複数の専門スタッフがチームとなって対応にあたる医療・介護の現場では『記録』
が重要な役割を持つ。
同現場で日常的に用いられる記録は、法律や制度上定められたものから任意のもの
まで様々であるが、その多くが本来持つはずの重要な役割から乖離した書式や内容
になっているように思える。
記録の持つ大きな役割の一つは、『客観性の証明』ではないかと思う。
自身の行為を第三者へ伝承、伝達、証明するためには、その行為を明文化すること
が最も有効な手段であろう。
芸能や芸術、食文化においては、明文化の対義語としてよく用いられる『暗黙知』
が取り入れられることが多くある。
「師匠の背中を見て技を盗め」と表されるように、言語化しにくい経験や勘を五感
用いて第三者へ伝承、伝達、証明することである。
医療・介護の現場では、ごく限られた者にしか理解できない『職人技』が広く求め
られているわけではない。
国内のどこへ行っても、誰からであっても均一な医療や介護サービスを受けること
ができることが求められている。そのため、先進的あるいは卓越した技術であって
も、明文化され伝承、伝達されていく。
しかし、同現場で日常的に用いられる記録を見ると、『文書化』されてはいるが、
『明文化』されていない内容が非常に多くあるように感じる。
内容を文字にするという意味においては同義の両者であるが、明文化には読み手と
なる第三者にとって「わかりやすく、疑う余地がない内容」という意味が込められ
ている。
にもかかわらず、「誰の発言や行為なのか」、「書き手の主観なのか客観的な事実
なのか」も明確にせず、文字がつらつらと並べられている『記録』があまりにも
多くあり、その文書化に多大な時間を浪費している専門家が多くいる。
記録は、読み手を想定していない日記やポエムではない。
記録の持つ大きな役割は、他にもいくつかあるが、いずれの日にか取り上げて
みたいと思う。