北海道江別市でケアプランセンター、小規模多機能ホーム、デイサービス、訪問看護ステーションを運営するみのりの丘グループ

みのりの丘

みのりの丘代表ブログ

月別: 2022年8月

人として強くありたい

2022.8.9

今日は、77回目を迎える『長崎原爆の日』である。

昭和20年8月9日午前11時2分、アメリカ軍機から原子爆弾(プルトニウム

爆弾)が長崎に投下され、7万人もの尊い命が奪われた。

 

奪った命が1人であっても7万人であっても大罪に変わりはない。

以前目にした、元米兵の証言に大きな衝撃を受けたことを今でもはっきりと覚えて

いる。それは、「たとえ、一度に何万人もの人の命を奪うことができたとしても、

ボタン一つで投下できる爆弾の方が、銃を使って目の前の一人の敵を殺すことより

も兵士にとっては精神的に安楽なものである。」という内容だった。

その元兵士が言わんとするところは、「目の前で人が死ぬ様を見なくて済むので、

上空から爆弾を投下する方が心理的ダメージが少なくて済む」といったところ

だろうと思う。

 

「目の前で対象者が苦しむさまを見なくて済むし、自分自身が被るリスクも低くて

済むので、さほど心が痛まない」という点においては、“匿名による誹謗中傷”も

同じような構図である。

 

人は人を傷つけ続けなければ生きていけない動物なのか?

他人を攻撃することでしか、自分の存在意義や正義、価値観を保つことができない

のか?

だとすると、人はなんて“もろくて弱い”存在なのだろう。

今日も明日も、誰かが誰かをののしり、傷つけ、時には国家ぐるみで人を傷つける

ことが繰り返される。

 

私は人として強くありたい。

それは、破壊力のある武器を持つということではない。

とても難しいことではあるが、「誰かを傷つけなくても、自分の存在意義や価値観

を保つことができる」そんな人でありたい。

 

人としての弱さが、いさかいや争いごとを生むと思えてならない。

もう無理だよ。現場が持たない!

2022.8.8

今週末あたりから“お盆休み”に入る方も多くいらっしゃることだろう。

しかし、これだけ「新型コロナウイルス感染者拡大」が毎日報道され続けると旅行

はおろか帰省も憚れる心情になってしまう。

 

そして、この時期の風物詩といえば“夏祭りや盆踊り”だが、こうした祭りごとも

中止や延期を余儀なくされている地域が多くあると聞く。

当方が事業所を構える江別市大麻地区でも、『市民夏祭り』が毎年開催されていた

が、昨年一昨年に続いて今年も開催を見合わせることとなってしまった。

同祭りの実行委員に中止とした経緯を聞くと「行政から明確に中止してほしいと

言われたわけではないが、開催に反対する住民が多くいることが予想されたため

このような決断をせざるを得なかった」とのことだった。

 

地域のお祭りは、子供たちだけが楽しみにしているわけではなく、大人も介護を

必要とする高齢者や障がいを持った方々にとっても、帰属感や季節感を覚える大切

な催しであるため、中止となったことは大変残念に思う。

一方で、観客を入れたコンサートやスポーツ観戦が当たり前のように行われている

状況を見ると「この違いは何なんだろうか」とか思ってしまう。

 

ここ数週間、近隣の高齢者介護施設やサービス事業所で新型コロナウイルス感染者

が発生したことを受けて、「一定期間のサービス提供停止する」とのお知らせが

立て続けに届いている。

また、当方スタッフの中に、ご家族が新型コロナウイルス感染者となり、濃厚接触

者として自宅待機をしなければならない者も続出している。

“出勤できるスタッフが一人もいなくなる”ことが現実味を帯びてきている。

 

『コンサートやスポーツ観戦は良くて祭りはダメ、生活の支援に直結する高齢者

介護サービスが機能不全に陥る』って、新型コロナウイルス感染症拡大の抑止に

かかる政策はどこに向かっているのだろうか。

「生活に不自由を感じていない人は好き勝手に行動することが許されて、不自由を

感じている人がさらに不自由を感じる」そんな政策に思えてならない。

 

毎年楽しみにしている『夏の高校野球』が開幕した。

自宅で一試合テレビで観戦したが、大勢の観客が応援している状況を見ているうち

に、何とも言えない気分になって観戦をやめてテレビを消した。

疲れすぎて愚痴も出なくなってくる。

今すぐ人が増えるわけではない

2022.8.5

『厚生労働省が7月末に公表した実態統計で、居宅介護支援事業所数の今年4月の直近の状況が明らかになった。前年同月より487ヵ所少ない3万7831ヵ所で2018年のピークと比較すると、今年はマイナス5.58%となっている。一方、居宅介護支援の費用額については右肩上がりが続いている。今年4月は432.04億円。昨年4月(413.99億円)より4.36%伸びていた。事業所数が減少していく背景には、居宅介護支援の中規模化、大規模化が緩やかに進んでいる状況もあるとみられる。』

との報道を見て思うこと。

 

上記報道では、居宅介護支援事業所全体の事業収入(介護保険サービスの利用者)

は増え続けているが、事業所数は減る続けているので、一つの事業所が担当する

利用者が大幅に増えていて、一つの居宅介護支援事業所に所属するケアマネジャー

の人数が増えて、中規模化、大規模化が進んでいると結んでいる。

 

たしかに国は、居宅介護支援事業所に所属するケアマネジャーの人数が3人以上で

あれば取得することができる加算(人数以外の算定要件はある)を創設して居宅介

護支援事業所の中規模化、大規模化を後押ししてきた。

 

しかし実情を見ると、介護保険サービスの利用者が増え続けていることに対応する

だけ、ケアマネジャー業務に従事している人数は増えていない。

つまり、上記の報道から読み取れることは、『運営母体や人員数等の事情によって

閉鎖する事業所が増えている』ことと『ケアマネジャー1人あたりが担当する利用

者が増えている』ということのように思う。

そのことの裏付けとなる制度の改正行われている。

それは、「1人のケアマネジャーが減算を受けずに担当することができる利用者数

の上限が引き上げられた」という内容である。

 

おそらくは、閉鎖した居宅介護支援事業所の多くが、1人、2人のケアマネジャー

が所属する“小規模事業所”であっただろうと考えられるが、イコール「中規模化、

大規模化が進んでいる」とはいいがたい。

ただ単に、ケアマネジャー1人1人が、業務過多で“あっぷあっぷ”の状況にある

だけのように思える。

 

そこで、ケアマネジャーの数を増やすために、「介護職と同様の処遇改善にかかる

加算をケアマネジャーにも創設するべきだ」との声が上がっている。

しかし業界全体から見ると、この考え方は何の解決にもならないように思える。

高齢者介護の業界に身を置く者の数が増えていない中で、いずれかの職種の処遇を

上げればそこに人は集中するが、他の職種に人が集まらず介護事業が成立しない

ことになってしまう。

 

これから数年先に、「人口が爆発的に増えて介護業界で働く人が大幅に増える」と

いう将来が待っているとは到底思えない。

だから現段階では、『介護保険サービスの利用に該当する者の数を減らす』しか

方法がないように思う。そしてその間に、財源や人材不足を補う方法を考えていく

しかない。

 

理解が得られないことが理解できない

2022.8.3

『政府は7月29日の経済財政諮問会議で、来年度予算案の編成に向けた基本的な考え方をまとめた。焦点の社会保障をめぐっては、次の2024年度の介護保険制度改正にも言及。「利用者負担の見直しを含む持続性の確保」に取り組むと明記した。「給付と負担のバランスの確保」「現役世代の負担上昇の抑制」などを図る意向も示した。「利用者負担の見直し」は、2割負担・3割負担の対象者を更に拡大すること、居宅介護支援にも利用者負担を導入することなどが念頭にあるとみられる。政府はこれから審議会で議論を深め、今年の年末までに具体策を固める方針。』

との報道を見て思うこと。

 

おそらくこれから、「負担を増やすな!高齢者の切り捨ては許さない!」の大合唱

が全国あちらこちらで巻き起こり、煽り好きなマスコミがその合唱を助長すること

だろう。

「合唱したい奴は、勝手にやっておけ」と言いたいところだが、我々高齢者介護

事業者にとっては、自分たちの存在意義や今後の事業運営、将来へバトンをつなぐ

ことに大きな影響を与える内容であるため、黙って見過ごすことはできない。

 

当ブログで何度も取り上げている通り、日本の社会保険サービスは、世界中を見回

しても類を見ない“低負担高福祉”のサービスである。こんな状態を続けていると

財源が枯渇することなど小さな子供でも分かる。

介護保険制度を維持する上での“負担”についていえば、実際にサービスを利用する

方々の負担はほとんど変わっていないのに、サービスを利用する権利すら与えられ

ていない若者の負担は毎年増え続けている。それでも政治は、得票が期待できる

高齢者を優遇し、期待できない若者を冷遇し続けてきた。

 

こんなことを続けていると若者の不満は一気に爆発し、支え手・担い手を失った

介護保険制度の信頼は一気に崩れることになる。結果として、介護を必要とする

高齢者やそのご家族が混迷することになる。

 

介護保険サービス事業所に身を置く若者も年々激減してきている。

冷遇され続け、信頼もできない介護保険サービスに身を置きたいと考える若者が

どれほどいるというのだろうか。

この業界に就職を希望する若者が少ない理由として「安い、キツイ、汚い」を上げ

る方たちが多くいるが、果たしてそうなのだろうか。「冷遇されてきた自分たちと

引き換えに優遇されてきた高齢者を支える」ことに意義を見出せない若者が多く

いるからではないのだろうか。

高い志を持って高齢者介護事業を営んでいても、大切な人材を確保できなければ

事業を廃止するしかなくなる。

 

同業者の中にも、上記の大合唱に積極的に参加している“大馬鹿野郎”が少なからず

いる。その人たちは、「目先の利益や自分たちさえ良ければそれでいい」と考えて

いるとしか思えない。

介護保険制度は、時代によって多少形を変えたとしても、何百年何千年と続けて

いかなければならない大切な制度である。「自分さえ良ければ」と考える人たちに

よって崩壊させられてはいけない。

 

『低負担には低福祉、高福祉には高負担』

こんな当たり前のことが何故わからないのかが、わからない。

皆冷静になろう

2022.8.2

『岸田文雄首相は7月31日、新型コロナウイルスについて、感染者が急増している「第7波」の収束後に感染症法上の扱いを、現行の「2類相当」から引き下げる検討を進める考えを示した。』

やっと、政府が重い腰を上げてくれた。

 

特段、最新の新型コロナウイルスの毒性や重症化率が急激に大きく変わったわけで

もない中での政策転換を見てもわかる通り、昨今の同対策が科学的な根拠に基づい

ていないことがわかっていただけたかと思う。

大騒ぎしていたマスコミや専門家とかいう輩は、どのように取り繕うのだろうか。

いずれにしても、政府が理性を取り戻してくれたことには安堵している。

あえて一言付け加えると、「収束後に」ってなんだよ。燃え盛る炎を前にして、

「火が消えてから消火活動をする」などという消防署員はいないだろう。今すぐ

沈静化を図れよ。

 

しかし、この最中に「行動制限の緩和を実施したとしても、重症化リスクの高い

高齢者には行動制限を加えたほうが良い」と言い出す自治体が出現している。

耳を疑う発言である。

 

ただでさえ、高齢者、特に介護を必要とする高齢者は、本人が望まずとも“行動が

制約”されてしまうのに、更に制限を加えようと言うのか。

同ウイルスに感染した高齢者の感染経路を見てみると、本人が外出等の行動の結果

感染した割合は非常に低く、家庭内の感染割合が非常に高い。

つまり、高齢者、特に介護を必要とする高齢者は、家族にうつされている。

「高齢者を守る」という観点に立って行動制限を加えるのであれば、その対象者は

子供や現役世代となるはずである。

上記のようなことを言っている自治体は、自らが「邪魔な高齢者は自宅に軟禁して

おけばいい」という人権侵害で差別的な発言をしている自覚があるのだろうか。

 

何だか、皆しておかしくなってしまっている。

ただし、未知のウイルスの遭遇したのだから一時的にではあってもパニック状態に

なることは理解できる。

そうすると、国民に冷静になってもらうために、適切な情報を提供する役割を持つ

はずの報道機関や専門家が、パニック状態をさらに煽るなどということは非常に罪

が重く、断じて許されるべきではない。

 

後々、国民を混乱に陥れた政治は、責任を追及されることだろう。それと同時に、

パニック状態をさらに煽ってきた報道機関や専門家も責任を追及されるべきだ。

ゼロリスクと折り合い

2022.8.1

人が日常生活を営む上で、ましてや便利な現代社会で生活を営む上で、

“ゼロリスク”というものは存在しない。

 

自宅から一歩外へ出ると、事件や事故に巻き込まれる可能性がある。

無論、そういった状況に遭遇しないようにできる限りの準備をして、細心の注意を

払って行動する方が大勢いることだろう。ただ残念ながら、何をしてもリスクが

ゼロになることはない。

それでも私たちは、リスクを承知の上で、ある種の“折り合い”をつけながら生活を

営んでいる。

 

近年その人数は減少傾向にある交通事故による死亡者ではあるが、それでも1年間

で40万人が負傷して、6千人あまりが命を落としている。命はとりとめたものの

大きな障害が残った方や心的外傷に悩んでいる方などを合わせると、交通事故に

よって人生が大きく変わってしまった方は相当な人数がいる。

交通事故は、どれだけ革新的な技術が開発されても、リスクがゼロになることは

なく、流行性のウイルスのように「いつかは治まる」というものでもない。

それでも、「こんな危険な物(車)はこの世から無くしたほうが良い」といった

議論が机上にあがることはない。なぜなら、移動や物流、救助、災害対応など、

私たちの生活にはなくてはならない存在と“折り合い”をつけているからだろう。

 

新型コロナウイルス感染者の死亡者数は交通事故のそれと大きくは変わらない。

また、私たちの生活の中で共存することが認知されているインフルエンザウイルス

によるそれも大きくは変わらない。にもかかわらず、マスコミの騒ぎようの違いは

なんなのだろうか。同様に騒いでいる専門家とかいう輩は、何の目的でどのような

意図をもっているのだろうか。

もしも、新型コロナウイルスの“ゼロリスク”を目指しているのだとすると、他の

流行性ウイルスの対策との整合性が全く取れない。また、“ゼロリスク”を目指そう

にも現状の法制度では不可能であり、仮に実行できたとしても失うものがあまりに

も大きい。なぜなら、「誰一人、一歩も外へ出てはならない。それでも外出する際

は、微細なウイルスも通さない防護服を着用して外では絶対に脱がない。」という

対策を取らない限り、“ゼロリスク”は実現しないからである。

人流を抑制しようとマスクの着用を推奨しようとリスクは1ミリも好転しない。

世の中には、新型コロナウイルス以外の原因で命を落とす危険を抱えている方が

大勢いる。

下手に中途半端な対策を講じたほうが、新たな人災を生むリスクが増えるだけだ。

このウイルスの死亡率や重症化率を見る限り、「共存する」こと以外に道はない。

 

だいぶん昔になるが、担当するご利用者のご家族に「うちのおばあちゃんは、今度

転んだら寝たきりになると主治医に言われたから、絶対に転ばない対策を取っても

らいたい。」と要望されたことがある。

その要望に対して私は、「100%転倒しない最良の方法は、動かないことです。

それでもご家族の意向に反して、ご本人が動いてしまうのであれば、縛り付けて

動けなくすることです。しかしその方法が、最愛の家族であり、意志を持った人間

に対する最良の方法でしょうか。私たちは、ご本人のご意向を尊重しつつ、転倒の

リスクを最大限減らすよう取り組みますがゼロにすることはできません。」と

答えた。

 

政府も国民に対して、誠意をもって説明するべきである。

残念ながら、現政権の「何もしなければ、大きな成功を収めることはできないが、

大きな批判を受けることもない。」との思惑が見え見えである。

現状の“事なかれ主義”を貫き通せば、大きな成功を収めることはできないどころか

大失敗が待っていることだろう。そして、その犠牲になるのは国民であり、最も大

きな被害を受けるのは介護を必要とする高齢者や障がいを持った方々である。