北海道江別市でケアプランセンター、小規模多機能ホーム、デイサービス、訪問看護ステーションを運営するみのりの丘グループ

みのりの丘

みのりの丘代表ブログ

月別: 2020年8月

大根観察日記(その4)

2020.8.31

任期途中で現職の総理大臣が突然の辞任を表明した週末、世間は大いにざわついた

と思う。

私は政治評論家ではないので、後任は誰がいいとか悪いとか予想して盛り上がる

気持ちはないが、社会保障制度や高齢者介護政策への影響を考えると“あの人”だけ

はやめてほしいと思う人はいる。

 

ところで、私個人が週末に一番ざわついたのはほかでもない『畑の大根』である。

 

4、5日しかたっていないのに、こんなに成長していた。(下の画像で比較すると

より分かりやすい)

 

(26日の画像)

 

今日は、隊長から指令が下ったので『外敵の駆除』を行う予定でいる。

 

この調子でいけば、10月には沢山の収穫が見込める。

収穫の際に実施する予定の企画も準備を進めているところである。

具体的なことが決まり次第、当ブログでご案内したいと思う。

『指示待ちさん』の取説が欲しい

2020.8.27

幼いころは、他人から物をもらった時に

「食べてもいいよ」と両親から許可が出るまで、「ジーッと」もらった物と

にらめっこをしているような子供だった。

いわゆる『指示待ち』をしていた。

 

経験値を増やす中で、自分で判断することも増えて、一々両親の断りがなくても

行動につなげることはできるようになる。

しかし、新しいステージに上る度に同じようなことが起きる。

 

例えば、進学や就職、結婚、出産、介護などなど、未経験の新たなステージに身を

置いた時、多くの人は困惑し、どのような行動を取ったらよいのかわからなくなる

のではなかろうか。

 

そういった時には、すでに経験している兄弟や両親、先輩、教師、上司などから

教えをいただいて経験値を増やしていく。(最近はインターネットで色々と調べ

られるから便利な世の中になったもんだ)

そして自己判断ができることが増え、やがては経験の浅い後輩に教える立場に身を

置くことになる。

 

ところが、

どれだけ経験を積み重ねても、自己判断できることが増えない『指示待ちさん』が

世の中にはたくさんいて、身近にも多くいる。

 

そういった人たちは、なぜ自己判断できることが増えないのか考えてみた。

 

まずは、病気や障害に起因する『器質的問題』がある。

この場合は、治療やリハビリテーション、トレーニングなどによって判断力の維持

向上を目指すことになるだろう。

しかし、見た目では障害と見分けがつかず、自覚が薄いことも多いため、治療等に

結びつきにくいことがある。

 

それから、育った環境や過去の出来事などに起因する『気質の問題』である。

性格上の問題と言い換えることもできるが、強いトラウマなど治療を要する場合も

あり、軽んじてはいけないこともある。

 

そして、一番扱いの難しさを感じるのは、『極度に自己防衛本能が強い』場合では

ないかと思う。

こういった人は、自分の正当性を主張したり責任は自分ではなく他人にあると

いったことを周囲に知らしめることで自分を守る傾向があるため、判断能力を有し

ていても、意図的に自己判断をせずに指示待ちをしてしまう。

 

結果がうまくいかなかった場合には、「指示がなかった。」とか「指示が正確では

なかった。」と言って、指示者側に責任を転嫁して自分に火の粉が降りかからない

ように努めるのである。

 

判断能力があり、実務経験や年齢を重ね、教えを請いたい後輩が身近にいてもなお

『指示待ちさん』を続ける方々の取り扱いは難しい。

大根観察日記(その3)

2020.8.26

今日、昼休みの時間を使って雑草取りに畑へ伺った。

 

すると、

「お~!さらに葉っぱが大きくなっている~」

 

と、一人で感慨深げにしていたところ

 

隊長(畑所有の社長)より、「雑草取りの準備はできてるぞ!」との一声が

 

というとこで、やってきた。

 

 

スーツに革靴という、おおよそ畑に似つかわしくない姿で作業をしてきた。

 

最近、仕事が思うようにうまくいかないことが多く、イライラが募っていたが

土いじりをしていると不思議と心が和む。

 

でも、炎天下でやるもんじゃない。

作業が終わった後、少しフラフラした。

 

今後もこの日記は続けようと思う。

自立支援という名の強制収容所

2020.8.21

人は等しく、毎年1歳年を取る。

この世に生を受け、成長期から成熟期、衰退期へと移り変わっていく。

 

私たちが日々支援している方々の多くは、衰退期にある。

また、進行性の難治疾患によって、年齢にかかわらず、通常を超えるスピードで

衰退が進んでいく方々もいる。

 

それでも、厚生労働省やそのお抱えの医療関係者は「自立支援、自立支援」と魔法

の呪文を連呼する。

そして国を挙げて、高齢者にやりたくもない運動を強制し、飲みたくもない水分を

体調を壊すまで飲ませるのである。

馬鹿正直で主体性がない日本人は、「国の言うことだから」と疑問すら感じず、

ひたすら「運動、水分」を続けるのである。

ここは、戦時中の強制収容所か!

この世は、老いていくことに正面から向き合い、穏やかに年を重ねることも許され

ないということか。

 

多くの人は、「年をとっても、できるだけ元気でいたいし、家族や人様に迷惑を

かけたくない」と思っていることだろう。

 

ただ、国が掲げる『自立支援』は不純な動機と偏ったアプローチと言っていい。

「国は金がないんだから、高齢者は年金など貰わず、とことん働け!」とか

「医学的に健康でいることが人として一番大切だ!」などなど

 

人間は、機械でもロボットでもない。錆びたら油をさし、壊れたら部品を交換した

らよいわけではない。

また、休憩もとるし、傍からみると「何が楽しいのか」と思うような娯楽に興じる

いわゆる『無駄なこと』をするのである。

そして、その『無駄』が何より生きる糧となり、元気の源になる。

 

毎週金曜日に開催している地域交流カフェのイベントは、そんな『かけがえの

無い、人として大切な無駄』の場を提供している。

 

今日は、当方の活動に参加してくれている会員さんによる『マジックショー』を

行った。

 

 

 

ちょうど、当方が運営する施設へ実習に来ていた大学生にも飛び入りで参加して

もらい、大いに盛り上がった。

 

国が推奨する医療(科学的)モデルの介護予防や自立支援よりも、よっぽど人間

らしいし、十分な検証はできていないが、より効果が高いように感じている。

 

医学的な健康に気を使いすぎて病気になるよりも、支援が必要なのに自立を不必要

に意識するよりも、情緒的な結びつきを大切にして、自分らしく生きたいと思う。

独占による弊害

2020.8.20

『独占』とは、文字通り『ひとりじめ』することであるが、

社会経済においては、一つの企業が販売市場を支配することを指す。

 

企業側としては、競争相手がいなければ、自社の利益が脅かされる心配はなく、

価格設定も自由に行えるため、効率的に大きな利益をあげることができる

『おいしいシチュエーション』といえる。

そのため、各企業はそういったシチュエーションを目指して商品開発などを行う。

 

営利を追求する企業が、そういったシチュエーションを目指すこと自体は特に悪い

ことではないし、至極当然である。

 

しかし、人間は欲深い生き物であるため、おいしいシチュエーションを「さらに

おいしくしよう!できるだけ長くその状況を続けよう!」と悪智恵を働かせるので

ある。

そして、粗悪な商品を高値で売り、より多くの利益を上げようとしたり、競争相手

となりうる新規参入企業の邪魔をしたりするのである。

 

「暴利をむさぼっている」ことを知っていたとしても、それでも消費する価値が

あれば、その商品は売れ続けることであろう。

そこで話が終われば、「あの会社、うまいことやったな!」で済むことになるが、

欲深さを追求した結果は決まって悲惨な末路をたどる。

粗悪な商品を売り出したことで、事故が起きたり、健康被害が出たりする。

 

誰も成し遂げなかったこと(思いつかなかったこと)を先駆的に始めた人(企業)

に対して敬意は評するが、「独占し続けよう」という思考は賛同できない。

 

江別市内にも、様々な業種で『独占状態』のものがある。

無論、結果的に独占状態になってしまう場合もあるので、そのこと自体を批判する

つもりはない。

それでも、長期的な健全化を鑑みれば、独占状態は解消するべきであろう。

 

我々の業界でも、『訪問診療』がほぼ独占の状態にある。

1日も早くこの状態が解消されることを強く願う。

「皆が飛び込んでいる」と言われてから

2020.8.19

先週末に、厚生労働省より全国の自治体へ『ケアマネジャーの試験に合格した人が

受ける実務研修について、今年度に限り条件付きで実習の免除を認める』との通知

が出された。

 

今年の4月に当ブログで取り上げた『教育現場に携わる資質』でも強く訴えた通り

自分たちの病院や施設で新型コロナウイルス感染症が発生及び拡大しないようにと

必死に対策を講じている最中に、危険因子となる実習を受け入れることへの配慮を

実施主体に求めたが、大多数の声が上がるようになって、ようやく国が重い腰を

上げてくれた。

 

コロナ禍において、職場も教育現場もリモートや時差出勤(登校)など工夫して

対応しているのだから、同様の措置がとれるはずである。

 

第一波どころか第二波が中盤に来ている今頃になってのこの通知を見て、「厚生

労働省の皆さん!起きてますか?寝ぼけてませんか?」と言いたくなる。

 

何も、「何人たりとも病院や施設へ入れてはならない!」などと言っているわけ

ではない。かえって、未だに家族の面会を完全に遮断している病院や施設に対して

「思考が止まってる」という違和感を覚えるくらいである。

病状によっては、もう二度と家族と会えないかもしれないという人だっている。

創意工夫の中でできる限りのことはするべきだと思う。

 

だからこそ、『絶対に欠かすことができないこと』と『そうではないこと』をメリ

ハリをつけて対処するべきであろう。

 

通常時は、マニュアル通り、ルーティンに従って行動すればいい。

緊急時にこそ、思考し、創意工夫するのではなかろうか。

 

先日、こんなアメリカンジョークを聞いた。

『沈没しそうな船の乗客に対して、アメリカ人には「英雄になれるから」というと

飛び込む。フランス人には「飛び込むな」というと飛び込む。イギリス人には「紳

士は飛び込むものである」というと飛び込む。ドイツ人には「規則だから」という

と飛び込む。日本人には「すでに皆が飛び込んでいる」というと飛び込む』

 

「皆がやってるから!(やらないから!)」が重要な場面の判断根拠となって

しまうなんて、

思考しない、主体性がないのは、日本人全体の特性ということか・・・。

大根観察日記(その2)

2020.8.18

昨日、水やりや雑草取りをしようと伺ったら、

 

 

「葉が大きくなってる~」しかも「まばらだったものがほとんど芽が出てる~」と

一人で感動していると、畑の持ち主である好和興業の社長から「やれやれ」と言わ

んばかりの眼差しを受け、爆笑された。

 

日頃より畑に携わっている方から見ると、些細なことでいちいち感動している人を

見ると滑稽に思えることだろう。

しかも、毎日の畑の世話は同社長が行っており、私は空き時間に「ちょこっと」

顔を出す程度である。

 

それでもこれでも、この観察日記は続けよう。

「お上は正しい」は妄想領域

2020.8.17

「お上の言うことには疑問を挟まず、ましてや逆らうなどもってのほか」という

考えは、いい加減やめた方が良いように思う。

 

我々介護サービス事業者は、その報酬の大部分を税金や保険料から頂戴している

公益性の高い事業を運営していることもあり、介護保険法を厳粛に守ることが

求められる。

そして、定期的に行政による監査(指導)を受けることが義務つけられている。

 

そのためか、行政からの指導や助言に疑問を挟まず、内容の如何を問わずにその

まま受け入れてしまう習性?があるように思う。

 

『お上』は、時の権力者や政治行政の執行機関を指す場合に使われる言葉であるが

その立場にいる者は、所詮平凡な人間であり、神様でも聖人君主でもない。

 

当ブログの『裸の王様たち』でも取り上げたとおり、

人間は誰しも煽てられると木に上るものである。

そして、上から下の者たちを見下ろすのである。

 

先日、当方の事業所宛に『財務省予算執行調査への協力のお願い』のメール文書が

届いた。

その依頼文書には、使用目的は全く記載されておらず、抽出された当該ご利用者の

抽出根拠も全く示されていなかったため、担当者へ問い合わせてみたが、明快な

回答は全く得られなかった。

 

時の権力者たちは、自分たちにとって都合の良い結論を導き出すために、偏った

データを集積し、時にデータを改ざんする。

 

「お上はうそをつかないし、間違ったことはしない」という発想は、幻想を通り

越して妄想に近い。

時の権力者たちは、うそをつくし、間違ったこともする。自分が偉くなったと勘違

いしている人であれば、よりその傾向が強く出る。

 

過去の政治行政にかかる事件や悲惨な戦争は、このようにして起こり、そして

繰り返される。

先週末に執り行われた終戦記念にはせた思いを常に持ち続けてもらいたい。

 

使用目的や抽出根拠を示さない、こういった調査依頼にもろ手を挙げて協力する

必要など全くない。

我々は、地域住民や市民、ひいては国民の健康維持や福祉的支援ために職務に従事

しているのであって、行政マンの欲求を満たすために働いているわけではない。

大根観察日記(その1)

2020.8.14

当ブログで紹介している『大麻地域創造会議の食を通じて活動の輪を広げよう!』

の企画内で始まった大根づくりは、今月の10日に種まきを行うところから開始

された。

 

昨日、水やりや雑草取りをしようと伺ったが、種まきから3日しか経っていない

ので、畑は閑散としていた。

 

と思ったら、よく見ると小さな葉が出ていた。

数十年ぶりに童心へ戻ったようなワクワク感があった。

 

やっぱり土はいい!

コロナ禍で荒みかかっている心を癒してくれる。

 

今後もこの観察日記をつけていきたいと思う。

コンプライアンスの欠片もない専門職

2020.8.13

少し前の話になるが、耳を疑うような出来事があった。

 

入院中のご利用者のご家族から「見ず知らずの人が、父の病室にいきなり来て、

退院後の支援を行う者ですと言って自己紹介してきた。」との連絡を受けた。

 

退院後の支援を当方のサービス事業所に依頼することとしていたご家族は当初、

突然訪れた人が当方の関係者なのかと思って対応していたら、全く関係ない人で

あることが分かりびっくりしたと同時に怒りが込み上げてきたそうである。

「なんで、父のことを見ず知らずの人が知っているのか!」

 

状況がいまいちつかめなかったため、関係者である医療機関へ経緯を確認すると

独立して新規に介護サービス事業所を立ち上げた者が、営業の一環で医療機関を

訪問した際に聞きつけた情報を使って、直接ご利用者のところへ売り込みに行った

とのことだった。

 

事業を立ち上げて間もない状況で、顧客確保を必死の思いで行うことは理解でき

ないわけではないが、社会的ルールや職業倫理を大きく逸脱する行為である。

 

それよりも問題と感じていることは、「たまたま患者情報を取り扱っているところ

へ居合わせた人が勝手に患者のところへ行ってしまった」と悪びれることなく状況

の説明を行う医療機関の態度についてである。

 

「たまたま患者情報を・・」などと言っている時点で、個人情報を守る責務を

感じていないことは明らかであろう。

コンプライアンスの欠片もない専門職は一刻も早く、我々の現場から立ち去って

もらいたいものである。

 

本件は、個人情報の漏洩であり、歴とした法令違反である。

ご家族は損害賠償請求の訴えを起こすこともできたが、後々のことなど色々と

考えた結果、行動を踏みとどまることとした。

 

コンプライアンスは、『法令遵守』と日本語訳されるが単に法律を守るというだけ

の意味ではない。

社会的規範、道徳的規範、職業倫理を守るという意味も持っている。

 

職業倫理を持たない専門職は、もはや専門職ではない。