北海道江別市でケアプランセンター、小規模多機能ホーム、デイサービス、訪問看護ステーションを運営するみのりの丘グループ

みのりの丘

みのりの丘代表ブログ

月別: 2019年3月

地域交流スペースたんぽぽ(アンチエージング・体力測定)

2019.3.29

毎週金曜日に開催している地域交流カフェを今回もご紹介します。

 

今回は当ブログで何度か取り上げました『アンチエージング教室』です。

 

新聞紙を丸めた手作りの棒を使った体操で肩慣らし!

 

そのあとは、体力測定をしてみました。

『握力測定、上体そらし、歩行速度』などをやってみました。

自分の測定数値と全国平均の数値を見比べている様子は、まるで通知表を確認する

子供のようで、童心に帰れたのではないでしょうか。

 

体を動かした後の食事はやはり美味い!

 

いただきます

2019.3.28

先日、『商業捕鯨の是非』をテーマにしたテレビ番組を見ていた。

 

捕鯨を反対する理由には、「絶滅危惧種だから。哺乳類は一度に多くの子どもを

産まないから貴重。」などが挙げられていた。

これまで多くの動植物を絶滅させてきた人間の懺悔から来る発想なのか?

 

人間にとって有害なものは抹殺され、有益なものは養殖してでも殺して食べる。

これが人間である。

 

また、「イルカやクジラは、知的能力が高い動物だから。」と、ここまでくると

支離滅裂の発想である。

 

人間にはこのような発想が根底にあるため、障がいを持った方や高齢者への差別や

偏見が治まらない。

 

 

しかし、この話題になると「日本人ばかりいじめやがって!」なんて話になるが

日本の『動物愛護法』では、犬や猫は大切に扱わなければならないと規定されて

いる一方で豚や牛にはそのような規定はない。

 

クジラ肉を全く食べたことがない私にとっては、商業捕鯨の是非はどうでもいい

ことであり、犬を飼っている私にとって動物愛護法は、非常に大切なものである。

 

もっともな理屈をいくら並べても、しょせん人間なんてそんないい加減で勝手な

生き物である。

 

 

それでも、食事の前には「(動植物の命を)いただきます。」という日本の文化は

素晴らしいと思ったりする。

元号が変わる

2019.3.27

来週月曜日には、『新元号』が発表される。

 

日本では国や地方自治体を中心に『和暦』がオフィシャルに使われることが多い。

また、『年度』の括りが4月~翌年3月としていることも多い。

 

つまり、平成31年度は4月しかなく、新元号の初年度は5月~翌年3月ということに

なる。なんとも、ややこしい。

 

グローバル化が進んでいる現代においては、『西暦』にシフトして対応している

企業も増えてきているが、まだまだ『和暦』は根強い。

 

通所介護(デイサービス)などではよく、毎朝「今日は何の日?」をご利用者と

ともに振り返り、その時代を懐かしんだり、そのころの自分と重ね合わせて歴史を

振り返るといった活動を取り入れている。

 

私もまだ若かりし頃に「今日は何の日でしょう~。」とご利用者とたのしんでいた

が、その際にある方から「西暦で言われてもピンとこない。」と突っ込まれたこと

を思い出した。

 

たまたま使用していた資料が和暦ではなく西暦の表示だったため、そのまま読んだ

ことで受けた突っ込みである。

それからは、和暦に変換して伝えたり、和暦と西暦を併用して伝えることとした。

 

しかし、明治生まれの人からすると、

『大正、昭和、平成、そして新元号』と五つの元号を跨ぐこととなる。

 

そのうち、「和暦で言われてもピンとこない。」と突っ込まれることの方が増えて

くるのではないかと思ってみたりする。

無駄遣い

2019.3.26

最近、コンビニエンスストアのフランチャイズ店オーナーと運営本社との間で

24時間営業の見直しについてもめているニュースがよく流れている。

 

私が幼いころ、『セブンイレブン』の営業時間は、文字通り午前7時から午後11時

までだったと記憶している。

 

それが、いつごろからかどこの地域でも24時間営業が当たり前になっていた。

 

私も学生時代に、24時間営業のコンビニエンスストアの深夜帯にアルバイトをして

いた経験があるが、深夜帯の数時間はほとんど来客がなかった。

 

ニュースの解説者が、「24時間の営業は昼間の集客につながるので経営戦略として

有効な手段である。」とか言っていたが、深夜帯の数時間の営業は、限られた人材

の有効活用、エネルギー資源の無駄遣いなどの点から、有効とはとても思えない。

 

ミクロな視点で見れば、「徒歩圏内にたくさんのコンビニがあると便利!」という

ことになるのだろうが、マクロな視点で見れば、「人材や資源がコンビニ業界へ

流れて、こちらへ回ってこない。」ということになるのではないだろうか。

 

無駄が多いと言えば、我々介護福祉の業界も同様である。

国が「業務の効率化、ペーパーレス」などと提言しているが、ペーパーレスを進め

るために膨大な書類を作成しなければならないとは、開いた口が塞がらない。

運営推進会議

2019.3.22

以前にも当ブログで取り上げた運営推進会議は、

定員が少数(18名以下)の通所介護(デイサービス)や小規模多機能型居宅介護

等の地域密着型の介護サービスに開催が義務づけられている。

 

この会議の開催目的は主に、

①事業所の運営の透明性確保
②サービスの質の維持・向上
③地域に開かれた事業所であること

といったところで、

 

出席者は、

サービスの利用者及びその家族、行政の担当者、地域住民の代表者、有識者、事業

所の現場責任者などで構成されている。

当方が運営する事業には、その要件に当てはまる事業所が3か所ある。

 

昨日、小規模多機能ホームみのりの丘とデイサービスセンターみのりの丘の合同

で同会議が開催された。

課題は山積しているが、特に『地域に開かれた・・』という部分が不十分である

と痛感した。

理屈や制度だけでは

2019.3.20

先日、長年担当させていただいていた方が施設へ入居することとなった。

申込みをしていた施設の一室が急遽空いたため、早々にそちらへ入居することと

なった。

 

この方は、身寄りがほとんどいなく、判断力が低下していることもあって

『成年後見制度』を活用して、後見人がついている。

また、生活保護を受給していることもあって、経済的な余裕があまりない。

 

そこで、困ったことが引っ越し費用である。

 

後見人が市役所の保護課担当者へ引っ越し費用を保護費から支給してもらいたい旨

を伝えると「手続きに一か月以上要する。」との返答があり、施設側も「それまで

は待てない。」とのことだった。

 

やむを得ず、軽トラックを借りて、私と後見人とで引っ越し作業を行った。

差ほどの荷物ではなかったため、半日もかからずに作業を終えることができた。

 

毎年のように、介護保険制度や他の関連制度は見直しが行われ、多くの方を救済

するものとなっているが、まだまだ『すきま』が多く存在する。

 

この隙間を埋めることを、介護支援専門員(ケアマネージャー)に求められること

がある。

 

心技体

2019.3.15

人によって事情は異なるが、多くの人は「住み慣れた街で暮らし続けたい。」と

考えているだろう。

 

しかし、“様々な状況の変化”でその思いを継続することができず、望まずして

住み慣れた街を後にしなければならないことがある。

 

そして、その状況の変化の中には、自分自身の変化による場合がある。

例えば、経済面・身体面・精神面などの変化である。

 

スポーツの世界でよく言われる『心技体』は、生活する上でも非常に大切な要素

である。

『心』が風邪をひくと体にも影響して、仕事や生活に支障をきたすこともある。

『技』を発揮するためには、頭が働かなければならない。

『体』が資本!健康でいることが安定した生活を保つことができる。

 

毎週金曜日に開催している地域交流カフェでは、

「住み慣れた街で暮らし続けたい。」という思いを実現することを主な目的

として、『心技体』の維持向上するための活動を行っている。

 

今日は、『手遊び脳トレーニング』を行った。

じゃんけんでわざと負ける手を出したり、出した両手の数字を足したり掛けたり

 

やってみると案外難しい。

 

そんな中で、一番重要なことは、

自宅に閉じこもって、誰とも話をしないということではなく、

 

 

自宅を出て、皆と笑って、話をすることで『心の風邪』を防ぐことだろう。

 

定年の年齢設定

2019.3.13

私が幼いころ、「男女とも平均寿命が70歳を超えた。」というニュースが流れて

いたような記憶がある。

今では、男女とも平均寿命は80歳を優に超えており、女性に至っては90歳を

超える勢いである。

 

職業柄、ご高齢者とお会いする機会は多いが、社会人1年生のころ100歳を超える方

とお会いすることはそう多くはなかった。

最近では、特に珍しいということはなく、日常的にそういった方々とお会いする。

 

こうした状況に伴って、定年の年齢も少しずつ延びてきており、当方の規定では、

70歳を定年としている。

 

『定年』はなぜ存在するのか?

社会背景や諸制度によって生み出されたものではあるが、私個人の考えとしては、

『労働者としての伸びしろがある年齢』ではないかと思っている。

 

人は皆、毎年1歳年を取る。

年を重ねるうちに、身体機能や記憶力の衰えを感じる。

しかし、積み重ねた経験や知識、技術は、その衰えを凌駕し、毎年成長を続ける

ことができるのでないかと思う。

 

そして、その伸びしろが定量に達した時に、労働者としての自分を見直す機会が

『定年』ではないだろうか。

 

当方には、70歳を超えるスタッフがおり、これから70歳を迎えようとしている

スタッフも何人かいるが、とても定量に達したとは思えない仕事ぶりである。

 

定年の年齢を見直してもよい時期に来ているようだ。

 

出来高払いと包括払い

2019.3.12

医療保険制度は「やぶ医者ほど儲かる。」と言われてきた。

同制度は、長年『出来高払い制』をとっていたため、

検査をすればするほど、薬を出せば出すほど、病院は儲かるのである。

 

名医は、必要最低限の検査、処置、処方、手術で病気を治そうとするが、

やぶ医者は、たくさん検査をしないと何の病気かわからない。もっとひどいのは

1度の手術で済むところを失敗して2度3度と余計な手術をする。

そうすると、たくさんの報酬が病院へ入ってくる仕組みとなっていた。

 

介護保険制度も似たようなところがある。

全てではないが、多くの介護サービスは要介護度が重ければ重いほど、高い報酬が

得られる。

ケアを手抜きしてご利用者が重度化することで、結果的に儲かることになる。

 

そこで、医療保険制度では一部分『包括払い方式』を導入することとした。

ある条件下の特定の病気に対する診療報酬を○○円と固定する方法である。

そうすると、たくさん検査や処置をしても入ってくるお金が同じであるため、

不必要に検査などをしなくなる。

 

しかし、これで一件落着かと思いきや

包括払いとなると、「どうせ入ってくるお金が一緒なら、やったほうがいいと

思われる検査や処置も省略してしまおう。」という『手抜き診療』が横行すること

となってしまった。

 

介護保険制度は、医療保険の制度設計を基本としているため、

『出来高払い制』と『包括払い方式』の併用という方法を取っており、上記と同じ

ような現象が起きてしまう。

 

「正直者が馬鹿を見ない。」制度設計と「楽して儲けよう。」という事業者の

いたちごっこは永遠に終わることはないだろう。

 

私も経営者の端くれとして、儲けやお金は常日頃から考える。

がしかし、それは、自分たちが理想とする介護や福祉を展開ための手段であって

目的ではない。

お金を稼ぐことそのものを目的としている経営者は、是非とも医療や介護、福祉の

現場を離れて、別のふさわしい業界へ移っていただきたいものである。

今ある生活を見直す

2019.3.11

3・11と聞いて、8年前に発生した『東日本大震災』を思い出さない日本人は

ほとんどいないだろう。

リアルタイムに映し出された大津波は、とても現実に起きているとは思えず

目を疑ったことを昨日のことのように思い出される。

 

この大震災によって、想像できないほど多くの方々が命を奪われ、未だに行方が

分からない方々もまた大勢いらっしゃる。

 

自然災害を人間ごときが制御しようなどとは、おこがましいことなのかもしれない

が、「何て惨いことをするんだ。」という恨みと自分自身の無力さからなる悔やみ

がこみ上げてくる。

 

私たち、北海道民も昨年に大きな震災を体験した。

 

こうした体験を受けて、『生きること、生活することとは?』をもう一度見直して

もいいのではないかと考えてしまう。

 

そう考えると、『原子力発電所』は本当に必要不可欠なものなのか?

今ある生活を見直すことで、必要なものではなくなるのではないか?

と思ったりする。