2年後に控える『介護報酬改定』に向けて、関係各種団体が介護報酬の引き上げや
処遇改善を繰り返し訴えている。
以前も申し上げたが、その訴えは十分に理解できる。
しかし一方で、そのように訴えている人達は、「介護報酬引き上げ」が何を意味する
のかを深く考えてそう訴えているのだろうかという疑問もわいてくる。
介護報酬の財源の多くを支えている給与所得者は長年、物価の高騰に見合う昇給が
得られずに生活の切り詰めを余儀なくされている。
そして、要援護者の多くを占める高齢者人口は増え続けているので、現状の介護保
険サービスを維持するだけで介護報酬財源はおのずと増額が必要となる。
さらには、給与所得者である生産年齢人口は減り続けているため、現状を維持する
だけで、一人当たりの負担は増額されていく。
そこへ来て、「介護報酬引き上げ」が実行されてしまえば、介護報酬財源も一人当た
りの負担額も大幅に増額されることになる。
ただでさえ生活の切り詰めを余儀なくされているにも関わらず、さらに大幅な負担
を強いられたとしたら、給与所得者の中で「もうギブアップ」という人が続出して
も不思議ではないし、これから就職する世代の中には「自分の人生を犠牲にして
まで労働することに疑問を感じる」という人が出てきても不思議ではないように
思う。
その結果、「介護報酬引き上げ」を訴える関係各種団体は多くの国民の反感を買い、
介護保険制度が多くの国民から見放される日が来るのではないかと恐れている。
今の我が国の経済状況や人口構造から考えると、「介護報酬引き上げ」は自殺行為に
等しいのではないだろうか。
介護保険制度の将来を本気で考えているのであれば、「脱公的社会保険制度」を考え
るべきだろう。当ブログで繰り返し訴えていることではあるが、「何でもかんでも
介護保険」や「何でも屋」はもう卒業した方がいい。
極論すると、「公的社会保険制度は、究極に困っている人達だけが利用できる制度」
くらいの感覚を持っていた方がいいと思う。
そしてそのためには、公的社会保険制度の対象から外れる人の生活ニーズを支える
受け皿づくりと物価の高騰に見合う昇給が得られずにいる介護関連事業者の所得を
増やすための規制緩和に全力を注いだ方がいい。
私たちは、独立開業してからの15年、もっと言えばその以前からインフォーマル
な社会資源づくりに力を注いできた。しかし残念ながら、こうした活動は同業者等
からは特異な例として取り上げられることが多くあった。
こうした活動が当たり前のこととして多くの地域で取り組まれ、定着することに
よって、公的社会保険制度がより洗練されていくのではないかと思うし、私たちも
「何でも屋」ではなく専門職としての地位を築き所得向上を目指すことができるの
ではないかと考えている。