北海道江別市でケアプランセンター、小規模多機能ホーム、デイサービス、訪問看護ステーションを運営するみのりの丘グループ

みのりの丘

みのりの丘代表ブログ

月別: 2020年9月

悪気のない偏見

2020.9.25

長年、高齢者介護にかかわる仕事をしていると、「大変な仕事だね~」と声をかけ

られることが多い。

 

この「大変」という言葉には、『単純にねぎらい』の気持ちが込められていること

もあるが、嫌みではなく『人が進んでやりたがらないことをやってくれている』と

いう気持ちも込められているように思う。

事実、高齢者介護事業は『3K(きつい、きけん、きたない)』と呼ばれる仕事に

分類されていたこともあり、一般的にもそういったイメージが浸透している。

 

しかし、同業の人たちと話をしていると大体「この仕事って3Kかなぁ?」とか

「もっときついと思われる仕事はほかにいくらでもあるのに」とか「あえて言えば

1K(給料が安い)かなぁ」といった話題になる。

前述の1Kも国の政策によって大幅に改善されており、他業種と比較して見劣り

しないどころか、平均を上回る勢いを示し始めている。

 

ところで最近、盲導犬のテレビCMが話題になっているらしい。

映像では、盲導犬ユーザーが交差点で信号待ちをしていると、周囲からささやきが

聞こえてくる。「盲導犬ってたいへんそうだよね」「ストレス多そう」「かわいそ

う」。すると、盲導犬がそちらを向いて、「うんっ? 世間の誤解にほえさせても

らいますわ」「うちら、いつも一緒におんのが幸せ思てんのに、そんなん言われた

ら相方(ユーザー)も悲しむわ。どうか、そんな目で見んといてや。ほんま、お願

いしますわ」と犬がしゃべるという。

「盲導犬に対する何気ないひとことで、盲導犬ユーザーがつらく悲しい思いをして

いる」。その実情を知っていただきたいと、この企画が立ち上がったそうだ。

 

私は、高齢者介護の仕事はとても奥深くやりがいがあり、人生の大先輩との関わり

を通じて自分の将来を考え学ぶ機会がもらえて、給与所得が年々大幅に増える、

こんな素晴らしい仕事は他にないと思っている。

悪気のない偏見で業界で働く人たちが傷ついていることを知ってもらいたい。

インフォーマルな社会資源も重要

2020.9.24

3年に1度見直しが行われる『介護報酬改定』の施行が来年4月に迫っていること

は当ブログで何度も取り上げているところであるが、そうした中で

 

厚生労働省が進めている介護保険の総合事業の見直しをめぐり、認知症の人と家族

の会が猜疑心を募らせている。

18日、公式サイトで「緊急声明」を発表。市町村の判断で要介護の高齢者も対象に

含めることを認める中身について、「要介護者の保険給付外しに道を拓く突破口。

極めて危険」と強く反発した。そのうえで、「介護保険の受給権の侵害につなが

る。絶対に認めるわけにはいかない」と撤回を求めている。~中略~  家族の会は

こうした見直しと、政府内で継続的に取り上げられている改革案とを結びつけてい

る。要介護1、2の訪問介護や通所介護などを給付から外して総合事業へ移す、とい

う改革案だ。 緊急声明では、「制度の持続可能性の確保を名目に進められている

給付費削減の流れに沿った見直し」と厚労省を批判。

との報道を目にした。

 

この緊急声明は特に的外れなものではなく、その通りであろうと思う。

せっかく制度化されたフォーマルな社会資源である『介護保険サービス』であるし

多額の税金や保険料が投入されているので、多くの国民に広く活用してもらうべき

であろう。

要介護状態が重度化して多くの支援を必要としている方々はもちろんの事、要介護

状態にならないための予防支援にも活用されるべきであり、それは介護保険制度の

理念でもある。

 

しかし一方で、以前に当ブログでも取り上げたとおり、介護保険サービスにおける

介護予防は、医学的モデルの要素が強すぎる。

「運動・栄養・口腔ケア」が呪文のように唱えられ、短期集中でこれらの改善プロ

グラムを受けることで、多くの高齢者が健康的な生活を営むことができると信じら

れてきたが、全くと言っていいほど優位性のある効果は得られていない。

 

「フレイル予防を通じた健康長寿のまちづくり」を提唱し、全国各地へ出向き、

取り組みの促しを行っている飯島勝矢東京大学教授らの研究によると、運動習慣が

なくても文化的活動や地域活動の習慣がある人は、運動習慣しかない人と比べると

フレイル(虚弱)状態に陥るリスクが1/3に減るそうである。

同研究では、フレイル予防への優位性は

『 地域活動 > 文化的活動 > 運動習慣 』となっており、運動習慣の貢献

度が一番低いことになる。

 

利用できるはずの介護保険サービスの権利がはく奪されることは由々しき問題では

あるが、「国の制度を利用していれば誰でも健康的な生活を過ごすことができる」

といった偏った発想は、人が生きていくうえで欠かすことができない人と人との

情緒的な結びつきを軽視することに向かっていくのではないかと思える。

 

多額の国費を使わなければ実現しない介護予防よりも、住み慣れた地域で気軽に

参加できるインフォーマルな社会資源の方が実利に適っているのではなかろうか。

 

当方が運営しているインフォーマルな活動(当方では自主事業と呼んでいる)には

要支援や要介護の認定を受けている方々も多数参加してくださっている。

気の合う仲間と談笑したり食事を一緒に摂ることで介護予防にとどまらず、新たな

生きがいが生まれることもある。

介護保険サービスを充実させることも重要であるが、インフォーマルな活動の輪を

広げることもまた重要である。

ミスリードには乗らないで

2020.9.22

3年に1度見直しが行われる『介護報酬改定』の施行が来年4月に迫っている。

 

そうした中で、

介護報酬改定に向けた議論を進めている審議会の14日の会合で、家族の会の鎌田

松代理事は、「例えば(収入が)国民年金のみで預貯金も少ない人などにとって、

介護保険サービスは経済的なハードルが高いもの」と指摘。「介護報酬の引き上げ

は経済的な支援とあわせて考えて欲しい。特にギリギリの家計でサービスを利用し

ている方々に対しては、新たな支援を検討して頂きたい」と要請した。

との報道を目にした。

 

同理事の要請は至極まっとうなものであり、異論は全くない。

ただし、こうした要請に端を発して、「介護報酬や自己負担割合の引き上げは、

高齢者いじめだ」と話題をすり替えるマスコミが数多くいることが気に入らない。

 

前年度の金融庁の報告によると

あえて個人差を無視して大きな枠組みで比較した場合、20代の金融資産額の平均

が165万円に対して、70代以上の平均は1314万円と8倍近い差がある。

30代の平均が529万円、40代の平均が694万円であり、単純に比較すると

高齢者の圧勝である。

 

「あえて」と但し書きしたように『高齢者=貧困』ではない。高齢者であっても、

相当額の金融資産を持つ者からはそれ相応の負担を求めるべきである。

また、若者の多くは、生活に必要なものが足りておらず、買い揃えなければなら

ない物が多数あり、高額なものは分割支払いをするなどの工夫をしていても貯蓄に

回せる金額はわずかである。生活を維持することで精一杯という若者は決して

少なくはない。

年数を経て、物が揃い、分割返済が完了して初めて貯蓄に回す余裕が生まれる。

その結果が前述の70代以上の金融資産額に示される。

 

社会保障費も家計と同様に収入と支出がある。

収入の大部分は、貯蓄に回す余裕がない若者たちが担っている。そして、社会保障

サービスの自己負担割合が低額であればあるほど、こうした若者たちの負担額が

増額されていく。

社会保障サービスの利用にかかる自己負担額の増額は、こうした若者たちに明るい

未来を示すことにもなる。

 

社会保障の制度設計においては、同サービス費の収入と支出のバランスを考える

ことと低所得者層の救済とは分けて考えなければならない。そしてその救済対象者

は、高齢者だけではないことも念頭に置かなければならない。そのように分けて

考えなければ、ごく一部の人たちが必要以上に苦しむだけの制度となってしまい、

永続性が担保されないものとなってしまう。

「とにかく高齢者を守る」か「若者の未来を守る」かのどちらを選ぶのかといった

思考は間違っている。「余裕のある人」が「余裕のない人」を手助けすることが

社会保障の本質であろう。

 

にもかかわらず、『世代を問わず支援が必要な低所得者』と『全ての高齢者』を

一緒くたにし、顧客である視聴者の多数を占める高齢者に迎合する記事を並べ立て

ミスリードし続けるマスコミには「正義」など語る資格はない。

 

ご年配の皆さんには、ご自分たちよりも苦境に立たされている若者を更に苦しめる

ようなミスリードには安易に乗っからないでもらいたい。

大根観察日記(その8)

2020.9.21

雨続きで中々畑へ出向くことができなかったが、1週間ぶりに見に行ったところ

恵みの雨のおかげか、「お~!しっかり成長している~!!」

 

 

残念ながら、地面の下がどうなっているのかまでは確認していないが、見た目には

売り物にできるほどの状態になっている。

3週間後に予定している収穫が今から楽しみだ。

小規模多機能ホームみのりの丘(誕生日会)

2020.9.18

昨日開催した当方が運営する『小規模多機能ホームみのりの丘』の誕生日会を

ご紹介したい。

ご利用者の誕生日を祝うこの会の日程は、誕生日当日に当該ご利用者が利用して

いないことも多く、同月に複数の該当者がいることもあるため、月に1回開催して

いる。(該当者がいない月は行っていない)

 

今月はお二人の方の誕生日をみんなでお祝いした。

予め、該当するご利用者のご意向を伺い、催しや食事内容を決めている。

 

今回の出し物は、スタッフによる寸劇『金色夜叉』だった。

 

 

 

 

 

 

普段の仕事ぶりから想像できないような迫真の演技もあれば、ナレーションが

1ページ飛んでしまうドタバタなどもあったが、ご利用者から歓声や合いの手を

いただくなど大いに盛り上がった。

 

通常業務の合間に誕生日会の準備をしてくれていたスタッフの皆さん、お疲れさま

でした。

ご利用者の皆さん、楽しんでいただけたでしょうか。

在宅という選択肢

2020.9.17

昨日の早朝に担当していたご利用者の訃報が入った。

 

ご家族の懸命な介護もあって、担当医から告げられていた予後をはるかに超える

期間自宅で過ごすことができた。

そのせいか、ご家族皆さんの表情が悲しみの中でどこか満足気にも見えた。

「病院への入院を選択するか、在宅で看取りを行うか」について、担当医や関係者

と何度も話し合った。その都度、ご家族の心は大きく左右に揺れ動いていたように

思えた。

それでも、ご本人の思いにご家族が懸命に応えて最期を迎えた。

この場を借りて、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

先日、地域にお住まいの方が「最近、近所の人がよく亡くなる。」とつぶやいて

いたことを思い出した。

たまたまいくつかのご不幸が重なっただけのことであり、人の生死を操作できる

ものなどないことは誰もが知っている。

 

しかし、その感覚は強ち『個人の思い込み』ではないようにも思える。

 

時代背景や社会環境の変化によって、ご自宅で最期を迎える方が増えている。

事実、当方がかかわった方々の中で自宅で最期を迎えた方の割合がここ数年軒並み

増えてきている。

 

たとえ近所にお住まいだった方であっても、長年病院や施設に入っていたのちに

お亡くなりになったと聞かされた場合には、身近なこととして感じにくいように

思う。

ところが、さほど親密なお付き合いのなかった方でも「近所の〇〇さん、昨日

ご自宅で亡くなったんだって。」と聞かされると身近なことに感じやすいように

思う。

それほど、ご自宅で最期を迎えるということは、周囲の人に多大な印象や影響を

与えるように感じる。

 

別段、最期を迎えるべき場所は『施設か自宅か』を議論したいわけではないし、

いづれであっても、正解不正解などと簡単に審判することではない。

 

それでも我々が『在宅』にこだわり続けるのは、ご本人がそう望んでいても、社会

環境等の理由で『在宅生活の継続』が選択肢にすら挙げられないことがあまりにも

多かったからである。

『ご本人が望む在宅』が選択肢に挙げることができるよう、微力ではあるが活動を

続けていきたい。

大根観察日記(その7)

2020.9.16

やっと『大根ぬき』のチラシができた。

 

私が作ったチラシ(仮)のあまりの不出来に、スタッフが失笑し、代わりに作って

くれた物が上に掲載したものである。

私には芸術的なセンスが無いことはわかっていたつもりであるが、自分が作った

『チラシもどき』との差があまりにも大きく感動した。

 

今回はコロナ禍にあって、地域の皆さんへ広く参加を募集することができず、予め

決まった方々と行うこととなったが、来年は是非とも多くの参加者を募集した活動

としたいと考えている。

 

観察日記と言いつつ、本日の大根の画像がない・・。

 

評論家の存在意義

2020.9.15

安部前総理大臣が辞任し、菅新総理大臣が誕生した。

何度も書いているが、誰がいいとか悪いとかをこの場で言うつもりはない。

 

それよりも、テレビや新聞等で経過を鑑みず結果だけを見て「ああしろこうしろ」

とのたまわっている評論家とかいう人たちの存在の方が目に留まる。

前総理大臣に対しては「コロナ禍であり、かつ政策途中で政権を投げ出すことは

極めて無責任だ」と発言している輩もいる。

辞任に至るまでには多くの葛藤があり、体調と相談しながら考え悩んだ結果の辞任

であることは容易に想像できるし、途中で投げ出したいわけがなかろう。

仮に評論家の言うとおりに対処して、うまくいかなくてもその評論家は何一つ責任

をとることはない。そちらの方がよほど無責任であろう。

 

さらには、「私の言うとおりにしないと有権者は離れていくぞ」と言ってみたり

する。ここまでくると意見というよりは単なる脅しである。

 

テレビの世界に限らず、『にわか評論家』はどこにでもいる。

その中には、広い視野を持ち、経過や中身を吟味し、建設的な意見をいう人も

いるが、その多くは自分の価値観を強引に押し付けてきたり、前述の評論家の

如く、真意を理解しようともせずに上辺だけを取り上げて『結果論と上げ足取り』

に終始し、意見と称して批判する人が多くいるように思う。

 

評論家の中には「批判することが私の仕事だ」という人がいる。

そういう人は、建設的に物事を進めるうえで必要な意見を述べることと、人のやる

ことなすことの上げ足を取ることの違いを理解していないのではないだろうか。

また、自分がため込んだストレスのはけ口を関係のない人へ向けていたり、自己

表現の場を求めて他人を批判しているだけと思えることもある。

にもかかわらず、「世の中の正義のため」とか「その人のためになるから」などと

言って自分の価値観を押し付けてくる。

それを仕事と称している思考が理解できない。

 

総理大臣だって人間だ。清廉潔白でなければいけないというものでもなければ、

間違えることだって、結果が思った通りに行かないことだってある。

結果だけを見てあれこれ言う『後出しジャンケン』なら誰だって勝てる。果たして

その行為に何の意味があるというのだろう。

やらなければならないこと、考えなければならないことが山積している中で、日々

こうした無責任な評論家と付き合わされて、さぞうんざりしていることだろう。

 

とか言いつつ、批判する人を批判している私も「同じ穴の・・・」か。

定年への思い

2020.9.14

当方の規程では『定年』は70歳となっている。

 

今月末で定年を迎えるスタッフがいる。

まだ歴史の浅い法人ではあるが、定年まで勤めていただいたスタッフがいることを

誇らしく思うし、同スタッフには感謝の気持ちで一杯である。

 

体力・気力・能力いずれも申し分はないと判断していたため、継続雇用を考えて

いたが、スタッフ側の都合があり、残念ながら退職することとなる。

 

定年は、人生における一つの区切りとして大きな目安となるように思う。

経営者にはその区切りとなる定年がない・・。

体力・気力・能力が現状に追いついていかなくなれば、それが一つの区切りとなる

であろうことは想像できるが、自己判断に委ねられるとすると責任は大きい。

 

健康における自己管理を行うとともに、後輩の育成に努めたいと改めて気の引き

しまる思いが湧いてくる。

大根観察日記(その6)

2020.9.11

今日は、収穫時の企画である食育講座に携わっていただく、酪農学園大学の先生、

学生と下見を兼ねて『雑草取り』を行ってきた。

 

学生の皆さんは、1年次に畑で作物を育てる実習があるらしく、前日の雨でぬかるん

だ畑の中も何の抵抗もなく入って行く。

お一人、やや不慣れな手つきで作業している人がいると思って見ていたら先生だっ

た。(笑)

 

それにしても、ほったらかしにしすぎていたため、こんな状態になっていた。

 

先生、学生の皆さん、

雑草取りまでさせてすいません。とても助かりました。

収穫当日も楽しみにしております。