昨日の続き・・・。
「より科学的な検証に裏付けされ、客観性が担保された根拠を持って支援する。」
ことによって、今まで報われなかったご利用者や従事者の多くが救われることに
つながると思う。
ただ一方で、科学的なデータ上から漏れてしまうケースも少なからずある。
その科学的なデータは、集積した総数から平均値を導き出し、同時に対応について
も平均的な数値を当てはめることになる。
そのため、「一般的な対応」として適切な介護が数値化される。
そうすると、平均値から大きく外れた少数派の人にとっては、不適切な対応が
行われる危険性が高い。
『オーダーメイド』から『オートメーション』へと変化していく中で、少数派が
切って捨てられてしまうか、多数派にむりやり入れ込んでしまう危険性をはらんで
いる。
介護福祉の分野は、支援のあり方が生命や生活維持に直結するケースが数多くある
ため、そういった考え方の中に身を置く少数派にとっては「死を意味する」事にも
繋がりかねない。
『科学的な根拠=万能な介護』ではない。
科学的介護を提唱する竹内医師による『竹内理論』がもっぱら流行っている。
この理論では、「認知症状等を抱える高齢者の多くは慢性的な脱水状態にある
ため、1日1500ccの水分を摂取することで症状が改善あるいは予防することが
できる。」といったものであるが、確かに少なからず症状が改善する高齢者が
いる。
がしかし、その理論に当てはまらない人もいる。
にもかかわらず、「多くの人に当てはまるのだから。」という理屈で同じように
対応した結果、生命の危機に瀕している事例が後を絶たない。
科学が進歩しても、それを使う人間がその技術に追いついていなければ、諸刃の剣
となってしまう。
『オートメーション』一辺倒では、より多くの人を救うことはできない。