北海道江別市でケアプランセンター、小規模多機能ホーム、デイサービス、訪問介護施設を運営するみのりの丘グループ

みのりの丘

みのりの丘代表ブログ

月: 2023年3月

信じる力

2023.3.31

WBCの優勝から、興奮がまだ冷めやらぬ状況で今大会の軌跡や舞台裏を取り上げる

報道等が数多くあった。

そうした中で、栗山監督の『信じる力』が一つのトレンドとしてより多く取り上げ

られていた。

 

そこで、『信じる力』って何だろうかと考えてみた。

信じるとは、相手や対象物を本物(本当のこと)と思って身を委ねることにある。

逆に信じることができない“疑う”という状態にあっては、自分自身でその行動や

責任をもって対処することになる。

自分以外の何かを信じて身を委ねることは大変勇気のいることであり、無条件に

何でも信じるということは非現実的ともいえる。

 

自分自身でその行動や責任の全てを対処することが可能な条件下では、信じること

はさほど重要なことではないのかもしれないが、自分一人ですべてを完結すること

が困難な場面にあっては『信じる力』が必要になってくるように思う。

皆さんご存じの通り、野球というスポーツは一人ではできない。自分以外のポジシ

ョンについては、自分以外のその人にゆだねるほかない。

また、一部例外はあるが、監督はフィールドに立ってプレーすることはないので、

そのゲームはプレイヤーに委ねるしかない。

さらに言えば、対戦相手がいなければゲームは成立しない。勝ち負けを争う相手で

ありながらも、一定のルールの元で信頼関係を築く必要がある。

 

こうした状況は企業経営者にも当てはまる。

スタッフを雇用して事業を運営する場合にあっては、自分以外の人に業務の一部を

委ねることになる。そして、事業規模が大きくなれば、委ねる内容が多くなる。

スタッフは経営者のクローンではないので、経営者と全く同じイメージを持ち、

全く同じように業務を遂行することはあり得ない。

 

そこで経営者が最も難しいと感じることは、「どこまで任せて、どこまで責任を

負ってもらうのか」ということについてである。

「何があっても最終的な責任は経営者である自分にある」と思えば少しは気が楽に

なるのだが、『信じる力』は言葉にするほど容易いことではないように感じる。

 

透明性を図るのはいいけど

2023.3.24

来年施行される介護保険法の改正案には、全ての介護施設・事業所に対し、詳細な

財務状況(損益計算書など)を自治体へ会計年度ごとに報告することを新たに義務

付ける内容が盛り込まれている。これは、介護事業者の経営実態を“見える化”し、

より詳しく把握・分析できるようしようとの狙いがある。

さらには、厚生労働省は今後、全国の介護施設・事業所に職員1人あたりの賃金の

公表を求める新たなルールの創設を検討しているようだ。

 

介護保険サービス事業は、報酬の大部分を公費で賄っているだけに、国民から透明

性が求められることは十分に理解できる。まして、介護保険財政がひっ迫している

昨今において限りある財源が適正に使われているのかは国民の関心事となる。

 

しかし、そうするといくつかの疑問も浮かんでくる。

たとえば、同じ介護保険サービスを運営している公益法人と営利法人との取り扱い

の違いについてである。

当ブログで何度も取り上げている公益法人の一つである社会福祉法人には、透明性

を求める代わりに税制を含めた様々な優遇措置が講じられている。この度の改正案

は、介護保険サービスを運営している営利法人に対しても透明性を強く求める内容

となっている。そうなると、介護保険サービスを運営している公益法人と営利法人

の違いが益々薄くなってくる。

いよいよ、介護保険サービスを運営している社会福祉法人の存在意義がなくなって

きたと感じる。そういった点についても“メス”を入れなければならないのではない

だろうか。

 

また、同じく保険財政がひっ迫していて、報酬の大部分を公費で賄っている医療保

険の分野で同様の取り扱いがないことも疑問である。

基本的に医療保険サービスの母体となる法人格は、株式会社等の営利法人のような

営利性は認められてはいない。ただし、透明性と言った点においては公益法人でも

ない限り厳格なルールはない。

言葉が乱暴であることを承知の上であえて言うと、「医療機関の多くがコロナ対策

によってぼろ儲けした」という事実がある。透明性が担保されていれば、不必要に

国費が医療機関へ流れることを防げたのではないかと思ったりする。

 

国にとって都合の良いところだけ透明性を図るということであれば、国民からの

信頼は得られないだろう。

 

マナーの意識は高いのだから

2023.3.23

やったぜ!侍ジャパン!!

野球に興味がある方もない方の多くも、昨日のWBC決勝戦の熱戦に注視したのでは

ないだろうか。そして、勝利の瞬間、歓喜に沸いたのではないだろうか。

サッカーワールドカップもそうであったが、こうした国際大会は国民の心を一つに

してくれる。

選手、スタッフの皆さん、おめでとうございます。

 

そして、前回のサッカーワールドカップと同様に、今回のWBCにおける日本の選手

やスタッフの振る舞いが、世界各国から称賛されている。

相手国への敬意の払い方や球場控室の整頓具合など、日頃から習慣としていないと

なかなかできないような振る舞いばかりである。

 

当ブログで、今後の新型コロナウイルス感染症対策について「日本人のマナーは、

諸外国と比較しても自慢できるほど意識が高いと思う。だから自粛警察の発動や

同調圧力の強化を行わずとも大きく秩序が乱れることはないと確信している。」と

申し上げた。

もうこの辺で、同ウイルス感染症拡大前に戻ってもいいのではないかと思う。

 

それにしても、大谷選手はなぜあんなにも人間性ができあがっているのだろう。

選手としてだけではなく、人としての尊敬の念に堪えない。

高性能な公衆電話

2023.3.20

最近、介護保険制度における通所系サービスの今後の運営の在り方について、数多

くの経営セミナーや研修会が開催されている。

それは、厚生労働省が公表した『介護施設・事業所の経営状況を把握する調査』で

通所系サービスの収支が他の介護保険サービスと比較すると非常に悪い状況にある

ことや介護保険制度が改定されるたびに“逆風”と受け取れるような改正案が示され

るからである。

 

そして、そのセミナーや研修会の内容はというと、「事業所の集客力を上げるため

に他事業所との差別化を図る運営戦略が必要」だとか、「優秀な人材を確保する

ために会社の福利厚生や職場環境改善に向けた取組が必要」といったことが中心と

なっているようだ。

 

確かに、一度開設した事業所を存続させるための経営戦略としては重要な視点と

言えるかもしれないし、何も考えずに漫然と事業を継続していいはずもない。

ただ、抜本的な課題は、そこには無いような気がする。

 

先日、某ラジオ番組で「公衆電話の使用方法がわからない今どきの若者」と題し

て、公衆電話の今と昔が語られる内容があった。

同番組でも語られていたことだが、「災害時など、電波がつながらない緊急時には

公衆電話が活躍する場面はある」かもしれないが、一人一台携帯電話を持っている

昨今において、公衆電話を日常的に利用する人はほとんどいない。

そういった状況にあっては、どれだけ公衆電話の利便性を追求したとしても、時代

が必要としていない産物が重宝されることはほぼない。

結果として、全盛期にはコンビニエンスストアの店舗数よりも多かった設置台数を

維持する必要はなくなった。

 

通所系サービス(特に通所介護)は、介護保険制度開始当初は「介護の万能選手」

ともてはやされ、ご利用される方もマネジメントする方も大変重宝した。

その当時は、「とにかくデイサービスにつながっていれば安心」と考えるご家族や

ケアマネジャーは非常に多かったように思う。

しかし、介護保険制度が国民生活に定着し、介護サービスが洗練されるにつれて

細分化されたニーズに適した多種多様な介護保険サービスが後から生まれた。

そういった状況にあっては、どれだけ顧客やスタッフにとって魅力的なサービス

事業所を作ったとしても、時代によって以前ほどの必要性を感じさせない介護保険

サービスが重宝されることは少ない。

結果として、高齢者人口増を鑑みても、全盛期ほどのサービス事業所数を維持する

必要はなくなったとみることができる。

 

通所系サービス(特に通所介護)は、介護保険制度開始当初の一定の役割を終えた

と考えると、経営状況を含めた現状が理解できる。

冒頭の経営セミナーや研修会は、時代に反して『高性能な公衆電話を全国各地に

設置しよう!」と言っているように聞こえる。

流行りに乗るように言葉が独り歩き

2023.3.16

先日視聴したテレビ番組で、「実業団のスポーツ選手とプロスポーツ選手の違い」

が取り上げられていた。

その中で、実業団のスポーツ選手が、現役引退後に所属する企業から受けた不遇と

苦悩が描かれる一幕があった。

 

実業団は基本的にチームを有する企業の社員が選手となるため、その企業とは雇用

契約の関係がある。一方のプロチームの選手は雇用契約はなく、選手として年単位

で契約するため、契約が切れれば、その会社と選手は関係がなくなる。

選手にとっては、将来が保証されていないプロチームの選手よりも、現役引退後も

雇用契約が継続する実業団のスポーツ選手の方がメリットが大きいと考えられてき

た側面がある。

 

しかし、主に特定のスポーツを仕事としてきた実業団のスポーツ選手にとっては、

例え雇用契約が継続するからと言って、経験がほとんどないスポーツ以外の業務に

従事することは非常に高いハードルとなることがある。

企業側もそういったことを承知の上で雇用契約を結んではいても、社員として機能

しない者を雇用し続けることに負担を感じることが多いと聞く。

 

諸外国でも同様の事例はいくらでもあるが、日本において実業団のシステムが成立

しやすかったのは、『終身雇用やメンバーシップ型雇用』が定着していたことが

大きいのではないかと思う。

 

そして、以前当ブログでも取り上げた通り、深刻な人材不足、国際競争力や生産性

の低下といった課題を解決する方法として、『終身雇用やメンバーシップ型雇用』

から『ジョブ型雇用』への移行が話題として取り上げられることが増えてきた。

 

確かに先の実業団のスポーツ選手の事例を見ても、ジョブ型雇用への移行の必要性

を感じることはあるが、移行するために必要な法整備も国民の意識改革も全く進ん

でいない現状で、流行りに乗るように言葉が独り歩きしてしまうことへの危機感を

覚える。

 

労働者の目線で考えた時、日本では「一つの企業にとどまることが美徳」で「転職

を繰り返すことは悪」ととらえられる風潮が根強く残っているため、気軽に転職

考えることが難しい。

また、「自分の持つ知識や技術で勝負がしたい」と思っていても、統制という名の

もとのマネジメント力ばかりが注目されて、個のもつ能力が正当に評価されない

ことも少なくない。

さらには、「一度失敗した者」への風当たりが強く、再チャレンジの可能性の扉が

非常に狭いため、チャレンジそのものを躊躇してしまう傾向がある。

 

企業側の目線で考えた時、日本の雇用契約にかかわる法制度にも大きな問題がある

と思う。例えば、労働者雇用の大原則に「人事権者は雇用主にある」はずなのに、

様々な法制度や慣習があって、雇用主が正当な人事権を発動できないことが非常に

多い。

前述のテレビ番組で、「仕事も与えず、窓際に追いやり、自主退職を申出ることを

待つ卑劣な企業」という描写があったが、雇用主の一存で解雇することが許されな

い状況下では、このような歪なやり方が起きてしまう。そして、このやり方は労働

者の再チャレンジの芽を摘むことにもつながる。

 

そして何より問題と思うことは、企業と労働者をマッチングする役割を果たさなけ

ればならない人材派遣や紹介を担う企業が全く機能していないことにある。

 

こうした問題に対する整備を進めずに、ジョブ型雇用への移行が独り歩きすると、

企業も労働者も苦労させられるばかりで報われない。

ルールとマナー

2023.3.14

新型コロナウイルス感染症対策として、一部の場所では義務化されていたマスクの

着用が、昨日から「個人の判断にゆだねる」こととなった。

 

私個人としては、大分前の段階で新型コロナウイルスが感染症法上の2類相当では

ないと訴えてきたので、「今更か」との感が否めない。それでも、遅ればせながら

正常な方向に進んでいることはとても喜ばしい。

 

昨日からの報道等を見ると、「街行く人たちのマスク着用率」なるものを取り上げ

る内容が数多くある。自分で判断することができない国民性を象徴するこういった

報道を目の当たりにすると情けなくなってくる。

そして、街頭でインタビューに答える国民の意見を聞いていると、ルールとマナー

を混同してしまっている人が多くいるように感じる。

 

これまでも、感染リスクの低い場所でのマスク着用は、マナーであってルールでは

なかった。にもかかわらず、「ルールを守っていない」として自粛警察なるものが

ルールに従わずに制裁を加えようとしてきた。

今後は、「個人の判断にゆだねる」のだから、どういった場所であってもマスクの

着用は、マナーであってルールではなくなった。

日本人のマナーは、諸外国と比較しても自慢できるほど意識が高いと思う。だから

自粛警察の発動や同調圧力の強化を行わずとも大きく秩序が乱れることはないと

確信している。

 

それでは、当方のような高齢者介護事業者はどうするのだろうか。

当方としては、スタッフに対して、介護を必要とする高齢者に直接かかわる職務中

はマスクの着用を義務化している。無論、プライベートは個人の判断にゆだねる

こととしている。

 

しかし、これは我々にとって特別なことではない。

新型コロナウイルス感染症が流行する前から、介護を必要とする高齢者に直接かか

わる職務中にマスクを着用することは珍しいことではない。例え弱毒なウイルスで

あっても、介護を必要とする高齢者にとっては危険となり得る場合がある。

我々には、感染症予防やまん延防止に対する職業倫理に基づく内部規制がいくつか

ある。これは、マナーではなくルールである。

 

職務中のマスクの着用を義務化している業種はほかにもたくさんあるが、

ルールとマナーを見誤ると、その行動は本質から遠ざかっていく。

サイボーグ化を目指すの?

2023.3.9

私たちが日常業務の中で使用している『ケアプラン』は、文字通り計画的にケアを

行うために作成されるものである。

それは、具体的なニーズ(生活上の課題)に対して、目標となる生活像を設定して

その目標を達成するために必要なケア(サービス)内容を計画的に定めるといった

内容となっている。

 

そして、“行き当たりばったり”の対応をすることとは異なるため、そのケアプラン

によって一定の成果が得られたのかどうか、あるいは計画内容の修正が必要かどう

かを定期的に評価することが必須となっている。

 

ここまでのところは、業界内のほぼすべての人が理解しており、その通りに実行

しているので、何ら問題はないのだが、「成果が得られたかどうかの評価の内容」

が大きな問題として指摘されることが多くある。

何が問題視されているのかというと、「その評価に客観性はあるのか、また科学的

な根拠はあるのか」という点についてである。

 

先日、『政府は2024年度に控える次の介護報酬改定に向けて、高齢者の自立支援・

重度化防止などの「アウトカム評価」を拡充する方向で検討を進めていく。』との

報道があった。

政府のこの方針は、上述の問題点を解決していこうとする狙いがある。

 

確かに、国の社会保障制度を運営していくうえで、人によって評価基準や評価内容

が大きく異なることは不適切と言える。そして、こうした問題点を解決していこう

とする考えもよく理解できる。

 

ただし、国からこの手の話題が上がるたびにいつも違和感を覚える。

それは、国が定める評価項目や評価基準があまりにも短絡的で視野狭窄の状態に

あるということだ。

例えばそれは、「90歳でも100歳でも、リハビリを行えば身体機能が向上し、

たくさん食事や水分を摂れば健康になり、相乗効果で生活の多くの課題が解決

する」といった思考に基づいた評価項目や基準になっているということである。

 

残念ながら、人は加齢とともに心身の大部分の機能が衰えていく、それはリハビリ

を受けたからと言って抗えるものではない。しかし、国が定める評価項目や基準の

多くは医療モデルに基づいているため、医療(治療)の最終目標の治癒(完治)を

ベースとして設定している。そもそも加齢は病気ではないといった点からも国が

定める評価項目や基準がミスマッチの状況にある。

 

さらに、人の行動はその人の精神心理状態や社会環境と密接にかかわっている。

心身機能が衰えていく中で、「それじゃダメだ」と言われてリハビリ漬けにされ、

体が受付けなくても無理やり食事や水分摂取を促され、ゆったり過ごしていると

「生活意欲の減退」とレッテルをはられることは、ゴールの無いマラソンを強い

られているに等しく、拷問に思える。

 

国が定める評価項目や基準は、

「年齢を重ね、家庭内あるいは社会における一定の役割を終えたのちに、心身機能

の衰えに向き合いつつも、時に必要な支援を受けながら、残りの人生を穏やかに

そしてマイペースに過ごしたい」との思いを打ち砕く内容となっている。

 

私たちが日常業務の中で使用している『ケアプラン』は、「不自由を感じることが

増えつつも、自分らしく生きたい」との思いに寄り添いながら生活を支えることを

目指しているのであって、医療(治療)の最終目標の治癒(完治)を目指している

わけではない。

国は、人間をサイボーグにでもしたいのか?

社会保障制度は打ち上げ花火じゃ困る

2023.3.8

先月末に厚生労働省が公表した情報によると、40歳から64歳までの現役世代が

支払う介護保険料は、今年4月以降、一月当たりの平均が6216円と現在より

111円増え、これまでで最も高くなることがわかった。

この数字は、制度が開始した2000年が2075円だったので、この23年で

3倍近く増加したことになる。

さらに言えば、今後この数字が少なくなることはなく、毎年増え続ける。

 

要介護1と2の高齢者に対する訪問介護、通所介護を市町村が運営する総合事業へ

移管する構想に反対するような“無責任論者”は、「介護サービスの質を落とすな」

とか声高らかに叫ぶが、上記に挙げた数字については、たとえ目の当たりにしても

まるで何事もなかったかのように沈黙を貫くのである。

 

高齢者人口が増え続けていて、現役世代人口が減り続けている中で、今まで通りの

介護サービスを運営するためには、現役世代が支払う介護保険料を増やしていく

必要がある。このまま推移していくと、一月当たりの平均が一万円台になることも

そう遠くない将来の出来事になる。

 

この23年間で国民の平均給与が大幅に増えているのであれば左程大きな問題にも

なっていないのだが、はっきり言って変わっていない。むしろ減っているという

データもある。

消費税や所得税が増額され、社会保険料が毎年増額されてしまうと、いよいよ現役

世代の手元にはお金が残らなくなる。

 

税金や保険料負担を引き下げたうえで社会保険サービスを今まで通りに維持すると

いった魔法もなければ、ずっと空を見上げていると天からお金が降ってくることも

ない。いい加減、夢から覚めて現実を見たほうがいい。

 

こういった話題をブログで取り上げているためか、「お前は高齢者介護事業に携わ

っていながら、高齢者を軽視している」と言われることがあるが、それはとんでも

ない誤解だ。

介護保険サービスは、介護を必要としている高齢者にとって無くてはならない非常

に大切な社会保障制度である。だからこそ、後先考えずにまるで打ち上げ花火の

ように「導火線に火をつけて終わり」というわけにはいかないし、国民が存在し

皆が年を重ねていく以上、こういった社会保障制度は未来永劫続けなければなら

ない重要な制度である。

にもかかわらず、現役世代の負担に対する我慢の限界が爆発寸前のところにある。

このまま“目先のこと”や”自分だけのこと”にのみ固執していたのでは、この大切

な社会保障制度が、花火のように空に散って無くなってしまう。

私は何があってもそのことだけは避けなければならないと強く思う。だからこそ、

“無責任論者”の訴えは強く否定するし批判もする。

 

そもそも、後先も考えず非現実的な耳障りの良い言葉を並べることを好む人たち

から「高齢者軽視」などと言われる筋合いは全くないし、結果時にはそういう人

たちこそ、未来の高齢者を軽視しているのではないかと私は思う。

社名を正直に名乗れない業界

2023.3.7

ここのところ、個人名を名乗って求人の応募を装い、詳しく話を聞くと実は人材

派遣・紹介会社の職員だったという電話を毎日のように受けている。

人材派遣・紹介会社の職員は、なぜ初めから連絡した趣旨や社名を正直に名乗らず

に電話をかけてくるのだろうか。まして、まるで自分が求人の応募者であるかの

ように装うのだろうか。

何者かを装って電話をかけてくるところだけを見ると、まるで詐欺集団のようだ。

 

国の審議会においても、介護サービス事業所からの人材紹介・派遣会社に対する

支出はどれくらいあるのかを詳しく調べるよう求める声が相次いであがっている。

また、同審議会では「病院では人材派遣料がどんどん高額になってきているが、

どうしても頼らざるを得ないのが現状。介護の分野でも、これから人材派遣などに

頼っていく施設・事業所が更に増えていくのではないか」、「そうなると財務は

かなり圧迫される。本当にそれで立ち行かなくなるのではないか」との意見が

相次いで出た。

 

こうした状況から見えてくることは、人材派遣や紹介そのものは当然犯罪行為では

ないが、その対価として受け取っている紹介手数料等のあまりの高さに疑問を抱い

ている方が数多くいるということであり、その会社の職員も罪悪感にも似た感覚を

持ちながら業務に従事しているということである。もし、「そんなことはない」と

いうのであれば、初めから連絡した趣旨や社名を正直に名乗ればいい。

自分が、人の弱みに付け込み、法外な手数料を要求している自覚があるのだろう。

 

先日、「そちらのホームページを見て応募しました」といって、個人名を名乗って

求人の応募を装った人材派遣・紹介会社職員からの電話を受けた。

本当に当方のホームページを見たのであれば、是非このブログも見てほしい。

当方は、人材派遣・紹介会社に対して嫌悪感しか抱いていない。

 

そして、以前に当ブログで

『労働者派遣法』って、多くの企業や国民に対し、社会主義的な生き方を強要する

一方で、一部の企業が暴利をむさぼり、意欲のない怠け者を量産する矛盾だらけの

悪法以外のなにものでもない。正直者が馬鹿を見るような派遣法など糞くらえだ!

と申し上げている。

 

ジョブ型雇用が定着している欧米先進国であれば、人材派遣や紹介がうまく機能

することは理解できる。しかし、メンバーシップ型雇用が体の隅々までしみ込んで

いる我が国では、欧米先進国の猿真似をしても詐欺集団かと勘違いしてしまう程度

ことしかできない。

だいたい、同一労働同一賃金などと言っている国で、人材派遣や紹介が上手く機能

するわけがない。

 

本来、企業が人材派遣・紹介会社に求めることは、「その道のプロ中のプロ」と

呼べる高い専門性やスキルを持った人材の発掘と紹介である。そして、その対価と

して高額な紹介手数料等を支払うのである。

今我が国における人材派遣・紹介の実態はというと、どこの組織でも上手く適応で

きない「役立たず」を人材不足にあえいでいる企業の弱みに付け込み、高額な報酬

で「押し付けている」ことにある。

 

そう考えると、連絡した趣旨や社名を正直に名乗れないことも理解できる。

行い通りの結果にすぎない

2023.3.6

前回、

『当ブログで、「高齢者厚遇と若者冷遇」、「低負担高福祉」、「公的サービス

依存」といった現状の是正を繰り返し訴えてきた。そうしなければ、現状の社会

福祉や社会保障制度を維持できないからだ。』

と申し上げた。

 

介護保険サービス事業を長年運営していて、「これはいくら何でも過剰だろう」と

思われる援助を強く要望(あえて強要とは書かないが)されることが多くある。

例えば、通所サービス事業所に対して、“要支援者”を担当するケアマネジャーや

地域包括支援センターの職員から「通所サービス利用時の入浴介助」を強く求めら

れることである。

 

“要支援”という認定の定義は、「介護が必要ではないが、介護が必要になる危険性

が高い」という状態像にある。つまり、“入浴介助が必要な状態”は要支援者の状態

像に合致しない。

そのため、入浴介助にかかる介護報酬の対象者から“要支援者”は除外されている。

しかも、よくよく話を聞いてみると、自宅で一人で入浴している方ばかりである。

 

にもかかわらず、担当するケアマネジャーや地域包括支援センターの職員(以下、

ケアマネ等と書く)はご利用者の要望を叶えるように通所サービス事業者へ強く

依頼する。

なぜそうなるのかというと、ケアマネ等は「ご利用者の要望に応えないと嫌われて

しまう」と考え、適切なケアマネジメントを度返しして、御用聞きに徹するので

ある。また、通所サービス事業者が過剰と思えるサービスを提供したとしても、

自分の腹が痛むわけではない。

 

「だったら、通所サービス事業所はそんな要望を断ればいいじゃないか」と思う人

もいるかもしれないが当方のサービス事業所が断ったとしても、ケアマネ等が別の

サービス事業所を調整するだけだし、顧客欲しさに「何でもやります」と豪語する

サービス事業所はいくらでもいるので、何の解決にもならない。

 

ケアマネ等に直接かかわる『居宅介護支援費の有料化』が介護保険制度改定案の

議題にあがると、「自己負担金が発生することで、利用者や家族からの有用性が

低いあるいは現実的ではない要望(いわゆるゴリ押し)を引き受けざるを得ない

状況になりやすい」などといって有料化へ反対する業界関係者がいるようだが、

心配することはない。御用聞きケアマネ等は今でも十分すぎるくらいいる。

 

人も金も足りなくなってきている状況にあって、こうした過剰なサービスが当たり

前のこととして扱われてしまうと、そう遠くない将来介護保険制度は崩壊する。

通所サービス事業所は、「本当に入浴介助が必要な方へサービス提供したいのに、

必要のない人への対応を数多く求められるので、人手が足りなくて十分なサービス

提供ができない」と悩んでいるが、残念ながらそんな思いは御用聞きケアマネ等に

は届かない。

はっきり言って、公的サービスの領域を大幅に超えている。何でもかんでも介護保

険サービスで賄おうとしてしまえば、そりゃ~人だってお金だって足りなくなる。

通所サービスは、税金を使って運営する銭湯ではない。

 

だから『要介護1と2の高齢者に対する訪問介護、通所介護を市町村が運営する

「総合事業」へ移管する構想』という介護保険制度改定案の議題にあがるのだと

いうことを、こうした構想に反対を唱えている御用聞きケアマネ等とその同類の

人たちは、よくよく考えたほうがいい。

この構想は、「財務省の陰謀」でも何でもない。社会福祉や社会保障制度の未来

をしっかりと考えてこなかった御用聞きケアマネ等や見境なく何でも引き受けて

しまったサービス事業者の振る舞いが生み出した結果にすぎない。

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