北海道江別市でケアプランセンター、小規模多機能ホーム、デイサービス、訪問看護ステーションを運営するみのりの丘グループ

みのりの丘

みのりの丘代表ブログ

月別: 2022年11月

色んな意味で嫌な気分になる

2022.11.8

ここ数週間、毎日当方のスタッフから「家族が新型コロナウイルスに感染した」と

の報告を受けている。

そのため、当方スタッフの約1割が濃厚接触者として出勤できない状況にある。

 

北海道が、ここ数週間の新型コロナウイルス感染者数トップを維持している。

そして、国も同感染症の“第8波”を警戒して、医療体制等の整備に着手する考えを

示している。

 

国が決めたルールには従わざるを得ないが、何ともアホらしくて付き合いきれない

のが本音だ。そもそも、未だに国が同感染症を感染症法の『2類相当』と位置付け

ているのか、『5類相当』としているのかさっぱりわからない。

 

先日までは、新型コロナウイルスとの“共存”の道を選んだのかと思ったら、突然

同感染症拡大防止措置をとって見たり、かと思ったら外国人観光客の入国や観光の

後押しをしてみたり、同感染者の全数把握をやめてみたりする。

全数把握をしていないし、無症状の数も全く把握していないのだから、同感染者数

は公表されている人数どころではなく、相当数の方が感染している。

はっきり言って、国は何をしたいのかよくわからない。

 

ワクチン接種を奨励することは大いに結構だ。また、経済を動かすことも重要だ。

とすると、濃厚接触者に対する取扱いだけが宙に浮いているように感じる。

現行の取り扱いに、一定の効果や意義があるとはとても思えない。

結果だけ見ると、医療や介護の現場が慢性的な人手不足で喘いでいる。

 

先日、韓国の繁華街で混雑した群衆が将棋倒しのような状態になって大勢の方が

お亡くなりになった。その中には北海道出身の方もいらっしゃったとのことで

ある。その場にいた方々は何も悪いことはしていないし、誰からも責めを負う必要

はない。

それでも、ハロウィンで浮かれている方々と人手不足で喘いでいる自分たちとを

比較してしまい、素直な気持ちで被害に遭われた方々を見舞うことができないと

思ってしまう自分が嫌になる。

貴方の意見は現場の総意ではない

2022.11.7

『日本介護福祉士会は4日、要介護1と2の高齢者への訪問介護、通所介護を市町村の総合へ事業移管する構想について、公式サイトで反対の意見表明を行った。

10月31日に開催された厚生労働省の審議会では、及川ゆりこ会長が「要介護1と2の利用者には認知症の方がおられ、予測できない行動がみられる方、混乱期・葛藤期にある方なども多い」と指摘したうえで、「総合事業の体制には地域ごとのばらつきがあり、効果的、安定的な取り組みが期待できない。結果として状態の悪化を招き、給付費の増加につながる懸念もある」と問題を提起していた。』

との報道を見て思うこと。

 

こういった反対意見を出している方々の論調を聞いていると、まるで要介護3~5

という、より介護の必要性が高い方々は今後何の影響も受けず、今まで通りの介護

サービスを今まで通りの利用料金で利用することができると錯覚してしまう。

 

しかし現実は全く違う。

要介護高齢者は年々増え続ける。そして、担い手となる生産年齢人口は年々減り

続ける。要介護1、2の方々に対応する介護職が減ることと同様に、より介護の

必要性が高い要介護3~5の方々に対応する介護職も減っていく。

だから、介護の必要性が高い要介護3~5の方々が入所されている特別養護老人

ホームの人員基準を“3対1”から“4とか5対1”に変更する案が浮上している。

 

残念ながら、担い手となる生産年齢人口を急激に増やす魔法はない。であれば、

より介護の必要性が高い要介護3~5の方々に対応する介護職を減らすことだけは

何があっても避けなければならない。

 

また、上記の反対意見には、「要介護1と2の高齢者への訪問介護、通所介護を市町

村の総合へ事業移管することで介護給付費が増加する」との論調がある。

しかし現実は全く違う。

要介護高齢者は年々増え続ける。そして、担い手となる生産年齢人口は年々減り

続ける。つまり、介護サービスを利用する方々が増え続けるのだから、このままの

状態を放置していると介護給付費は爆発的に増えるのである。そして、担い手一人

あたりの負担も爆発的に増える。

 

さらに言えば、要介護高齢者は年々増え続け、担い手となる生産年齢人口は年々

減り続けるのだから、介護保険財源は減り続け、給付対象となるご利用者は増え

続けることになる。これは、一人の介護サービス利用者へ給付する介護費が減る

ことになる。つまり、介護サービス事業者にとっては、同じサービスを提供しても

頂ける報酬が減るということにつながる。

 

『総合事業へ移管』せずに現状を維持するということは、介護職に対して「労働量

は今までよりも増えるけど給料は減らします。」と言っていることに等しい。

 

及川会長さん!

要介護1、2の方々のことを気にかけるのはいいけど、より介護の必要性が高い

要介護3~5の方々のことは無視ですか?

それと、介護福祉士がより過酷な状況に置かれることが目に見えているのに、現実

離れした妄想論を展開して、介護福祉士をさらに窮地へ追い込むつもりですか?

貴方の意見は、決して介護現場の総意などではありません!

耳を傾けるべき相手はだれか

2022.11.4

ここ最近、次期介護保険制度改定で“要介護1と2の方に対する訪問介護、通所介護

を市町村の「総合事業」へ移管”や“介護サービス自己負担額の増額”が現実味を

帯びてきたことを受けて、「介護サービス利用控えが増えて、顧客(ご利用者)が

激減する!」として、介護サービス事業者へ顧客(ご利用者)確保に向けた事業

努力をするよう危機感をあおる論調が散見される。

さらには、その論調を強調して、介護サービス事業者へ売り込みをかけてくる

コンサルティングを名乗る怪しげな者が増えてきたように思う。

 

本気で介護サービス事業者を心配し応援している人もいるのかもしれないが、この

論調は何と短絡的で思慮が浅いことかと思ってしまう。

 

介護サービス事業者の経営が厳しくなる原因は、「顧客(ご利用者)確保できない

から」という単純なことではない。

例え、顧客(ご利用者)確保が十分にできていたとしても、提供したサービスに

見合う介護報酬が得られなければ事業運営を継続することが難しくなる。そして、

それは財源論と強く結びついており、総合事業へ移管や自己負担額の増額へと話が

結びついていく。限りある介護保険財源を増え続ける介護サービス利用者へ配分

するためには“広く浅く”配分せざるを得ない。結果として介護報酬が減り続ける

ことは火を見るより明らかなことである。そのため、より介護の必要性の高い方々

に、より多く配分するためにはどのようにすることが適当であるかが話し合われて

いる。

 

介護サービス事業の今後は、もはや政治判断の段階にあり、顧客(ご利用者)確保

に向けた事業者の努力で、どうこうなる問題ではない。それほど、少子高齢化が

社会保険政策に多大な影響を与えているということを介護業界に身を置く者たちは

理解しなければならず、「法人(会社)が努力すれば何とかなる!」などと能天気

なことを言っている場合ではない。

そんな能書きを聞くために高額のコンサルティング料や講演会費を支払っていると

すると、そんな事業者は○○○である。

 

さらに、介護サービス事業者の経営が厳しくなる原因には、「サービスの質を担保

するために必要な人員を確保できない」ことも挙げられる。

例え、顧客(ご利用者)確保が十分にできていたとしても、提供するサービスに

見合う人員がいなければ中身のない(薄い)サービスとなってしまう。

高齢者人口が増え続け、生産年齢人口が減り続けている現状を見れば、中身のない

(薄い)サービスが続出してしまうことは一目瞭然であり、そのための対策として

総合事業へ移管という話に結びついていく。

「魅力ある職場を作れば人材不足は解消される」と能天気に言う人もいるが、介護

業界の人材不足はそんなレベルの状況にはない。無論、魅力ある職場を作ることは

大切なことであることは言うまでもないのだが、その程度のことで解消できるほど

現実はあまくない。

もはや政治判断の段階にあり、事業者の魅力ある職場づくりといった努力で、人員

の頭数をそろえることができたとしても、サービスの質を担保することは難しく

なり、優秀で誠実な人材がバーンアウトしてしまう危険性が高い。

 

“要介護1と2の方に対する訪問介護、通所介護を市町村の「総合事業」へ移管”は、

短期的なものの見方をすると「やってもやらなくても介護サービス事業者の経営が

厳しくなる」と考えられる。

しかし、やるとやらないとでは大きな違いもある。それは、長期的なものの見方を

すると、総合事業へ移管を実行することによって、「介護サービス事業者が経営

しやすくなる」ことと「不用意に重度要介護者を犠牲にしなくて済む」ことだと

考えられる。

 

社会保険政策の本質を捉えずに、“とにかく反対”して、目先の利益のみを追求しよ

うと考えているような事業者には、5年10年先に明るい未来は待っていない。

また、介護サービスの今後は、一つの物差しで測れるほど単純なものではない。

まして、法人(会社)は100社100色であり、経営理念や事業を運営する地域

事情などによっても、向かっていく方向性はまるで違ってくる。

余計なお世話かもしれないが、「顧客(ご利用者)確保のために」などというお題

目のコンサルや講演にムダ金を支払う暇があるのであれば、経営理念や事業を運営

する地域の実情を今一度見つめなおした方が良いのではないかと思ったりする。

 

それを「しない。できない。」あるいは「将来など知らん。目先の金が重要。」と

いうのであればそれはそれでかまわないが、いつの日か自然淘汰されて、コンサル

や講演の講師に文句を言っても後の祭りにしかならない。

広げすぎた風呂敷を少し畳むべき(その2)

2022.11.3

前回、このまま介護保険制度が『応能負担化』していくことは、制度崩壊の

カウントダウンを意味しているように思うと述べた。

ではどうするべきなのか。

 

財源に対してサービスを利用する方が少なければ、そもそも大きな負担を強いられ

ることはないため、所得が高い方でも負担額はそれなりの金額設定にすることが

できる。

では、どうすることで世界に誇れる日本の介護保険制度を無理なく継続することが

できるのだろうか。

それは、当ブログで何度も主張している「何でもかんでも公的社会保険で賄おうと

する考え方を捨てるべきである」ということに尽きる。

 

そこで私がいつも思う、「主要野党の方針と主張していることは大きく矛盾して

いる」ことに気が付く人もいることだろう。

主要野党の方針をみると、北欧諸国のような社会資本主義的な“大きな政府”を目指

しているように思う。そして、その方針を実現するためには、超多額の税収が必要

となる。にもかかわらず、「減税!減税!」と主張している。

少ない税収で多くの公的サービスを提供しようとすると当然財政難に陥る。そこで

主要野党は、「金持ちからタンマリ税金を搾り取ればいい」と考えている。

この考え方に賛同できなくもないが、金持ちとはいいがたい所得層からも高額の

負担を徴収しようとしたり、金持ちから超高額の負担を徴収しようとするなど、

“やりすぎ”感が否めない。そうした状況に拍車がかかれば、金持ちは国外へ自分

や資金を移動させてしまい、結果的に財政難に拍車をかけることになってしまう。

先日の審議会で協議された内容は、この“やりすぎ”状態に近づいている。

 

この先の人口減少などから考えても、“大きくなりすぎた政府”を少し小さくする

必要があるように思う。

予防給付や軽度要介護者のための通所サービスや訪問サービスが無駄だとは思わ

ない。ただし、それらのサービスも公的社会保険で賄った結果、支援を受けなけ

れば生活を維持することが難しい重度要介護者が高い保険料を支払った上に7割

8割自己負担しなければサービスを利用できないという事態は防ぐべきである。

また、財源を確保するためだけの目的で介護サービスを利用する可能性がほとんど

ない20代、30代の若者からも保険料を徴収することも避けるべきであろう。

 

地域社会を含めたインフォーマルな社会資源がこうした予防給付や軽度要介護者の

受け皿となれるように御膳立てすることが国に求められることであり、軌道に乗っ

て地域社会にお任せできれば、広げすぎた風呂敷を狭くたたむことができて、本当

に困ったとき、誰もが安価に公的な社会保険サービスが利用できるようになると

思う。

 

 

広げすぎた風呂敷を少し畳むべき(その1)

2022.11.1

『厚生労働省は31日、次の2024年度の介護保険制度改正をめぐる協議を進めている審議会を開き、65歳以上の高齢者の保険料について、個々の支払い能力に応じて設定する“応能負担”の性格を強めることを論点として明示。所得の高い高齢者の保険料を引き上げる一方、所得の低い高齢者の保険料を引き下げることを検討する意向を示した。制度の持続可能性を高める狙いで、年内に具体像を固める方針だ。』

との報道を見て思うこと。

 

以前に当ブログで、

「介護保険制度の実情と照らし合わせると消費税のそれとはかけ離れた状況にある

ように思え、ほとんど『応能負担化』してきているように感じる。」と述べた。

 

“応能負担”というシステムは、利用料金が支払い能力に応じて設定される方法で、

全体の支出額がさほど大きくないときには効力を発揮する優れたものである。

一方で、多くの国民が利用するために支出額が膨大な量になってくると様々な問題

が生じて、制度そのものの存続が難しくなる危険性を持っている。

医療保険や介護保険のように多くの国民がサービスを利用する場合においては、

全体の支出額が膨大な量となってしまうため、支出に見合った財源を確保すること

で精一杯となるため、自己負担額も大きくなってしまう。

そのため、消費税は“応益負担”を採用しており、介護保険制度も同様の方法を採用

することとなった。

 

ところが、介護保険制度を利用する前提として支払う保険料は、「累進方式」を

採用しており、所得が高ければ支払う保険料も高く設定される。また、介護保険

サービス費の自己負担割合も所得によって1割~3割と段階的な設定となって

いる。さらには、高額介護サービス費、負担限度額など所得によって負担額が変わ

る制度がいくつもあり、制度が改定されるたびにこのような色合いが濃くなって

いるため、このままの状況を放置しておくと、将来的に自己負担割合が7割8割と

なることも不思議ではなくなる。

つまり、介護保険制度は、施行当初とは大きく変わり、“応益負担”から旧来の

“応能負担”へ戻りつつある。

そして先日の審議会で協議された内容はこの状態にさらに拍車をかけようという

ものである。ただでさえ大きな負担を強いられているのに、所得が少しばかり高い

からと言ってさらに多くの負担を強いられることになれば、どうなるだろうか。

それに、“所得が高い方”というと大金持ちをイメージする人が多くいるかもしれ

ないが、今回のそれは人よりほんの少しだけ所得が多い人がターゲットだ。

 

「応益・応能」いずれにもメリット・デメリットがあり、不平等は存在する。

そもそも万人にとって平等な制度などこの世には存在しない。

しかし、このまま介護保険制度が『応能負担化』していくことは、制度崩壊の

カウントダウンを意味しているように思う。

 

ではどうするべきなのか、少し長くなったので続きは次回に持ち越そう。