毎日熱戦が繰り広げられていた『パリ・オリンピック』の全ての競技が終了して
来週からは『パラリンピック』が開催される。
ハンディキャップを持ちながらも、超人的な能力とたゆまぬ努力の結晶が花開く
ことを期待して引き続き応援したいと思う。
同時期に始まった『全国高校野球選手権』もベストエイトが出そろい、いよいよ
佳境を迎えている。
そんなスポーツの祭典が目白押しだったわけだが、オリンピックを見ていて思った
ことがある。
それは、競技(演技)を終えた選手へのインタビューでインタビュアーが「日本を
代表し、国の威信と名誉をかけて戦ったこと」を問うた時に、10代20代の若手
選手の多くが、自国を意識して他国と競い合うというよりは、同じ競技に出場して
いる他国の選手に対するリスペクトを口にしていたということだった。
それは、競い合っている相手選手を激励していたり、抱擁して健闘をたたえ合って
いる姿を見ているだけでもその真意が伺える。
そしてその姿は、「日本が!日本が!メダル!メダル!」と大騒ぎして取り上げて
いるメディアや各テレビ局から派遣されているインタビュアーの姿勢とは真逆と
言っていい風景だった。
この時期は、終戦日や原爆が投下された日ということもあって、平和を祈念する
式典が数多く催されているが、先ほどのインタビューの一幕を見ていると「戦争
反対!平和第一!」とか言っている大人よりも、若者の方がよほど国の垣根を取り
払った友和精神を持っているように思えた。
加えて思うこととしては、何で高校球児はそろいもそろって丸坊主なのだろうか。
高校球児が進んで丸坊主にしているとはとても思えない。なぜなら、丸坊主にする
ことが嫌で野球部に入ることを断念した同級生や丸坊主にすることが苦痛でならな
いと嘆く野球部の同級生が数多くいたからだ。
これは、子供に対して強制力を持って統制したいと考える大人の欲求以外の何物で
もなかろう。
「歴史と伝統を持つ高校野球の球児は丸坊主であるべきだ。」と宣う野球解説者や
高校野球ファンが多くいるが、そんなものに合理的な理由などなく、他の競技者の
多くは丸坊主になどにはなっていないことを見れば一目瞭然だろう。
こうした情景を見ていると、若者を戦地へ送り込み、国のために命を捧げろと命じ
る古い時代を生きる大人の汚い振る舞いを連想させる。
何も歴史や伝統を軽んじるつもりはない。個人的には歴史も伝統的な建物や工芸品
を見ることは大好きだ。ただし、必要以上に歴史や伝統にとらわれて視野狭窄の
状態にある大人よりも広い視野を持って世界に羽ばたいている若者に世界の平和を
託したほうが良いように思えてならない。