私は、学生の時に某新聞社の写真部でアルバイトをしていたことがある。
その仕事の主な内容は、新聞社所属のカメラマンの助手といったところであるが
人手が足りない時には、カメラマンに代わって取材現場に出向き、写真を撮影する
と言ったこともあってとても興味深いものであった。
ある時は、繁華街で友人と飲食していたところ、近くで火災があったため、現場へ
出向き撮影した写真が紙面に載ることもあれば、またある時はサッカーJリーグ発足
元年で、札幌市で試合が開催されることになったが、カメラマンの人手が足りず
私が代わりに出向くことになり、その時撮影した写真がスポーツ面に載ることも
あった。(今では考えられないことが日常的にあった)
そんな興味深い内容であったことに加えて、当時所属していたカメラマンやアルバ
イト仲間が非常に個性的で興味深い人たちばかりだったので、未だに親交があり
数年に1度は会っている。
先週末、当時その写真部の管理職だった人物の『終活写真展』があると伺い、当時
のアルバイト仲間数名と一緒に会場へ足を運んだ。
その方は、新聞社を定年退職後にフリーのカメラマンとして活動されており、80
歳を超えた今も精力的に活動されている。幾つになっても衰えることのない、その
情熱には感銘を受けるとともに大いに刺激を受けた。
また、集まった仲間との会話で「時代は大きく変わったなぁ」と感じることも多く
あった。
今は、撮影した写真を全てデジタル処理するため、現像機でネガを作ることも、
印画紙に焼き付ける作業もないらしい。そのため、暗室は物置と化しているとの
ことであった。
当時、現像機や暗室がない地方へ取材に出向いたときには、専用の機材や薬液を
持参して、トイレを暗室代わりにしてネガを作っていたものである。
今では同新聞社は当時のようなアルバイトを雇用していないため、助手的な役割も
社員が全て自分で行っているらしい。
コロナ渦にあって、中々会うことができなかった仲間と久しぶりに再会し、昔を
懐かしむとともに大いに刺激を受けることで、英気を養うことができた。
事業を運営していると、諸問題にぶち当たることも多く、ついつい愚痴っぽくなっ
てしまうことも多くあるが、前を向いて行こうと思える一時であった。
人は人との結びつきがあってこそ、豊かな人生を過ごすことができると思う。
コロナ渦の交流の分断が1日でも早く終了することを心より願うばかりだ。