよ。