北海道江別市でケアプランセンター、小規模多機能ホーム、デイサービス、訪問看護ステーションを運営するみのりの丘グループ

みのりの丘

みのりの丘代表ブログ

月別: 2023年4月

本当に機能するのか働き方改革

2023.4.27

ここのところ毎日のように耳にする”働き方改革”にかかる労働環境や処遇改善に

ついて、ちょっと思うところがある。

それは、「欧米先進国を手本とした”働き方改革”って、本当に我が国に定着する

考え方となるのだろうか」ということである。

 

欧米諸国と我が国とでは習慣や文化があまりにも違いすぎるため、そのまま考え方

を持ち込むだけでは期待通りの結果が得られないばかりか、大きな弊害が生まれる

ことになりかねないのではないかと危惧している。

 

例えば、英語の「service(サービス)」という言葉は、我々日本人も日常的に使用

している言葉ではあるが、欧米諸国と我が国とでは使い方がまるで違う。この言葉

の語源をたどれば、「奴隷や召使」にたどり着く。日本ではどちらかというと語源

に近い使い方をしているように思う。「サービス残業、サービス品」などがその

代表的な使われ方だ。しかし米国では、「労働すること」そのものをあらわすとき

によく用いられる。

 

日本における”サービス”は、おもてなしの心を持って奉仕することを意味し、労働

の一部と解釈されることが非常に多くある。しかし欧米諸国における”サービス”は

対価を伴った労働で、奉仕はあくまでも奉仕であって労働の一部ではないと解釈

されることが多い。

つまり、同じサービスを提供するとしても、欧米諸国と比較すると日本の労働量が

労働の一部と位置付けられている奉仕の分だけ多いということである。これが、

日本が他の先進国と比べて労働生産性が低いと言われる所以だろう。

 

そんな状況下で、欧米先進国を手本とした”働き方改革”を推進すると、「労働量は

相変わらず多いのに人手ばかりが減っていく」という労働者にとっての地獄が待っ

ているように思う。そんなことになれば、労働者のための改革が本末転倒だろう。

 

多くの日本人が、欧米人と同様に「奉仕はあくまでも奉仕であって労働の一部では

ない」と解釈してくれれば、その改革もうまく機能するのかもしれないが、長年

定着してきた文化的思考はそう簡単に変えることはできないだろう。

 

綱渡りでは長くは続かない

2023.4.26

『ケアマネジャーが担うべき業務の範囲はどこまでなのか? 日本介護支援専門員協会は19日の記者会見で、このテーマを取り上げて議論を呼びかけた。「今は個々の介護支援専門員の努力や裁量によってなんとか成り立っているが、それに依存せずに済む社会システムの構築が必要ではないか」。山田剛常任理事はこう問題を提起した。協会はこの日、全国のケアマネを対象として昨年4月に実施した調査結果を報告。例えば介護に関係ない相談への対応、介護保険以外の行政手続きの支援、入退院時の手続きのサポートなどを、多くのケアマネが行っている実態を改めて明らかにした。』

との報道を見て思うこと。

 

全く持ってその通りであろう。

ただ誤解されたくないのは、範囲外と思われる業務の取り扱いについて問題提起

したいのは、「やりたくない」とか「面倒だから」ということではない。

法整備が追い付いていない又は曖昧になっている事柄に対して、ケアマネジャーが

担い手が不在という理由で半ば強制的に対応しなければならない”綱渡り”の状態を

改善したいと考えてのことである。

 

その代表的なものは、当ブログでも取り上げた『医療侵襲行為の同意』である。

医療行為としての侵襲とは、手術などによって体を切ったり、薬剤投与によって

体になんらかの変化をもたらす行為などを指す。

一般的には、生命維持の危機を回避するために体に何らかのダメージを与える危険

を伴う治療が施されるため、例外はあるものの本人の同意に基づくことが原則と

なる。

そのため、認知症状などによって同意に必要な判断能力が十分にはなく、本人の

代弁者となる家族がいない場合には、必要な医療行為が受けられなくなる場合が

発生してしまう。

 

私も、担当していた身寄りのいない認知症状が重度化していたご利用者が入院

して、医療処置が必要となったときに医療機関から同意できる人を用意するように

求められ非常に困ったことがある。

その方は、市長申し立てによる成年後見制度を利用しており、家庭裁判所から指名

を受けた弁護士である『後見人』がついていたが、法的に同人には同意権がない。

その件を行政に相談してみても「行政が医療機関に対して医療行為の実施の有無に

ついて介入することは難しい」との返答しか得られず途方に暮れた。

 

結局、法的拘束力を全く持たない私が『見とどけ人』のような位置づけでしかない

ことを前提として同意し、必要な医療処置を実施していただくことになった。

当然このことは、行政にも後見人にも事前相談と事後報告を行ったが、”綱渡り”

としか言いようがない対応のやり方である。

 

こうした”綱渡り”は、善意で対応していたとしても、場合によっては「違法」と

捉えられることが十分に考えられる。

仕事に誠実で情熱を持っているケアマネジャーであればあるほど、危ない橋を渡る

危険性を含んでいる。こんな状況を長く続けていけば、そういったケアマネジャー

は一人もいなくなってしまい、御用聞きケアマネのみが生き残ることになる。

 

ケアマネジャーが「やってはいけないこと」を明示したうえで、担い手がいない

場合には「だれがどう対応するのか」を法整備も含めて整理することが急務といえ

るだろう。

粛々と感染症対策

2023.4.25

新型コロナウイルスの感染症法上の位置づけが、5月8日以降『2類から5類』へ

変更となることを踏まえて、厚生労働省はマスクの着用や換気といった感染対策と

ともに、高齢者施設等の入所者と家族等との面会について「介護保険施設等の運営

基準においては、常に入所者の家族との連携を図るとともに、入所者とその家族と

の交流等の機会を確保するよう努めなければならない等とされており、利用者と

家族との面会の機会の確保に努めていただく必要があります。」と通知している。

 

何だか真っ当なことを言っているような気もするが、そもそも厚生労働省と関係の

深い諮問委員会等が明確な科学的根拠も示さず「コロナは危険!コロナは危険!」

と連呼し、国民の不安を必要以上に煽ったからこういった結果になったのではない

かと思ったりする。高齢者施設等の関係者から「いまさら何言ってんだ」とのぼや

きが聞こえてきそうだ。

 

世間では、コロナの呪縛が解けたかのように「花見だ!歓送迎会だ!」と浮足立っ

ている様子が伺える。ここ3年間の自粛生活を考えるとそれもまあ理解できなくは

ない。

それでも我々は、通常通りの感染症対策を粛々と続けていくことになる。

生き残るのは強い産業だけ?

2023.4.19

国の様々な政策提言は、労働力をもとに作成されることが多くある。

しかし、その提言の根拠となる労働者の数は本当に正しい数字なのだろうか。

 

当ブログで度々話題にしている労働力不足に際して、よく用いる『生産年齢人口』

とは、国内で行われている生産活動の中核の労働力となる年齢の人口のことで、

日本では15歳以上65歳未満の年齢に該当する人口と定義されている。

 

でも、規定しているこの年齢って、いつの時代のことなのかと思ってしまう。

15歳といえば、中学校を卒業する年齢である。昭和初期やそれ以前の時代であれ

ば、その後就労する人が数多くいたことだろう。ただし、直近のデータによる高校

の進学率は、98%以上となっている。つまり、義務教育を修了したのち直ちに

就労する15歳はほとんどいないということで、生産活動の中核の労働力ではない

ことになる。

さらには、大学への進学率も50%を超えていることを踏まえると未成年者を生活

活動の中核の労働者と位置付けることには無理があるのではないだろうか。

つまり、官僚が机の上ではじき出している数字ほどの労働者がいないということで

あり、見かけの数字以上に各業界の現場は労働力不足に喘いでいる。

 

最近の風潮は、AIやICT、ロボットの開発導入によって現状の産業を維持しようと

していることが主流となっているように思う。でも、労働者だけではなく人口その

ものも減少傾向にある今、現状の産業を維持することが本当に正しい道なのか大い

に疑問を感じる。

 

そして、高齢者介護事業も同様だろう。

現状の公的サービスを維持することが正しい道とは到底思えない。

たとえ高齢者人口が増えていたとしても、対象者の考え方を変えるという意味で

サービスの量を減らしていくべきだし、サービスの種類も公的なものを私的なもの

へ移行するなどして減らしていくべきだろう。

 

最近の風潮を押し通せば、“必要な産業”が生き残るのではなく、“強い産業”だけ

が生き残ることになるのではないかと不安に感じる。

強い影響力や経済力を背景にAIやロボット産業、娯楽産業、人材流動にかかる産業

が発展することは大いに結構なことだが、それと引き換えに生活に直結する産業が

衰退してしまっては本末転倒ではないのだろうか。

目利きは一日にしてならず

2023.4.18

私には、同業異業あるいは規模の大小を問わず、多くの経営者仲間がいる。

その方々は、時に知恵袋となってくださったり、時に直接間接的な支援者となって

くださったりと、大変ありがたい存在であり、私の財産である。

 

その方々と経営談義に花を咲かせることが数多くあるのだが、色々な考え方がある

ものだと感心させられる。

ある経営者とお話をしていた際に、その方が「収入を増やすことにばかり気を取ら

れている経営者はダメだ。当然、収入を増やすことは大事だが、同時に支出を抑え

ることも考えないと経営は息詰まる。」とおっしゃっていたことが私の経営理念の

基礎となっている。

 

稼ぐことができるときにしっかりと収入を増やすことは経営の鉄則と言えるが、

稼いだ分だけ散財したのでは意味がない。収入を増やすことと同じ熱量で、必要な

経費の見極めも非常に重要である。そして、思うとおりに収入を増やすことが難し

い時期にはその“目利き”が生きてくる。

 

ここ最近の国会では、少子化対策に係る財源をどのように捻出するかについて話し

合われている。そして、その議論の中心に「社会保険料等の個人負担の増額」や

「高齢者介護福祉にかかる財源の一部を少子化対策に移行」がある。

当ブログで繰り返し訴えている通り、私はこの考え方にはおおむね賛成している。

 

しかし、この件に関する国会の議論で欠落していることがある。

それは、財源という名の収入を増やすことばかりを取り上げており、社会保険サー

ビスの量という名の支出については何一つ話し合われていないことである。

 

介護予防や軽度要介護者に係るサービスの全てを社会保険サービスと位置付ける

ことについては、流石に“散財”とまでは言うつもりはないが、支出の見直しという

点においては話し合われなければならない内容であろう。

特に、全く効果が出ていない『介護予防短期集中プログラム』は公的サービスとし

て継続することはやめるべきだし、『要介護1と2の高齢者に対する訪問介護、

通所介護を市町村が運営する総合事業へ移管』はさっさと実行に移すべきだろう。

そして、公的サービスの廃止や移管の代替となる受け皿づくりに取り組まなければ

ならない。

 

これから先は、労働者人口が減り、労働者の所得が思うように上がらず、物価だけ

が急上昇する事態がしばらく続くことになる。そうなると、財源という名の収入を

増やすことが難しくなってくる。

必要な経費を見極める“目利き”が無いと、財源が豊富にあるときは無駄な施設を

バカバカ建てて散財し、財源が無くなれば必要な公的サービスをバンバン切って

捨てるといった強引で乱暴な政策となってしまう。

事業拡大?

2023.4.14

「車が汚ったねー」

毎年雪解け時期に車が汚れていることは“年中行事”みたいなものだが、今年は同じ

時期に、中国大陸から風に乗ってやってきた黄砂の影響もあって、車がこれでもか

というくらいに汚れている。

 

年度替わりのこの時期は何かと忙しくしている。

それでも昨日今日と、手の空いたスタッフが交代で社用車を洗車している。

それなりに事業を拡大してきたこともあって、社用車の台数が30台くらいに増え

たため、結構な手間となっている。

 

事業の拡大と言えば、

ちょっとした縁があって、当方が運営する通所介護事業所の裏にあった焼き鳥屋を

改築して『お好み焼き&おばんざい屋』をオープンすることになった。

今年の夏までには開店できるように今準備を進めている最中だ。

 

「なんで、介護保険サービス事業者が飲食?」なのかを説明すると長くなってしま

うので、後日折を見て触れてみたいと思う。

ただ一言で表現すると、当方の理念である「住みやすいまちづくりに貢献」の一環

ということになる。

店舗の詳細は、当HPやSNSでお知らせする予定でいる。

価格キープも限界か

2023.4.13

「卵がない!」

今朝、職場に到着して、現場職員から最初に聞かされた言葉である。

 

当方が運営する給食センターでは、介護保険サービスのご利用者や配食サービスの

ご利用者へ、事前に次月の献立表をお渡ししている。

そのため、その日に提供される食事内容が予めわかっている状況にある。

 

そこで冒頭の話になる。

予定していた卵を使った献立を提供することができない状況にある。

急ぎ、提供を予定しているご利用者へ連絡して、献立内容の変更をお知らせすると

ともに、ご了承いただいているところである。

 

ここのところ、物価高で食材や日用品の高騰が続いている。

加えて、鳥インフルエンザ感染による鶏の大量殺処分の影響も相まって、卵の値段

が大幅に高騰していた。

それでも、全く手に入らないことは想定していなかったため、給食の現場は大騒ぎ

となっている。

 

それにしても、物価高の急勾配への対応には苦慮している。

介護保険サービスの報酬は、国で定められた金額であり、物価が上がって経費が

増えたからと言って、こちらで勝手に金額を変更することはできない。

収入を増やすことが難しければ支出を抑えるしかないが、光熱費も日用品も値上が

りし続けており、人件費も削減することができなければ成す術がない。

 

当方の給食センターの配食弁当は、1食650円で提供しているが、この値段を

キープすることがいよいよ難しくなってきた。

大丈夫かケアマネジャー

2023.4.4

居宅介護支援でも利用者負担を徴収するという介護保険の見直し案について、日本

介護支援専門員協会が公表した調査結果によると、ケアマネジャーの76.6%が

「反対」で、利用者負担の導入に反対する主な理由として下記の内容が挙げられて

いた。

○ ケアマネジメントの利用が抑制され、早期発見・早期対応が困難になる

○ 利用者・家族の不要なサービス利用などの要求がエスカレートする

○ 介護支援専門員の本来業務以外への要求が強まる

○ 利用者・家族への対等な立場での説明や支援が困難になる

○ 集金や利用料管理など業務負担が増大する

 

私は、こうした内容を受けて、介護保険制度の要と言われているケアマネジャーに

介護保険制度の未来を託してよいのか大いに不安になる。

 

まずは、利用者負担を徴収することで「 ケアマネジメントの利用が抑制され、早期

発見・早期対応が困難になる」はずがない。

こういった理由を挙げている方は、介護支援専門員を弁護士か何かと勘違いして

いるのではないだろうか。介護支援専門員が介護保険制度内で「相談料」を徴収

することはできない。つまり、相談するだけなら無料で対応することになるため、

上記に挙げる理由は当てはまらない。それとも、「金にならない相談は受けない」

とでも言うつもりなのだろうか。

 

そして、よく理由に挙げられる「利用者・家族の不要なサービス利用などの要求が

エスカレートする」については、これまでも当ブログで何度も取り上げた通り、

利用者負担を徴収していない今現在も不要なサービス利用などの要求に応じ続けて

いる“御用聞きケアマネ”が世の中には多数いる。適切なケアマネジメントができな

い人は、利用者負担を徴収しようがしまいができないままである。

 

上げられた理由の中で一番意味不明と思ったのが、「利用者・家族への対等な立場

での説明や支援が困難になる」である。なぜ、利用者負担を徴収することと、この

ことが関連付けられるのかさっぱり意味がわからない。あえて言うなら、働きに

対して正当な対価を頂戴する「利用者負担を徴収する」ことこそ、健全で対等な

関係になるのではないかと思う。

少し穿った見方をすると、「無料だったから、ご利用者・ご家族より優位な立場で

いることができたが、有料となるとその優位性がなくなってしまう」などと思って

いるのではないかと勘繰ってしまう。

 

いずれにしても、取るに足らない理由ばかりを挙げて「反対」しているケアマネジ

ャーが8割近くもいるとは残念でならない。

こんな人たちにケアマネジメントを任せて本当に大丈夫なのだろうか。

企業にとっても労働者にとっても

2023.4.3

いよいよ新年度!

新卒者にとっては、今日が初出勤という方も多いのではないだろうか。

 

「自分自身の初出勤はどうであったかなぁ~」と思い返してみたものの、あまりに

も遠い昔のことだったため、まるで思い出せない。

ただ、就職氷河期世代だったこともあり、就職先を見つけることに苦労した記憶が

ある。そのかわりというわけではないが、就職した法人には同期入職者や諸先輩が

数多くいたこともあり非常に心強い思いをしたことを覚えている。

 

今はどちらかというと、私のそれとは真逆の状況にあるように思う。

直近の公表されている有効求人倍率の高さなどを見ても、明らかに人材が不足して

いることがわかる。そのため、就職すること自体の難易度は下がってきていること

が予想されるが、就職した直後から十分な指導教育を受けないまま即戦力として

扱われてしまうことが多いのではないかと考えられる。

 

新卒者にとっては、十分な指導教育を受けないまま現場に放り出されるようなこと

などたまったものではない。しかし、企業側も十分な指導教育に当てられるだけの

人材も時間もないということもある。

 

これまでもそうではあったが、今後益々、体力のある企業とない企業との格差が

広がっていくように思う。

人材不足の状況にあっては、新卒者であれ即戦力となる経験者であれ、採用する

ためには、財力も人力も運営能力も強く求められることになる。

こうした総合力を発揮することができない企業には、人材が集まることはなくなり

やがてその企業は衰退していくことになるのではないだろうか。

 

企業にとっても労働者にとってもなかなか厳しい時代になってきている。