北海道江別市でケアプランセンター、小規模多機能ホーム、デイサービス、訪問看護ステーションを運営するみのりの丘グループ

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大麻東地区センター文化交流会(2019)

2019.11.25

11月23日(土)に開催された『大麻第二住区文化交流会』へ昨年に引き続き、

主催者側の役員として出席してきた。

毎年開催されている同交流会は、今年で11回目となる。

 

会場となった大麻東地区センターのキャパシティーから100名程度は入れる場所

となっているが、満員御礼!の状態であった。

また、多くのご来賓にお越しいただいたところ、ご多忙の三好江別市長にもお越し

いただき、盛大なイベントとなった。

 

 

展示会場では、切り絵や絵手紙、バンドクラフト、着物のリフォームといった作品

が並んでいたが、いずれも力作で「高値で売れるんじゃないか。」と下衆なことを

考えたりした。

 

 

 

舞台会場では、詩吟や合唱、演舞、演奏が披露され、オープニングセレモニーでは

大麻東中学校吹奏楽部の皆さんに演奏していただいた。

 

 

 

演者である祖父母を応援する子や孫の姿、子供の演奏を手に汗とカメラを握り

ながら見ている親の姿が何とも微笑ましかった。

こうした、幅広い年代の方々が一堂に集まる交流会が当地域にあることを誇らしげ

に感じた。

 

さらには、演者の中には、私の知り合いで『要支援や要介護』の認定を受けている

方々も数多く参加していた。

日頃の練習から今回の発表会に至るまでの社会参加!

これがまさに前回の当ブログで取り上げた『フレイル予防』の究極の形である。

 

介護予防短期集中プログラムの愚

2019.11.21

『フレイル』という言葉をご存じだろうか。

 

老年医学分野で以前から使われていた言葉で、英語の「Frailty(フレイルティ)」

が語源となっていて、日本語に訳すと「虚弱」や「老衰」などを意味する。

 

そこから転じて、介護予防の分野で最近よく使われるようになってきた。

 

これまでの日本における介護予防は、医学的モデルの要素が強すぎた。

「運動・栄養・口腔ケア」が呪文のように唱えられ、短期集中でこれらの改善プロ

グラムを受けることで、多くの高齢者が健康的な生活を営むことができると信じら

れてきた。

残念ながら、江別市でも同様の取り組みを何年も続け、全く成果が出ていない。

 

「フレイル予防を通じた健康長寿のまちづくり」を提唱し、全国各地へ出向き、

取り組みの促しを行っている飯島勝矢東京大学教授らの研究によると、運動習慣が

なくても文化的活動や地域活動の習慣がある人は、運動習慣しかない人と比べると

フレイル状態に陥るリスクが1/3に減るそうである。

 

同研究では、フレイル予防への優位性は

『 地域活動 > 文化的活動 > 運動習慣 』となっており、運動習慣の貢献

度が一番低いことになる。

 

一人で運動や体操を黙々とやっている人よりも運動なんか一切しないけど町内会の

行事には必ず参加している人の方が健康でいられるということだ。

 

要するに、「人は人とふれあってこそ、衰えを予防することができる。」また、

「役割がある。居場所がある。人の役に立つ。」といった精神活動が重要である

ということだろう。

 

「運動・栄養・口腔ケアは全くの無駄」とまでは言わないが、そこに精神的な活動

の要素がなければ効果はほとんど期待できないと言っていいだろう。

 

機械的な短期集中プログラムなどは税金の無駄遣いだ。

江別市行政もいい加減、そのことに気が付いてほしい。

 

素晴らしい法人!「美瑛慈光会」

2019.11.20

当方で今後手掛ける予定の事業に対して「大いに参考になる。」と同業者の

(株)ライズリング渡辺社長の紹介で美瑛町にある『社会福祉法人美瑛慈光会』さん

を訪問することができた。

 

美瑛町は、観光地として有名で道外、国外から毎年多くの観光客が訪れている。

その一方で、東京23区がすっぽり入ってしまう面積を有する広さに1万人弱の人口

しかいない地域で、利便性から年を重ねるごとに生活を継続することが難しくなる

地域でもある。

 

デイサービスの送迎で50㎞以上車を走らせることはザラにあり、1時間では施設

まで戻ってくることは難しい状況にあるそうだ。

 

そういった地域特性を鑑みて、前述の法人の安倍理事長が中心となり、町や地域

住民と共に『地域コミュニティの再構築』を図ることとした。

同理事長のお話の中で非常に感銘を受けたこととしては、「市街地に施設や建物を

集中させるのではなく、生活圏域ごとに小規模な施設等をつくる発想が重要で

ある。」といった内容についてである。

 

今でこそ聞きなれた「生活圏域ごとに」という発想を20年近く前から持ち、更に

認知症デイサービスとグループホーム、自主事業の宿泊サービス等を組み合わせて

実践されていた。

 

その取り組みが、土台となって現在の『小規模多機能型居宅介護』という事業が

制度化されたと聞いている。

 

 

 

決して大きくはない施設を生活圏域ごとに点在させて、そこが老若男女問わず地域

のコミュニティー拠点として存在している。

 

 

そこには、暖炉で肩を寄せて語らう姿や野菜の直売所で活気あふれる姿が目に

浮かぶ情景が広がっていた。

 

これから我々が進もうとする道標となってくださる先輩がいらっしゃることへの

感謝と勇気が湧いてくる施設見学となった。

お忙しい中、ご対応いただいた安倍理事長、伊藤理事には多大なる感謝を申し上げ

たい。また、同行いただいた渡辺社長にも感謝したい。

嫌な流れを止めたい。

2019.11.18

またしても、芸能界で麻薬がらみの逮捕者が出た。

何だか、毎月のようにこの手のニュースを耳にしているような気がする。

 

当ブログの『もっと贅沢な暮らしを!』でも取り上げたが、この先の流れはお決ま

りのパターンか⁉︎

『逮捕→保釈→介護施設でボランティア』

我々の業界をこれ以上貶めるのはやめてもらいたいものだ。

 

そんな矢先、鹿児島県の有料老人ホームでまたしても、職員による入居者への暴力

事件が起きた。

 

やはり何事においても『適正』というものがある。

 

我々の業界は、一所に留まることができず職を転々とする方や犯罪等の贖罪目的で

くる芸能人のたまり場ではない。

 

このままでは、情熱や高い志を持って働いている人たちが報われない。

 

何とかして、この流れを止めたい!

 

科学的介護(その2)

2019.11.13

昨日の続き・・・。

 

「より科学的な検証に裏付けされ、客観性が担保された根拠を持って支援する。」

ことによって、今まで報われなかったご利用者や従事者の多くが救われることに

つながると思う。

 

ただ一方で、科学的なデータ上から漏れてしまうケースも少なからずある。

 

その科学的なデータは、集積した総数から平均値を導き出し、同時に対応について

も平均的な数値を当てはめることになる。

そのため、「一般的な対応」として適切な介護が数値化される。

そうすると、平均値から大きく外れた少数派の人にとっては、不適切な対応が

行われる危険性が高い。

 

『オーダーメイド』から『オートメーション』へと変化していく中で、少数派が

切って捨てられてしまうか、多数派にむりやり入れ込んでしまう危険性をはらんで

いる。

 

介護福祉の分野は、支援のあり方が生命や生活維持に直結するケースが数多くある

ため、そういった考え方の中に身を置く少数派にとっては「死を意味する」事にも

繋がりかねない。

 

『科学的な根拠=万能な介護』ではない。

 

科学的介護を提唱する竹内医師による『竹内理論』がもっぱら流行っている。

この理論では、「認知症状等を抱える高齢者の多くは慢性的な脱水状態にある

ため、1日1500ccの水分を摂取することで症状が改善あるいは予防することが

できる。」といったものであるが、確かに少なからず症状が改善する高齢者が

いる。

がしかし、その理論に当てはまらない人もいる。

にもかかわらず、「多くの人に当てはまるのだから。」という理屈で同じように

対応した結果、生命の危機に瀕している事例が後を絶たない。

 

科学が進歩しても、それを使う人間がその技術に追いついていなければ、諸刃の剣

となってしまう。

 

『オートメーション』一辺倒では、より多くの人を救うことはできない。

科学的介護(その1)

2019.11.12

数年前から介護福祉の業界では『科学的介護』という言葉が流行っている。

 

これは、厚労省が主導している考え方で、

高齢者や障がい者への自立した生活の支援を実施するにあたって、「より科学的な

検証に裏付けされ、客観性が担保された根拠を持って支援する。」ことが重要で

あるとしている。

 

一昔前、どこのデイサービスでも、活動の一環で『風船バレー』が行われていたが

傍から見ていて、「何の目的でやってんだろう?何の効果があるんだろう?

渋々参加しているご利用者を見て職員はどう感じてんだろう?」と思っていた。

 

その疑問を職員へ投げかけると

「体を動かすだけではなく、五感を働かせるので心身の活性化につながる。」と

答えが返ってくる。

 

これは、「朝のラジオ体操に参加すれば、皆が元気で幸せになる。」という精神論

と同様で何の根拠もない。

ましてや、個々に異なる生活上の課題や身体機能面の能力が全く考慮されていない

このプログラムには違和感しかなかった。

 

このように、長年にわたって介護福祉の分野では、『精神論とその時の流行り』で

支援内容が組み立てられていた。

気の合う仲間と趣味で行う限りにおいてはそれでもいいだろう。

だが、公費を使って、様々な課題や背景を持った多数の人たちへの支援としては

あまりにもお粗末な内容と言わざるを得ない。

 

また、日本国内のどこで風邪をひいて病院にかかっても、対応が大きく変わること

はないが、介護福祉の分野においては、地域や担当者によってその対応は大きく

変わってしまう。

 

病気を診断する場合には確立された根拠があり、投薬や手術といった対応も同様で

日本国内の全ての医師がそのことを理解している。

しかし、介護の分野においては確立された根拠は乏しく、対応する専門職の間で

その人が持つ知識や技術に大きな差がある。

 

そこで、前述の『科学的介護』が大きく取り上げられるようになった。

 

このことが取り上げられるようになったことは大いに賛成するが、同時にいくつか

の危険性を含んでいる。

 

そのことについては、次回書きたいと思う。

 

 

在宅医療の本質とは

2019.11.11

江別市内で高齢者介護事業にかかわることになって14年が経つ。

他市で同事業に携わっていた経験から、江別市に来た当初は「在宅で最期を迎える

人がやけに少ないなぁ。」という印象を持っていた。

 

だが、すぐに理由が分かった。

 

その一つは、

江別市は、周辺の他市と比較して『在宅医療後進地域』であった。

在宅医療に携わる医療機関や医師が全くいなかったわけではない。

ただ、「かかりつけの患者しか看ない。臨時訪問(往診)は対応できない。」と

いった制約が多く、実質的には機能していないに等しい状況だった。

 

二つ目には、

在宅サービスが『お役所的発想』しか持っていない事業者があまりにも多く、

祝祭日を休業日とすることは「当たり前」としている事業者がほとんどであった。

 

これは、土日祝祭日は対応する家族等が必ずいるという想定であり、医療機関も

在宅介護サービス事業者も在宅医療に対する理解が十分にはできていない状況に

あったと思う。

結果として、在宅医療に携わる専門職が育たなかった。

 

三つ目には、

江別市民が、そうした医療機関や在宅介護サービス事業者の対応に『疑問を持って

いなかった。あきらめていた。いざとなったら札幌へ行けばいい。』と考えていた

からではないかと思う。

 

 

考えた結果として、施設等への入居を“選択”することには何の違和感も持たない。

それぞれに事情があるのだから、当たり前のことである。

ただし、『選択する』ということは、『選択肢がある』ということである。

 

少し前の江別市では、「在宅で最期まで。」という選択肢は、限られたごく一部の

方にしかあてはまらない選択肢だった。

つまりは、とても選択肢と呼べる状況にはなかったということだ。

 

ここ最近になってようやくその状況が改められてきた。

これから、江別市は「もっともっと住みやすいと感じることができる町」になる

ことだろう。

その一役を担うべく、我々も尽力したい。

この季節がやってきた。

2019.11.8

とうとうこの季節がやってきてしまった。

昨日、江別市内で初雪が観測された。

 

この季節になるとなんだか憂鬱になる。

ただ単に「寒い!」というだけではなく、高齢者介護事業を運営している立場から

インフルエンザの流行への対応、路面凍結に伴う車両事故の防止策などなど、他の

季節にはない悩みがいくつも増える季節である。

 

早速、今週中に当方の社用車のタイヤを冬用へ取り換えた。

送迎や訪問で毎日、何台もの社用車が稼働しているため、スタッフから前触れの

ない電話が入ると「ドキドキ」してしまう。

 

この季節になると当方スタッフに対して、「予定の時間までに間に合わないからと

いって、急ごうとはしないで!」と必ず言っている。

 

北海道はどうしても『冬時間』がある。

ご利用者やご家族には事前にその旨を伝えて、了承は頂いている。それでも大幅に

遅れる場合には電話連絡することとなっている。

 

車は便利な道具ではあるが、時として凶器にもなる。

運転には十分に気を付けたいものだ。

 

 

「喜び庭かけ回る人?」がうらやましい。

ピンチの乗り越え方が大事

2019.11.6

ワールドカップラグビーが盛況に終わったばかりであるが、振り返ると何度となく

訪れたピンチを乗り越えたラグビー日本代表のファイティングスピリッツは本当に

素晴らしいと感じた。

 

政界、スポーツ界、そして企業内においても、様々な場面でピンチが訪れる。

そして、そのピンチをどのように乗り越えるかによって、その個人や組織の資質が

問われることになる。

 

相も変わらず、『足の引っ張り合い』を続ける政界にはうんざりさせられる。

 

当方の事業所内においても、この時期特有の『スタッフの病欠』というピンチが

再三訪れる。

健康管理には十分に気を付けているとはいっても、そこはやはり人間である。

 

このピンチを団結力と機転を利かせることによって、まるで何事もなかったかの

ように立ち振る舞う当方のスタッフたちにはいつも敬服する。(自画自賛!)

 

先日、テレビのオリンピック特集で『新体操の団体競技』を取り上げている番組

を見た。

ある選手が、「どれだけ練習を積み重ねても、演技の最中にミスが出てしまうので

ミスが出ることを想定した陣形を組んだり、ミスが出ても演技がストップしない

練習もしている。」とコメントしていたことが強く印象に残った。

 

ピンチの際に団結することも大事だが、そのことばかりに頼っているようでは

スタッフが疲弊してしまう。

 

どれだけ、ピンチが発生することをあらかじめ想定し準備することができるか

どうかが、良質なサービスを継続的に提供するカギになると改めて感じた。

職人技は無用の長物なのか?

2019.11.5

気候や風土が好きで、毎年のように訪れており、友人も数多くいる沖縄県で

何とも残念なニュースが入ってきた。

世界遺産にも指定されている沖縄県にある『首里城』で大規模火災が発生して

大部分が焼け落ちてしまった。

 

沖縄県のシンボルともいえる貴重な建物の1日も早い復元を願うところであるが、

このお城に使用されている『琉球赤瓦』を再現することができる職人が他界して

いて、その技術を継承する人もいないため、復元はかなり難しいとのことである。

 

こういった職人技は、習得するために多くの年月を要する。ただ、習得しても十分

な収入が得られず生活を維持することが難しいと言われている。

文明が進化し続けている昨今、「いずれ、人間は機械に仕事を奪われる。」と

言われ始めているが、こういった技術こそ大切に育まれるべきではないだろうか。

 

合理性や生産性を追求する社会において、こういった技術は無用の長物となって

しまうのだろうか。

 

もし、そうであるならば「何と無機質な世の中だろう。」と思ってしまう。