私たちは、生活場面で『情報収集』を常に行っている。
自ら検索する情報もあれば、自然と耳に入ってくる情報まで多量のものがある。
そして、日常に氾濫する多量の情報を取捨選択して、必要なものを何らかの形で
記憶にとどめることとなる。
そもそも、何故私たちは、日々『情報収集』を行っているのだろうか。
『情報収集』そのものが目的となることはほとんどなく、最終的な『判断』をする
ための根拠を求めて情報を集めるのではないだろうか。
人は、生活場面において、常に『判断』しながら暮らしている。
その『判断』には、些細なものから人生を大きく左右するものまで様々である。
また、
その『判断』には、数年かけて行うものもから瞬時に行うものまで様々である。
雇われの身だった頃と経営者となった今とを比較すると、瞬時に、そして人生や
社運を大きく左右する『判断』に迫られることが非常に多くあるように思う。
その『判断』が適切であったか否かは、結果を見なければわからないことも多く
あるが、いかに適切な量や内容の『情報収集』を適切なタイミングで行えているか
によってその結果が変わってくるのではないかと考えている。
経営者に限らず、『情報収集』を怠る人は、適切な『判断』ができないのではない
だろうか。