北海道江別市でケアプランセンター、小規模多機能ホーム、デイサービス、訪問介護施設を運営するみのりの丘グループ

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「良いことか悪いことか」ではなく

2025.8.20

厚生労働省が7月30日に公表した統計結果によると居宅介護支援の事業所数が

前年から516ヵ所減ったそうだ。これで7年連続の減少が続いている。

また、同統計結果によると通所介護の事業所数は、前年から362ヵ所減り、3年

連続の減少となった。

 

この数字を見てどう思うか。

純粋に数字だけを見て、「人手不足で事業所数が減ってきているのだなぁ」と考える

こともできるが、実際にはそう単純ではないように思う。

 

私は、「弱肉強食、大規模至上主義がますます加速してきた」と見ている。

介護保険制度が制定された当初は、ちょっと極端に表現すると「小規模は善、大規

は悪」という傾向があった。規模が小さいほうが、ご利用者に対してよりきめ細や

かなサービス提供ができると考えられていたことから、こうした傾向が強くあり、

当初の介護保険報酬は小規模事業所が優遇される内容が多く含まれていた。

 

しかし時代は、人手不足と財源不足へと変わってきた。

小規模事業所は性質上、事業効率が悪く人手とお金がかかる。そこで国は、介護保

険制度が制定された当初から180度方針転換し、事業効率が良い大規模至上主義

へ政策を変えてきた。

 

そうなると規模の小さな事業者は一溜まりもない。

大規模な事業者と比較して、経済基盤がぜい弱な小規模事業者は、人材確保に費や

すことができる財源が限られていることもあって、人材獲得競争に負けてしまう。

人材の流出や既存スタッフの高齢化に伴い、事業継続が難しくなってきてしまう。

「小規模は善」と言われてきたのに、完全に梯子を外されてしまった状況だ。

 

しかし、こうなることはあらかじめ予測はできていた。

そのため、「小規模は善」などという言葉のまやかしに騙されず、少しずつ事業規模

の拡大を図ってきた事業者もいる。おそらくは、そのような事業者が今後も生き残

る可能性が高いだろう。

 

江別市内やその近隣市町村でも、比較的事業規模の小さな事業者の廃業や経営統合

の話が耳に入ってくる。そして、今後益々こうした状況が加速していくだろう。

そのことが「良いことか悪いことか」ではなく、状況に合わせた経営判断が必要と

いうことなのだろう。

私も一経営者として身が引き締まる思いがある。

新たな壁ができただけ

2025.8.13

先日、最低賃金について議論してきた厚生労働省の審議会が、今年は全国の平均で

63円引き上げるとする目安を示した。この額は過去最大で、この目安どおり引き

上げられれば全国平均は1,118円となって、すべての都道府県の最低賃金が

1,000円を超えることになり、この数字を当てはめると北海道は1,073円

になると予想される。

 

賃金のベースがあがることは大変喜ばしいことではあるのだが、一部の会社経営者

や労働者にとってはあまり喜べない状況になる。

それは、所得税が免除されるいわゆる「103万円の壁」がまだ存在しており、

この「壁」が160万円に引き上げられるのは12月以降の予定であるため、さら

なる働き控えが起きてしまうからである。

 

それにしても、この「壁」って必要なのだろうか?

そもそも「壁」があるから、上限を超えないようにと働き控えをするのであって、

初めから壁など無ければ控えることを思考することもないだろうと思う。

103万円だった「壁」が160万円になったからと言って社会情勢が大きく変わ

るのだろうか。

 

最小限の労力で最大限の恩恵を受けたいという思考は、国力を更に弱体化していく

ことになるのではないかと思うし、結果として国民の生活は益々貧しくなるので

はないだろうか。

「働ける人は上限など気にせず働いて多くの所得を貰って納税する。働くことが

困難な人には、納税されたお金を財源として支援する」ことが一番自然であり、

国民の多くの生活が豊かになる秘訣であろう。

 

だいたいこの壁は、昭和の古き良き時代の一般的なモデルである「お父さんが会社

で働いて専業主婦のお母さんがパートに出る」といった概念から成り立っている。

その概念を令和のこのご時世に当てはめようとすること自体無理がある。生き方も

働き方も多様化している今を生きている人たちを大昔の概念に当てはめてもミスマ

ッチしか起きない。

 

古き良き時代から抜け出せず今を生きていない政治家や官僚は、「明らかに就労が

困難な子供や障がい者、高齢者」と「両立に寛容であれば就労が可能な学生や子育

て世代」、「適切な支援があれば就労が可能なハンディキャップを持った人や高齢者」

を全て一緒くたに扱っている。

 

こんなひとたちがどれだけ議論しても、少子化対策も労働力不足も解消すること

は困難を極めるとしか言えない。

年齢性別を問わず、「今を生きている人」を国政に送り出す必要がある。

本来の役割をしっかりと担っていれば

2025.8.12

高校野球の夏の甲子園大会で北北海道代表の旭川志峯高校と1回戦で対戦して勝利

した広島県代表の広陵高校が2回戦への出場を辞退したことが話題となっている。

 

事の発端は、今年1月に同校硬式野球部の寮で禁止されているカップメンを食べた

1年生部員に、複数の2年生部員が殴るなどの暴力を行ったことだった。この情報

がSNS上を駆け巡り、真偽が入り混じった情報がネット上に広がって、生徒が登

下校中に中傷を受けたり、学校に爆破予告があったりといった被害にまで及んだ。

そして同校側は、こうした状況を鑑みて出場辞退を決断したとのことだった。

 

当ブログでも、「誹謗中傷行為」に対しては痛烈に批判してきたし、誹謗中傷とは、

問題やストレスを抱えている人が、自らを慰めるために他人を攻撃している行為に

過ぎず、正当化できることなど何もないし何の役にも立たないと申し上げてきた。

ゆがんだ正義感?だか何だか知らないが、やっていることはほぼ犯罪行為といって

いい。こういった輩は、法に基づいて厳粛に処罰されるべきであろう。

同校関係者の皆さんのご心中をお察し申し上げたい。

 

しかし一方で、新聞やテレビを中心としたオールドメディアが、ここぞとばかりに

得意のSNSやネットメディア批判を展開していることには違和感を覚える。

今回の件に関してもそうだが、新聞やテレビ等はSNSやネットメディアの情報を

引用するばかりで自ら取材した内容をほとんど報道していない。

そもそも、夏の甲子園大会は〇〇新聞社が主催なので、この件に関して本気で取材

していたのかも大いに疑問が残る。

穿った見方をすると、新聞やテレビ等はSNSやネットメディア批判を展開する

ことで話題の本質を逸らそうとしているのではないかと疑ってしまう。

 

今回被害者とされる人がSNSで事態を公表したのは、学校や高野連の対応を不誠

実と感じるとともに、新聞やテレビでは取り上げてもらえないので、SNSに助け

を求めなければうやむやにされてしまうという危機感があったからではないのか。

加害者側の1か月間対外試合出場停止処分と被害者が転校することになった結果を

単純に比較すると被害者が失ったものがとても大きく感じる。

 

新聞やテレビを中心としたオールドメディアが、忖度まみれの偏向報道やSNS等

の批判を展開するのではなく、本来の役割をしっかりと担っていれば、真偽が入り

混じった情報の氾濫も誹謗中傷の嵐も少しは治まるだろうに。

彼らにその気概も能力も備わっているように見えないのは私だけだろうか。

目的を失った手段

2025.8.11

当ブログで何度か「目的と手段」について、話題として取り上げたことがある。

その場では、「いつの間にか目的を達成するための”手段”が、目的そのものになって

しまうことが多くある」と申し上げてきた。

 

別に、手段が目的化したからと言って罪ではないのだから、目くじらを立ててまで

物申すことはないだろうと思うこともあるのだが、目的を失った手段のみが独り歩

きしてしまうと、悲惨な結果を生むことも多くあると認識しているため、このこと

については繰り返し訴えて行こうと思う。

 

先日、東京都の商業施設で面識のない30代女性の顔に向かってカラースプレーを

噴射したなどとして、61歳の男性が容疑者として逮捕された事件があった。

警視庁によると、同容疑者は商業施設内の椅子に座っていた女性を執拗に追いかけ

複数回スプレーを噴射したとのことで、「借金や病気などがあり、死んでもいいと

思っていた。刑務所に入れば食べていけると考えた」などと供述しているらしい。

 

今回の”目的”は、『生活苦を解決(緩和)したい』ということであり、そのための

手段として『自ら命を絶つ』もしくは『労力をかけずに衣食住を確保する』ことが

検討され、『刑務所に入る』ことが採用された。

しかし報道を見る限り、同容疑者の振る舞いは、目的を見失って手段が暴走したと

しか思えない。刑務所に入る方法はほかにいくらでもあっただろうに、女性を執拗

に追い回す行為は何らかの欲求を満たす以外の何物でもないだろう。

選択した手段を実行に移す前に本来の目的に立ち戻ることができれば、別の行動を

とることもできたはずだ。

 

目的を失った手段が独り歩きしてしまうことは、高齢者介護の現場でもしばしば

見受けられる。

たとえば、「もう一度台所に立って料理がしたい」という目的を達成するために、

「リハビリを受けて身体機能の向上を図る」という手段を用いることはよくある

ことなのだが、介護保険サービスを継続的に利用しているといつの間にか、ご利用

者も支援者も「リハビリを受ける」ことが目的となってしまっている状況によく

遭遇する。

 

こうしたケースでご利用者のケアの方針が話し合われる場合には、得てして目的

の”料理”についてではなく、手段であるはずの”リハビリ”をどのようにして受け続

けていけば良いのかが話し合われてしまうことが多くある。

しまいには、目的が達成して手段であるリハビリの必要性がほとんどなくなった後

でも、「リハビリを受け続ける」ことが重要視されてしまったりする。

 

本来の目的に立ち戻ることができれば、「刑務所に入る」あるいは「リハビリを受け

る」以外の手段が思い当たったかもしれない。しかし、手段が独り歩きしてしまう

と目的が何であったかを忘れさせてしまうだけではなく、新たな手段を見出す芽を

摘んでしまうことにもつながる。

それでも、私たちが語るしかない

2025.8.6

広島に原爆が投下されてから今日で80年がたった。

この悲惨な出来事を直接経験していない人たちが増えてきた今、私たちは何を考え

ていけば良いのだろうか。

 

昨今、「ロシアによるウクライナ侵攻、中国の台湾進攻危機、北朝鮮の核開発」

など、平和とかけ離れた状況が日々報道されている。

そして、それらの国々が日本に隣接していることや同盟国であるアメリカ合衆国と

の関係が曖昧な状況になる危険性を孕んでいることから「自国は自分たちで守る、

そのためには日本の防衛体制を強化しなければならない」との議論が盛んに行われ

ており、中には「我が国も核武装が必要」という意見が増え始めている聞く。

そういった議論に対して、防衛力強化や核武装を明確に否定すると“平和ボケ”など

と言われる。

 

しかし、核武装を肯定的に考えている方々は、「自国が核兵器を持てば、あとは何も

しなくても平和な日々が過ごせる」とでも思っているのだろうか。

はっきり言ってそんなことはあり得ない。

我が国が核武装をしてしまえば、より一層隣国との緊張は高まるであろう。それに

核武装を肯定的に考えている方々は、東日本大震災によって原子力発電所が壊滅し

国土や国民に甚大な被害を与えたことをもう忘れてしまったのではなかろうか。

核兵器は持っているだけでリスクとなるし、膨大な労力と費用を浪費して管理して

いかなければならないシロモノである。

 

万一、戦争に核兵器が使用されることがあれば、戦争当事国だけの問題では済まな

くなる。その被害は隣国へと流れ、さらなる争いごとが生まれ、世界規模で甚大な

被害を受けることとなり、地球の破滅へとつながっていく。

ある科学者の研究によると、世界中の核兵器の総量は、同時に爆発させると人類が

ほぼ絶滅するだけの量に匹敵するらしい。そして、その場で事が終わるのではなく

生き残った人も放射能の被害で長年苦しむことになるそうだ。

世界で唯一の被爆国である我が国が、自ら世界の破滅を助長する必要などない。

 

かと言って、「自分の身は自分で守る」ことを全く理解していないわけではないし、

「世の中、全ての人が善人で争いごとなど起きない」などとも思っていない。

なので、ある程度の備えは必要という考えに一定の理解はあるが、どこまで防衛を

強化すれば万全ということになるのだろうか。

仮想敵国に匹敵するあるいは凌駕するだけのより強力な武器を保持していれば万全

ということなのだろうか。結局、行きつく先には核武装という話しになるはずだ。

愚かな人間は、強力な武器を手にすると使いたくて仕方がなくなる。それは、広島

や長崎に原爆を投下したアメリカ軍も同様だ。

その他の兵器を肯定するわけではないが、核兵器だけは人間が扱えるものではない

し、所持してはいけないシロモノだ。

 

あの悲惨な出来事を繰り返さないことがいかに難しいことであり大切なことである

かを語ってくれる方がいなくなることは、我が国にとっても世界全体にとっても

大きな損失である。

それでも、世界で唯一の被爆国である私たちが語るしかない。

些細なことからほころびが生ずる

2025.8.5

介護保険サービス事業所に所属する職員は、何故ご利用者やご家族から金品の授受

を行ってはいけないのか。

 

介護保険の法律上で居宅介護支援事業所やその職員が介護保険サービス事業者から

金品の授受を通してご利用者を紹介・斡旋することを禁止している文面はあるが、

介護保険サービス事業者がご利用者からの金品の授受を厳密に禁止している文言

自体はない。つまり、ご利用者等から金品を受け取っても罰せられる法律が無いの

である。

 

とすると、介護保険サービス事業所を運営する法人の多くが、ご利用者からの金品

の授受を全面禁止しているのはなぜだろうか。

「それは職業倫理に反するから」と言ってしまえばそれまでだが、その一言だけを

もって、所属する職員に禁止を伝えるのはあまりにも雑な説明だろう。

 

公的社会保険サービス費は、その財源の大部分を税金や社会保険料等の公的資金に

よって形成されており、介護保険サービスの利用については一定のルールの下で皆

に等しく対応することが求められている。つまり、介護保険サービス等の公的社会

保険サービスは、法の下で公平性が担保されなければならないのである。

 

そんな中で、介護保険サービス事業者や所属する職員がご利用者やご家族から金品

の授受を行えば、公平性が大きく崩れてしまう危険性がある。

金品を手渡したご利用者等が、悪意はなくても”少しくらいの手心”を期待すること

は人情としてあり得るし、受け取った事業者や職員にも同様に人情が働くことは

あるだろう。仮に当事者に”手心への期待”が全くなかったとしても、客観的第三者

の目には”心温まる人情”とは映らない。

 

ご利用者等からの金品の授受が常態化し、多くの国民から「介護保険サービスは法

の下で公平ではない」と認識されてしまえば、『お金持ちだけが優遇される制度』と

いう扱いになってしまう危険性が大いにあり、公的社会保険サービスとして存在意

義を失うことにつながってしまう。

そのことを一言で表現すると「職業倫理に反する」ということになる。

 

先日、訪問したご利用者宅で出てきたお茶菓子をお断りしたところ、「何でせっかく

用意したのに断るの」「朝から準備して出すことを楽しみにしていたのに」といって

お叱りを受けた。

この会話の中で”手心への期待”など一切感じなかったし、客人へ最低限の礼儀とし

ての振る舞いであることは十分に理解することができただけに、お断りすることは

忍びなかったが、些細なことからほころびが生ずると思うと致し方ない。

 

思いは届いていないし、合致もしていない

2025.7.29

先の参議院議員選挙で、自民党から比例代表で立候補した全国介護事業者連盟の

理事長の斉藤正行氏が落選となった。

議席を獲得できなかったことを受けて、斉藤氏は「この結果はすべて私の責任。

多くの介護関係者に思いを届けられなかった。与党への強い逆風が吹いていたこと

は敗因ではない」と語ったそうだ。

 

当ブログではこの方の発言について再三疑問を呈してきており、「同団体の代表者

は、コンサルティング会社社長として立派な経歴をお持ちなのかもしれないが、

十分に介護事業者の意向を汲み取っていないのに総意であるかのように語るのは

いかがなものか。」と申し上げたこともある。奇しくもご本人がいうとおり、介護

関係者には思いは届いていないし、もっと言えば思いは合致していない。

 

介護現場にいる我々と大きく乖離した考え方を持つ人が、我々の業界の代表として

国政にでることは非常危険だと思うので、選挙戦を必死に戦ったであろうご本人や

関係者の方々には大変申し訳ないが、今回落選していただいて安堵している。

 

何度も申し上げていることだが「利用者の負担は増やさず、サービスの量も減らさ

ず、その上で介護報酬を上げろ」という主張は、将来の自分達にどのような悪影響

が及ぶのかわかりきっている。

 

この手の主張は、「人も金も潤沢にある」状況でなければ実現しないし、そういった

状況であれば、誰かが主張しなくても実現している。

今考えなければならないことは、「人も金も足りていない」状況の中で、いかに公的

社会保険サービスを有効かつ効率的にそして永続的に運用していくのかであろう。

 

援助の必要性が高い方に対し、限られた人数の高いスキルを持つ専門職がかかわり

限られた財源の多くを投入する仕組みを考え直すべきである。

そうしないと、介護保険制度は、精神論と奉仕の心に訴えかけるだけの陳腐な扱い

を受けて、体裁を保つことも一定の所得を生むこともなくなってしまうだろう。

 

あくまでも個人的な意見ではあるが、

このことが理解できない、あるいは主張できない人に我々の代表として国政に出て

ほしくない。

 

 

1+1が2とか3の結果を生むから

2025.7.28

昨年施行された介護保険制度改定の俎上にのぼるはずだった「訪問と通所を組み

合わせた新しい複合型サービス」が、次回の介護保険制度改定に再登場させるべく

審議されているらしい。

 

新しい複合型サービスは、通所介護の事業所が利用者に必要な訪問サービスも提供

できるようにすることで、現場がより柔軟に支援を展開できる環境を作る狙いがあ

り、人材不足が深刻化する高齢者介護業界にとっては切り札となり得る存在と期待

されていた。

 

しかし、昨年施行された介護保険制度改定で審議された内容は、人員配置基準は

そのままで通所サービスと訪問サービスの人員を状況に応じて柔軟に変更すること

ができないといったものだった。

本来一体的な運営に期待されていたことは、単独の通所サービスや訪問サービスは

事業としての効率が悪く、ご利用する方にとっても使い勝手が決して良いとは言え

ない状況を解消するものであるはずだ。

にもかかわらず、当時のポンコツ審議委員によって狙いとはかけ離れた結論が導き

出されてしまい、参入する事業所がいるはずもなくお蔵入りとなってしまった。

 

援助を必要としている高齢者を取り巻く状況は、常に一定ということはほぼなく、

不安定で変化に富んでいる。

当方が運営する多機能サービスのご利用者から、「今日は通いではなくて訪問で

対応してほしい」、「しばらくは通い(訪問)のみで対応してほしい」といった

具合に、その日の体調や介護環境の変化などによって対応の変更を求められること

は日常的におきていて決して珍しいことではない。

そのため、対応する我々には即応性と柔軟性が求められる。まして、限りある人材

を駆使したうえで、そういった対応が求められるとなると、一体的な運営という

形態をとらなければ相当難しい。

 

単独の通所サービスや訪問サービスは、自前でこうしたニーズに応えることができ

ないため、ご利用者はその都度各事業者との契約が必要になるなど煩雑な手続きを

求められるし、事業者もご利用者との継続的な支援が断絶されてしまうことにも

つながるため、誰にとっても望ましい状況ではなくなる。

 

にもかかわらず、ポンコツ審議委員は、A事業とB事業が隣り合った場所で運営する

ことが「一体的な運営」だと思っていたようだ。

彼らの発想は、”1+1=2”という何の変哲もないものだ。そんな当たり前のこと

なら、わざわざ新たに投資し煩雑な手続きを経てまで参入する必要などない。

1+1が2とか3の結果を生むから、財政や人材不足を解消する手立てとなるし、

事業所が参入に手を上げるのだろう。

 

我々介護の現場の人たちは、人材不足の中で必死にご利用者のニーズに応えようと

尽力している。

新しい複合型サービスが、次回の介護保険制度改定に再登場させるべく審議されて

いること自体は非常に喜ばしいことではあるが、ポンコツ審議委員によってお蔵入

りにされることだけはごめん被りたい。

公金や利権を与えて存在させる価値

2025.7.25

先の参議院議員選挙で、与党である自由民主党の大敗とともに、大幅に議席数を

伸ばして大躍進を遂げた参政党が大きな話題となっている。

 

この参政党がテレビや新聞で大きく取り上げられているのは、多くの国民から支持

されて議席数を伸ばしたからではなく、選挙期間中に「日本人ファースト」をキャ

ッチコピーに掲げて、軍国主義や外国人排除を彷彿とさせる主張を繰り広げていた

ことやアメリカの現大統領のような極端な自国主義を主張しているとされている

からである。

 

たしかに、候補者や代表者の発言には首をかしげたくなる内容がいくつかあったと

記憶している。そしてその中には些か稚拙と感じる内容も含まれてはいた。ただし

訴えている政策は受け取り方次第でネガティブにもポジティブにもなるものが多く

あったようにも感じた。

 

例えば、党の代表が選挙の街頭演説で「申し訳ないが高齢の女性は子どもが産めな

い。日本の人口を維持していこうと思ったら、若い女性に子どもを産みたいとか

産んだほうが安心して暮らせるなという社会状況をつくらないといけない」と述べ

たことに対して、高齢者や女性蔑視と批判が出ていた。

 

ただこの発言って、高齢者や女性蔑視なのだろうか。

昨今、出生者数が過去最少を更新し続けていることや少子高齢社会が加速している

日本社会においてこのことが議論にならないことの方が不自然と感じるし、生物学

的に高齢女性や男性が妊娠できないことはゆるぎない事実であろう。

○○蔑視という便利な言葉を使って、議論を避けようとしている人の方が批判され

るべきではなかろうか。

 

また、オールドメディアと呼ばれる新聞やテレビが参政党に対してネガティブキャ

ンペーンを繰り広げているのはもう一つ理由があるように思う。

それは、この政党が既成政党やオールドメディアをやり玉に挙げて、強く否定する

主張を繰り返していたことに対する反撃と捉えることができる。

オールドメディアはこれまでにも「自分達は何も間違えてはない。自分達の存在を

脅かすものは徹底的に排除する。」といった思考からインターネットやSNSに対して

ネガティブキャンペーンを繰り返している。

 

しかし、オールドメディアの要であるはずの取材力の低下は地に落ちているように

思える。取り上げている報道の内容のネタ元が、毛嫌いしているインターネットや

SNS、そして週刊誌の情報をそのまま引用していることが非常に多い。

忖度にまみれ、偏向報道をいとわず、そこらに落ちている情報を垂れ流すだけの

オールドメディアに公金や利権を与えてまで存在させる価値があるのか大いに疑問

がある。

 

残念で愚かな生き物

2025.7.24

ここ最近、山中ではなく民家付近で人が野生のクマに襲われて死傷する被害が多く

報道されている。そして、こうした被害があった地域住民から「早く熊を駆除して」

との要望が多数あがっている。

 

確かに私自身の生活圏域で同様の被害が発生したなら、私も「早く熊を駆除して」

と要望することだろう。そうでもしないと、私や身近な人たちはいつ襲われるか

わからない恐怖の中で生活しなければならなくなるからである。

 

一方で、「人間のエゴで動物を駆除することなど許されない」と主張する人もいる。

これまでにも人間は、豊かな生活や幸福を追求するあまり、多くの動植物を絶滅に

追いやってきた。「人間の横暴は人間が止めるしかない」との思いからこうした主張

をする人もいることだろう。

 

私たち人間は、動植物の命を頂戴して生命の維持や子孫を繫栄させている。

そのため、私たちは食事の際に「(お命を)いただきます」というわけだが、動植物

を殺しているという事実に変わりはない。

 

また、人間の豊かな生活や幸福への欲求は底なしだ。こうした欲求を叶えるために

科学の進歩とともに文明が発展してきた。そして、現代に生きる我々は、こうした

発展に多大な恩恵を受けている。

いまさら原始的な生活に戻ることなど到底不可能であろう。

 

私たちは、動植物と共存することと欲望を追求することの間で右往左往している。

争いごとや戦争が無くならないことも含めて、人間は残念で愚かな生き物という

ことなのかもしれない。

そして、この愚かな生き物が欲望を追求した果てには何が残っているのだろうか。

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