月: 2023年2月
2023.2.28
先日、当方事業所の近所にあるNPO法人の役員の方々がお見えになり、「今年度で
法人を解散し活動を停止することになった」とのご挨拶を頂いた。
その法人は年配の方々が集まって作った組織で、世代間交流や生涯学習、たまり場
を提供することを主な目的として活動している。
法人格を取る前から同様の活動をされており、法人格を取ってから十数年が経過し
地域の特に高齢者にとっては、無くてはならない社会資源だったはずだ。
私がその法人の立ち上げにかかわっていたこともあって、役員の方々がわざわざ
ご挨拶に来てくださった。
ご挨拶頂いた場で解散の理由をうかがうと「世代交代がうまくいかなかった」との
ことだった。その法人の活動に賛同して、出資してくれる方や参加してくれる方は
大勢いたらしいが、取りまとめ役が高齢化して活動維持が難しくなってきたにも
かかわらず後継者を見つけることができなかったことが実情のようだ。
昨日の当ブログの末尾を「地域の中には、ごく少人数のコミュニティーが無数に
あり、その存在が国民の豊かな生活の後ろ盾となっている。そういったコミュニ
ティーの活動をチョットだけ支えてくれればいいだけなのだが、どう支えればよい
のかがわからないのだろう。」と結んだ。
国に対してこのような地域になくてはならない社会資源の支援を求めるとすぐに
「金(補助金)をだす」とか「専門職を派遣する」という話になってしまう。
金は無いよりはあった方が良いのだが、この法人のように資金があっても活動を
停止せざるを得ないこともある。かと言って、この法人のような地縁団体は専門
職を派遣されたところで後継者問題が解決するわけではない。
今回の解散を回避するために必要だったのは、地縁団体と後継者の縁結びをする
役割を持つコーディネーターの存在ではなかったのだろうか。
本来は、地域包括ケアシステムの柱と位置付けられている『生活支援コーディネー
ター』がこうした役割を担うことが望まれるのだが、何十万人に一人しか配置され
ていない地域の事情もよく知らない人が専門職面して登場しても、地域の方々から
嫌煙されるのが落ちだろう。
こうした地域の課題は、地域に根差している地域包括支援センターと上手くマッチ
アップして対応することが理想なのだが、同センターは目の前の実務への対応で
精一杯の状況にあるうえに、「地縁団体と後継者の縁結びも自分達の役割だ」と
認識している人はほぼいないため、解決することは相当難しいと言える。
形だけの専門職ではなく、名実ともにコーディネーターとなり得る人材を支援育成
することができれば、高齢者福祉や介護における人材不足や財源不足の諸問題を
大幅に改善することができるのだが・・・。
2023.2.27
先日当ブログで
厚生労働省が公表した『介護施設・事業所の経営状況を把握する調査』で
通所系サービスと特別養護老人ホームの収支が、他の介護サービスと比較すると
非常に悪いことを取り上げた。
そして、その結果を受けて、「通所系サービスと特別養護老人ホームの介護報酬を
もっと引き上げたほうが良いのではないかとの声が業界内から上がっている」と
申し上げたが、もう一つその内容で取り上げられた話題に、「通所サービスは飽和
状態にある」というものがある。
つまり、「通所サービスの多くが赤字経営なのは、需要側であるご利用者より供給
側である事業者の数が多すぎる『供給過多』の状態にあるからだ」といいたいの
だろう。
確かに他の業界では、業界全体の収支が悪い場合には、『供給過多』を一つの要因
としてあげられることは珍しくない。
しかし昨今の通所サービスの経営状況を『供給過多』で片づけてしまうことには
大いに抵抗がある。
他の一般的な業界における“需要”の定義は、そうそう変わることはない。しかし
介護保険サービス事業における“需要”=ご利用者の定義は、制度が見直されるたび
にコロコロと変わる。特に通所介護事業と訪問介護事業は、運営しているこちらが
「何が正解なのかわからなくなる」ほど変化する。
サッカー用語でよく例えに出る、“ゴールポストの位置が変わる”状況にあるため、
どちらを向いて攻め込めばいいのかわからなくなり、攻めも守りも滅茶苦茶な状態
に陥ってしまう。
福祉系サービスは、医療系サービスほどの政治力はないので、制度の微調整を図る
必要に迫られるとどうしてもその標的にされてしまうことが避けられなかった。
ただし、この場でそんな恨み節を語りたいわけではない。
介護保険サービスの現場に身を置いていながらも、いつも疑問に思うことは、要援
護者(要支援者、要介護者)となった場合に、ケアマネジメントの中で位置づけ
られる支援内容が通所介護や訪問介護一辺倒だということである。
フレイル予防には、黙々と運動するより町内会の活動に参加する方がより効果が
大きいという報告もある通り、住み慣れた地域で馴染みの環境下に身を置くことの
方が健康的に生活することができる場合が沢山ある。にもかかわらず、そういった
支援内容がケアマネジメントに位置付けられることは稀で一般的ではないというの
が現状だ。
ようやく、「通所サービスは万能ではないし、他にとって代わるものが探せばたく
さんある」ことに気が付いた国が、あれこれと制度をこねくり回して何とか体裁を
整えようとしている過程が、『通所サービスの多くが赤字経営』という結果を招い
ているだけで、『通所サービスは飽和状態』という短絡的な話しではない。
しかし残念なことに、国民生活をあまり理解しているとは思えない官僚が、制度を
こねくり回しているので、本来の望む方向にはなかなかたどり着けずにいる。
地域の中には、ごく少人数のコミュニティーが無数にあり、その存在が国民の豊か
な生活の後ろ盾となっている。そういったコミュニティーの活動をチョットだけ
支えてくれればいいだけなのだが、どう支えればよいのかがわからないのだろう。
2023.2.24
人の精神心理状態というものは、常に一定ということはない。
私も、「何でこんなに落ち込んでいるのだろうか」とか「別に憎くもない相手に
対して何でここまで腹を立てているのだろうか」と、普段にはない感情の起伏を
覚えることが度々ある。
そんな時に、「ふと我に返る瞬間」があると、冷静に思考することができたり、
視野が広がって客観的に物事を捉えることが出来たりする。
先日、長年ご家族の介護をしている方とお話をしていると、その方が「(介護して
いる家族の)病気の状態が良くなったり悪くなる度に一喜一憂して、自分自身の
精神状態が不安定になってしまうことが度々ある」とおっしゃっていた。
その後も様々な話題と取り上げながら会話していると、その方が「こうやって私の
話を聞いてくれる人がいること。そして、いざ困ったことが起きたら手助けしてく
れる人がいることがわかっただけでとても穏やかな気持ちになれたように思う」と
おっしゃっていた。
人の精神心理状態が不安定になる原因は、内的外的なものを含めて様々あるし、
その因子が複合的に重なることによる場合もある。また、物事の捉え方も百人百通
りある。
そのため、第三者が主体となって、他者の精神心理状態の安定を図ることは非常に
難しいし、ほぼ不可能に近いと思っている。
そうすると、精神心理状態が不安定なりやすいご家族の介護をしている方に接して
対人援助技術者である我々は、何を考えどのように振舞うことが求められているの
だろうか。
対人援助技術を論理的に学び、数十年間その業務に従事してもなお、これといった
答えが見つかってはいないように感じている。それでも、そういった方々が「ふと
我に返る瞬間」を作るきっかけとなる存在でありたいと思っている。
個人差はあるものの、人には自然治癒力がある。その力を信じて十分に力を発揮
することができるように環境を整えることが我々に求められていることなのかも
しれない。
2023.2.22
ここのところ、政府がとりあげている『構造的な賃上げ議論』の柱の一つである
『ジョブ型雇用』の話題をよく耳にする。
ジョブ型雇用は、業務内容や必要なスキルに見合った人材を雇用する方法で、欧米
先進国では主流の雇用形態である。
一方で日本は長年、具体的な業務内容を定めずに人員を採用して、その人の適性
などを見極めて各セクションに配置するメンバーシップ型雇用の体系を主流として
きた。
いづれの雇用形態にもメリットとデメリットはあるのだが、深刻な人材不足や国際
競争力の低下といった課題を解決する方法として、ジョブ型雇用への移行が必要と
考える人が増えているらしい。
私個人としては、これまでもどちらかというとジョブ型雇用に近い方法で人材を
採用しているし、年功序列や終身雇用が必ずしも正しいとは思っていないので
ジョブ型雇用への移行にさほど抵抗はない。
また、「単に年数を経験したから」という理由ではなく、明確なスキルを持つ者が
高い評価を受けることができるという点や具体的な役割を持たない“幽霊社員”の
横行を抑制できるといった点においては、大賛成の立場にある。
ただし、メンバーシップ型雇用が身に沁みついている我が国において、ジョブ型雇
用への移行が決して簡単な道のりではなく、整備しなければならない課題が山積し
ていると理解している。
もしも、ジョブ型雇用を採用するとなると、企業も労働者も、これまでのような
“甘え”が許されなくなる。
企業は、メンバーシップ型雇用のように明確な業務内容を決めていない雇用関係に
あっては、専門的な業務との間に生まれる“隙間の業務”の穴埋めも含めて職員に
対応を求めることもできるが、ジョブ型雇用の場合はそういったなし崩し的な職務
や不明瞭な残業の命令を下すことはできなくなる。
また、与えられたミッションを遂行することが職員の役割となるため、日本が得意
とする「チームワークで難局を乗り切ることが美徳」という考え方は完全に否定
されることになる。
労働者側も、業務内容に見合ったパフォーマンスを示すことが出来なければ、例え
経験年数が多くあったとしても減報や解雇の憂き目にあうこともあるし、そもそも
高いスキルがなければ就職すらできなくなることも十分にあり得る。
これまでの日本の雇用は、企業と労働者双方の“甘え”を前提として成立していた
側面が強くあり、これが「生産性が低い」大きな原因となっていた。
長年ぬるま湯につかってきた企業や労働者の思考が、そう簡単に変化するとは思え
ないので、ジョブ型雇用への移行は相当険しい道のりになることが予想される。
2023.2.21
何なのだろうか、ここ最近の少子化対策の議論の方向性は。
児童手当にしても、所得税法のN分のN乗方式についても、本質的な議論ではなく
「いかにして、公平に国民に金をばらまくのか」という話になってしまっている。
本来は、「社会全体で子をどのようにして育んでいったらよいのだろうか」そして
「子を産み育てるという高いハードルをどれだけ下げることができるのか」という
話にならなければならないのに、「所得制限がどうした」とか「高所得者が有利に
なる」だとか、本質とは全く違ったところにばかり話題の中心が偏っている。
核家族化や夫婦共稼ぎが当たり前となっている昨今において、「金持ちの家の中に
は子供がいっぱいいて、貧乏な家には子供がいない」などという状況ではない。
所得の高低にかかわらず、子を産み育てることが非常に高いハードルとなっている
ことが現代社会の課題であり、それが少子化につながっている。
だから、「金をばらまけば子供が増える」といった短絡的で乱暴な発想では、この
課題を解決することはできない。
資本主義社会において、所得や貧富に差が出ることは必然である。そして、その差
を埋めるため様々な政策を講じることもまた当然なことである。
しかし、『社会全体で支え合う社会福祉や社会保障』と『所得や貧富の差を埋める
再分配』を同時に語ることほど不毛な議論はない。
本来それらは個別の課題として個別に語られるべきであって、一つの法制度に両方
の性質を取り込むことには無理がある。
こうした不毛な議論は、高齢者介護の分野でも良く展開され、ウンザリする。
介護保険サービスは、介護が必要で困った状況になった場合に社会全体で支えよう
とする社会保障制度であって、低所得者を救済する制度ではない。
にもかかわらず、そのことが同時に語られてしまい、制度があらぬ方向に進んで
しまうことを幾度となく見てきた。結果として、もっと充実させなければならない
介護保険サービスが骨抜きの状態になって、本当に困っている人に支援の手が届か
ないことが増えてしまう。
最近の少子化対策の議論を高齢者介護の分野に置き換えるとすると、「金をばらま
けば要介護者を家族だけで支援することができる」と言っているに等しい。
社会には社会の、家庭には家庭の役割がある。そして、その役割はそれぞれ違った
性質を持つものであり、同一のものとして語られるべきものではない。
2023.2.20
高齢者介護の現場に身を置く者にとって、認知症への理解を深めることは不可欠な
条件と言っていいだろう。
ただし、認知症と一口で言っても様々な分類があり、原因や主症状も異なるため、
自ずと治療や対応方法も変わってくる。また、今まで明らかになっていなかった
病気のメカニズムや有効な治療方法が少しずつではあるが解明されている分野で
あることから、一昔前の知識では不十分ということも珍しくなく、常に知識を更新
していかなければならない。
そのため、「認知症への理解を深めることは不可欠」とはいっても、高齢者介護
サービスに携わるすべての人が等しくその知識を持つことは、理想ではあるが中々
難しいのが現実かもしれない。
そうした状況にあって、さらに高齢者介護の現場に混乱をもたらすことがある。
それは、認知症と似た症状を示すことがある精神疾患や発達障害との違いの見極め
である。
精神疾患の中で非常に多いとされる双極性障害や統合失調症は、脳内の病変に起因
するという点においては認知症と似ているが、記憶障害を伴わないことが多いと
いう点においては全く異なる症状といえる。加えて、精神疾患は遺伝的な要素だけ
ではなく、心因的な要素によって発症することもある。
そのため、ストレスのトリガーを認識している人が多く、支援者が無意識でその
トリガーをひいてしまったことによって関係構築が著しく難しく長期間に及ぶこと
もある。
さらには、もともと発達障害を抱えていた方が認知症を発症することや精神疾患と
認知症を併発する高齢者も少なくないため、今どの疾患に起因する症状が出現して
いるのかを理解することは至難の業といえる。
そこで、こうした疾患や症状に精通する専門職の存在が重要となる。
しかし残念ながら、その専門職は全国各地にくまなく配置されているわけではなく
また、専門職間の知識の差も大きいと感じる。
高齢者介護の分野における課題の一つとして、こうした状況の改善があると思う。
2023.2.17
先日、同じ職場で一緒に働いたこともある方から「今月で退職します」との連絡を
受けた。その方は、長年痛めていた体がいよいよ限界に達してしまい仕事をやめて
療養に専念されるとのことだった。その他にも、長年同じ業界同じ地域で一緒に
働いた方々から「定年になり今年度いっぱいで仕事をやめる」との知らせを聞く。
何ともさみしい思いがこみ上げる。
職場は別でも、時に協力し合い、時に切磋琢磨しながら介護業界を何とか支えよう
と共に働いてきた仲間が仕事を離れて行ってしまうことは残念でならない。
今定年を迎える方々の多くは、介護保険制度が始まった23年前、皆が右も左も
わからず手探りで介護保険サービスに携わっていた。
今でこそ当たり前となったことも、その諸先輩方が作ってくださった道筋である
ことが多い。
23年前の当時、「モニタリングとかサービス担当者会議って、どうやってやる
の?」、「主治医との連携って、何すりゃいいの?」なんて会話が当たり前のよう
にあちこちで聞こえてきた。
今ほど洗練されてはおらず、ろくな手本や教本もなく、教える側にも必要な経験や
知識がないこともあって、手探りで実務を熟していたことを苦い思い出として今で
もよく覚えている。
そんな諸先輩方のご苦労のかいもあって、今のケアマネジメントが確立された。
いつかは訪れる現役引退の時に、どれだけのことを後輩たちに残してあげることが
できるのだろうかと考えると、「自分はまだまだだなぁ」と思ってしまう。
引退される先輩の皆さん、お疲れさまでした。
そして、ありがとうございました。
2023.2.16
厚生労働省が公表した『介護施設・事業所の経営状況を把握する調査』を見ると
通所系サービスと特別養護老人ホームの収支が、他の介護サービスと比較すると
非常に悪いことがわかる。
こうした結果を受けて、「通所系サービスと特別養護老人ホームの介護報酬をもっ
と引き上げたほうが良いのではないか」との声が業界内から上がっている。
しかし、特別養護老人ホームの報酬引き上げには疑問を感じている。
特別養護老人ホームの経営母体である社会福祉法人は、その他の介護保険サービス
の経営母体である医療法人や株式会社、有限会社、特定非営利活動法人などと比較
すると、“経営努力”という点において改善できる余地が多くあるように思う。
営利企業は、収入に見合った支出を計上して赤字にならないような経営努力をして
おり、収支が黒字計上されれば、当然黒字の額に見合った法人税を納める。
ところが、社会福祉法人はというと、旧制度時代の国家公務員に準ずる給与体系を
維持していたり、営利企業が申請することすら許されない補助金や助成金に収入の
一部を頼っていたりなど、収入に見合った支出の計上などの身の丈に合った振る舞
いや企業努力を十分には行っていないところが多くあるように思う。
それに、社会福祉法人には他の営利企業と比較すると多くの優遇措置がある。
例えば、収支が黒字計上されたからといって法人税を納める義務はない。そのため
儲かればその分だけ法人にお金をため込むことができる。そのかわりに公益性の
高い役割を担うこととされているが、介護保険制度が始まって以降は営利企業も
積極的にその役割の一部を担っており、社会福祉法人を特別視することはなくなっ
てきている。
また、法人税が免除されている理由には、「目に見える収入が得られにくいインフ
ォーマルな活動の推進」があげられるが、正直申し上げてこうした活動を実行して
いる社会福祉法人はごく少数である。
さらには、「介護職員の働く環境改善に向けた政策パッケージの一環として、介護
事業の生産性向上を支援するため、社会福祉法人においては、公的保険制度の範囲
外で行う事業を収益事業とみなす」といった幾重にもわたる優遇措置が講じられて
いる。
介護保険サービス事業という同じ土俵の上で運営していて、この様な優位な立場に
ありながら収支の状況が悪いとなると、社会福祉法人の経営者の多くは、役人気質
が抜け切れていない「金が足りなきゃ、国民の負担額を増やして補填すりゃいい」
くらいのことしか考えていないのではないかと疑いたくなる。
方や経営努力をしていて黒字、方や経営努力を怠っていて赤字という状況にあっ
て、社会福祉法人に救いの手を差し伸べる理由が見当たらない。
社会福祉法人の多くは、介護報酬引き上げという国民負担の増額を訴える前に、
営利法人並みの経営や運営努力をするところから始めるべきだろう。
しかし、この法人格には旧制度時代ほどの価値はもう無いような気もする。
2023.2.15
昨日の昼休みに女性スタッフに呼ばれて職員休憩室に顔を出したところ、
段ボール箱が置いてあった。
そして、「手を突っ込んで、取れるだけとってみて」との指示に従うと
『チョコレートつかみ取り』とは中々気の利いたバレンタインデーの催しだった。
スタッフの皆さん、ありがとうございます。
2023.2.14
ここ数年間、国の政策によって介護職員の処遇を改善するための様々な取組が実施
されている。当然のことながら、当方は該当する全ての補助金申請を行っている。
ところが、先月に国から公表された内容によると、新設された介護職員の処遇改善
にかかる補助金申請を約3割の事業者が行っていないとのことだった。
当たり前のことだが、申請をしなければ補助金を受け取ることはできず、介護職員
の処遇改善にあてる資金を増やすことはできない。
こうした結果を踏まえて、補助金申請をしなかった事業所の経営者を責め立てる
論述が多くある。「職員に不利益を与えている」、「怠け者で経営者失格だ」など
確かに、多くの事業者が申請しているわけだから、要件さえそろえておけば全ての
事業者が申請することができる内容ではある。
ただし、いつも思うことではあるが、全ての事業者に行き渡らせることを目的とし
ている資金なのであれば、なぜ“申請主義”の形をとるのだろうか。
そして、その申請手続きも数分で完了するような内容ではなく、それなりの時間と
手間をかけないと完了しない内容となっていて、類似する制度ではあっても複数に
またがる制度設計となっているため、複数の手続きを必要としている。
国内のどのような手続であっても、一度で簡単に完了するものが非常に少なく、
知識や技術力の差によって、恩恵を受けることができる人とできない人が発生して
しまうことが多い。
「高齢者のための制度」と言っておきながら、高齢者にとっては非常に難解な手続
を要する内容となっているものが非常に多くある。力量によって受けることができ
る恩恵に差が出るって、そんな国の制度があっていいのだろうか。
暇を持て余した官僚が、持ち前の底意地の悪さを発揮して、申請しずらい制度を
作り上げているとしか思えない。おそらく彼らは、『生産性の向上』の意味が理解
できないのだろう。いやもしかしたら、申請がしやすくなってしまうと自分たちの
仕事が無くなってしまって、自分達の存在価値が損なわれてしまうことを恐れてい
るのかもしれない。
あなたたちのそういった思考こそ、「職員に不利益を与えている」と声を大にして
いいたい。
一方で、補助金申請はしても、介護職員の処遇改善にその資金を十分にはあててい
ない事業者もいるらしい。
あえて言うなら、暇を持て余した官僚は、そういった事業者を取り締まる方に持ち
前の底意地の悪さを発揮してもらいたい。