我が国は、言うまでもなく「法治国家」である。
法治国家においては、人の判断よりも法による判断が優先される。
そのため、私刑や報復行為は法によって罰せられる。
「報復は永遠に連鎖し終わりがなく、これを放置すると国が繁栄できない」という
考え方に基づいて国が統治する方法を採用している国が多くある。
ただし、この統治方法は国が被害者に代わって”仇討ち”をしてくれるわけでは
なく、あくまでも犯した罪に対して法に照らし合わせて罰を与えることのみであり
裁きを受ける際には加害者の人権も当然尊重される。
その一方で、被害者の人権も感情も加味されないため、私刑や報復感情をどうして
も脱ぎきることができなくなってしまう。
そこで、法に照らし合わせて罰を与える際に国民の感情を反映させようとして
「裁判員裁判制度」が導入された。(それだけが導入の理由ではないが・・)
この制度を導入したことで万事可決したのかというとそうはなっていない。
これまでと変わらず、求刑も弁護も結審も法曹資格を持つ人たち主導で裁判が行わ
れている。
そして、「法による判断が優先される」とは言っても、その法を取り扱うのは人間で
ある。その人間が恣意的に判断することはこれまでにも多くあった。
”99.9%”
これが、我が国における起訴された事件の有罪率である。
つまり、ひとたび起訴されれば、ほぼ100%有罪となるということである。
人間が取り扱う事柄の中で成功率がほぼ100%という数字は非常に不自然だ。
この数字を出すためには、「失敗する確率が高いものには取り組まない」「失敗して
いるはずのことでも失敗したと結論付けない」といった方法を取る必要がある。
もしも、検察が恣意的に上記の思考に基づいて起訴や量刑を決めていたとすると、
それは適正な裁判と言えるのだろうか。
「報復は永遠に連鎖し終わりがなく、これを放置すると国が繁栄できない」という
考え方は非常に大切である。私刑や報復行為が蔓延るような世の中では、不安なく
生活することはできない。人ではなく法による判断が優先されるためにも、今一度
求刑、弁護、結審を含めた裁判の在り方について考えたほうが良いのではないだろ
うか。
