北海道江別市でケアプランセンター、小規模多機能ホーム、デイサービス、訪問介護施設を運営するみのりの丘グループ

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任命責任って?

2025.5.23

前回ブログでお米の値段高騰を話題とした際に、「でも、あの大臣じゃ・・・」と

言っていたら次の日に辞任して新しい大臣に変わっていた。(やれやれ)

 

この様な事態が起きた時によく聞く言葉は「任命責任を問う」であるが、何でも

かんでも「任命責任」って、私には違和感しかない。

 

任命権者は、一般企業でいうところの人事権者を指すわけだが、人事権を持つ者は

誰を採用してどこのポジションに配置をするのかを決める。この権限は非常に強い

ので、権限に見合う責任も同時に負うことになる。

だからと言って、ウケを狙った言葉で周りの反感を買ったとか、不倫したといった

理由で辞任することにまで決定権者が責任を負わされる必要があるのだろうか。

そもそも、任命責任と監督責任がごちゃ混ぜで扱われているのではなかろうか。

 

例えば、業務中に飲酒運転をして事故を起こしたケースで考えてみる。

面接時、過去に飲酒運転をしたことがあるとか、アルコール依存で治療中といった

事実を予め知っていながら、ドライバーとして採用して十分に注意を払わず事故が

起きてしまったのだとすると任命責任も監督責任も問われることになるだろう。

 

ただし、面接を受ける人が虚偽の申告をしていれば、採用担当者はその事実を知る

術はほぼない。

また、運転前にアルコール検知器によるチェックを義務づけ、ドライブレコーダー

を搭載し、安全運転講習を定期的開催していたとしても、隠れて飲酒して運転して

いたとすると職場としてはなす術がない。

 

無論、どのような背景があったとしても、業務中に起きた事故に対して会社が無関

係を主張することはあり得ない。ただし、個人の責任によるところまで全てを会社

や人事、監督者に責任を負わせることもまたあり得ないのではないだろうか。

 

それが、不倫とかプライベートで起きた事柄であればなおさらだ。

会社で権限を持つ者が、そんなプライベートなことにまで踏み込めば、今度はハラ

スメントで訴えられてしまうことだってある。

やっぱり、何でもかんでも「任命責任」って、私には違和感しかない。

お米の値段が高すぎる

2025.5.20

お米の値段高騰が全く納まらない。

 

多くのご家庭でも値段高騰が家計を直撃していることと思うが、当方が運営する

給食センターでは、平均すると毎月150kgのお米をご利用者への食事や配食用

のお弁当の提供に使用しているため、その影響は非常に大きい。

 

若い世代の方が食事を提供する対象であれば、パンや麺類への代替えの比重を大き

くするなどの対応が可能かもしれないが、私たちが対象とするご年配者の趣向とし

てはやはり主食は白米と考える方が多くいるため、白米の提供は避けて通ることは

難しい。

こうした背景もあって、来月6月から提供する食事や弁当の値段を少しばかり値上

げさせていただくこととした。

 

食料品に限らず、物価が上がってきていることから、「お米だけ値段を下げて」とは

言えないが、今一納得できないことがある。

お米の値段が上がるということは、農家さんの収入が増えると考えることが一般的

と思われるが、値段ばかりが挙がって農家さんの収入はほとんど変わっていないと

いう報道をよく目にする。

 

それらの報道によっては、「農協が搾取しているのではないか」とか「外国人が投資

目的で買い占めているのではないか」などと言われているが、残念ながら私には

真実を知るすべがない。

 

世代によっておコメの消費量に変化が生じてきていると言われてはいるが、それで

も「日本人の主食は米」と考える人が多くいることもまた事実だ。

そう考えると、物価の上昇以上にお米の値段が高騰することについては、何らかの

対策を講じるべきであろう。

でも、あの大臣じゃ・・・。

NPO法人の令和7年度年次総会

2025.5.19

先週の金曜日に当方NPO法人の令和7年度年次総会が開催された。

 

NPO法上、法人の活動に賛同してくださる会員の皆様のことを”社員”と呼ぶ。

ここでいう”社員”は、会社に属する会社員のことではない。

 

当方には、今日現在で31名の”社員”が在籍されているのだが、その多くが年配者

で、こちらの会場まで足を誇んでいただくことに大変恐縮しているため、一人でも

多くの方に年次総会へご出席いただくために、2年前から同総会の前に食事会を

開催することとしている。

 

 

 

当方が運営する給食センターとのみくい処とっかりがコラボして準備した食事を

参加された皆さんと役員とでおいしくいただいた。

食事会の後、残っていただいた方とともに前年度の事業報告と次年度の事業計画を

話し合った。ただし、議論が交わされたというよりは、激励といたわりの言葉を頂

くことがほとんどだった。(その言葉がとてもありがたく、心強く感じた)

 

 

 

お忙しい中、足を運んでいただいた”社員”の皆様、

ありがとうございました。

更新研修も日本介護支援専門員協会も

2025.5.16

『日本介護支援専門員協会が、先日開催された「日本ケアマネジメント推進議員連盟」の総会で、集まった自民党の議員や厚生労働省の関係者らに、法定研修を資格の更新に紐づける方法は「見直しが必要」と促した。

「資質向上のための研修機会の確保は必要。更新研修を安易に廃止するだけで済むものではない」と指摘。法定研修の意義や重要性を改めて強調しつつ、それと資格の更新を完全に紐づけた今の仕組みは見直しが必要と意見した。』

との報道を見て訴えたいこと

 

この資格更新研修については、「膨大な時間と決して安くはない受講料を浪費する

だけの中身のない研修で、高齢者介護にかかわる資格の中で唯一更新制が義務付け

られている理由が全く見当たらない。この研修は、官僚や一部の人の利権利得の

ためだけに存在していると言わざるを得ない。」と繰り返し訴えてきた。

 

この更新制に対して大いに疑問を感じていることは前述したとおりであるが、私と

日本介護支援専門員協会との認識が決定的に異なることは、現在実施している法定

研修の意義や重要性についてである。

それは、同研修の内容があまりにもひどすぎるからである。昨年に受講した際の私

の感想は「馬鹿にされているのかと思った」である。

 

ソーシャル・マネジメント、ケース・マネジメントの知識と経験が乏しい人たちが

研修カリキュラムを作成するとこうなるということがよくわかる粗末な内容だった

ので、ただでさえ更新制に対して大いに疑問を感じている人にとっては、怒りにも

似た感情を持ったことだろう。

 

もしも日本介護支援専門員協会が、現在実施されている法定研修の内容を把握して

いないのだとすると大いに問題があるし、把握はしていても理解ができないのだと

するともう終わっている。

予てからこの協会の存在意義に疑問を感じていた私としては、更新研修の廃止とと

もにこの協会も解散した方が良いのではないかと心の底から思う。

知識やスキルに偏りがあって当り前

2025.5.15

「医療ニーズをアセスメントできない福祉職」

「生活ニーズをアセスメントできない医療職」

長年、この業界に身を置く中でよく耳にするフレーズである。

 

生活全般の支援に対応するケアマネジャーには、医療や経済的な知識、また社会福

祉にかかわる制度、インフォーマルな社会資源に精通していることのほか、対人援

助にかかわるコミュニケーションスキルも求められる。

つまり、非常に幅の広い知識とスキルが要求されるのである。

 

しかし、一個人がその全てを兼ね備えることは非常に困難である。

生活歴、職歴、学歴、取得している資格などによって、その知識や技術には一定の

偏りが生じるものである。

無論、その偏りを改善するべく努力を積み重ねている人もいるが、30年以上の現

場経験の中で、要求される全ての知識やスキルを過不足なく習得している人を一人

も見たことが無い。

つまりケアマネジャーには、努力を続けたとしても、現実的には知識やスキルに

偏りがあるということを前提とするべきだろう。

 

だとすると、その偏りをどのようにして補っていけば良いのかという課題があるの

だが、その解決方法は言葉にすると簡単である。

それは「その分野の専門性が高い人と協力、協働、支援を受けながらことにあたる」

ということである。

 

言葉にすると非常に単純明快なのだが、これもまた長年この業界に身を置いていて

感じることとしては「言葉通りに上手くいかないことが多い」ということである。

なぜ上手くいかないことが多いのかという理由には様々あるが、個人的にはケアマ

ネジメントの本質とは違うことが邪魔をしていることが多くあるように感じる。

それは、職種や職域、所属を守るあるいは優先する思考が強く働くことによって、

その異なる人との協力や協働を阻害してしまうことにあると思う。

 

これは言葉を変えると「縄張り争い」に近い。

自分の職域が脅かされると感じて、他の職種を排除しようとする動きは今も多くの

場面で目にする。

そこから転じて、「マウントの取り合い」「自己保身による相手への攻撃性」という

非常に醜い争いに発展したりする。

 

ケアマネジャーに限らず全ての専門職が、「要求される全ての知識やスキルを過不足

なく習得している人は一人もいない」という前提に立てば、こうした思考も少しは

緩和されるのではないかと思うが、専門性が高くなればなるほど「自分は万能だ」

という勘違いや驕りが生まれる気がしてならない。

こうした思考を持つ人を見ていると「何とも滑稽で哀れだ」と感じてしまう。

駅馬車さんオープン

2025.5.12

当方事業所が所在する東町ニュープラザ商店街で『駅馬車さん』が本日オープン!

 

 

 

 

新札幌の高架下で長年営業されていて、ご存知の方も多くいらっしゃるこのお店は

高架下の開発工事の影響で今年の3月で閉店して、同商店街へ移店した。

移店とはいっても店長はこの商店街育ちで、同店舗の所有者でもあるので、「戻っ

てきた」という表現の方が正しいかもしれない。

 

オープン準備で忙しくしている中で、チョコチョコお邪魔して色々とお話をさせて

いただいた。店長もママも気さくで親しみやすく、お店の雰囲気も最高で開店前か

ら常連になること間違いなしと直感した。

店長からの「一緒に商店街を盛り上げていこう」との言葉が何とも心強い。

 

早速、看板メニューのナポリタンをいただいた。

 

美味し!

ホッと一息

2025.5.6

大型連休も今日が最終日となる。

明日から仕事が始まることを憂鬱に感じている方もいらっしゃるかもしれない。

また、連休に関係なくお勤めされている方は少々疲れが出ているかもしれない。

 

昨日、今日とご利用者宅をお邪魔して近況を色々と話していると、複数のご利用者

から「気温が温かくなって過ごしやすくなってきた。いつもは億劫に感じる散歩も

近所に咲いている見事な桜の木を見ることができてとても楽しい。」といった話しを

聞くことができた。

 

たしかに市内の至る所で見事な桜の木が満開となっている。

 

仕事に追われる毎日

ほんの少しだけ、花を愛でる余裕を持ってもいいのかもしれない。

現状を受け入れましょうと言うけれど

2025.4.30

早いもので今日で4月が終わる。

そして、昨日から大型の連休に突入し、お出かけされる方もいることだろう。

最近、高速道路を逆走して死傷者が出る事故があったとの報道もある。車を運転

される方は十分に気を付けて連休を楽しんでいただきたい。

 

4月が終われば5月が来る。

5月と言えば色々あるが、頭に浮かんだのは”5月病”である。

5月病とは、新生活が始まる4月に抱えたストレスが大型連休を挟んで一気に噴き

出して、うつ病やパニック障害を発症してしまうことなどを総称してそう呼ぶ。

 

人は環境の変化に弱い。(あらゆる動植物も同様ではあるが)

そして、その変化とは外的環境のみにあらず、自分自身の変化を伴う場合もある。

しかし、こうした変化に比較的強い人と弱い人がいるように思えるが、それはなぜ

なのだろうか。

「変化に強い人」というと強靭な精神力を持った人というイメージを持たれる方が

いらっしゃるかもしれないが、私はそういうことではないように思う。

 

「変化に強い人」とは、変化を事前に予測して、想定外を含めて起きた変化を受け

入れることができる人なのではないかと思う。

その逆で、これまでの趣向や生活スタイルに固執する人は、変化に非常に弱いよう

に感じる。

 

自ら望んで変化する環境へ身を置くこととなった場合はまだしも、望まずして変化

を余儀なくされた場合には、中々受け入れることは難しい。

私は日ごろ、病気や障がい、加齢によって自身の生活環境が一変する方とかかわる

仕事をしているが、望まずして起きた変化に苦しんでいる人が多くいる。

かと言って、そのように苦しんでいる方に対して「現状を受け入れましょう」とは

中々言えない。

 

介護保険制度の政策は、何にかにつけ”アンチエージング”一辺倒であることが気に

入らない。健康を維持することは大賛成だし、そのための政策も多いに結構なこと

だと思うが、人は等しく年を取るし、加齢とともに変化は出てくる。

今の政策を見ていると年を取ることが”悪いこと”といわれているように感じる。

そうではなく、変化することを前提としたエージングケアや変化した後も過ごしや

すいと感じることができる政策をより多く打ち出していくべきだろう。

 

世の中全体でこのような動きを取って初めて、「現状を受け入れましょう」という

言葉が効果を生むように思える。

 

第三の権力に監視の目を

2025.4.21

ここのところ世間を賑わせている「某女優の車両事故後に病院で看護師へ暴力行為

があった」との報道を受けて思うことが二つほどある。

 

この件を受けて、”ペイシェント・ハラスメント”の言葉が良く取り上げられている。

ペイシェントとは「患者」のことであるが、病院などに勤務する医療従事者が患者

や家族などから暴言や暴力、威嚇、執拗な要求、わいせつな行為を受けることなど

総称して上記の言葉が使われる。

 

私たち高齢者介護従事者も日常的に同様の行為を受けることが度々ある。無論、

我々の業界にのみ起きている事象というつもりはないが、特に介護の現場ではよく

見受けられるように感じる。

それは、「ケア」がその語源である献身や思いやりから派生して奉仕することと解釈

されたため、ハラスメントを受けやすい性質を持つのではないかと推測される。

また、体に直接触れる支援を多く持つ特性から性的な行為を連想する人もいるの

かもしれない。

 

こうした状況に対して、「多少のことはしょうがない」という人もいるようだが、

私としては、到底受け入れることなどできないし、こういった行為には毅然とした

態度で対処していく所存にある。

 

もう一つ気になることとしては、某女優にかかわる報道の在り方についてだ。

暴力行為があったのだすると適正に処罰を受けるべきだとは思うが、行為に対する

社会的制裁が行き過ぎているように感じるし、まるで違法薬物の常習者であるかの

ような取り上げ方は”行き過ぎ”どころか犯罪行為ではないかとさえ思える。

一度そのようなレッテル張をされると事実無根であったとしても、周囲からはその

ような目で見られてしまうことが良くある。

 

客観的事実のみを伝えることが報道の本質であるにもかかわらず、特定の人を貶め

ることも辞さない姿勢は、この場で繰り返し使っている”マスゴミ”以外の何物でも

ない。

こうしたことは、対象が著名人である場合に限らない。

これまでにも、誤報や悪意ある誘導で事実無根であるにもかかわらず、無用な社会

的制裁を受けて、その後の人生を大きく変えられてしまった人が多くいる。

 

私も皆さんもいつか同様の被害を受けることになるかもしれない。

第三の権力と称される”マスゴミ”に対して、より強く監視の目を入れたほうが良い

のではないかと強く訴えたい。

彼らは、あまりにもやりたい放題の度が過ぎている。

豊かな生活とは

2025.4.17

ここのところ当ブログで”どうでもいい仕事”を連呼しすぎている感はあるが、

私としては、ここ最近に書き綴った内容を取り下げるつもりも訂正するつもりも

ない。ただし、「豊かな生活を追求するあまり、大切な人材や人にとって大切な時間

の無駄遣いが起きている」と言い換えたらどうだろうか。

 

多くの人が日常的に利用しているコンビニエンスストアのお弁当などの食料品は、

様々なデータがあるため一概に言うことはできないが、日々20%~30%が廃棄

されていると言われている。

仮にこのデータを借りるとすると食品にかかわる生産者や食品加工にかかわる人

は、人の手に届かずただ捨てられるだけの作業を全体の20%~30%行っている

ということになる。

以前に申し上げた「穴を掘っては埋める作業を繰り返している」というあれだ。

 

しかし残念ながら、競争社会においてはどれだけ売れるのかははっきりしていなく

ても(あるいは知っていたとしても)、常に品ぞろえが豊富な店が選ばれる傾向が

強いため、余剰に商品をそろえてしまう。そして残念なことに生産者も販売者も

消費者もその前提で価格設定がされていることを承知している。

つまり、”無駄より豊かさ”を優先しているということだろう。

 

人それぞれ価値観が違うので、「豊かな生活」といってもそれぞれに思いがあること

だろうが、もしも先のデータを基にして必要な分だけ作ることが当たり前となった

ら、今までの2~3割少ない労働時間で完結することができるということになる。

そして、減った労働時間を自分にとってより有効と感じられる時間として使うこと

ができたとするとどうだろうか。

 

親しい人と過ごす時間、自分の趣味や趣向に興じる時間、他に興味のある仕事に従

事する時間などをより多く持つことができることこそが、「豊かな生活」と感じる人

だっているのではないだろうか。

ひょっとすると今の若者の多くは、こちらの方にこそ価値観を見出しているように

思える。

そう言えるのは、労働者の中の約4割が「自分の仕事が世の中に意味のある貢献を

していない」と感じていると言われているからであり、その様を間近で見て育って

きたからだ。

 

また、「穴を掘っては埋める作業を繰り返している」だけならまだしも、余剰を前提

として商品を揃えているため、捨てられるだけの商品を運搬している人がいたり、

リサイクルと言われる新たな事業が立ち上がったりしている。さらに言えば、こう

した無駄に労働時間が延びることによって保育や介護の労働時間も延長される。

つまり、無駄が更なる無駄を生み出していることになる。

 

今回例に挙げた食料品にかかわらず、社会全体でこうした無駄が無駄を生みだして

いる状況にある。今一度、大切な人材や人にとって大切な時間の使い方を考え直す

ことができれば、人材不足などが起きることもなくなり、生産性の向上を見込まれ

より安価に商品を手にすることができ、少ない労働で多くの報酬を得ることが実現

するという、真の意味で「豊かな生活」を過ごすことができるのではないだろうか

と思ったりする。

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