北海道江別市でケアプランセンター、小規模多機能ホーム、デイサービス、訪問看護ステーションを運営するみのりの丘グループ

みのりの丘

みのりの丘代表ブログ

月別: 2019年9月

新聞が軽減税率の対象って!?

2019.9.26

来月から消費増税により8%から10%へ変わる。

膨れ上がる社会保障費などにより国家予算が年々増え続けている現状において

「増税は致し方ない。」と考えている方も少なくないだろう。

 

予てから、消費増税を社会保障費に充てるのはいかがなものかと言ってきたが、

今回の増税による財源の一部を使って介護職員の更なる処遇改善に割り当てて

いただいたことは素直に感謝したい。

 

それにしても、この増税に伴い実施される『軽減税率』が複雑怪奇で一度聞いた

だけでは理解できない内容ばかりだ。

お店で食べると10%で、テイクアウトすると8%になるとか

食用の氷は8%で、保冷用の氷は10%になるなど、まるでクイズ番組の問題を

出題されているかのようである。

 

「低所得者へ経済的な配慮をする。」という目的のもとで進められる制度で、生活

する上で必須となる食料品などの税率を低くするというものだ。

 

しかし、その中で気になるのは、「何で定期購読の新聞も軽減税率の対象となる

のか。」である。

 

このご時世、生活に必要な情報源を新聞に求めている方がどれほどいるのだろうか

と思う。私の身の回りで新聞を定期購読している人の数のほうが圧倒的に少なく、

ほぼ毎日のように買い求める食料品とは比較にならないほど必要性に乏しい。

 

さらに言えば、インターネットやソーシャルネットワークの普及により、国内外の

情報の手軽に取得できるようになったことで、「新聞が独善的で非常に偏った思考

を国民に押し付けている。」ことが多くの人にばれてしまった。

 

新聞の存在そのものまでは否定しないが、優遇されるほどのものではないと思う。

 

今回の優遇は、政治的思考によるものだろうが、新聞社自らがそのことを紙面に

取り上げることはないだろう。

それでも偽善と偏った正義を主張し続ける『新聞』ってなんなのだろうか。

情報収集の大切さ

2019.9.25

私たちは、生活場面で『情報収集』を常に行っている。

自ら検索する情報もあれば、自然と耳に入ってくる情報まで多量のものがある。

そして、日常に氾濫する多量の情報を取捨選択して、必要なものを何らかの形で

記憶にとどめることとなる。

 

そもそも、何故私たちは、日々『情報収集』を行っているのだろうか。

 

『情報収集』そのものが目的となることはほとんどなく、最終的な『判断』をする

ための根拠を求めて情報を集めるのではないだろうか。

 

人は、生活場面において、常に『判断』しながら暮らしている。

その『判断』には、些細なものから人生を大きく左右するものまで様々である。

また、

その『判断』には、数年かけて行うものもから瞬時に行うものまで様々である。

 

雇われの身だった頃と経営者となった今とを比較すると、瞬時に、そして人生や

社運を大きく左右する『判断』に迫られることが非常に多くあるように思う。

 

その『判断』が適切であったか否かは、結果を見なければわからないことも多く

あるが、いかに適切な量や内容の『情報収集』を適切なタイミングで行えているか

によってその結果が変わってくるのではないかと考えている。

 

経営者に限らず、『情報収集』を怠る人は、適切な『判断』ができないのではない

だろうか。

 

台風・台風・台風・・

2019.9.23

台風、台風、台風と続いている。

 

今月5日に関東地方へ上陸した台風15号は、甚大な被害をもたらした。

観測史上最大の風速を記録したこの台風の影響は、その復興が未だに進んでいない

との報道を見ても、その被害は想像をはるかに超えるものだった。

 

そして今度は、台風17号が日本列島を縦断しており、今日にも北海道へ上陸する

進路を取っていた。

台風から温帯低気圧へ変わったが、勢力はさほど衰えてはいないようである。

 

そんな中で、当方が運営する事業所では、今まで実施していた『防災・避難訓練』

の在り方を大幅に見直すこととした。

 

今まで実施してきたものが、現実とはかけ離れた想定であったり、アリバイ作りの

ようなものであったことを深く反省した。

 

断水・停電を想定した実戦形式の訓練はもちろんのこと、避難所として設定されて

いる近隣の小学校への模擬避難、また当方の事業所が避難所となる可能性もある

ことを想定した訓練や備蓄品の管理など、できるかぎり現実に起こりえる状況で

実施しようと考えている。

 

備えても、備えても、それを上回るのが天災である。

そのことを肝に銘じて準備したい。

地域交流スペースたんぽぽ(デイサービスって?)

2019.9.17

毎週金曜日に開催している地域交流カフェを今回もご紹介したい。

今回は『デイサービスってどんなところ?』というテーマで当方が運営する通所

介護(デイサービス)の事業や活動の内容をお話しさせていただいた。

 

 

 

当ブログの『ならないためにもいいけど。』で取り上げたように、実際に支援が

必要な状態になったときに、どういった介護サービスがあり、自分に合った

サービスとはどういったものかを考えるきっかけになればという思いを持って

実施してみた。

 

一通り事業内容を話し終えた後、日頃の活動の一部を実践して、皆さんにも

体験していただいた。

 

 

参加者の反応を見ると「知っているようで知らない。」ことが多かったように

思えた。

 

事前に知識を持っておくことで、自分自身の人生をより深く、そしてより豊かに

過ごすことができるのではないだろうか。

業界の常識は非常識

2019.9.13

先日、当方が運営する通所介護(デイサービス)で、ご利用者が転倒する事故が

起きてしまった。

幸にして大事には至らず、そのご利用者は日常生活を問題なく過ごされている。

 

この事故が発生した直後にご家族へ連絡して、謝罪するとともに事の経緯や今後の

対応を説明した。

 

するとそのご家族から「迷惑をかけてしまって申し訳ありません。」との返答が

あった。

被害を受けた側が、加害の側に対して謝罪するという『いびつな現象』が起きて

いるわけだが、この業界では珍しいことではない。

 

ご家族からすると、「お世話になっている。」という負い目からか、介護事業者に

対して強く出ることを躊躇する方々がいる。

 

そして、介護事業者側も少なからずそのことを自覚しているように思う。

 

介護事業者は、この業界の常識が世間一般の常識とイコールではないことへの認識

をより強く持つべきだと日頃より感じる。

 

怪我を負わせておいて、更に謝罪までさせるなどということはあってはならないし

繰り返さないように最善の注意を払わなければならない。

 

だって、プロなんだから。

自分の特性に気が付く

2019.9.12

『ADHD』という言葉をご存じだろうか。

 

医療、特に精神科や小児科の分野では非常にメジャーな病名であり、日本語では

『注意欠如多動性障害』と呼ばれており、集中力のなさ、落ち着きのなさ、順番

待ちができないなどの3つの特性を中心とした発達障害のことを指す。

 

幼少期に発症することが多くみられるこの障害は、大人になっても持続する場合が

あり、遺伝的な要因が強いと言われているが、原因は未だにはっきりしていない。

 

斯く言う私も幼少期から同様の症状を自覚していた。

 

苦手と感じることへの集中力が持続せず、周囲の子たちが難なくクリアできている

ことも上手に対応できないことが多かった。

しかし、好きなことや得意と感じていたことへの集中力は、周囲の子たちに引けを

取らないばかりか圧倒することも多かった。

 

いずれにしても、「何か周りの子たちと自分は違うなあ。」とモヤモヤしていた。

 

中学生となり、ひょんなことがきっかけで『ADHD』の存在を知った。

丸っきり自分の状態とぴったり合うことに驚いたと同時に、おかしな言い方かも

しれないが、モヤモヤが晴れてとてもうれしかったこと記憶している。

 

それ以降は、『自分の特性』と認識し、試行錯誤しながら様々な問題解決の方法を

考えて、目の前にある諸問題にあたることとした。

 

未だに解決できていないことが多く残ってはいるものの、社会人として、経営者

として何とかここまでやって来れたのは、比較的早い段階で『自分の特性』に気が

付くことができたからではないかと感じている。

 

私の周りにも、似たような特性を持った方々が少なからずいらっしゃる。

 

自分自身の経験から、

弱みとしてコンプレックスを感じるのではなく、『自分の特性』と認識することで

未来が開かれるとアドバイスしたい。

共に生きる

2019.9.11

先日、大変お世話になっている地域の方からの相談があった。

 

「高齢者クラブに参加しているある方が、失禁をしている状態でお越しになること

が多く、周囲も気遣いながら対応しているが上手く行かない。どう対応したら良い

のかわからず困っている。」とのことだった。

 

『住み慣れた地域、通いなれた場所、長年交流がある知人や友人』とは、

人が暮らしの中で育んできた情緒的な結びつきであり、最も大切にしていることの

一つであろうと思う。

 

しかし、

病気や加齢、障がいなどによって、自分にとって心地よいはずの環境が一変して

しまうことがある。

 

そうした変化も含めて、情緒的な結びつきを継続することが『共に生きる』という

ことなのではないかと思っている。

 

そのためには、病気や加齢、障がいといったことへの理解を深めることが不可欠

ではないだろうか。

 

近日、同高齢者クラブで講話をすることとなっており、『共に生きる』をテーマに

お話をしたいと考えている。

 

 

ならないためにもいいけど。

2019.9.10

当方は、地域コミュニティーサロンや介護保険外の介護予防事業などの自主活動を

いくつか実施しており、当ブログにて何度となく紹介してきた。

 

毎回、多くの方々にご参加いただいている。

参加に至った思いはそれぞれ違うだろうが、「ボケないために!支援が必要な状態

にならないために!」といった思いを持って参加されている方が多いようである。

 

それは、先を見据えた素晴らしい考えであり、行動にしっかり結び付けているので

なおのこと素晴らしいと思う。

 

長年、高齢者の介護や福祉にかかる相談を受けてきた経験から、予防に対する意識

が高い方々が多くいらっしゃる印象がある。

 

しかし、そうした意識とは裏腹に『実際に認知症になったら!支援が必要な状態に

なったら!』ということについて考えている方々があまりに少ないように思う。

 

時折、「私は、ちゃんと考えている。将来、そのような状態になったら、施設へ

入ろうと考えている。」という方がいる。

しかし、その方にさらに話を聞いても、特養と老健の違いも知らなければ、市内

近郊にどれだけの施設があるのかも知らない。

 

施設と言っても様々な種類があり、それぞれの種類の施設でも経営母体が違えば

カラーが変わる。また、施設内の間取りやベッド数、雰囲気、施設外の環境など

が違う。当然のことながら、そこで働くスタッフも違うので、同じ種類の施設で

あっても、全く異なった施設に感じることも多い。

 

そういったことも知らずに「とにかく施設に入る。」というのは、

行先も決めずに「とにかく引っ越しする。」といっているようなものである。

 

実際に引っ越しはしてみたものの、「駅から遠い。間取りや日当たりが悪い。

セキュリティーがあまい。」などなどの不満が募り、結局再度引っ越しをする

はめとなってしまう。

 

そうならないために、引っ越しをするにあたっては、リサーチをするものであり、

施設選びも同様である。

 

色々リサーチした結果、「やっぱり今の家が一番いい。」という結論に達するかも

しれない。

施設選びをしてみたが、「やっぱり自宅が一番いい。」という結論に達するかも

しれない。

 

 

地域交流スペースたんぽぽ(ふまねっと)

2019.9.6

毎週金曜日に開催している地域交流カフェを今回もご紹介したい。

今回は当ブログで何度か取り上げた『ふまねっと』。

 

ラダー体操(トレーニング)として知られるこの体操は、梯子という意味のラダー

を地面において、その枠の中でステップを踏むものである。

 

プロスポーツのトレーニングの一環として取り入れられることも多いが、

高齢者向けの介護予防体操としても取り入れられることもある。

 

前回と同様にインストラクターである藤さんと郡司さんにお越しいただいた。

 

軽く準備体操をした後に早速ステップを踏んでみた。

 

バランス感覚が養われるこの体操はとても意義があると感じている。

 

体操の後はいつもの通り、食事会!

 

今日は、まだ学生だった頃から携わってくれていた氏家さんも遊びに来てくれた。

 

皆さん、お疲れ様でした。

他人に委ねる幸不幸の価値観

2019.9.4

体が不自由な人を見ると思わず「あの人かわいそうに。」と言ってしまいそうに

なることは、誰にでも経験があるのではないだろうか。

 

こうした周囲の目による「体が不自由な人は、不幸でなければならない。」という

固定観念が、「私は体が不自由なので、不幸である。」という自己暗示を生む。

 

毎年1万人以上の方々が、健康問題を苦にして自殺しているという統計が出ている。

 

だから、某局の『24時間テレビ』なる番組が大嫌いである。

世の中の固定観念を増幅させるような番組はやめてもらいたいものだ。

 

 

世の中は、決して平等ではないし、突然に理不尽な扱いを受けることもある。

その度に「自分は不幸だ。」と自己暗示にかけて、更なる不幸を自ら呼び寄せる人

が多くいることだろうと思う。

 

私見ではあるが、

こういった悪循環に陥りやすい人は、『やたらと人の目を気にする』特徴がある

ように思う。

 

『自分の価値を無責任な他人に委ねる』とは、何と滑稽なことかと思うが、それが

人間の性というものだろう。

 

閉じこもりだろうが、要介護の認定を受けていようが、体に障がいを持っていよう

が、特別なことではなく、どうでも良いことではないか。

支援が必要であれば、それを受ければ良いだけのことである。

 

人の目など気にする必要はないし、そこに幸不幸の価値を置く必要もない。