この場で繰り返し申し上げていることではあるが、「今は人もお金も足りていない」
のである。特に高齢者介護の業界においては、近年顕著にそういった状況を見て
とることができる。
それじゃ~、ということで持ち上がっている対策は、”機械化”と”外国人労働者”の
推進である。でもこれ本当に正解なのだろうか。
人材不足とは関係なく機械化することは大いに結構なことだとは思う。機械化が進
むことによって、これまでより危険性や心身にかかる負担が軽減されるのだとする
と現場としては大変ありがたいことである。ただ、前提に人材不足を補うことが謡
われてしまうと、人が直接行った方が良いことや人でなければできないことまで
機械化する無理強いが始まるようで怖い。
また、現場の労働者不足を補う目的で外国人労働者の雇用が盛んに行われている
ところであるが、高齢者介護という現場は外国人の労働にかかるニーズにマッチ
しているのだろうか。
業務内容の大部分がある程度マニュアル化される業種であれば、日本の言語や文化
に対する理解が十分には無くても労働者として機能するだろうとは思うが、そうし
た理解が十分ではない場合には、例え労働意欲や能力が高い外国人であっても、
高齢者介護という現場で労働者として機能するにはそれなりの時間を要することに
なるのではないだろうか。
恐らく多くの外国人労働者は、いづれ母国に帰ることを想定しているであろうから
短期間で習得出来て効率よく高収入が得られる業種を好むのではないだろうか。
こうしたミスマッチの中で外国人労働者が、高い労働意欲や能力を発揮することは
非常に難しいと考えられるし、理不尽な差別や非難を受ける原因にもなる。
そもそも、”機械化”も”外国人労働者”も、「人口減少=悪」ということを前提として
話が進んでいるように思えてならない。だから、帳尻合わせに合理性のないこと
まで機械化しようとしたり、頭数合わせで外国人労働者の雇用を推進したりして
いるが、介護現場のスタッフも外国人労働者もこの”無理強い”の犠牲になっている
ように思えてならない。
もういい加減、人口の減少は必然であって、そのことを前提として対策を講じると
いう考え方に切り替えたほうが良いのではないだろうか。
そのためには、”低負担高福祉”の思考を一旦リセットして、”負担なりの福祉”に思考
を切り替えていく必要がある。
具体的には、軽度要援護者への支援に多額の公金と専門職を使うことはやめた方が
いいと考える。そして、このことを実現するために面倒であっても受け皿となる
地域の社会資源を育成・支援していくべきであろう。
