前回の続き
前回の当ブログで、介護保険サービス費にかかる加算を生み出すシステムそのもの
が”ブルシット・ジョブ”であり、この加算のシステムは、給与所得者である労働者
にとって馴染み深い『手当』と類似する要素を持っていると申し上げた。
給与所得者である労働者にとって馴染み深い『手当』といえば、
基本給に付加される給与所得で、役職に係る手当や資格に係る手当、家族手当、
住宅手当、通勤手当、時間外労働に係る手当など所属する法人によって様々な名称
の手当がある。
各種手当にはそれぞれの意味合いはあるが、時間外労働に係る手当以外のものは
総じて述べると所属する職員の「区別化」によるところが大きい。
扶養する家族を要している方には家族手当を、マイホームを所有している方には
多くの住宅手当を、遠方から通勤している方には多くの通勤手当といった具合だ。
他の法人に所属している方や採用面接で、「以前所属していた会社では沢山の手当が
ついていた」と、こころなしか誇らしげに、そして手当の少ない会社を蔑むように
語っている場面に遭遇することがある。
しかし、前述の「沢山の手当がある」ことって、本当に労働者にとって喜ばしい
ことなのだろうか。
例外はあるものの、多くの手当は退職金や賞与計算時には加味されない。また、諸
手当は基本給に比べると変更を加えやすく廃止もしやすい。つまり、言葉を変える
と「手当は会社にとって、人件費を安くコントロールする上で都合がいいシステム」
ということができる。沢山手当てがあると言って喜んでいる方は、人件費を安く
済ませようとしている法人側の術中にまんまとはまっていることになる。
さらに言えば、昭和の時代と違って「結婚して家庭を持ち、マイホームを建てて
家族と豊かな生活を過ごすことが夢」ではなくなってきており、生き方の多様性
から考えても家族手当や住宅手当に対する合理性が薄くなってきている。
そもそも、手当を沢山もらっている方がもらっていない方の2倍3倍働くわけでは
あるまい。
年功序列や終身雇用のように企業が国民の生活を支えることが当たり前とされた
昭和の古き良き時代の考え方はもう通用しない。今は『基本給が高く、手当が少な
い企業』が労働を正当に評価する優良な組織となってくるように思う。
このことは、介護保険サービス費に係る介護報酬にも同じようなことが言える。
加算、加算、加算と何かにつけて加算が新設されるが、国にとっては介護保険給付
費を安くコントロールする上で都合がいいシステム以外の何物でもなく、介護保険
制度の欠陥を穴埋めするための急場をしのぐ必殺技でしかない。
抜本的な地位向上を目指すのであれば、「基本給が高く、手当が少ない」と同様に
『基本単価が高く、加算が少ない』ことを強く求めたい。
そして何より、加算しかり手当しかり、ブルシット・ジョブそして生産性の低下を
生み出す悪の根源であると思う。
「加算が増えた」といって喜んでいる介護事業者は、「沢山手当がある」といって
喜んでいる方と同様に・・・である。