北海道江別市でケアプランセンター、小規模多機能ホーム、デイサービス、訪問介護施設を運営するみのりの丘グループ

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おもてなしという名の搾取

2025.4.16

今現在も存在しているのに、ほとんど話題として取り上げられることが無くなった

言葉の一つに”新型コロナウイルス”がある。

以前に当ブログで繰り返し訴えていた「マスゴミはバカ騒ぎをして国民の不安を

過剰に煽るが時が達つとまるで何事もなかったかのようにダンマリを決め込む」

ことが現実のものとなっている。マスゴミは本当にゴミだなとつくづく思う。

我々は、今現在もこのウイルス感染症と格闘しており、通常業務に大きな影響を

受け続けているが、彼らにとっては「もう終わったこと」なのだろう。

 

そのこととは逆に、新型コロナウイルス感染症をきっかけとして注目され、今現在

も様々な場面で耳にする言葉に”エッセンシャルワーカー”がある。

エッセンシャルワーカーは、日常生活を維持する上で必要不可欠な役割を担う職種

のことを指し、コロナ渦で多くの職種が休眠あるいはリモート等の代替えを余儀な

くされた一方で、現場で働き続けたのである。

 

そのことをきっかけとして、「エッセンシャルワーカー以外の仕事はあってもなくて

もいい”どうでもいい仕事”なのではないか」とか「エッセンシャルワーカーの地位

をもっと上げるべきではないか」との議論が沸き起こった。

 

エッセンシャルワーカーに分類される職種には、医療や介護・公共安全・食料品の

生産や流通・交通や物流・インフラ・製造・教育や保育・公共サービスなどが挙げ

られているのだが、この中で比較的年収が高いとされているのは医療業の医師くら

いのもので、現場で働く他の職種はほとんど平均年収以下である。

重労働にもかかわらず十分な報酬を受け取ってないことや働いているのに生活の質

が低下し、経済的な困難を抱えていることが多いことなどから、この職種を選択す

る人が減ってきており、慢性的な人材不足に陥っている。

 

なぜそうなってしまうのかといえば答えは簡単だ。

その一つは、どうでもいい仕事の方が楽にお金を稼ぐことができるからである。

そしてもう一つは、エッセンシャルワークのほとんどが、国の規制でがんじがらめ

にされていて、お金を稼ぎたいという意欲があっても国に阻まれてしまうからだ。

 

新型コロナウイルス感染症の拡大といった緊急事態で多くの国民がエッセンシャル

ワーカーの存在に感謝し感銘を受けたはずなのに、平時に近づくにつれてその思い

はどこへやらとなってしまっていることが残念でならない。マスゴミ同様に「もう

終わったこと」と考えている人が多くいると言うことなのだろう。

 

ただここで嘆いていても仕方がない。

非常に個人的な考えではあるが、エッセンシャルワークであっても国の規制でがん

じがらめにされずに報酬や所得を増やす方法を考えていかなければならないと思う

し、言葉を変えると国に頼りっきりの発想を転換する必要があると思う。

特にこの職種は、国に委ねる従うという呪縛にとらわれすぎている。

エッセンシャルワーカーが非常時に人から感謝される職種というだけではなく、

平時においても平均以上の所得が見込める職種という状況を確立して、多くの国民

が認識することで”どうでもいい仕事”を選択する人が減り、エッセンシャルワーカ

ーが増えることにつながるのではないかと思う。

 

何も社会秩序を乱す行為や法に反する行為を発想しているわけではない。

これまでは、通常業務の延長線上あるいは関連する業務として当たり前のことと

扱われてきた無報酬のシャドーワークを報酬や所得に変えるということである。

 

日本の美徳とされる”おもてなし”や”心遣い”は、裏を返せば労働者への過重労働と

搾取によって成り立ってきた。そして、特にそのあおりを受け続けてきたのはほか

ならぬエッセンシャルワーカーであろう。

 

私も以前にケアマネジャーとしてご利用者宅を訪問した際に「あなたの車で近くの

スーパーまで送って」とか「大掃除するから手伝って」などを当たり前のように

要求されたことが何度もあり、お断りすると「福祉に携わっているくせになんて

ケチなの」などと言われたこともある。

こんな要求に応じることはやさしさでも心遣いでも何でもない。ただ都合よく使わ

れているだけで、サービス残業を要求するブラック企業の経営者と同じだ。

 

エッセンシャルワーカーであったとしても、仕事を要求するのであれば、その労働

に見合う対価を当たり前のこととして要求できるようにならなければならない。

搾取と労働者不足

2025.4.15

労働における一般的な種別は、雇用主と労働者とに分かれる。

そして時にして起きることは、雇用主による”搾取”である。

搾取とは、雇用主が生産手段を持たない直接労働者を必要労働時間以上に働かせ、

そこから発生する剰余な労働による生産物を無償で得ることを指す。

俗にいう「サービス残業」などがあてはまる。

 

そのため、労働者はこうした搾取などの不当な労働から守られなければならないと

して労働基準法が定められており、雇用主は法令遵守することとされている。

私も一雇用主として、不当な労働を是正することはもとより得た利益をスタッフへ

適切に還元されるように心がけている。

 

しかしこの”搾取”は、雇用主と労働者との間でだけ起こることではない。

例えば最近、アメリカの大統領が発令した関税や物価高などへの対策として、

政府・与党内で国民に現金を給付する案が検討されているとの報道を耳にするが

この給付金の原資は我々が納付している税金である。そしてこの手の給付金は

国政選挙が近くなるとやたらと発動される。

給付金を手当てすることができると言うことは、我々から余剰に税金を徴収して

いることに他ならない。つまり、国による搾取が行われているということである。

 

徴収した税金がどの程度適正に活用されているのか、我々には知る由もない。不正

を行おうと思えばあの手この手で実行することは可能だ。

現総理大臣がポケットマネーで支払ったという新人国会議員へのお小遣いだって

基をただせば我々が納付している税金だろう。

労働者を守るための労働基準法のように我々の税金が適切に活用される法律がない

わけではないが、立法を司るこの手の輩があの手この手を使ってくるので国民は

お手上げ状態だ。

国会議員なんて、今の定数の10分の1程度の人数で十分だ。

 

それから”搾取”といって、今一番に連想するのは「人材紹介・派遣会社」である。

人材を右から左へ動かすだけで高額な報酬を得ることができるなんて、搾取以外の

何物でもない。

彼らの決まり文句は、「御社にぴったりの人材がいます」であるが、当社のことを

どれだけ知っているのか確認しても答えられない。当社のことを知らずして当社に

ぴったりかどうかが、何でわかるのか不思議でならない。この程度のことしかしな

い業種に人材を握られて、我々が苦労して生み出した収入を搾取されることなど

まっぴらごめんだ。

この手の業種を規制緩和によって蔓延ることを助長した”時の政権”は大罪を犯した

と言っても過言ではないだろう。

人材にかかわる業種は、公的な機関に委ねるべきだ。

 

私の中では、「搾取する人=どうでもいい仕事をしている人」という認識でいる。

しかし残念なことにこの手のどうでもいい仕事をしている人の方が、必要な仕事を

している人より所得が高かったりする。

今の若者が労働することへの意識が変わってきていることは、こうしたことが背景

にあるように思えてならない。搾取されるために懸命に働くなど時代錯誤であり、

アホらしくてやってられないと考えていたとしても不思議ではない。

 

この先、どうでもいい仕事を減らす(できれば無くす)ことを本気で手掛けなけれ

ば、この国は労働意欲の低下と労働者不足とが相まって、終わりを迎えてしまうの

ではないかと恐怖を感じる。

手当が生み出すブルシット・ジョブ

2025.4.8

前回の続き

 

前回の当ブログで、介護保険サービス費にかかる加算を生み出すシステムそのもの

が”ブルシット・ジョブ”であり、この加算のシステムは、給与所得者である労働者

にとって馴染み深い『手当』と類似する要素を持っていると申し上げた。

 

給与所得者である労働者にとって馴染み深い『手当』といえば、

基本給に付加される給与所得で、役職に係る手当や資格に係る手当、家族手当、

住宅手当、通勤手当、時間外労働に係る手当など所属する法人によって様々な名称

の手当がある。

 

各種手当にはそれぞれの意味合いはあるが、時間外労働に係る手当以外のものは

総じて述べると所属する職員の「区別化」によるところが大きい。

扶養する家族を要している方には家族手当を、マイホームを所有している方には

多くの住宅手当を、遠方から通勤している方には多くの通勤手当といった具合だ。

 

他の法人に所属している方や採用面接で、「以前所属していた会社では沢山の手当が

ついていた」と、こころなしか誇らしげに、そして手当の少ない会社を蔑むように

語っている場面に遭遇することがある。

 

しかし、前述の「沢山の手当がある」ことって、本当に労働者にとって喜ばしい

ことなのだろうか。

例外はあるものの、多くの手当は退職金や賞与計算時には加味されない。また、諸

手当は基本給に比べると変更を加えやすく廃止もしやすい。つまり、言葉を変える

と「手当は会社にとって、人件費を安くコントロールする上で都合がいいシステム」

ということができる。沢山手当てがあると言って喜んでいる方は、人件費を安く

済ませようとしている法人側の術中にまんまとはまっていることになる。

 

さらに言えば、昭和の時代と違って「結婚して家庭を持ち、マイホームを建てて

家族と豊かな生活を過ごすことが夢」ではなくなってきており、生き方の多様性

から考えても家族手当や住宅手当に対する合理性が薄くなってきている。

そもそも、手当を沢山もらっている方がもらっていない方の2倍3倍働くわけでは

あるまい。

年功序列や終身雇用のように企業が国民の生活を支えることが当たり前とされた

昭和の古き良き時代の考え方はもう通用しない。今は『基本給が高く、手当が少な

い企業』が労働を正当に評価する優良な組織となってくるように思う。

 

このことは、介護保険サービス費に係る介護報酬にも同じようなことが言える。

加算、加算、加算と何かにつけて加算が新設されるが、国にとっては介護保険給付

費を安くコントロールする上で都合がいいシステム以外の何物でもなく、介護保険

制度の欠陥を穴埋めするための急場をしのぐ必殺技でしかない。

抜本的な地位向上を目指すのであれば、「基本給が高く、手当が少ない」と同様に

『基本単価が高く、加算が少ない』ことを強く求めたい。

 

そして何より、加算しかり手当しかり、ブルシット・ジョブそして生産性の低下を

生み出す悪の根源であると思う。

 

「加算が増えた」といって喜んでいる介護事業者は、「沢山手当がある」といって

喜んでいる方と同様に・・・である。

加算が生み出すブルシット・ジョブ

2025.4.7

今日は地元の小学校の入学式。

小さな子供たちが、保護者に連れられて学校へと向かう姿を運転する車内から微笑

ましく眺めていた。改めて春だなぁと感じる。

ただし、「この子たちが20年30年後の日本を背負って立つことになるんだなぁ」

などと風情の無いことも同時に頭に浮かんでしまった。

いづれにしても、若い子たちの門出を心から祝福したい。

 

そして新年度、こちらはというと相変わらず官僚の気まぐれによる制度変更に伴う

申請書類に追われる日々を過ごしている。

彼らは、前回の当ブログでも話題にした”ブルシット・ジョブ”を生み出す傍らで

「生産性の向上」を連呼している。自ら矛盾を生み出していることに気が付いてい

ないのか気が付かないふりをしているのかは定かではないが、利口な人の行いとは

到底思えない。

 

介護保険サービス費には、様々な加算が設けられている。

そしてその加算は、膨大な事務量をこなさないと得られないものや合理性の薄い

人員配置が求められるもの、いつの間にやら本体報酬に吸収されてしまうものばか

りで、加算を作っては廃止するという作業が繰り返されている。

”ブルシット・ジョブ”の中には、「穴を掘っては埋めて、また隣で穴を掘っては埋め

ることを繰り返している仕事がある」と表現されているが、まさにその状況だ。

 

ただ残念なことに、この加算のシステムに慣れすぎてしまった介護保険サービス

事業者や関連する職能団体が自ら「もっと加算を付けたほうがいい」と要望したり

している。自分で墓穴を掘っていることに気が付いていないとは哀れで愚かだ。

 

この加算のシステムは、給与所得者である労働者にとって馴染み深い『手当』と

類似する要素を持っている。

そのことは次回のブログで取り上げることにしたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

ブルシット・ジョブ

2025.4.2

日本中、どの業界からも「人手不足」の声が聞こえてくる。

かく言う私も当ブログで繰り返し、介護業界の人手不足を話題にしている。

でも本当にそうなのだろうか。

 

皆さんは”ブルシット・ジョブ”という言葉を聞いたことがあるだろうか。

ブルシットは、直訳すると「牛の糞」であるがそこから転じて「無意味な」とか

「馬鹿馬鹿しい」などの意味で使われる俗語で、アメリカのドラマや映画で俳優が

よくこの言葉を使っているシーンを見かける。

ブルシット・ジョブとは、米国の人類学者デヴィッド・グレーバー教授が提唱した

概念で、「完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態、その仕事」

を指していて、「どうでもいい仕事」と表現する人もいる。

 

具体的には下位に挙げるような仕事と説明している。

・誰かを偉そうにみせたり、気分を味わわせるためだけに存在しているアテンドなどの仕事

・実際にはやっていないことを、やっていると主張するために存在している調査管理などの仕事

・組織のなかの存在してはならない欠陥を取り繕うためだけに存在している苦情処理などの仕事

・他人に仕事を割り当てるためだけに存在し、ブルシット・ジョブを作り出す仲介などの仕事

 

こうした例を目にして思い出すことは、

テレビドラマで米倉涼子さん扮するフリーランスのスーパードクターが病院と契約

する際によく使うセリフである「いたしません」の内容だ。

その中には「論文の下調べ、学会のお供、ゴルフの送り迎え、愛人の隠蔽工作、出

世の手伝い、権力争いへの加担」などが綴られている。

まさにブルシット・ジョブである。

 

また、当ブログで繰り返し話題にしている無駄な書類や手続きを生み出しては我々

事業者へ遵守するよう強要する官僚などは、ブルシット・ジョブを作り出す天才と

いえるのではないだろうか。誰の目にも触れず、ただファイルに閉じられるだけの

書類を永遠と作成することなど無駄以外の何物でもない。

 

さらに言えば、昨今話題となっている女性アナウンサーの存在についても、通常の

報道内容をアナウンスする仕事は必要だと思うが、番組司会者の隣でただニコニコ

しているだけの存在ってどういう役割があるというのだろうか。(女性アナウンサー

に限ったことではないが、そのようにパターン化されているようにも見える)

それはまるで、子どもの頃よく見かけた「エレベーターガール」みたいなものだ。

 

さらにさらに言えば、私が忌み嫌う「人材紹介・派遣」の存在価値って何なのだろ

うか。ただ人材を右から左に移しているだけで、企業も就労者も幸せになっている

とはとても思えない。デヴィッド・グレーバー教授のいう「他人に仕事を割り当て

るためだけに存在し、ブルシット・ジョブを作り出す仲介などの仕事」とはまさに

このことを指しているのではないかと思う。

 

「こういった無意味な仕事に大切な人員を割くことをやめてしまえば、人材不足な

どという言葉は消えてなくなるだろうに、生産性の向上はどこへやら」と思ったり

する。

春の雰囲気が台無し

2025.4.1

ここのところ、時が達つスピードがやたらと早く感じる。

気が付けば今日はもう4月、新年度の始まりである。

 

先ほど、転勤の挨拶と後任者の紹介のために取引先の金融機関の担当者から来訪を

受けた。春の風物詩ともいえる転勤の話を聞くとあらためて「春だなぁ」と思いふ

けってしまう。担当者の方には、新しい勤務先でも辣腕をふるってもらいたい。

 

今週から北海道も気温がぐんっと上がって、春の陽気となりそうだ。

北海道民にとっては、寒い冬を終えて待ち望んだ春がやってくる。

そんな暖かな気分をぶち壊しにするかのように、例の芸能タレントの性加害問題

及びTV局の対応について第三者委員会の調査報告書が公表されたことが話題と

なっている。

 

今回の話題にはウンザリしているといいつつも、黙殺されるべきではないとの思い

もあって、報告書を見た。そして、その内容を見る限りにおいては、当該性加害者

とTV局員は相当な鬼畜ぶりを発揮したと言えるし、TV局そのものも存在価値に

大いに疑問が持たれる対応ぶりがうかがえた。

 

マスメディアが自らの使命として語る「社会正義、権力の監視」はもはや封印した

方が良いように思う。やってることと言ってることが全く合わない”マスゴミ”こそ

が監視の対象となるべきだろう。

 

ただ残念なことに、多くの国民が下衆なマスゴミを重用し、企業がその後ろ盾と

なってしまっている現実がある。この国では、性被害が他人事として扱われ、時に

下衆な趣向を満足させる道具として使用される。

マスゴミも後ろ盾となる企業も真面じゃない。

インフォーマルサービスのみのケアプラン

2025.3.19

先日、日本介護経営学会のシンポジウムに登壇した日本介護支援専門員協会の会長

が、トータルケアマネジメントの評価と給付管理が居宅介護支援の報酬に連動する

現行の仕組みの見直しを提言したとの報道を見た。

 

トータルケアマネジメントとは、介護保険制度の枠にとどまらずに日常生活全般の

多様にわたる相談を受け、介護保険制度の枠を超えた多様な支援につなげるための

仲介・調整などを行うケアマネジメントのことを指す。

 

言葉にすると何だか小難しいことのように聞こえるかもしれないが、何と言うこと

はない一般的なソーシャルワークの枠組みに他ならない。

困っている人がいたら、支援してくれる人や団体や制度を活用して、その困りごと

の解決を図ると言うだけのことである。

 

しかし残念なことに、現役の多くのケアマネジャーや社会福祉士を中心としたソー

シャルワーカーの多くは、関係する制度や社会保険サービスの理解はあるが、関係

性の低い制度や制度の枠組みにはないインフォーマルサービスに対する理解が明ら

かに不足している。

支援してくれる人や団体がどこのいるのかがわからない、まして必要な支援が目の

前に無いのなら自分達で創造しようなどという人は皆無と言っていい。

わざわざトータルケアマネジメントなどという言葉を使っているところからも、

現状できていないことを示してしまっている。

 

こんな状況ではトータルケアマネジメントという言葉が独り歩きするだけで、結局

はトータルケアマネジメントのための公的制度やサービスを新たに作る必要がある

などという本末転倒な話が出てくることがオチだろう。

 

そしてもう一つの課題となる「給付管理が居宅介護支援の報酬に連動する仕組み」

についてであるが、遠い昔の私がケアマネジャーに成り立ての頃のことが思い出さ

れる。

担当したあるご利用者に対して、介護保険サービスを一切組み入れずにインフォー

マルサービスのみでケアプランの原案を作成したところ、かつての上司に「そんな

プランを作っても一円にもならないだろ、我々はボランティアではないんだから」

といって怒られたことを思い出した。

 

介護保険制度上、ケアマネジャーが報酬を得るためには、介護保険サービスをケア

プランに位置付け、同サービスの利用実績が有って初めて発生する仕組みとなって

いる。

プロとして業として実務を行う場合においては、収入を意識しないわけにはいかな

いことは言うまでもない。やがて私もケアプランに介護保険サービスを組み入れる

ことを意識せざるを得なくなっていった。

 

限られた国の予算や介護サービス提供にかかる専門職の人材不足を考えても、介護

保険サービスを組み入れないインフォーマルサービスのみのケアプランは有効だと

思うが、現役のケアマネジャーや社会福祉士を中心としたソーシャルワーカーの多

くも理解できていないのに、誰がこのようなケアプランを評価して報酬として位置

づけることができるのだろうか。

 

日本介護支援専門員協会の会長には、言っていることはわかるが、同時に現場レベ

ルでその土俵ができていないことも理解するべきだろうと伝えたい。

事業の起点となるご利用者との出会い

2025.3.17

先日、あるご利用者が逝去された。

その方との(仕事上の)お付き合いは長かったこともあるが、その方が希望する

在宅生活を継続するために我々がどのような支援を行うことができるのかを考えた

結果立ち上げた事業が看護小規模多機能型居宅介護(ナーシングホームみのりの丘)

だったこともあり、特に思い入れがあった。

この場を借りて、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

私が新規事業を立ち上げる際には、目の前にいらっしゃるご利用者をイメージして

事業の組み立てを行うことから発想することが多くある。その対象となるご利用者

が複数人いらっしゃる場合もあるが、いずれにしても実生活を過ごしていらっしゃ

る方をイメージしているため、より実践的なサービスができていると感じている。

そしてその後出会ったご利用者の生活ニーズを肉付けして、よりよいサービス提供

を目指すこととしている。

 

ナーシングホームみのりの丘の象徴とも思える方が亡くなられたことは本当に悲し

いしとても残念であるが、その反面「この事業があったからあのご利用者が在宅生

活を長く過ごすことができたのではないか」との声が周囲から聞こえてくると、「こ

の事業を立ち上げてよかった」との思いもめぐってくる。

 

我々は、そのご利用者の支援を通じて多くのことを学んだ。

その学んだことを今後の事業に生かすことで、そのご利用者への感謝の気持ちを

伝えたいと思う。

ありがとうございました、そしてお疲れさまでした。

文明が進化し人間が退化する

2025.3.14

最近というわけでもないが、ここのところよく耳にする言葉に『生成AI』がある。

ただ、言葉は耳にするがあまり中身のことを知らないという方や使ったことが無い

という方も多くいらっしゃるのではないだろうか。

 

生成AIの意味を検索すると「膨大なデータのパターンや関係性を学習し、その学習

成果をもとに新たなコンテンツを生成する人工知能(AI)で、人間のように文章や

画像、音声などの新しいコンテンツを作り出せる点が大きな特徴」と出てくる。

 

これまでもAIは様々なビジネスシーンで活用されてきている。

例えば、学習したデータに基づいて業務の最適化を図ったり、未来予想による事故

を予防したりすることに活用されてきた。

ところが、生成AIの場合は今までにはなかったものを新たに生み出す機能が備わっ

ているというのだからびっくりさせられる。

 

そんな素晴らしい(恐ろしい)機能を持つ生成AIであるが、どこか他人事のように

感じておりこれまで積極的にかかわることはなかった。

ところが先日、当方内部の運営会議の場で、ある管理職が「ChatGPTを使って企画

書を作ってみました」といって議題に上った企画の提案を行った。

その内容を見ると中々上出来な企画案となっていたことにとても驚いた。

 

こうした状況を目の当たりにして、これまで多くの時間と労力を費やしてきたこと

があっという間に出来上がることで、「人間にしかできない、ご利用者と直接的に

かかわるための時間をより多く作ることができる」という期待感と、「人間は考える

ことをやめてしまうのではないか」という不安感が入り混じった感情が沸いた。

 

文明が進化することは歓迎するが、同時に人間が退化していくことが心配である。

小規模多機能型居宅介護に対する理解が深まっていない

2025.2.21

当ブログで繰り返し取り上げている『小規模多機能型居宅介護』について、未だに

同事業に対する理解が深まっていないと感じることが多くある。

 

『小規模多機能型居宅介護』とは、

「通い」を中心として、要介護の様態や要望に応じて、随時「訪問」や「泊り」を

組み合わせて一体的に提供するサービスで、24時間365日切れ目なくサービス

を提供する事業のこと指す。

 

多様なサービスを切れ目なく利用できることで、今までであればあきらめなければ

ならなかった在宅生活の継続が実現できるとして、『小規模多機能型居宅介護』は、

在宅サービス最後の砦などと表現されることもある。

 

こうした機能を理解したうえで、在宅生活の継続を実現するために同事業所を選択

する方が多くいらっしゃる一方で、「泊り機能があって、24時間365日切れ目

なくサービスを提供するのだから」といって、明らかに在宅生活が困難な状況の方

に対して、数か月あるいは数年単位で「泊りサービス」の利用を求めてくる相談

支援者がいまだに後を絶たない。

この様な考えを持つ相談支援者が、適切な事業運営を歪め、最終的には事業の存在

意義をも無いものにしてしまう。

 

繰り返し言うが、『小規模多機能型居宅介護』は、在宅生活の継続を実現することを

目的とした在宅サービスである。

数か月あるいは数年単位で施設に泊まる必要があるということは、そのニーズは

在宅サービスにあるのではなく施設サービスにある。

 

昨今、施設サービスと一口に言っても、要介護の様態や要望に対応し得る様々な

種類の施設がある。

対象者がどのような身体の状態にあって、どのような生活状況にあるのか、そして

どのような要望を持っているのかを把握もせず、またどのような機能を持った施設

があるのかを理解せずに、手当たり次第に空いていそうな事業所へ連絡して調整を

進めようとする相談支援者に対しては、「相談援助職として必要な情報の収集を怠ら

ず、そして提案する能力をもっと磨いてほしい」と強く訴えたい。

 

先日も、ある医療機関の相談援助者から「当院の退院の日程はもう決まっているが

在宅に戻ることは無理なので施設入所の申し込みをしている方を順番待ちをしてい

る施設の空きが出るまでの間、泊りで対応してほしい」との相談があった。

 

よく話しを聞くと、「施設の空き待ち」とは聞こえはいいが、施設入所できるめどが

全く立っていない状況にあることが分かった。

恐らくこの相談援助者は、治療が終了して退院したあとは自宅へ戻ると想定してい

たが、いざ退院する段階になって自宅へ戻ることが難しい状況にあることがわかっ

て、あわてて施設を探して申し込みをしたのだろう。

 

全ての人がそうではないと信じたいが、医療機関の相談援助者にはこの手の輩が

非常に多くいる。そしてその中には「自分は調整しているが対応できる事業所が

無い」とか言ったりする。

はっきり言って、事前準備と情報収集、様々な状況を想定した提案力が著しく劣っ

ているだけで、受け入れできない事業所が悪いわけでも何でもない。

 

現在、医療機関の相談援助者の多くが「社会福祉士」という国家資格を有している

のだが、この資格の質って・・・。

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