北海道江別市でケアプランセンター、小規模多機能ホーム、デイサービス、訪問看護ステーションを運営するみのりの丘グループ

みのりの丘

みのりの丘代表ブログ

月別: 2020年9月

定年への思い

2020.9.14

当方の規程では『定年』は70歳となっている。

 

今月末で定年を迎えるスタッフがいる。

まだ歴史の浅い法人ではあるが、定年まで勤めていただいたスタッフがいることを

誇らしく思うし、同スタッフには感謝の気持ちで一杯である。

 

体力・気力・能力いずれも申し分はないと判断していたため、継続雇用を考えて

いたが、スタッフ側の都合があり、残念ながら退職することとなる。

 

定年は、人生における一つの区切りとして大きな目安となるように思う。

経営者にはその区切りとなる定年がない・・。

体力・気力・能力が現状に追いついていかなくなれば、それが一つの区切りとなる

であろうことは想像できるが、自己判断に委ねられるとすると責任は大きい。

 

健康における自己管理を行うとともに、後輩の育成に努めたいと改めて気の引き

しまる思いが湧いてくる。

大根観察日記(その6)

2020.9.11

今日は、収穫時の企画である食育講座に携わっていただく、酪農学園大学の先生、

学生と下見を兼ねて『雑草取り』を行ってきた。

 

学生の皆さんは、1年次に畑で作物を育てる実習があるらしく、前日の雨でぬかるん

だ畑の中も何の抵抗もなく入って行く。

お一人、やや不慣れな手つきで作業している人がいると思って見ていたら先生だっ

た。(笑)

 

それにしても、ほったらかしにしすぎていたため、こんな状態になっていた。

 

先生、学生の皆さん、

雑草取りまでさせてすいません。とても助かりました。

収穫当日も楽しみにしております。

ウイルスか人かとか言ってていいのか

2020.9.10

新型コロナウイルス感染症拡大への対策はまだまだ続く状況にあるが、

先日、ある記事が目に留まった。

 

その内容は、

新型コロナウイルスに感染する恐れがあることを理由に、必要な外部の介護サービ

スを入居者に使わせない有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅があるとし

て、厚生労働省は改善を求める通知を4日に発出した。~中略~ 有料老人ホームや

サ高住の入居者には、外部の訪問介護、訪問看護、訪問診療、通所介護などを使っ

て生活を維持している人も多い。~中略~ 厚労省の担当者は、「感染拡大の防止

が非常に重要なのは分かるが、過度な一律の制限によって入居者が逆に追い込まれ

てしまうことのないように配慮して頂ければ」と話している。

という内容だった。

 

当方が運営している通所介護事業所をご利用中の有料老人ホームにご入居されて

いる方が何名かいらっしゃるが、未だに当方の事業所を利用できず制限を受けて

いる方がおり、中にはその間に心身の状態が悪化して他の支援を受ける必要が高ま

ったことで当方の事業所の利用を終了することになった方もいる。

 

明確な因果関係を証明できないため、「当方の事業所の利用を中断したから心身の

状態が悪化した」というつもりはないが、そうした施設に対しては、「思考停止

せず創意工夫を!」と訴え続けており、今もその考えに相違はない。

 

一方で、ウイルス感染症研究で著名な大学の研究者が「ウイルスよりも人の方が

私は怖い」と言っていたことがいまだに印象に残っている。

 

同氏は「PCRが独り歩きしてしまっている。その検査は、感染力がない保菌者であ

っても陽性と出る。また、陰性と出た人の中にも保菌者はいる。検査を受けた次の

日に感染する可能性は大いにある。検査なので当然治療の効果などはない。にも

かかわらず、とにかく検査数を増やせば安心できると訴える人があまりにも多い。

毎日検査を受けたとしても安心材料にはならないし、症状がない人にまで検査を

行うことは国家予算の無駄遣いにしかならない。より有効な手立てに時間とお金を

費やすべきだ。ウイルスや検査に対する知識が十分にはない人が誤解を生みだし

拡散し、差別や偏見を助長して、適切な感染症対策の邪魔をしている。」と訴えて

いた。

 

身近なところでは、

「毎日情報が発信されている新型コロナウイルスの道内感染者の内訳で石狩管内と

表示されている件数のほとんどが江別市である。正確な件数を把握するためにも

積極的に地域の公表を行ってほしいと言っている医療機関がある」とのうわさを

よく耳にする。

こうしたうわさ話もまことしやかに拡散され、多くの市民の不安と恐怖心を煽って

いる。そして、感染が表に出ると誹謗中傷される地域だという誤解が生まれ、益々

公表を躊躇してしまうことになる。

 

有料老人ホームの経営者の中には、本当に怖いのはクラスターの発生ではなく、

誤解から生まれる悪評の方と考えている人がいるかもしれない。

 

ただし、怖いのは人かウイルスかと言って警戒強めたとしても、その対応や対策の

中心にご利用者や入居者が不在であれば、それは本末転倒であろう。

通訳を上手に活用できれば

2020.9.9

ケアマネジメントの現場において『医療と介護・福祉の連携が重要』と言われ続け

ている。そして、国の政策も手伝って、医療と介護現場間の情報の共有は格段に

進展してきている。

 

ただし、情報を共有することと連携することとは必ずしも同一のものではなく、

情報を持っていても上手く連携できないことがケアマネジャーの課題として指摘

されている。

 

一般的な医療機関には、医師のほかにコメディカル(看護師や薬剤師、リハビリ職

等)や相談援助職、事務職などがいる。そして、それらの方々は医学的な知識に

基づく『医療』という共通言語を用いてそれぞれの職務に従事している。

 

一方、ケアマネジャーは統計データによるばらつきはあるものの、半数以上が医療

機関で務めた経験がなく、その大半がコメディカル等の医療系の資格を持っていな

いといわれており、『医療』という言語になじみがないまま職務に従事しなければ

ならない方がいる。

 

例えるなら、外国へ移住する予定がなく、語学の習得を目指していなかった方が

急遽外国で生活しなければならなくなったような状況で、多くの方が言葉や文化の

壁に阻まれて思うように生活を営めなくなってしまうようなものである。

中には、知人や友人を積極的に増やすよう努めるなどして、早々に言葉や文化に

なじんでいく方もいることだろうが、キャラクターを拠り所とする点が多いため、

標準的とはいいがたい。

 

「生活は続けなければならない」でも「すぐに外国語を習得することも難しい」と

なった場合に多くの方が活用するのは『通訳』ではないかと思う。最近では、その

場で翻訳するアプリなどもあって利便性が格段に上がっている。

もはや、ドラえもんの道具が現実のものとなってきている。

 

介護現場において『医療』は、重要な言葉ではあっても標準語ではない。

ケアマネジャーにとっての『通訳』は誰なのかと考えた時に、それは訪問看護師で

はないかと思う。彼らは『医療』という言語を当然知っているし、『生活』という

介護現場の標準語にも精通しているバイリンガルである。

『医療と介護・福祉の連携』の推進には、ケアマネジャーが如何に通訳としての

訪問看護を上手に活用できるかにかかっているように思う。

大根観察日記(その5)

2020.9.8

10月9日に予定している収穫の企画に進展があった。

 

地域の皆さんで作物を育てて、地域の子供たちと収穫することを通じた食育と世代

間交流を目指して立ち上げた企画であったが、コロナ禍にあって大幅に企画内容を

変更せざるを得ない状況となっていた。

 

ところが、大麻にある『ゆめのみ保育園』の波田園長先生が同企画にご賛同くだ

さったことで状況が一変した。

同保育園の園児十数名が大根ぬきに参加してくれることになった。

 

おかげで、食育講座の準備をしていただいていた酪農学園大学の学生にも活躍して

いただけそうで本当に良かった。

 

今日の大根の発育状況はこんな感じ!

 

「生きる」ことを支援するということは

2020.9.7

3年に1度の見直しが行われる介護報酬改定の内容を審議する介護給付費分科会が

先月27日に開催され、同分科会で『経営者で組織する団体の代表が、現場で発生

する事故の扱い方について問題を提起した』という記事が目に留まった。

 

同記事によると

全国老人保健施設協会の東憲太郎会長から「転倒や転落、誤嚥を事故と認定する

ことについて少し意見を言いたい。例えば、認知症で危険の意識がなく歩行能力も

衰えている方などが転倒されるということは、もう事故ではなく老年症候群の1つの

症状ではないかと思う。」さらに続けて、「我々はもちろん拘束はしないが、転倒

などを事故とすることで訴訟が頻発している。しかも敗訴が多く大変問題となって

いる。転倒や転落、誤嚥は本当に事故なのか、ということも検討して頂きたい。」

呼びかけた。

とのことだった。

 

個人的な感想としては、それなりに立場のある方が公的な会議の場でここまで大胆

に踏み込んだ発言をしたことに対して非常に驚いた。

 

当たり前のことであるが、私たちも転倒や誤嚥を起こしたいわけではない。

そのような状況にならないように話し合いを重ね、できる限りの対策を講じ、細心

の注意を払って支援にあたっている。

それでも残念ながら転倒や誤嚥は起きてしまうし、その多くは人的には防ぎようが

ないことが多い。

 

当然、ご利用者には大変申し訳ないことをしてしまったという思いが残る。

しかし、それらすべてを『人的ミス』と片付けられ、果てには訴えを起こされて

しまうと現場は委縮して何もできなくなってしまう。

 

こうした状況が常態化してしまうと

ご利用者から「少しでも歩けるようになりたい。」というご意向を聞いていても

現場は「転んで怪我して訴えられたら困るから黙って座っててください。」という

ようになってしまうかもしれない。

また、ご利用者から「もう少し形のあるものを食べたい。」と言われても、現場は

「誤嚥して肺炎にでもなったら訴えられるから今まで通りミキサー食だけ食べて

いてください。」というかもしれない。

果てには、認知症状が出ている方に対して、身体拘束の必要性の再考を求める声が

出てくるかもしれない。

 

『単なる延命ではなく生きる』ことを支援したい私たちにとっては、このような

状況になってしまうことは無念であり苦痛でしかない。

仕事のやりがいを無くしたスタッフは、「私たちはロボットを支援しているわけ

ではない。長年人生を歩まれ、その経験から生まれたご意向や生活習慣を持った

人間を支援しているんだ」といって現場を離れていくかもしれない。

 

このようなことを言うと「職務怠慢の言い訳だろう!事故が起きても許される

免罪符を持ちたいのだろう!」とご批判を受けるかもしれない。

そのため、多くの経営者や現場スタッフは喉元まで出かかっても言葉を飲み込んで

『事故』への謝罪をし続けていたのである。

私たちがやらなければならないことは、「とにかく謝罪する」ということではなく

生きることを支援する上で予測される身体的、精神的、経済的リスクの評価と対応

をご利用者やご家族へ丁寧に説明して同意をいただき、状況が変わる都度に説明と

同意を行うことではないかと思う。

 

多方面から批判を受けるであろうことを承知の上で、私たちの苦しい思いを代弁

してくださった老健協の東会長には感謝の気持ちでいっぱいである。

 

そして私たちはこれからも、リスクを最小限にとどめつつ、『生きる』こと

を支援し続けたいと思う。

医療侵襲行為の同意権(その2)

2020.9.5

新規事業の立ち上げ準備が大詰めを迎え、何かと忙しくしていたこともあって

中々ブログを更新できずにいた。

 

久しぶりに書こうと思って前回の内容を見直したら、「あれ?続きは明日に持ち

越しって書いてる」ということに気が付いたので、取り急ぎ続きを書こうと思う。

 

前回、認知症状などによって同意に必要な判断能力が十分にはなく、本人の代弁者

となる家族がいない場合に必要な医療行為が受けられなくなる医療侵襲行為の

同意権を取り上げていた。

 

こうした問題は日本固有のものではなく、諸外国でも同様に問題提起されていた。

そして、詳細は割愛するが大筋では以下のような考え方で対応している国々がある

ので、まずはそのことを紹介したい。

 

アメリカでは、特定の家族のほかに後見人に同意権が認められている。

ドイツでは、本人があらかじめ指名した代理人に同意権を認め、代理人ではない

家族には同意権を認めないという考え方である。

イギリスでは、こうした状況にあった場合には、その大部分を医師の判断に委ねる

という考え方で法整備されている。

 

こうした諸外国の考え方や取り組みを一つの参考として、少子高齢化が他国と比較

にならないほど急速に進んでいる我が国の法整備が急がれるところである。

 

私見ではあるが、

本人があらかじめ指名した代理人を準備することができれば、法執行機関の管理

監督の下で同人に同意権を認めることが妥当のように思う。

その際に、代理人=成年後見制度における後見人とすることには些か疑問が残る。

後見人には、家族や親族が指名される場合も多くあるため、そういう事例では

代理人=後見人で良いように思うが、認知症状を発症する以前の本人の意向や趣向

をあまりよく知らない弁護士や司法書士などが後見人となった場合、身内でもなく

医療の専門知識が十分ではない同人に同意権まで委ねてよいのだろうかと思う。

 

そのため、本人があらかじめ指名した代理人の準備が整う前に事が発生した場合に

は、倫理委員会などの客観的第三者の管理監督の下で医師の判断に委ねることが

妥当のように思う。

その場合には、当ブログでも何度か取り上げた『延命措置』については別途議論を

重ねて明確な指針を示した方が良いようのではなかろうか。

医療侵襲行為の同意権(その1)

2020.9.1

少子化の一因ともなっている未婚や未出産の方々が増えることによって、高齢に

なった場合に身寄りがほとんどいない独居生活の方が増えることになる。

 

結婚や出産は個人の自由であるし、そうしたくてもできない方々もいる。また、

女性の社会進出やLGBTの認知度はさらに加速されていくべきと考えているため、

そのこと自体を問題とするべきではないだろう。

 

しかし、こうした状況にある方々の支援に携わるときに苦慮することがある。

その一つは『医療侵襲(しんしゅう)行為の同意』についてである。

 

医療行為としての侵襲とは、手術などによって体を切ったり、薬剤投与によって

体になんらかの変化をもたらす行為などを指す。

一般的には、生命維持の危機を回避するために体に何らかのダメージを与える危険

を伴う治療が施されるため、例外はあるものの本人の同意に基づくことが原則と

なる。

 

そのため、認知症状などによって同意に必要な判断能力が十分にはなく、本人の

代弁者となる家族がいない場合には、必要な医療行為が受けられなくなる場合が

発生してしまう。

このことは、数十年前から何度も議論されているところであるが中々解決策が導き

出されていない。

 

私も、担当していた身寄りのいない認知症状が重度化していたご利用者が入院

して、医療処置が必要となったときに医療機関から同意できる人を用意するように

求められ非常に困ったことがある。

 

その方は、市長申し立てによる成年後見制度を利用しており、家庭裁判所から指名

を受けた弁護士である『後見人』がついていたが、法的に同人には同意権がない。

その件を行政に相談してみても「行政が医療機関に対して医療行為の実施の有無に

ついて介入することは難しい」との返答しか得られず途方に暮れた。

 

結局、法的拘束力を全く持たない私が『見とどけ人』のような位置づけでしかない

ことを前提として同意し、必要な医療処置を実施していただくことになった。

当然このことは、行政にも後見人にも事前相談と事後報告を行ったが、『綱渡り』

としか言いようがない対応のやり方である。

 

それでは、こうした社会的な問題をどう解決すべきなのだろうか。

少し長くなったので、続きは明日に持ち越したい。