北海道江別市でケアプランセンター、小規模多機能ホーム、デイサービス、訪問看護ステーションを運営するみのりの丘グループ

みのりの丘

みのりの丘代表ブログ

月別: 2023年9月

責任はないと言い切る世の中って

2023.9.29

以前に当ブログで取り上げた『芸能事務所社長による子供たちへの性犯罪』という

重罪に対して、マスメディアや一部の企業が自社の利益を優先したいがために、

何とか事実を曖昧にして時がたつことを待っている様子を見て、「この国は本当に

大丈夫なのか」と不安に苛まれる。

年齢性別を問わず性犯罪は、歴とした犯罪行為である。

しかし、幼い子供へのその行為は、人間が人間であるためには絶対に黙認・黙殺

してよいものではないはずだ。ケダモノ以下だ。

 

特にそのことを象徴しているのは、マスメディアや一部の企業が頻繁に使用して

いる「タレント個人に責任はない」という発言である。

私個人としては、どうしてもこの発言を聞き流すことができない。

この発言をしているマスメディアや一部の企業は、当該芸能事務所に所属している

全てのタレントがこの犯罪行為に直接的あるいは間接的に一切の関与もしていない

ということを十分に検証したうえで、確証を持って言っているのだろうか。

 

別段、当該芸能事務所に所属しているタレントを糾弾したいわけでも、目の敵に

しているわけでもないし、”やっていない”ことを証明することは『悪魔の証明』と

表現されるほど現実的には難しいので、『推定無罪』の原則に沿えば、責任がある

かのように論じることも適切ではないだろう。また、現役タレントの中には被害者

だっている可能性もある。

ただし、そうであったとしても、「タレント個人に責任があるとは言えない」だけ

であって、「タレント個人に責任はない」と言い切っていいのだろうか。

 

そもそも数十年にわたって、数百人と言われる被害者への犯罪行為の全てに対して

当該芸能事務所社長の単独犯行など可能なのだろうか。協力者が全くいない状況で

長きにわたるこの犯行は成立するのだろうか。本当に内部に協力していた者が一人

もいないのだろうか。また、そうした事実を見聞きしていながら黙認していた所属

タレントは皆無なのだろうか。

実行犯だけをつるし上げて、あとはみな無関係を装うことで終わらせてよいのか。

結局のところ、『責任はないという無責任』からこうした悲劇が生み出されてしま

うのではないだろうか。

 

イジメの現場で、実行犯だけが悪くて、「私は見ていただけだから責任はない」と

胸を張って主張することが正しいことなのだろうか。

今回の件もこの世に蔓延るイジメやハラスメントの構図と同じではないのか。

大した調査もしないで、「わが校にイジメはなかった」と主張する教育関係者や

「我が社にハラスメントはなかった」と主張する企業とかわらない。

もはや被害者のことなど、どうでもよくなってしまっている。結局、被害者は救わ

れず、反省されないままに次の被害者を生み出すことになる。

 

どうしてもこの発言を聞き流すことができないと言っておきながら矛盾するようだ

が、「タレントに」責任が有るか無いかはどうでもいい。この言葉を使って、何事

もなかったかのように事実を曖昧にして、被害者などいなかったかのように振舞う

ことがどうしても解せない。

「○○○に責任はない」は言い換えれば、「自分に責任はない」と主張したいため

に使っているにしか過ぎない。この言葉を使っているマスメディアや一部の企業は

タレントの名を借りて、「我々に責任はない」と主張したいだけなのだろう。

だから、実行犯だけを吊し上げて自分たちの落ち度を真剣に検証しようとしない。

 

少子化が問題とされている昨今において、

「小児性犯罪天国のこの国で、だれも責任を取ろうともしないこの国で、本気で

子供を産みたいと思う者がいるのだろうか」

平均値を追い求める思考

2023.9.28

日本の憲法では、全国民に対して「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が

保証されている。

しかし”最低限度の生活”と言われても、人それぞれ最低と思う感覚には違いがあり

個人差が大きい。そのため、国は細かなルールを決めた上で、社会情勢等を加味し

て複数年に一度”最低限度”の定義の見直しを行っている。

 

そして、国民がその最低限度を下回る境遇に身を置くこととなった場合には、国の

保障により救済されることになっている。その代表的な社会保障制度に生活保護が

ある。生活保護では、衣食住や医療・介護、教育等に必要な最低限度の費用が保障

されている。また、日用品等のなかには、国民の7割以上が所有しているため、

贅沢品とは位置づけずに、生活保護受給者にも所有することが認められている物も

ある。

 

我々が深くかかわっている社会保険サービスである介護保険サービスも生活保護と

同じ社会保障制度である。

ここでいつも違和感を覚えることとしては、生活保護と同じ社会保障制度でありな

がら、本来は最低限度を保障するはずの介護保険サービスが、”平均値”あるいは

”最高値”を保障する制度にすり替えられている帰来があることだ。

これは、日本が金持ちで生産年齢人口がたくさんいた頃の最低値がとても高かった

ことから、そのように誤解されたのではないかと考えている。

 

生活保護は、平均的なマンションの家賃や平均的な食事代を保障する制度ではなく

あくまでも最低限度の費用を保障するものである。

そしてこのことは、同じ社会保障制度である介護保険サービスにもあてはまるはず

である。がしかし現状を見る限りは、”平均値”や”最高値”が求められているよう

に思えてならない。

いくら要支援や要介護の認定を受けているからと言って、自宅で一人で入浴できて

いる方に対して、送り迎え付で”介護付きの銭湯通い”を公費でサービス提供するの

は流石にやりすぎだろう。極上の生活を担保することが社会保障の役割ではない。

 

もしも日本が産油国のように天然資源によって潤沢な財源を持っているのであれば

話は変わるが、そうではない限り、社会保障制度において”平均値”を維持するには

国民から搾り取れるだけ税金を徴収しない限り不可能なことである。

平均以上の人たちが平均未満の全ての人を支えなければならないとなれば、支える

側の負担の大きさは計り知れない。そうすると、支える側にいたはずの人が負担の

大きさに持ちこたえることができずに支えられる側に変わってしまう。そうすると

支える側の負担がさらに増大してしまって、最終的にはほとんどの人が支えられる

側に変わってしまう。そんなことになれば、国家が沈没してしまう。

だから社会保障制度は、”最低限度”の保障を前提としておく必要がある。

 

ろくに財源を確保しようともせず、平均値を追い求めようとするので、介護保険

サービスは財源不足でパンク寸前となっている。いい加減、「あれもこれも介護

保険で」という平均値を追い求める思考はやめにした方がいい。

このままでは、介護保険制度を支えるはずの人が持ちこたえられずに支えられる人

になってしまう。その結果、介護保険制度はおろか国が滅びてしまう。

役人のくだらない支配欲

2023.9.27

『厚生労働省は15日の審議会で、「介護報酬体系の簡素化」をテーマとして取り上げ、来年4月に控える次の改定に向けて具体策を検討していく方針だ。厚労省によると、今の介護報酬のサービスコード数は実に2万1884と、制度発足当初(1769)の12.4倍に膨らんでいる。厚労省は今後、多くの介護施設・事業所が算定している加算を基本報酬に包括化したり、ほとんど算定されていない加算を整理したりすることも含め、報酬体系の簡素化をめぐる議論を深めていく考えだ。』

との報道を見て思うこと。

 

当ブログでも繰り返し触れているように、介護保険制度は改定されるたびに複雑化

されている。それでも我々介護保険サービス事業者は、業としているため、その

流れについていかなければならない。(かなり必死に!)

しかし、介護保険サービスをご利用される一般の方々は、この複雑化されている

流れについていく必要はあるのだろうか。いや、全くないだろう。

 

介護保険制度が始まる前までの措置制度の頃は、「国が決めたサービス内容を受動

的に利用する」といった考え方が主流で、言葉は悪いが「自分の考えを示さずに、

お国の思召しに沿って黙って従う」ことが求められていた。

その後、時代背景の変化とともにこういった考え方が適切ではないと判断されて、

介護保険制度では、「自分の考えに則って、主体性を持って能動的に社会保険サー

ビスを利用する」といった考え方に変わっていった。

つまり介護保険サービスは、「何をどのように利用するのかは利用者自身が自分で

決める」ことが前提となっている。

 

しかし、介護保険サービスをご利用される方々の多くは、ご高齢であったり、認知

機能の低下によって判断能力に不安を抱えていたりする。そのため、「何をどのよ

うに利用するのかは自分で決める」と言われても、肝心の制度が改定されるたびに

複雑化されてしまっては、自分で決めるどころか制度を理解することでさえ難しく

なってくる。

 

そのため、我々介護保険サービスにかかわる専門職が、複雑化された制度を一般の

方々へわかりやすく説明することになるのだが、説明をしていていつも思うことは

「何で、初めからわかりやすい制度を作ろうとしないのだろうか」である。

 

うがった見方にはなるが、このような社会保険制度を組み立てる役人は、あえて

一般の方々に理解しにくく複雑化させているように思える。そこには、「自分の

考えを示さずに、お国の思召しに沿って行動する」という役人の国民に対する根強

い支配欲が透けて見える。制度を複雑にするほどに、国民に理解できない制度に

するほどに、役人の支配力が強く影響することになる。

いくら介護保険制度が「走りながら考える」ことを前提に、積極的に変化を加える

ことを良しとしていたとしても、たかが20年程度で12倍以上にサービスコード

が細分化される必要はないはずだ。

例えるなら、「お店のメニューが12倍に増えました」と言われるようなもので、

そのなかから選べと言われても「増えすぎてよくわからない」となるだろう。

 

ここ数年、「介護保険事業における事務負担の軽減」がテーマとして取り上げられ

ることが多くある。しかし、厚生労働省が主導するこの話し合いの実態は、事務負

担を軽減するために複雑化されたルールや取り揃えなければならない書式がいくつ

もあって、負担が増える一方となっている。

この様を見るだけでも、彼らには”簡素化”する気など無いということがわかる。

 

厚生労働省は今後、「介護報酬体系の簡素化」をテーマに話し合いを進めるようだ

が、今一度”簡素化”を辞書で調べて意味を理解してから話し合ってもらいたい。

役人のくだらない支配欲の巻き添えを食らうのは決まって弱者である。

役人は、弱者をいたぶることが自分の務めだと勘違いしているのではなかろうか。

希少ケースに対する研修の充実

2023.9.26

厚生労働省が『難病ケアマネジメント』をテーマとするセミナーを来月オンライン

で開催するようだ。来年度から介護支援専門員法定研修に同内容のカリキュラムが

追加されることもあって、準備を進めているということだろう。

 

難病とは、「発症の原因や治療方法が確立されていない希少な疾病」のことを指し

さらに、「客観的診断基準が確立していて、患者数が少ない疾病」を国が指定して

重症度によって医療助成を行うこととなっている。

 

我々が日々かかわる介護保険サービスのご利用者の中にも、難病を患っている方が

大勢いる。しかし、全体数からみると”希少なケース”であり、疾患に対する理解度

も一般的な疾病と比較すると深まっていないこともあって、ケアマネジャーが経験

不足や知識不足によって、十分な対応ができていないとの指摘を長年受けてきた。

 

事実、私が担当したALS(筋萎縮性側索硬化症)患者で人工呼吸器を装着して在宅

生活を営んでいたご利用者は、その当時江別市内にはその方一人しかいなかった。

(ご本人からは、こうした場で情報提供することは予め了承を頂いている)

そのため、この件に関しては、私と同様の経験を経ずにケアマネジャーを続ける方

が圧倒的に多いということになる。また、この疾病に関する情報や知識は、実際に

担当しているか担当していないかによって状況は大きく変わると思う。

まず、フォーマルサービスは複数の社会保険制度を併用して利用することになる

ため、各制度を熟知しておく必要がある。また、インフォーマルサービスについて

も他には類のない独自のサービスがあるため、そのことに関する情報も持っていな

ければならない。(正直、私はかなり苦労した)

 

だからこそ、いつ難病患者の担当となっても十分なケアマネジメントが行えるよう

介護支援専門員法定研修に同内容のカリキュラムが追加されることは、とても素晴

らしい動きだと感じられる。

もう一つ欲を言うと、

難病ケアマネジメントと同程度に、『ターミナル期におけるケアマネジメント』に

関するカリキュラムも充実させてほしい。

 

以前に当ブログでも伝えた通りであるが、ターミナル期におけるケアマネジメント

と、他のケアマネジメントとではケアマネジャーの担うべき役割や収集すべき情報

が若干異なる場合が多い。

介護保険制度上、ケアプランの作成者はケアマネージャーであるが、日々刻々と

病状や状態が変化する中においては、頻繁にアセスメントしてケアプランを修正

していても事が間に合わない場合が多く、そのスピード感が通常と全く違う。

こうした場合、医師を中心とした医療チーム主導のもとでケアマネジメントを展開

することが求められてくる。

 

それにしても、ケアマネジャーが要求される知識や技術の量がどんどん膨らんで

きているように感じる。とてもではないが、一人のケアマネジャーの力量でどう

にかできる状況ではなくなってきているように思える。

そう考えると、少人数のケアマネジャーしか配置されていない居宅介護支援事業所

は、ますます厳しい状況に置かれるのではないだろうか。

 

消防訓練(避難・消火・通報)

2023.9.25

当方が運営する介護保険サービス事業者には、『消防訓練(避難・消火・通報)』

の実施が義務付けられている。

 

地域、職場、家庭においても災害対策は非常に重要であることは言うまでもないが

我々が営む介護保険サービス事業には、自力で避難することが難しい要援護者が数

多くいらっしゃるため、より一層災害対策が重要となる。

 

先週の水曜日に、

当方が運営する小規模多機能ホームみのりの丘とナーシングホームみのりの丘との

合同で、『消防訓練(避難・消火・通報)』を実施した。

 

 

 

通報や避難誘導がややバタついたが、なんとか無事に訓練を終えることができた。

今後も緊張感を持って訓練を継続し、万一火災等が起きても最小限の被害で治まる

よう努めたい。

 

独占による悲惨な末路

2023.9.20

『独占』とは、文字通り『ひとりじめ』することであるが、社会経済においては、

一つの企業が販売市場を支配することを指す。

 

企業側としては、競争相手がいなければ、自社の利益が脅かされる心配はなく、

価格設定も自由に行えて、効率的に大きな利益をあげることができる『おいしい

シチュエーション』といえる。

そのため、各企業はそういったシチュエーションを目指して商品開発などを行う。

無論、営利を追求する企業が、そういったシチュエーションを目指すこと自体は

特に悪いことではないし、至極当然である。

 

しかし、人間は欲深い生き物であるため、おいしいシチュエーションを「さらに

おいしくしよう!できるだけ長くその状況を続けよう!」と悪智恵を働かせる。

そして、粗悪な商品を高値で売り、より多くの利益を上げようとしたり、競争相手

となりうる新規参入企業の邪魔をしたりするのである。

 

残念ながら消費者は、「暴利をむさぼっている」ことを知っていたとしても、消費

する価値があり、選択肢がそこにしかなければ、その商品を買い続けるしかない。

そこで話が終われば、「あの会社、うまいことやったな!」で済むことになるが、

欲深さを追求した結果は決まって悲惨な末路をたどる。

なぜなら、人間の欲深さには底がないからである。

人間は、底なしの欲求を満たすためなら犯罪行為もいとわない思考に陥りやすく、

一度でも”見逃してもらえた”という成功体験が加われば、その犯罪行為はより悪質

かつ巧妙になっていく。

 

誰も成し遂げなかったこと(思いつかなかったこと)を先駆的に始めた人(企業)

に対して一定の敬意は評するが、「独占し続けよう」という思考は賛同できない。

最終的にそういった思考を持つ人や企業は、人間の欲深さに押しつぶされて、成し

得た功績よりも悲惨な末路の記憶しか残せない。

ナーシングホームの実地指導

2023.9.19

先週末、当方が運営する「ナーシングホームみのりの丘」が、江別市による『実地

指導』を受けた。

先月の小規模多機能ホームみのりの丘と合わせて2カ月連続となったこともあって

江別市の担当者に「何だか続いているけど、我々何か悪いことでもした?」と冗談

で聞いたところ、「たまたまです」と笑われた。

 

先月の当ブログでもお伝えした通りのことを繰り返すようだが・・・

介護保険制度の下で介護サービス事業を行う事業者は、5~6年に一度、指定権者

である都道府県あるいは市区町村の訪問を受けて、法令に沿った適切な事業運営が

行われているかを確認する『実地指導』を受けることとなっている。

この実地指導を『監査』と表現する業界の方もいるが、それは正しくない。

実地指導は、文字通り指導を受ける場ではあるが、行政処分を受けることを前提と

したものではなく、行政と現場との意見交換に近いものである。

介護サービスの現場では、法令を適切に理解して運営しているつもりでいても、

その解釈を間違えていたり、判断に迷っていることがある。

そのため、行政の担当者との意見交換は、日頃の事業運営を整理することができる

絶好の場となることが多い。

 

先月に同じ多機能系サービスの実地指導を受けたばかりということもあって、和や

かな雰囲気をかもし出していたが、指導を頂く中で改めて感じたのは、同じ多機能

系サービスであっても、医療系サービスの看護小規模多機能と福祉系サービスの

小規模多機能とでは、考え方や運営の在り方に異なる点が多くあるということだ。

わかってはいたつもりだったが、指導を受けることでより明確に認識することが

できて、今回の実地指導も我々にとってはとても有意義な場となった。

 

とても勉強になりました。

ありがとうございます。

 

2023夏祭り(本番)

2023.9.18

予告通り、先週の土曜日に夏祭りを開催した。

 

スタッフ一丸となって準備万端!

 

 

 

 

満員御礼!

 

 

舞台も大盛り上がり!

 

 

 

皆様、ご来場ありがとうございました。

2023夏祭り(予告)

2023.9.15

明日は、毎年恒例の夏祭り!

 

毎年、当方事業所がある『大麻東町ニュープラザ商店街』の中通りをお借りして

開催していたお祭りで、当方事業所のご利用者やご家族、地域の皆さんにご案内を

出してお越しいただいていた。

しかしコロナ渦にあって、夏祭りの開催は2019年以来、3年ぶりとなる。

 

ようやく念願が叶って開催することができる。明日の天候も悪くないようなので、

安心している。スタッフ皆で心を込めて準備したお祭りに多くの方がご来場いただ

けることを心待ちにしている。

「規制緩和=悪」ではない

2023.9.14

来年4月に控える次の介護報酬改定でポイントの1つになる『介護施設・事業所の

管理者や専門職らの柔軟な働き方』について、今月8日の審議会では、多くの委員

から人員配置基準を思い切って緩和するよう促す声があがった一方で、連合の小林

司生活福祉局長は、「人手不足の中で兼務を進めていくと、利用者の安全やサービ

スの質に影響したり職員の負担が増えたりして、悪循環に陥る懸念がある」、「兼

務が常態化すると、有給休暇や休憩が取りにくくなるなど処遇改善に逆行する恐れ

もある。離職理由にもなりかねず、慎重な検討が必要だ」とおっしゃっている。

 

どうやら、この連合の福祉局長は、介護現場の実態を全く理解していないようだ。

まず、常勤専従の配置義務がある介護サービス事業所の管理者の多くは、管理者と

して常駐していることはほぼなく、現場仕事があるから常駐しており、その合間に

管理者としての業務に従事している。言い換えれば、介護サービス事業所の管理者

業務は、常勤専従するほどの仕事量など無いのである。

また、規模の小さな介護サービス事業所であっても、比較的人件費の高い管理者を

常勤専従させなければならないため、結果として介護現場に必要な人員を雇用する

ことが難しくなり、人員不足を助長してしまう側面がある。このことは、医療系の

専門職についても同じようなことが言える。

そのため、上記委員が指摘する「職員の負担が増えたりして、悪循環に陥る懸念が

ある」、「有給休暇や休憩が取りにくくなるなど処遇改善に逆行する」は、的外れ

も甚だしいと言わざるを得ない。

 

それから、介護サービス事業所の管理者=経営者ではないことが多い。

当方の介護サービス事業所の管理者は、運営とサービス提供を一体的に管理する

ことが業務の中心であり、財務や労務にはほとんどかかわっていない。

それとは逆に、各介護サービス事業所間の連携(横のつながり)にかかわる業務を

担っているため、全国老人福祉施設協議会が主張する「管理者が兼務することで

経営の合理化が推進され、全体を総合的に管理することができる」や「管理者が

兼務することで事業所の方針などが統一され、サービス間連携がしやすくなる。

運営管理者もサービスに専念でき、サービスの質の向上が期待できる」が介護現場

に則した至極まっとうな意見と言える。

 

介護保険制度上、介護サービス事業所の管理者は、一部兼務が認められているが、

それはあくまでも”同一敷地内”にある”特定のサービス種別”に限られている。

車で数分で移動できる場所にあっても、兼務が認められないことに合理性は見い

だせない。

 

『規制緩和=悪』といった固定概念を持ち、介護現場のことを理解していない方が

まるで我々の味方であるかのように振舞い、的外れな指摘を展開することは”迷惑”

以外の何物でもない。

なんで、こういう人が委員になっているのだろうか。