当ブログで何度か紹介している通り、当方では毎年市内外にある大学の学生実習を
受け入れている。
先月に複数の大学へお邪魔して、担当教諭にお話を聞きにいった際に札幌学院大学
さんから、学外講師としてこれから実習に向かう大学生を対象とした講義の依頼を
受けた。
そして先日、同大学へ伺い実習を控える6名の大学生とお話をしてきた。
現役の大学生の生の声を聞く機会が少ない私としては、とても楽しみであったし、
より有意義な場にしたいとの思いがあったため、講義形式というよりはディスカッ
ションに近い形式で進めさせていただいた。(先生のオーダーと違ったので申し訳
ないとも思っている)
その場は活発な意見交換ができて、私にとってはとても刺激的で有意義な時間と
なった。(参加した大学生にとっても有意義であれば尚良いのだが・・)
その場における実習を控える大学生が抱える不安として多く聞かれたことの一つに
「コミュニケーションの取り方」があった。
日常的にはかかわることが非常に少ない年代の方であったり、介護を必要とする方
障害をお持ちの方とどのようにコミュニケーションをとっていけば良いのかが想像
しにくいといった声や介護現場で従事する職員とのコミュニケーションの図り方に
ついて思いを巡らせているといった声が聞かれた。
介護現場では、「ご利用者に馴れ馴れしい言葉遣いは避けて敬語を使いましょう」と
か「清潔感のある身なりを心がけましょう」とよく言われる。
しかし、私はこうした言葉を聞くたびに違和感を覚える。
なぜなら”敬語”や”身なり”は結果でしかないにもかかわらず、なぜそのような結果
が生まれるのかという本質(経過や経緯)が語られずに、結果のみをなぞることが
正解であるかのように扱われている場面が散見されるからである。
例えば、我々がサービス提供しているご利用者の多くは、戦前後を生き抜いた先達
であり、今の平和な国の礎を築てくださった方である。直接自分を育ててくれた人
ではなかったとしても、感謝と尊敬の念を抱く対象であることに変わりはない。
そういった思いを持って接すると、言葉遣いや身なりは自然と見えてくる。
さらに、我々がサービス提供しているご利用者は「顧客」である。
数ある施設や介護サービスの中で”我々”を選んでくださった方である。その顧客の
満足度を高める振る舞いが求められることはサービス提供者として当然のことで、
そういった思いを持って接すると、言葉遣いや身なりは自然と見えてくる。
そして、その日は私が大切にしている二つの考え方をお伝えして大学生にエールを
送ることとした。それは、「想像力」と「情報の収集分析力」である。
特に初対面など相手の人物像がわからない状況においてコミュニケーションのとる
時には、自分のどのような振る舞いが相手の好意や嫌悪を生み出すのかを想像する
ことが極めて重要である。その際に「自分や自分の身内がその立場だったら」とい
ったことをきっかけにして想像を膨らませることも有効であるとお伝えした。
ただし、関係を継続する上では「自分だったら」という主観だけでは不十分である
こと、思考や性格は十人十色であることを踏まえて、「相手を知る」ことが極めて
重要である。そのためには、成育歴や生活歴、習慣などからその相手の思考性の
理解を深める情報の収集や分析が必要となるとお伝えした。
今回参加された6名の大学生から”あついあつい”熱意を感じた。
未来ある若者の一人でも多くが介護現場に足を踏み入れてくれることを熱望して
いる。(皆さんありがとうございました。実習がんばってください!)