「私失敗しないので」
これは、某テレビドラマで米倉涼子さん扮するスーパードクターの決めゼリフだ。
このテレビドラマは、かなり誇張されたフィクションなので、やや現実とはかけ
離れた点が多く、医療関係者から批判を受けることがある。
しかし私はちょっと違った視点でこのドラマを見て楽しんでいた。
このスーパードクターは、「失敗しない」と自信満々に公言している反面、検査デー
タを入念にチェックし、手技を繰り返し練習し、想定外の状況をできる限り予測し
たうえで最善の準備をして手術に臨んでいる。
これって、「失敗しない」ということを前提としている人の振る舞いだろうか。
むしろ、「失敗する」ことを前提として、失敗を限りなくゼロに近づけるために出来
得る限りの準備をして本番に臨んでいるのではないだろうか。
私は立場上、当方の事業運営にかかる事柄の最終チェックをすることが多くある。
そしてそのチェックをする場合においては、「間違いがある」ということを前提とし
て内容を確認することとしている。
そんな私の姿を見たスタッフから「自分たちの間違い探しをしているみたいで意地
の悪さを感じる」と指摘されたことがある。
チェックをして間違いが見つかった場合に、当該スタッフへどのように伝えて改善
を図るのか、当該スタッフに対する最大限の配慮とリスペクトの欠ける振る舞いを
避けることは大前提となるが、それでも「意地悪」という捉え方は非常に危険で
あり、時として不適切な考え方だと私は思っており、指摘したスタッフにはなぜ
不適切なのかを説明することとしている。
「失敗が許されない事柄であるほど、失敗することを前提としなければならない」
これが私の持論である。そうした前提に立って初めて、失敗を限りなくゼロに近づ
けるための準備に取り掛かることができるし、万一失敗した場合にも原因の究明が
しやすい。
「多分失敗はしないだろう」と高をくくって、十分とは言えない準備で事に臨んだ
結果、失敗してしまった場合には後に残る物はほとんどなく「次回は気を付けます」
という無意味な反省の弁を聞くことになるか、最悪の場合には隠蔽が行われる。
私たちが人間である以上は、「100%失敗しない」ことを実現することは不可能で
ある。そしてそのことに対する理解が深い人ほど失敗する確率が低いのではないか
と思ったりする。