ここのところ当ブログで”どうでもいい仕事”を連呼しすぎている感はあるが、
私としては、ここ最近に書き綴った内容を取り下げるつもりも訂正するつもりも
ない。ただし、「豊かな生活を追求するあまり、大切な人材や人にとって大切な時間
の無駄遣いが起きている」と言い換えたらどうだろうか。
多くの人が日常的に利用しているコンビニエンスストアのお弁当などの食料品は、
様々なデータがあるため一概に言うことはできないが、日々20%~30%が廃棄
されていると言われている。
仮にこのデータを借りるとすると食品にかかわる生産者や食品加工にかかわる人
は、人の手に届かずただ捨てられるだけの作業を全体の20%~30%行っている
ということになる。
以前に申し上げた「穴を掘っては埋める作業を繰り返している」というあれだ。
しかし残念ながら、競争社会においてはどれだけ売れるのかははっきりしていなく
ても(あるいは知っていたとしても)、常に品ぞろえが豊富な店が選ばれる傾向が
強いため、余剰に商品をそろえてしまう。そして残念なことに生産者も販売者も
消費者もその前提で価格設定がされていることを承知している。
つまり、”無駄より豊かさ”を優先しているということだろう。
人それぞれ価値観が違うので、「豊かな生活」といってもそれぞれに思いがあること
だろうが、もしも先のデータを基にして必要な分だけ作ることが当たり前となった
ら、今までの2~3割少ない労働時間で完結することができるということになる。
そして、減った労働時間を自分にとってより有効と感じられる時間として使うこと
ができたとするとどうだろうか。
親しい人と過ごす時間、自分の趣味や趣向に興じる時間、他に興味のある仕事に従
事する時間などをより多く持つことができることこそが、「豊かな生活」と感じる人
だっているのではないだろうか。
ひょっとすると今の若者の多くは、こちらの方にこそ価値観を見出しているように
思える。
そう言えるのは、労働者の中の約4割が「自分の仕事が世の中に意味のある貢献を
していない」と感じていると言われているからであり、その様を間近で見て育って
きたからだ。
また、「穴を掘っては埋める作業を繰り返している」だけならまだしも、余剰を前提
として商品を揃えているため、捨てられるだけの商品を運搬している人がいたり、
リサイクルと言われる新たな事業が立ち上がったりしている。さらに言えば、こう
した無駄に労働時間が延びることによって保育や介護の労働時間も延長される。
つまり、無駄が更なる無駄を生み出していることになる。
今回例に挙げた食料品にかかわらず、社会全体でこうした無駄が無駄を生みだして
いる状況にある。今一度、大切な人材や人にとって大切な時間の使い方を考え直す
ことができれば、人材不足などが起きることもなくなり、生産性の向上を見込まれ
より安価に商品を手にすることができ、少ない労働で多くの報酬を得ることが実現
するという、真の意味で「豊かな生活」を過ごすことができるのではないだろうか
と思ったりする。