今現在も存在しているのに、ほとんど話題として取り上げられることが無くなった
言葉の一つに”新型コロナウイルス”がある。
以前に当ブログで繰り返し訴えていた「マスゴミはバカ騒ぎをして国民の不安を
過剰に煽るが時が達つとまるで何事もなかったかのようにダンマリを決め込む」
ことが現実のものとなっている。マスゴミは本当にゴミだなとつくづく思う。
我々は、今現在もこのウイルス感染症と格闘しており、通常業務に大きな影響を
受け続けているが、彼らにとっては「もう終わったこと」なのだろう。
そのこととは逆に、新型コロナウイルス感染症をきっかけとして注目され、今現在
も様々な場面で耳にする言葉に”エッセンシャルワーカー”がある。
エッセンシャルワーカーは、日常生活を維持する上で必要不可欠な役割を担う職種
のことを指し、コロナ渦で多くの職種が休眠あるいはリモート等の代替えを余儀な
くされた一方で、現場で働き続けたのである。
そのことをきっかけとして、「エッセンシャルワーカー以外の仕事はあってもなくて
もいい”どうでもいい仕事”なのではないか」とか「エッセンシャルワーカーの地位
をもっと上げるべきではないか」との議論が沸き起こった。
エッセンシャルワーカーに分類される職種には、医療や介護・公共安全・食料品の
生産や流通・交通や物流・インフラ・製造・教育や保育・公共サービスなどが挙げ
られているのだが、この中で比較的年収が高いとされているのは医療業の医師くら
いのもので、現場で働く他の職種はほとんど平均年収以下である。
重労働にもかかわらず十分な報酬を受け取ってないことや働いているのに生活の質
が低下し、経済的な困難を抱えていることが多いことなどから、この職種を選択す
る人が減ってきており、慢性的な人材不足に陥っている。
なぜそうなってしまうのかといえば答えは簡単だ。
その一つは、どうでもいい仕事の方が楽にお金を稼ぐことができるからである。
そしてもう一つは、エッセンシャルワークのほとんどが、国の規制でがんじがらめ
にされていて、お金を稼ぎたいという意欲があっても国に阻まれてしまうからだ。
新型コロナウイルス感染症の拡大といった緊急事態で多くの国民がエッセンシャル
ワーカーの存在に感謝し感銘を受けたはずなのに、平時に近づくにつれてその思い
はどこへやらとなってしまっていることが残念でならない。マスゴミ同様に「もう
終わったこと」と考えている人が多くいると言うことなのだろう。
ただここで嘆いていても仕方がない。
非常に個人的な考えではあるが、エッセンシャルワークであっても国の規制でがん
じがらめにされずに報酬や所得を増やす方法を考えていかなければならないと思う
し、言葉を変えると国に頼りっきりの発想を転換する必要があると思う。
特にこの職種は、国に委ねる従うという呪縛にとらわれすぎている。
エッセンシャルワーカーが非常時に人から感謝される職種というだけではなく、
平時においても平均以上の所得が見込める職種という状況を確立して、多くの国民
が認識することで”どうでもいい仕事”を選択する人が減り、エッセンシャルワーカ
ーが増えることにつながるのではないかと思う。
何も社会秩序を乱す行為や法に反する行為を発想しているわけではない。
これまでは、通常業務の延長線上あるいは関連する業務として当たり前のことと
扱われてきた無報酬のシャドーワークを報酬や所得に変えるということである。
日本の美徳とされる”おもてなし”や”心遣い”は、裏を返せば労働者への過重労働と
搾取によって成り立ってきた。そして、特にそのあおりを受け続けてきたのはほか
ならぬエッセンシャルワーカーであろう。
私も以前にケアマネジャーとしてご利用者宅を訪問した際に「あなたの車で近くの
スーパーまで送って」とか「大掃除するから手伝って」などを当たり前のように
要求されたことが何度もあり、お断りすると「福祉に携わっているくせになんて
ケチなの」などと言われたこともある。
こんな要求に応じることはやさしさでも心遣いでも何でもない。ただ都合よく使わ
れているだけで、サービス残業を要求するブラック企業の経営者と同じだ。
エッセンシャルワーカーであったとしても、仕事を要求するのであれば、その労働
に見合う対価を当たり前のこととして要求できるようにならなければならない。