『格差是正』の発想は、決まって平均以下の者から生まれる。
平均以上の者が、平均となるためには自分を落とさなければなれないので、
自ら進んで平均を目指す者はそうそういないだろう。
「金持ち喧嘩せず」とは、そういった発想から生まれたことわざではなかろうか。
そうすると、平均以下の者が平均を目指して自分を高めればよいと思うのだが中々
そうはならない。自力ではどうすることもできない『決定的な外的要因によって
努力を阻まれる』こともあるだろう。
しかし、そういった状況ではなく、平均を目指すことができる環境下にありながら
あえてそれを目指さない者たちもいる。
その者たちは、「面倒だから。失敗したくないから。今のままで満足だから。」と
いう。
「満足しているならいいか」と思いがちであるが、その実は違っていて、平均以上
の者への憎悪とも受け取れる凄まじい嫉妬心で溢れかえっている。
そして、自分はさして努力もせず、平均以上の者たちを何とか引きずりおろして、
平均値を従来より下げようと躍起になる。
勤勉なものを何とかして堕落させよう、失敗させようとすることばかりに労力を
払うのである。
巷で話題になっているネットによる誹謗中傷などもその類ではなかろうか。
平均値が下がれば、低いままの自分が救われるとでも思っているのだろうか。
一昔前の日本では、『一億総中流社会』と表現する声があった。
「皆が平均的な生活を営んでいて、格差などない。」と信じたい者たちの願望が
うかがえる。
しかし現実は、「金持ちは喧嘩してでも、自分の富や名声をさらに高めようとして
いる」ため、格差の広がりはとどまるところを知らない状況になっている。
人の足を引っ張るだけの能力や気力、体力があるのなら、
自ら平均値を上げるよう努力し、結果が出た暁には、『決定的な外的要因によって
努力を阻害されている者』へ支援の手を差し伸べる方が『格差是正』につながる
のではないだろうかと思ったりする。