当ブログで何度か「目的と手段」について、話題として取り上げたことがある。
その場では、「いつの間にか目的を達成するための”手段”が、目的そのものになって
しまうことが多くある」と申し上げてきた。
別に、手段が目的化したからと言って罪ではないのだから、目くじらを立ててまで
物申すことはないだろうと思うこともあるのだが、目的を失った手段のみが独り歩
きしてしまうと、悲惨な結果を生むことも多くあると認識しているため、このこと
については繰り返し訴えて行こうと思う。
先日、東京都の商業施設で面識のない30代女性の顔に向かってカラースプレーを
噴射したなどとして、61歳の男性が容疑者として逮捕された事件があった。
警視庁によると、同容疑者は商業施設内の椅子に座っていた女性を執拗に追いかけ
複数回スプレーを噴射したとのことで、「借金や病気などがあり、死んでもいいと
思っていた。刑務所に入れば食べていけると考えた」などと供述しているらしい。
今回の”目的”は、『生活苦を解決(緩和)したい』ということであり、そのための
手段として『自ら命を絶つ』もしくは『労力をかけずに衣食住を確保する』ことが
検討され、『刑務所に入る』ことが採用された。
しかし報道を見る限り、同容疑者の振る舞いは、目的を見失って手段が暴走したと
しか思えない。刑務所に入る方法はほかにいくらでもあっただろうに、女性を執拗
に追い回す行為は何らかの欲求を満たす以外の何物でもないだろう。
選択した手段を実行に移す前に本来の目的に立ち戻ることができれば、別の行動を
とることもできたはずだ。
目的を失った手段が独り歩きしてしまうことは、高齢者介護の現場でもしばしば
見受けられる。
たとえば、「もう一度台所に立って料理がしたい」という目的を達成するために、
「リハビリを受けて身体機能の向上を図る」という手段を用いることはよくある
ことなのだが、介護保険サービスを継続的に利用しているといつの間にか、ご利用
者も支援者も「リハビリを受ける」ことが目的となってしまっている状況によく
遭遇する。
こうしたケースでご利用者のケアの方針が話し合われる場合には、得てして目的
の”料理”についてではなく、手段であるはずの”リハビリ”をどのようにして受け続
けていけば良いのかが話し合われてしまうことが多くある。
しまいには、目的が達成して手段であるリハビリの必要性がほとんどなくなった後
でも、「リハビリを受け続ける」ことが重要視されてしまったりする。
本来の目的に立ち戻ることができれば、「刑務所に入る」あるいは「リハビリを受け
る」以外の手段が思い当たったかもしれない。しかし、手段が独り歩きしてしまう
と目的が何であったかを忘れさせてしまうだけではなく、新たな手段を見出す芽を
摘んでしまうことにもつながる。
