北海道江別市でケアプランセンター、小規模多機能ホーム、デイサービス、訪問看護ステーションを運営するみのりの丘グループ

みのりの丘

みのりの丘代表ブログ

月別: 2022年6月

ミスが起きる前提で準備する

2022.6.30

『痛み止めのモルヒネを適正量の約100倍処方し、患者を中毒死させたとして、警視庁が東京都国分寺市の「武蔵国分寺公園クリニック」の40歳代の医師の女と、近くの薬局に勤務していた60歳代の薬剤師の女を業務上過失致死容疑で東京地検立川支部に書類送検していたことがわかった。書類送検は23日。

との報道を見て思うこと。

 

とにかく、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げたい。

そして、当方の複数の事業所でも、服薬に対する介助や支援を実施していること

から、「服薬の事故には十分に注意しなければならない。」と肝に銘じたい。

 

それにしても、どうしてこのような事故(人が亡くなっているので事故と表現する

ことが正しいのか大いに疑問はある)が起きてしまったのだろうか。

一部有識者の間では、

モルヒネ1%粉1g(モルヒネ含有量10mg)と、 モルヒネ1g(含有量1000mg)を

医師が間違えて処方し、薬剤師がその間違いに気が付かず調剤してしまったことで

起きた事故ではないかという見解がある。

 

私たちは人間である以上、ミスを100%防ぐことは不可能である。

以前に当ブログでも話題として取り上げたが、「重大なミスを犯す人の特徴は、

自分は絶対にミスをしないあるいは、絶対にミスをしてはならないと強く思って

いる人」に多い。

その逆で「重大なミスに至らない人の特徴は、自分はミスをするかもしれない

あるいは、ミスをすることはあると思っている人」に多いと申し上げた。

 

ミスをすることが前提にある人は、ミスが起きた時あるいはミスが起きないように

どうすべきかをあらかじめ準備していることが多くあるため、重大なミスにつなが

らない。ミスをすることを完全に否定している人は、自ずとそういった準備が疎か

になってくる。

今回書類送検された医師や薬剤師がどういった人物なのかはわからないが、ひょっ

とすると後者の考えが強かったのではないだろうか。

 

医療の現場では、医師が自分の所見に基づいて必要な指示をコメディカル等の職種

にオーダーすることが一般的であり、法的にもそのように定めれらている。

あくまでも一般論とこれまでの経験によるところではあるが、問題はこの先にある

ように思う。

 

たとえ医師免許を持っていたとしても所詮人間である。人間である以上は、ミスを

100%防ぐことは不可能である。

基本的には、医療従事者は医師の指示に誤りがあった場合に、その誤りに気が付く

だけの知識を持っている。

しかし、医師の中には、医師免許を持たない者から間違いを指摘されることを異常

と思えるほど嫌う者が意外と多くいる。また、自分の間違いを認めずに指示を実行

した医療従事者に責任を転嫁する医師も残念ながら結構いる。

結果として、“裸の王様”になっている医師をこれまで嫌というほど見てきた。

 

こういった状況は、一般社会や会社組織にも当てはまることである。

かくいう私も、当法人で唯一の経営者であるため、“裸の王様”に陥りやすい状況に

ある。

そのため、当スタッフには常日頃から、「私は完璧でもなく、人並みにミスも犯す

し、どれだけ準備をしていてもミスが出てしまうことはある。間違いがあればいつ

でも指摘してほしい。」と伝えている。

そうすると、「理事長また間違えてる~」と小馬鹿にされることが度々あるのだが

私にとってはありがたい指摘である。

社会福祉実習の受け入れ(2022)

2022.6.24

当方では、2018年度(平成30年度)より社会福祉士の国家資格取得を目指す

大学生の実習を受け入れており、今週から市内の大学に在学中の2名が事前実習に

来ていて、8月に本実習が始まる予定でいる。

 

この実習の主な目的は、

実習生が事前に準備した『実習の課題』について現場の経験を通じて明確化あるい

は解決していくことにあり、大学で学んだ社会福祉にかかる課題や取組みをより

具体的にイメージ化することにある。

教室の中だけでは見つけにくい、支援を必要とする方々を取り巻く社会環境の実情

や課題をたくさん吸収していただきたいと願っている。

 

 

 

本実習では、当方が運営するデイサービスや小規模多機能型居宅介護事業所の現場

に入って、多くのことを学んでいただくこととなっている。

これからを担う若手の活躍を大いに期待したい。

ご利用者の代弁者である相談員であれ

2022.6.22

これまでの社会人経験の中で、

病院や高齢者施設に所属する相談員の役割に従事して苦悩することが多くあった。

相談員の役割の大部分は、ご利用者(患者)やそのご家族の『困りごと』を聞き、

解決できる方法をともに考えながら、必要な社会資源が利用できるよう調整したり

提案することにあると考えている。

 

しかし、その必要な社会資源が自分が所属する病院や高齢者施設であった場合には

内部の事情をよく知っているため、純粋に『困りごと』の解決をともに考えること

が難しくなることがある。

それは、自分が所属する組織が、その『困りごと』を解決するキャパシティを持ち

合わせていない、もしくは内部のルールが邪魔をして実践することができないなど

組織側とご利用者側の利益が相反する場合に起きる。

そのため、ご利用者(患者)やそのご家族を代弁する立ち位置にありながら、所属

する組織の事情を説明する“組織の代弁者”になってしまうことがある。「うちの

病院(施設)は、○○というルール(事情)があるため、あなた方のご希望に沿う

ことはできません。」といった具合に。

 

そのような場面に遭遇した時には、代替え案を提示したり、他の病院(施設)を

紹介することが多くあるのだが、同時に「ちょっとした工夫があれば、うちの病院

(施設)で対応することはできるのに。」と思うことも多くあった。

そして、その「ちょっとした工夫」を自分が所属する組織に提案して、こっぴどく

怒られた経験が多くある。

今思えば、「不躾で“工夫のない”提案をしてしまっていたなぁ」などと反省する点

は多々あったが、それでも「相談員である前に一人の人間として、目の前に困って

いる人がいるのなら何とかしたい」との思いが強くこみあげていた。

 

介護業界に限らず、どの業界であっても所属する組織を優先する社員が、組織から

高い評価を受けやすいと思うし、「組織人なら当たり前のことで、組織を守ること

が社員の使命だ。」と言われればその通りだとも思う。

 

こうした経験から、「いつか独立して、組織を守りつつも、純粋に『困りごと』の

解決をともに考えることができる会社を作りたい」と考えていた。

そして、独立して11年が経過している今も尚、この思いを強く持ち続けている。

“ご利用者(患者)やそのご家族の代弁者”となるはずの相談員が、“組織の代弁

者”となってはいけない。また、組織を優先して、ご利用者(患者)やそのご家族

を二の次にするような相談員を優遇するような組織であってはならない。さらには

「ちょっとした工夫」を考えることをやめてしまってはいけない。

重度者の集中する政策(その2)

2022.6.21

前回に続いて、

介護保険制度を崩壊させないために、今ある制度の考え方をどのように変えていけ

ばよいのかについて述べてみたい。

そのキーワードは、『人も金も重度者に集中する』ことにある。

 

まずは、介護サービス事業所に従事する『介護の専門家』の常勤配置義務は、より

重度の方が利用される事業所のみに限定していくべきだろう。

つまり、要支援1、2や要介護1、2のご利用者が大半を占める通所介護サービス

に常勤の専門家を配置する義務を撤廃して、兼務や委託をより有効に活用できる

よう規制緩和し、介護の専門家の同サービスへのかかわりは『困ったときの手助け

や見回り』程度に留め、現状の介護報酬を大幅に減額したほうが良いだろう。

そうすることで、より重度者が利用する介護サービスへ人材や財源を振り分ける

ことが可能となる。

 

しかし、そうした考え方を実現するためには準備しなければならないことがある。

国が打ち出す『総合事業における通所型サービス』が上記の考え方に準じている

のだが、同サービスを実施していない自治体がいまだに多くあるだけではなく、

実施している自治体も「うまくいっている」とはいいがたい。

では何故「うまくいっていない」のか。

 

その理由はいくつかあるがその一つには、国が通所サービスに対する固定概念を

捨てることができないことによって、無用なルールやプログラムを押し付けた結果

受け手や担い手のニーズとマッチしていないことにある。

『通いの場』は、『集いの場』であれば良いのであって、医学的アプローチや機能

訓練などを決められた回数利用するといった一定の結果を求めるプログラムである

必要はない。そういったプログラムを必須としてしまうと「専門家のかかわり」が

必要となる悪循環が生まれる。

このことは、当ブログでも紹介した『フレイル予防は地域活動から』でも検証され

ているとおり、運動プログラムの優位性はない。

 

また、単一の『通いの場』で、複数のニーズすべてを網羅する必要もない。

「食事だけに特化する」とか「趣味活動に特化する」といった単一のニーズのみに

こたえる活動内容がいくつもあって、参加する人が自分で選択することができれば

良いだけのことである。それから、通所サービスを利用するもう一つの目的である

家族の『レスパイト』は、総合事業の枠組みから外して自費利用へ変えていった方

が良いだろう。

このやり方は、多機能サービスにおける「宿泊サービス費の自費負担」で既に実践

されている。

 

さらに、通所サービスの枠組みから一歩離れた『集いの場』においては、受け手と

担い手を明確に区分する必要すらない。互いが心地よい集いの場を作るために支え

合い助け合いを行えばよいだけのことで大そうなプログラムや受け手となる人の

定義などは必要ないのである。

 

また、『通いの場』である『集いの場』は、意図的に新設創造する必要もない。

人が集う目的は人それぞれであるが、そこには何らかの情緒的な結びつきが存在

するものである。無用なルールで、その情緒的な結びつきを分断するような活動は

得てして長続きしない。

 

こうした『通いの場』をより有用に運営するためには、まず第一に「国が凝り

固まった頭を柔らかくして通所サービスの固定概念を捨てること」から始める

必要がある。

そして、それぞれの地域にはどのようなニーズを持った方々がお住まいで、どの

ようなインフォーマルな社会資源があるのかを把握する『地域診断』を実施する

必要がある。

そのうえで、行政・民間・地域がどのような役割を担うかを整理して実行に移す。

最低限これだけのことが準備できなければ、『総合事業における通所型サービス』

は実現しないだろう。

 

 

重度者の集中する政策(その1)

2022.6.16

『牛丼チェーン大手の店舗で夜勤をしていたスタッフが朝方に倒れて亡くなったことを受けて、医療職、介護職、福祉職でつくる労働組合の「なくせワンオペ!プロジェクト」が10日に声明を発表した。労働組合は今回の死亡事例について、「もしワンオペ夜勤でなければ救えた命だったかもしれない。深夜労働は日中と違い、誰かとすぐに連絡がつく時間ではなく、体調不良になっても助けを呼びづらい」と指摘。「介護・福祉の現場では、職員の命だけでなく利用者の命にも直結する課題」と強調し、介護報酬などの引き上げを重ねて訴えた。』

との報道を見て思うこと。

 

介護事業を経営する者であれば誰でも、スタッフやご利用者の生命を守ることを

最優先に考えていることだろう。そのため、組合の主張に対して「その通りだ!」

と思う方も多くいると思う。

しかし、この手の組合の主張を聞いていていつも思うことは、「現実を全く理解し

ていない中で耳障りの良い絵空事ばかりを言って、かえって介護現場を混乱に陥れ

ている。」ということである。

夜勤を2人体制にできるだけの人員が確保できていれば、誰だってそうしたい。

介護報酬を引き上げることで必要な人員を確保することができるのであれば、そう

してもらいたい。

 

以前に当ブログでお伝えしたことではあるが、江別市内の居宅介護支援事業所や

訪問介護事業所の人員不足は、はっきり言って悲劇的な状況に陥っている。

江別市内では、毎月100件近い介護相談を受け付けているが、対応できる事業所

が極めて限られているため、その事業所へ相談が集中してしまっており、対応可能

な事業所がパンク寸前の状況にある。

また、十分な対応ができていない事業所も手をこまねいているわけではなく、人材

確保に奔走しているが、思うように人が集まらないため、やむを得ず介護相談の

受付を断っている。

介護サービスを受けた後のことをあれこれ語る前に、その前段階の相談すら受付け

てもらえない方が急増する現実が目の前に迫っている。

 

介護保険制度制定後20年が経過した中で、世代交代がうまくいかない介護サービ

ス事業の代表格が、訪問介護事業所である。

この事業は性質上、安定収入を求める若者の就職先として選ばれにくいため、従業

者の高年齢化が顕著となっており、退職者数を充足させるための新規雇用がほとん

ど見込まれない状況になっている。

そのため、5年後に江別市内の訪問介護事業所が半数に減っていたとしても大きな

驚きは感じない。そして、そのことは訪問介護サービスを受けたくても受けること

ができない方が急増することに他ならない。

 

今ある制度の考え方を大きく変えずに人員配置を厚くすることは自殺行為に等しく

何の解決にもならないばかりか、介護保険制度の崩壊を早めることにつながる。

 

それではどのように今ある制度の考え方を変えていけばよいのだろうか。

そのキーワードは、『人も金も重度者に集中する』ことにあるように思う。

話しが少し長くなってきたので、具体的な考え方については次回に持ち越すことと

したい。

地域との共生

2022.6.14

先日、北海道医療新聞社『介護新聞』で、当方が今年4月に開設したナーシング

ホームみのりの丘(看護小規模多機能型居宅介護)を取り上げていただいた。

 

当方のことをよく知る記者さんによる取材ということもあって、記事の内容は当方

の思いを存分に反映していただいた。

同記事にもあるとおり、「体や病気、家族等の周辺環境が変化しても、在宅生活を

継続することができる。」という選択肢を確立したいとの思いから現在に至るまで

の高齢者介護サービスを運営してきた。

 

これから先のテーマは、『地域との共生』だと考えている。

介護が必要な方であろうと、障がいを抱えている方であろうと、地域の一員である

ことに変わりはない。しかし、そうした方々が地域の一員として社会参加すること

は容易ではなく、時として非常に高いハードルを越えなければならない。

そして、その高く見えるハードルを低く感じさせるためには、地域の方々のご理解

やご協力が不可欠である。

『ノーマライゼーション』という言葉が一般的に使われるようになって久しいが、

現実社会においてはまだまだ越えなければならないハードルが山のように存在して

いる。

 

我々は、どのような状況にある方でも「住みやすい」と感じることができる町を

作る一役を担いたいと考えている。

地域の中に、高齢者介護サービスが徐々に浸透してきているが、同サービスだけで

地域の支え合いが完結するわけではない。地域にお住いの一般の方々が「自分も

担い手の一人である」という意識を持つとその支え合いが実現に近づいていく。

 

そのため、我々がこれから先より一層尽力したいのは、地域にお住いの一般の方々

が少しでも意識を高めることができるような活動を積極的かつ継続的に実践して

いくことである。

 

今後、当ブログで具体的な活動内容をご紹介していきたいと思う。

愛のあるお叱りを受けて

2022.6.10

先月から続いていた膝の痛みが中々癒えないので病院受診して、精密検査を受けて

きたが、大事には至っていなかったようで手術等の必要はなかったので、ひとまず

安心した。

 

この約1か月間は、痛みが治まったり悪化したりの繰り返しで、「何でもっと早く

病院行かないの!」、「歩けなくなっても知らないよ!」など、当方所属の看護師

からの“愛のあるお叱り”を必死に受け流しながら様子見をしていたが、今思えば

「さっさと病院行っときゃよかった。」と痛感する。

忙しさにかまけて中々病院受診をしない私に対して業を煮やし、また心から心配

してくれていることがよくわかっていたので、大変ありがたい“愛のあるお叱り”で

ある。

 

しかし、今回の一連の流れを体験して思うことは、「自分の判断が間違っていて、

相手の言い分が正しいと認識していても自分の行動が伴わないことってあるよね」

ということであり、「自分自身もこれまでに担当するご利用者に対して同じような

ことを言ってきたなぁ。」ということである。

そして、こうした受け手側の反応を整理した時に『単に素直じゃないだけ』と処理

してよいものかと考えてしまう。

人は理屈だけで行動を起こしているわけではなく、その他の因子や感情などに大き

く影響を受けるものである。

 

同じことを言われたとしても、言われた相手によって、または言われ方によって

受け取り方が変わるということはよくある。

また、「これ以上食べたらダイエットが台無しになる。」とわかっていても、食欲

が勝ってしまうこともある。

さらには、これまでの「指摘通りに行動した結果、失敗した。」という経験が邪魔

をして、行動に移すことを躊躇してしまうこともある。

 

ちなみに、私がさっさと病院受診しなかったのは、何となく我慢できる範囲の痛み

だったし、軽快の兆しがあったのでわざわざ時間を作って病院受診する必要なない

と感じていたことと、病院受診をしても「どんな流れで診察や検査、処方を受ける

ことになるのか予想できていて、それが症状の著しい改善に結び付かない」と感じ

ていたからである。

 

相談援助の場面においては、「たとえ自分の理屈が正論であっても、相手の思いや

今ある立場などを十分に理解し、相手が聞き入れやすい環境を作った上で、適切な

提案をしていかなければならない。」ことがとても大切なことだと思ったりする。

 

ただ、今回私が、看護師からの“愛のあるお叱り”を受け流したことを肯定できる

ものではない。

「さっさということを聞いておけばよかったと反省してます。」

祝いのお言葉ありがとうございます

2022.6.7

毎年、当たり前のこととして、この日を迎える。

 

流石に50歳を超えてくると『誕生日』はさほどめでたくはないが、それでも職場

やSNS上で祝いの言葉をかけられると悪い気はしないものである。

こういった時、「人との結びつきって大切だなぁ」とつくづく感じる。

 

当ブログで繰り返し述べていることだが、人は一人では生きてはいけないと思う。

人は人とのつながりや結びつきによって、自分自身の存在を確認することが出来

たり、生活意欲を高めたり、情緒の安定を図ったりしているのではないだろうか。

そして、そのことが明日への暮らしにつながっていくと私は思う。

 

『新型コロナウイルスへの対応や対策』は、人との結びつきを分断するきっかけに

なってしまったがその反面、人との結びつきがいかに大切なことであるかを思い知

るきっかけにもなったように思える。

 

1日でも早く、この事態が収束することを心の底から願いばかりだ。

一律の人員削減はナンセンス

2022.6.2

ここ最近、政府の諮問機関等が、『高齢者介護施設の人員基準緩和』を提言する

ことが増えてきた。

これは、現行の3人の入居者に対して1人以上の介護職員を配置する人員基準を

4人に1人とか5人に1人というように緩和したほうが良いという内容である。

 

このような提言は、当ブログでも再三申し上げている、『介護業界の深刻な人材

不足の解消』を主な目的としているが、この考え方は大いに間違っている。

この提言によると、今までは1人の介護職員が3人の入居者への対応を行っていた

ところを4人、5人の入居者への対応を求めることになる。

この考え方は、「人手も所得も増やさずに、仕事だけ増やす」というブラック企業

が使う典型的な手法であり、働き方改革と真逆の意味を持つ。

 

また、一部では「介護ロボット等のテクノロジーを活用することで、人員不足を

解消することが可能となる」との意見もあるようだが、残念ながら現状レベルの

テクノロジーでは解消に至ることはなく、もっと時間が必要となるだろう。

例えるなら、普段は家事をしない人に台所仕事を手伝ってもらうようなレベルで、

指示や見守りが必要であったり、場合によっては負担が増えることすらある。

 

つまり、高齢者介護施設の人員基準緩和といった考え方は、新しく介護業界に足を

踏み入れる人材が増えないどころか、今現在介護業界で職務に従事している方々が

こぞって逃げ出すことになりかねないため、人材不足の悪循環を生み出しかねない

ほどの悪手である。

 

深刻な人材不足の解消に向けて緩和すべきなのは、支援の必要度が低い方への介護

サービスに対する人員基準であって、支援の必要度が高い入居系施設の人員基準

ではない。

私が述べる「サービスの質の低下もやむを得ない」は、「必要度の高い方には手厚

くし、必要度の低い方には薄く」ということであって、必要度の高低にかかわらず

満遍なく人員を減らすということではない。

その考え方の延長線上に『要介護1、2の方が利用する通所介護及び訪問介護の

総合事業への移行』がある。

なぜ、そんな当たり前のことがわからないのか理解に苦しむ。「人手不足は根性で

補え」とでも言いたいのか。

 

「昭和の古き良き時代の根性論至上主義」が通用したのは、若者の数が圧倒的に

多かったからであって若者の質が変わったからではない。

昭和の時代だって、根性論から脱落していった若者は数多くいたはずである。

それでもその理屈が成り立っていたのは、脱落者が多少いてもそれに余るくらいの

若者が数多くいたからに過ぎない。

数少ない役割に没頭することが許されていた時代ほど、少ない人数で数多くの役割

を担わなければならない今の時代は単純ではない。

そんな時代錯誤のメンバーが集まる委員会の提言など聞くに値しない。

効率化が強く求められている

2022.6.1

当方は、事業を開始して11年が経過して、12年目に突入しているところである

が、昨年から今年にかけて、これまでと比較すると飛躍的と思えるほど多くの方

から介護にかかわるご相談を受けていると実感する。

多くの地域の皆様や関係機関からの信頼を得ることができたのかはわからないが、

直向に事業運営を継続してきたことを評価いただいたのだとすると大変ありがたい

ことであり、原動力となった当方スタッフの尽力には敬意を表したい。

 

しかし、介護業界全体を見回すと、のんきに喜んでばかりはいられないようだ。

江別市内においても、介護の相談窓口となる介護支援専門員が所属する居宅介護

支援事業所の多くが、人材不足により新規の相談受付を思うように行うことができ

ていないらしい。

また、訪問介護事業所(ヘルパーステーション)の多くも、新入職員の確保が難し

いうえに、既存の職員の高齢化によりこれまで同様のサービス提供が厳しくなって

きていると聞く。

 

当ブログで繰り返し述べているように、介護サービスの受け手となる高齢者は増え

続け、担い手となる人口が減り続けている今、こうした状況を即座に解決する手立

てを見つけることは至難の業であろう。

また、一つ二つの視点から解決に向けた方策を検討するだけでは十分とは言えない

ほど状況は深刻であるにもかかわらず、悪化する事態は待ったなしで迫っている。

だからと言って、立ち止まってはいられないし介護業界の火を消してはいけない

との思いから、「何とかしなければ」と日々考えを巡らせている。

 

こうした中で、あくまでも一つの考え方として、状況の改善に向けた方法論に、

『多機能サービスの活用』があるのではないかと考えている。

当方では、平成30年から『小規模多機能型居宅介護』、今年の4月から『看護

小規模多機能型居宅介護』の事業を開始している。

多機能サービスは、当ブログで再三に渡って紹介している介護サービスで、改めて

説明すると「居宅介護支援、通所介護、訪問介護、短期入所、(訪問看護)」が

持つ機能を一つの場所で一体的に運営する事業である。

 

一般的には単体で運営される各事業で、所属するスタッフは単体の事業にかかわる

業務に従事することになる。ところが、多機能サービスの場合は複数の事業を一体

的に運営するため、所属するスタッフは複数の事業にかかわる業務に従事する。

つまり、一人が二役、三役の役割を担うことになる。

このように一体的に運営することによって、単体で運営しているときに生じる非効

率を解消して、スケールメリットを活かすことが可能となり、人材不足の解消に

微力ながら寄与することができる。このことは、ご利用者やご家族にも大いに恩恵

があり、多種のサービスの連続性が担保されることから家族の介護力不足を補い、

複数の手続きや契約の煩わしさからも解放される。結果として、在宅生活の継続率

が格段に向上する。

国もそのことを十二分に理解しており、多機能サービスが有用に機能するための

政策を数多く打ち出している。

 

ただし、所属するスタッフ一人が二役、三役の役割を担ったとしても、体は一つ

しかないので二倍、三倍の業務量を消化できるわけではない。また、圧倒的に人材

が不足している状況下においては、多機能サービスをもってしても根本的な解決

にはならない。

 

やはりそうすると、多機能なニーズを抱えている要援護者を介護給付対象として、

通所介護、訪問介護の単発利用をニーズとする軽度の要援護者は総合事業へ移行

することが、正しいとは言えないが妥当な方向性となるように思える。