北海道江別市でケアプランセンター、小規模多機能ホーム、デイサービス、訪問介護施設を運営するみのりの丘グループ

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夏を先取り!ビアガーデン

2024.6.25

週末の土曜日と日曜日に当方が運営する「のみくい処とっかり」で

『夏を先取り!ビアガーデン』を開催した。

 

 

 

数日前まで雨予報だったが、当日は暑すぎず寒すぎずの天気だった。

近隣でもいくつかイベントが開催されていて、相乗効果?もあってか

多くの来店客に恵まれ、盛況のうちに終えることができた。

(私は1日中ブタ串を焼き続けていたので、月曜日は体中が痛かった)

 

来月にも同様の企画を実施したいと考えている。

今回ご来店いただいた皆様、ありがとうございました。

今回都合が合わなかった皆様も含めて、次回お待ちしております。

年収の壁対策って?

2024.6.18

先日、厚生労働省から事業主宛に「年収の壁対策として助成金を支給します」との

趣旨の案内文が届いた。

 

労働者不足が深刻化してきている現状を踏まえて、国会では「年収130万円の

壁」を解消する案が議論されているところであるが、「年収130万円の壁」とは

扶養者が会社員の場合、自分の年収が一定の金額を上回るまでは、扶養者の「社会

保険上の扶養」に入ることができるため、社会保険料を払わなくて済むが、年収が

「130万円以上」になると本人が社会保険に加入することになるため、給与から

社会保険料が差し引かれて、手取りが減ることになるという仕組みのことを言う。

 

今回送られてきた案内文を読むと「社会保険料の支払い分に相当する手当を支給

する取り組みを行った事業者へ助成金を支給する」というものである。

一見すると”より良い取り組み”に見えなくもないが、「差し引かれる社会保険料に

相当する分を国が直接補填することは難しいから事業者を経由して補填しよう」と

いう魂胆が見え見えな政策である。

手取りが減る分を国が補填するなど原理原則を無視した暴論でしかないため、この

ような姑息な手段を講じたのであろうが、はっきり言って「浅はか」としか表現の

しようがない政策である。

 

そもそも、昭和の古き良き時代の一般的なモデルである「お父さんが会社で働いて

専業主婦のお母さんがパートに出る」といった概念を令和のこのご時世に当てはめ

ようとすること自体無理がある。生き方も働き方も多様化している今を生きている

人たちを大昔の概念に当てはめてもミスマッチしか起きない。

「年収の壁」は”昭和資料館”にでも飾って、今を生きている人たちに合わせてその

壁は完全に取り払うべきであろう。無駄な壁を残そうとするから補填とか助成とか

無理やりな政策が出てくるのである。

 

一方で、「扶養という考え方があるから少子化を防ぐことができている」という人が

いたりするが、その意見もまた時代錯誤のミスマッチである。

扶養は、例えば子供や高齢者のような就労することが難しい人を対象とするもので

あって、子育てをしている人に当てはめるべきものではない。

今は、「仕事も子育ても両立できるのであればそうしたい」と考えている人がとても

多くいる。しかし「両立に寛容ではない社会の仕組みがあるため、どちらかを選ば

ざるを得ない」として、仕事か出産のどちらかを諦めてしまう人が多くいる。

 

当ブログで何度か話題にしていることではあるが、両立に寛容ではない社会の仕組

みの代表的なものが「夫婦同姓と年収の壁」があると私は考えている。

古き良き時代から抜け出せず、今を生きていない政治家や官僚がどれだけ議論して

も、少子化対策も労働力不足も解消することは困難を極めるとしか言えない。

年齢性別を問わず、「今を生きている人」を国政に送り出す必要がある。

コミュニケーション力

2024.6.13

当ブログで何度か紹介している通り、当方では毎年市内外にある大学の学生実習を

受け入れている。

先月に複数の大学へお邪魔して、担当教諭にお話を聞きにいった際に札幌学院大学

さんから、学外講師としてこれから実習に向かう大学生を対象とした講義の依頼を

受けた。

 

そして先日、同大学へ伺い実習を控える6名の大学生とお話をしてきた。

現役の大学生の生の声を聞く機会が少ない私としては、とても楽しみであったし、

より有意義な場にしたいとの思いがあったため、講義形式というよりはディスカッ

ションに近い形式で進めさせていただいた。(先生のオーダーと違ったので申し訳

ないとも思っている)

その場は活発な意見交換ができて、私にとってはとても刺激的で有意義な時間と

なった。(参加した大学生にとっても有意義であれば尚良いのだが・・)

 

その場における実習を控える大学生が抱える不安として多く聞かれたことの一つに

「コミュニケーションの取り方」があった。

日常的にはかかわることが非常に少ない年代の方であったり、介護を必要とする方

障害をお持ちの方とどのようにコミュニケーションをとっていけば良いのかが想像

しにくいといった声や介護現場で従事する職員とのコミュニケーションの図り方に

ついて思いを巡らせているといった声が聞かれた。

 

介護現場では、「ご利用者に馴れ馴れしい言葉遣いは避けて敬語を使いましょう」と

か「清潔感のある身なりを心がけましょう」とよく言われる。

しかし、私はこうした言葉を聞くたびに違和感を覚える。

なぜなら”敬語”や”身なり”は結果でしかないにもかかわらず、なぜそのような結果

が生まれるのかという本質(経過や経緯)が語られずに、結果のみをなぞることが

正解であるかのように扱われている場面が散見されるからである。

 

例えば、我々がサービス提供しているご利用者の多くは、戦前後を生き抜いた先達

であり、今の平和な国の礎を築てくださった方である。直接自分を育ててくれた人

ではなかったとしても、感謝と尊敬の念を抱く対象であることに変わりはない。

そういった思いを持って接すると、言葉遣いや身なりは自然と見えてくる。

 

さらに、我々がサービス提供しているご利用者は「顧客」である。

数ある施設や介護サービスの中で”我々”を選んでくださった方である。その顧客の

満足度を高める振る舞いが求められることはサービス提供者として当然のことで、

そういった思いを持って接すると、言葉遣いや身なりは自然と見えてくる。

 

そして、その日は私が大切にしている二つの考え方をお伝えして大学生にエールを

送ることとした。それは、「想像力」と「情報の収集分析力」である。

特に初対面など相手の人物像がわからない状況においてコミュニケーションのとる

時には、自分のどのような振る舞いが相手の好意や嫌悪を生み出すのかを想像する

ことが極めて重要である。その際に「自分や自分の身内がその立場だったら」とい

ったことをきっかけにして想像を膨らませることも有効であるとお伝えした。

 

ただし、関係を継続する上では「自分だったら」という主観だけでは不十分である

こと、思考や性格は十人十色であることを踏まえて、「相手を知る」ことが極めて

重要である。そのためには、成育歴や生活歴、習慣などからその相手の思考性の

理解を深める情報の収集や分析が必要となるとお伝えした。

 

今回参加された6名の大学生から”あついあつい”熱意を感じた。

未来ある若者の一人でも多くが介護現場に足を踏み入れてくれることを熱望して

いる。(皆さんありがとうございました。実習がんばってください!)

生産性向上の成れの果て

2024.6.4

自動車関連企業の不正が相次いでいる。

昨年、ダイハツ工業が開発を行った海外市場向け車両の側面衝突試験の認証申請に

不正行為があったことが発覚した。

そして昨日、大手自動車メーカー3社(トヨタ、ホンダ、マツダ)のトップによる

国の認証試験で行われた不正に対する謝罪会見があった。

 

車は、国民生活を支える重要なツールであるばかりか、間接的にではあるが人の命

にかかわる性質を持っているため、安全性の担保は非常に重要である。

こうした事実を受けて、自動車メーカーに対する不信感を募らせていたり、怒りを

覚える方も多くいることだろう。

しかし私は、この報道を耳にして別のことが頭をよぎった。それは「生産性を追求

した成れの果てがこうした不正行為であろう」ということである。

 

良質なものを丁寧に作ろうとするとどうしても手間とコストがかかる。

質より量に重きを置いた場合には、最低限許容される質を担保しつつ、大量に生産

する方法を追求していくことになる。

車は、移動手段としてばかりではなく、物流や移送も含めた国民生活に欠くことは

できないものである上に、輸出品として日本の経済を支える重要な役割も担って

いるため、多量にそして安価に市場流通させる必要がある。

そのためには、生産性を追求することは必然といえる。

 

今、介護業界では「生産性の向上」が呪文のように唱えられ、その流れに乗ること

が当然のこととされてきている。

受け手となる高齢者が増え続け、担い手となる若者が減り続けている昨今、生産性

を上げることは重要なミッションである。

しかし、生産性を上げるということは、質より量に重きを置いて、最低限許容され

る質を担保しつつ、大量に生産(サービス提供)する方法を追求することである。

政策や国会の議論を聞いていても、私には生産性を上げることばかりが独り歩き

していて、最低限許容される質に対するコンセンサスを得る話し合いが抜け落ちて

しまっているように思えてならない。

 

介護保険サービスは、人の生活や生命に直結する事業である。最低限許容される質

を曖昧にしたまま、大量に生産(サービス提供)する方法を追求することは危険

極まりない。

将来、生産性の向上を妄信した介護保険サービス事業者による不正の発覚が多発

することは予想に難くない。

しかし、自動車メーカーしかり介護保険サービス事業者しかり、悪意を持って不正

を行うというよりも、政治や消費者が最低限許容される質を都合よく曖昧にした

まま生産性の向上を強要してきた結果ではないかと思ったりする。

 

間接的にではあるが人の命にかかわる性質を持っている自動車メーカーよりも、

人の生活や生命に直結する事業である介護保険サービスは、最低限許容される質は

より厳格でなければならない。

はっきり言って、受け手となる高齢者が増え続け、担い手となる若者が減り続けて

いる介護業界において、このままの状態を放置しておくと、ただ普通に職務に従事

しているだけで、「不正行為だ」と言われかねない。

 

低負担高福祉も幅広いニーズに応える社会保障制度の維持も現実的ではないことを

国民に理解してもらう政治判断が求められている。

ペンキを塗っても沈没は避けられない

2024.5.28

先週開かれた経済財政諮問会議で今後の社会保障制度あり方が議論された。

当然のことながら、増え行く介護ニーズに対応する介護現場の人手不足にどのよう

に対応していくのかが、議論の中心となった。

 

そして、これまでと同様に「テクノロジーの活用、事業所・施設経営の大規模化、

保険外サービス事業者との連携」など解決策が提案されていた。

いずれの提案も、より効率的なサービス提供体制を構築する上で重要ではあるが、

テクノロジーの活用、事業所・施設経営の大規模化については、高品質な社会保障

の維持と年金受給者の低負担の維持を大前提としていることから、「やらないよりは

マシ」という程度のことであって、とても解決策とはいいがたい。

例えるなら、大量の水が入ってきて今にも沈没しそうな船で、柄杓を使って水を外

へかき出して沈没を食い止めようとしているようなものである。

この行為で数分数秒、沈没を遅らせることはできても結局は沈んでしまう。

 

今一番やらなければならないことは、大量の水が入ってくることを食い止めること

に他ならない。

この例えでいうところの”大量の水”とは、介護保険サービスの対象者のことを私は

指している。この先数十年間は、黙っていても高齢者人口が増え続ける。つまり

水は増え続けることは抗うことができず、現実として受け入れるしかない。

問題なのは、その大量の水を沈むことがわかっていながら船内に入れ放題にするの

かどうかであろう。

そこで求められる英断が、介護保険サービスそのものと対象者の絞り込みである。

言い換えるなら、高品質な社会保障の維持と年金受給者の低負担の維持を大前提

から外すということである。

 

しかし、ここで話を終わらせてしまえば、これまで支援を受けていた方を見放すと

いうことになってしまうが、私はそうあるべきではないと考えている。

そしてそのためには、保険外サービス事業者との連携という狭い領域に限るのでは

なく、広域的なインフォーマル社会資源を機能させることが必須であろう。

 

社会保障制度の在り方を議論するとは言っても、インフォーマル社会資源の開発を

語らずして議論も何もあったものではない。

政府も官僚も学者も、何でそんな当たり前のことがわからないのかがわからない。

 

泥船にペンキを塗って奇麗にあしらえたところで、沈んでしまえば一緒であろう。

本質の議論を避けて体裁だけ整えたところで問題は悪化する一方だ。

令和6年度年次総会

2024.5.24

本日、NPO法人の令和6年度年次総会が開催された。

 

NPO法上、法人の活動に賛同してくださる会員の皆様のことを”社員”と呼ぶ。

ここでいう”社員”は、会社に属する会社員のことではない。

 

当方には、今日現在で30名の”社員”が在籍されているのだが、その多くが年配者

である。

当方としては、一人でも多くの方に年次総会へご出席いただきたいと考えており、

昨年から同総会の前に食事会を開催することとしている。

 

もはや得意技と化してきた「のみくい処とっかり」に食事を準備してもらって、

参加された皆さんと役員とでおいしくいただいた。

 

 

 

食事会の後、残っていただいた方とともに前年度の事業報告と次年度の事業計画を

話し合った。ただし、議論が交わされたというよりは、激励といたわりの言葉を頂

くことがほとんどだった。(その言葉がとてもありがたく、心強く感じた)

 

 

お忙しい中、足を運んでいただいた”社員”の皆様、

ありがとうございました。

ソーシャルワークは死んだのか(その2)

2024.5.21

前回の続き

 

長年、ソーシャルワーカーの業務に従事していた者にとって介護保険制度は、待ち

望んでいた希望の光であった。「この制度が機能することで多くの方が救われる」と

信じていたし、今も信じている。

しかしいつの日か、ソーシャルワーカーの中には介護保険サービスを調整すること

が自分たちの役割であり、同サービスを利用しない方は自分たちがかかわるべき

対象ではないと考える者が増えてきているように思う。

 

さらにいえば、介護保険制度下におけるマネジメントの役割を担う介護支援専門員

の多くが、ソーシャルワークを学ばずして現場で業務に従事している。

介護支援専門員に求められる技術は、『介護技術』ではない。何年もかけて介護の

技術を磨いたとしても、介護支援専門員に求められる対人援助技術やマネージメン

ト能力が磨かれるわけではない。

残念ながら、医療や介護にかかる技術だけを磨いてきた者は、主体的に対人援助

技術を学ばない限り、職に就く過程で介護支援専門員に求められる知識や技術を

習得する機会がない。

 

求められる技術を持たない専門職を量産して、ソーシャルワークを殺した先に何が

残るのだろうか。

財源を失い、人材を失って有用と思われるフォーマルサービスを維持することが

難しくなる近い将来、信じていたフォーマルサービスを失った介護支援専門員は

どのようにしてニーズに応えるのだろうか。

 

ただし、ここまでの論調から「相談援助職や介護支援専門員が悪い」と捉えた方も

いらっしゃるかもしれないが、私は必ずしもそうではないと考えている。

なぜなら、相談援助職や介護支援専門員は専門職であると同時に組織の一員であり

企業(法人)に雇用されている立場にある。自分が思い描くソーシャルワークを

実現したいと考えていたとしても、組織の運営方針と合致しない限りは、その考え

が容認されないという事態は当然起こりうる。

 

また介護保険制度下では、対人援助技術やマネージメント能力を習得していなくて

も、介護支援専門員の資格を取得することができる。有資格者に言わせれば「法に

則って資格を取ったのに、技術や能力がないと言われることは合点がいかない」と

いうことになるだろう。

さらに言えば、介護保険制度は介護保険サービスを調整して初めて報酬が得られる

制度設計となっているのだから、そちらが優先されることは必然であり、報酬を得

ることを優先することは営利企業としては当たり前のことである。

 

私見ではあるが、今後の介護保険制度の見直しにはソーシャルワークを十分に理解

している有識者の意見をしっかりと踏まえる必要があると考えている。

そうしなければ、ソーシャルワークが死んでしまうことにとどまらず、社会保障

制度も社会保険サービスも死んでしまうことになりかねない。

 

ソーシャルワークは死んだのか(その1)

2024.5.17

先日、病院にお勤めのMSW数人とお酒の席でお話をする機会があった。

その時に話題となったことの一つに「ソーシャルワークは死んだのか」があった。

長年、病院や介護施設に所属してソーシャルワーカーの業務に従事していた者とし

ては、「ソーシャルワークが死んだ」とは思いたくはないし口にも出したくはない。

 

『ソーシャルワーク』とは、生活上の課題を抱えた個人への働きかけを通じて、

社会全体の課題として取り上げて、社会に対して働きかけを行うこと。

また、社会に直接働きかけることによって、個々が抱える生活上の課題を解決へ

導くことであり、その担い手となる専門職がソーシャルワーカーであるが、なぜ

「ソーシャルワークは死んだ」という話題になるのだろうか。

 

先人たちの尽力によって、介護や福祉にかかる様々な制度が制定されて、同時に

様々なフォーマルサービス誕生した。

その誕生の過程で、生活上の課題(ニーズ)に対応する支援(サービス)が洗練さ

れるとともにマネジメントがシステマチックに構築されることとなった。

そのことによって、より多くの困りごとを抱えた方が救われたことだろう。

 

しかし、サービスが洗練され、マネジメントがシステマチックになるほどに、ソー

シャルワークが掲げる本来の目的や役割が見失われてしまっているように感じる

ことも増え、その様を「ソーシャルワークは死んだ」と表現されることがある。

 

例えば、フォーマルサービスは多様なニーズに応えるために、変化を繰り返し進化

し続けて、より有用なサービスになっている。そのため、マネジメントの過程で

その有用なサービスを調整する機会が格段に増えていった。

そのこと自体は大変素晴らしいことではあるが、結果としてインフォーマルサービ

スの存在が軽視される傾向が強くなってしまったように思う。

 

全てのニーズにマッチする最良のサービスがフォーマルサービスとは限らない。

場合によっては、インフォーマルサービスの方がマッチするニーズも存在する。

しかし、軽視され続けたインフォーマルサービスについて、ソーシャルワーカーの

中には存在そのものが無いもののように取り扱う者も少なくない。

そこから転じて、ソーシャルワークの目的や役割がフォーマルサービスを調整する

ことへ置き換わってしまっているように感じる場面に数多く遭遇する。

 

また、マネジメントがシステマチックになるほどに、そのシステムを維持すること

あるいは、そのシステム上に要援護者を乗せることが目的となってしまっている

場面に遭遇することも増えてきたと感じる。

生活上の課題を抱えた個人を対象者とするのではなく、そのシステムに乗る人を

対象者としてしまっている時点で、ソーシャルワークの目的から大きく逸脱して

しまっている。

 

ちょっと長くなってきたので続きは次回に持ち越すこととしよう。

 

 

各国の強みを持ち寄って

2024.5.16

昨晩、2日前に当方事業所へ視察にいらっしゃった韓国のユン先生を含めた数名で

オフ会を行うとのことでお誘いを受けてお邪魔してきた。

視察にいらっしゃった際には十分にお話しする時間が持てなかったこともあって、

そのオフ会では聞くことができなかったことを沢山質問することができると楽しみ

にして伺った。

 

やはり韓国でも日本と同様に少子高齢化そして人材不足が深刻化しているとのこと

であった。また、日本でも同様に取組を行っていることではあるが、東南アジアを

中心に韓国で就労を考えている方との橋渡しが極めて重要なミッションだという

ことも教えていただいた。

ただし、お聞きした限りでは「とても厳しい」と認識していた日本の就労ビザの

取得よりも韓国のビザ取得の方が審査が厳しいと感じた。

 

介護政策や事業運営について、日本と大きく違う点がいくつかあったことも大変

興味を持って聞くことができた。

例えば、今回視察にいらした社会福祉館のような介護支援施設の事業運営の財源は

半分が国からの補助で半分は企業等からの寄付金で成り立っているそうで、同館

館長の重要な仕事に「企業からの寄付金を集めるための営業活動」があるとのこと

だった。

日本では考えにくいシステムではあるが、全ての事業運営費を保険料や税金などで

賄っている(一部自己負担金はあるが・・)日本よりも企業努力が一層要求される

という点において韓国の介護支援施設は、非常に勤勉であることが想像できる。

 

また、韓国には日本の介護保険のような独立した社会保険制度はなく、医療保険

制度の中に療養保険(確かそのような表現をしていたと思う・・)があって、日本

の介護保険制度における訪問介護や通所介護にあたるサービスはあるが、多機能系

サービスはないとのことで、先方が当方の運営する多機能系サービスにとても興味

を持たれていたことが印象的だった。

 

様々な話を伺い、日本の介護福祉施策の強みと弱み、韓国の同施策の強みと弱みを

垣間見ることができたように思う。

出来るだけ早いうちに韓国を訪れて、現地で生の声を聞きたいと強く思うこの数日

であった。

韓国の社会福祉館職員の視察

2024.5.14

数年前、知人に誘われて韓国の東西大学で地域福祉を研究しているユン先生と食事

の場でご一緒する機会を頂いた。

偶然にも私とユン先生とは同じ年ということもあって意気投合した。(ただし、二人

とも母国語しか話せないので、翻訳アプリや片言の英語を駆使しての会話だった)

 

先月久しぶりに人を介してご連絡を頂き、韓国の江南区社会福祉館の職員20人を

連れて、当方の施設見学がしたいとの依頼を受けた。

当方は大型の施設ではないこともあってその依頼を受けることを躊躇していたら、

当方の「商店街という立地を生かし、地域に密着した福祉事業やインフォーマルな

活動に大変興味がある」とのお話を頂いて、視察団の受け入れを快諾した。

ちなみに、韓国の社会福祉館は、日本の社会福祉協議会と地域包括支援センターを

足し合わせたような機能を持っているらしい。

 

そして、今日がその視察団の来所日である。

日本と韓国の社会保障や福祉制度の類似点や相違点についての有意義な意見交換や

江別市大麻の特徴、当方の事業理念や活動内容についてご説明した。

 

(お土産に私の大好きな韓国のりをいただいた。スタッフみんなでおいしく頂戴

することとした。ありがとうございます!)

 

意見交換のあとは、当方の多機能事業所を見学していただいた。

 

 

 

 

ちょうどお昼の時間になることもあって、見学の後は「のみくい処とっかり」で

昼食を摂っていただいて解散となった。

 

 

帰りがけに、福祉館の館長から「今度は是非韓国に来てください」と誘われた。

他国の社会福祉事業はとても勉強になる。「できるだけ早くに韓国へ伺いたい」と

お返事してお別れした。

韓国視察団の皆さん、有意義な時間をいただきありがとうございました。

引率いただいたユン先生、中田先生、大変お世話になりました。

また皆さんとお会いできる日を心待ちにしております。

(でもお会いする際にはもう少し韓国語がわかるようになっておこう)

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