以前に当ブログで
『体が不自由な人を見ると思わず「あの人かわいそうに。」と言ってしまいそうに
なることは、誰にでも経験があるのではないだろうか。
こうした周囲の目による「体が不自由な人は、不幸でなければならない。」という
固定観念が、「私は体が不自由なので、不幸である。」という自己暗示を生む。
毎年1万人以上の方々が、健康問題を苦に自殺しているという統計が出ている。
だから私は、某局の「24時間テレビ」なる番組が大嫌いである。
世の中の固定観念を増幅させるような番組はやめてもらいたいものだ。』
と申し上げたことがある。
ぼちぼちこの『24時間テレビ』が放送される時期に入ってきて、昨年11月に
系列局の局長が、同番組への寄付金などを着服していたという不祥事を受けて、
打ち切りを求める声が多数あがっているらしい。もともと同番組を毛嫌いしていた
私としては、打ち切りになることは大いに結構なことだと思っている。
同番組のコンセプトを簡単に言えば「かわいそうな人が頑張っている姿を見て皆さ
んで応援しよう」というものである。
身体的不自由があるというだけで「かわいそうな人」とか思っている時点で差別
以外の何物でもない。
人は一人では生きていけない。
日常生活において、自分以外の他者から協力や支援を受けなければ生活を維持する
ことが難しい場面は山のようにある。そのたびに「この人かわいそう」とでもいう
のだろうか。
協力や支援を受ける種類や量が多い人が「かわいそうな人」で、少ない人が「かわ
いそうではない人」とでも分類しているのだろうか。
ただ単に、自分より支援を受けなければならない量が多い人を見て、自分は大丈夫
だと安心したいか優越感に浸りたいだけだろう。
本来は誰もが、必要なタイミングで必要量の支援を受けることができることを当た
り前のこととするべきであろう。にもかかわらず、「かわいそう」などという感情を
差し挟んでおかしな方向へ演出してしまうから、支援を受けることに対する遠慮が
生まれてしまい、必要な支援を受けることができない人が増えてしまう。
それにしても寄付金を着服とは恐れ入った。
これを稀な事例と捉える向きもあるが、案外テレビ局の本質はここにあるように
思えてならない。
なぜならこの業界は、不貞を働いた著名人に対して再起が図れないほど叩きのめす
のに、自分達が人を欺きそして人から搾取する卑劣極まりない犯罪を起こしていて
も、まるで何事もなかったかのように番組を続けようとするのだから。