先日テレビで放映された『THE MANZAI』で社会風刺をネタにして話題となって
いる芸人の一つの下りが気にとまった。
それは、同性愛者などの性的少数者いわゆる『LGBT』に対して、某国会議員の
「生産性がない」との発言で話題となった問題に対して、
「生産性とは何か。互いの居場所を生産し合う、居場所を作ることだと思う。」
という内容についてだ。
私たちが日常的にかかわる『高齢者や障がい者』は、「生産性が低い、あるいは
ほとんどない。」と揶揄する方がいて、世間の目にもそのように映っているように
思う。
人は、この世に生を受けた瞬間から『消費者』となる。
その消費者のために、物を作り、サービスを提供する会社が存在する。そして、
その会社で働く人たちがいる。
全ての消費者は、事業や雇用を生み出す『生産者』である。
某国会議員は、少子化にある昨今を踏まえて、子どもを産むことを『生産性』と
表現したのかもしれない。
『子孫を残す』うえで、子どもを産むことは大事なことではあるが、『育てる』
ことの方がもっと大事なことではないだろうか。
一人の子どもを育てるためには、人的・物的・経済的な支援が不可欠であり、
どれほど道徳や財力があっても、親だけで子を育て上げることは不可能である。
会社でも同じような言動が見受けられる。
「私たちの部署は、直接お金を稼ぐ『生産性が高い』部署だ。」といった調子で。
大企業でも個人事業主でも、自分一人で事業にかかわる全てのことを完結すること
は不可能である。
内部、外部を問わず、様々な立場や業種の方々の支えがなければ会社の経営も事業
の運営もできないのである。
何かを『生む』ことを指して『生産性』と表現する動植物は、人間だけだろう。
その他の動植物は、『育てる』ことを重要視しているように思う。