安部前総理大臣が辞任し、菅新総理大臣が誕生した。
何度も書いているが、誰がいいとか悪いとかをこの場で言うつもりはない。
それよりも、テレビや新聞等で経過を鑑みず結果だけを見て「ああしろこうしろ」
とのたまわっている評論家とかいう人たちの存在の方が目に留まる。
前総理大臣に対しては「コロナ禍であり、かつ政策途中で政権を投げ出すことは
極めて無責任だ」と発言している輩もいる。
辞任に至るまでには多くの葛藤があり、体調と相談しながら考え悩んだ結果の辞任
であることは容易に想像できるし、途中で投げ出したいわけがなかろう。
仮に評論家の言うとおりに対処して、うまくいかなくてもその評論家は何一つ責任
をとることはない。そちらの方がよほど無責任であろう。
さらには、「私の言うとおりにしないと有権者は離れていくぞ」と言ってみたり
する。ここまでくると意見というよりは単なる脅しである。
テレビの世界に限らず、『にわか評論家』はどこにでもいる。
その中には、広い視野を持ち、経過や中身を吟味し、建設的な意見をいう人も
いるが、その多くは自分の価値観を強引に押し付けてきたり、前述の評論家の
如く、真意を理解しようともせずに上辺だけを取り上げて『結果論と上げ足取り』
に終始し、意見と称して批判する人が多くいるように思う。
評論家の中には「批判することが私の仕事だ」という人がいる。
そういう人は、建設的に物事を進めるうえで必要な意見を述べることと、人のやる
ことなすことの上げ足を取ることの違いを理解していないのではないだろうか。
また、自分がため込んだストレスのはけ口を関係のない人へ向けていたり、自己
表現の場を求めて他人を批判しているだけと思えることもある。
にもかかわらず、「世の中の正義のため」とか「その人のためになるから」などと
言って自分の価値観を押し付けてくる。
それを仕事と称している思考が理解できない。
総理大臣だって人間だ。清廉潔白でなければいけないというものでもなければ、
間違えることだって、結果が思った通りに行かないことだってある。
結果だけを見てあれこれ言う『後出しジャンケン』なら誰だって勝てる。果たして
その行為に何の意味があるというのだろう。
やらなければならないこと、考えなければならないことが山積している中で、日々
こうした無責任な評論家と付き合わされて、さぞうんざりしていることだろう。
とか言いつつ、批判する人を批判している私も「同じ穴の・・・」か。