当ブログでは幾度となく触れてきたことではあるが、介護現場の担い手不足の深刻
化がカウントダウンの状況となっており、今現在も地域やサービス種別によっては
崩壊寸前の状況にある。
しかし、こうした状況を受けてよく耳にする「介護難民が増える」との見識につい
ては大いに違和感を覚える。
昭和から平成にかけては、我が国には”人も金も”余るほどあったので、社会保障費
をぜいたくに使うことができた。その名残として、今は廃墟と化している謎の施設
が全国各地に点在している。
さらには、本来は公的社会保障サービスとしての必要性が低い支援についてまで
社会保障制度を適応させてしまったがために、今頃になって「人も金も足りない」
などと言うはめに陥っている。
一般家庭においても、「金はあるだけ使う」ことをしてしまうと、いざ金がなくな
っても金があった頃の生活水準が恋しくて、身の丈に合った生活に戻すことができ
ずに破滅していくことはよく聞く話である。「あの頃に戻って堅実に貯蓄するなど
もっとお金を大事に使えばよかった」などと嘆いても後の祭りでしかない。
国も社会保障費に関しては、全く同じようなことをしてしまっており、身の丈に
合った政策に戻すことを迫られている。
今更、過去に立ててしまった廃墟同然の建物をどうすることもできないが、大盤
振る舞いをしてきた公的社会保障サービスは本来の形に戻す必要がある。
もはや、”送迎付きの銭湯”や”送迎付きの高齢者クラブ”を公的社会保障サービスに
位置付けるほどの人的経済的余裕は我が国にはない。
こうしたサービスを介護保険適応外にすることをもって、「介護難民が増える」と
考えているのであれば、見当違いも甚だしい。
「介護難民が増える」ことが実際に起こるのは、前述の見当違いの人たちの意見が
まかり通てしまい、支援の必要性が低い方にまで広く薄く社会保障サービスを適応
させてしまった結果、支援の必要性が高い方に人や金が回らなくなり、十分な支援
を受けることが出来なくなってしまう状況を指すと考える。
金があるだけ使ってしまうことが人間の浅はかなところなのかもしれないが、いざ
無いとなれば身の丈に合った生活に戻すしかない。