ここのところ毎日のように耳にする”働き方改革”にかかる労働環境や処遇改善に
ついて、ちょっと思うところがある。
それは、「欧米先進国を手本とした”働き方改革”って、本当に我が国に定着する
考え方となるのだろうか」ということである。
欧米諸国と我が国とでは習慣や文化があまりにも違いすぎるため、そのまま考え方
を持ち込むだけでは期待通りの結果が得られないばかりか、大きな弊害が生まれる
ことになりかねないのではないかと危惧している。
例えば、英語の「service(サービス)」という言葉は、我々日本人も日常的に使用
している言葉ではあるが、欧米諸国と我が国とでは使い方がまるで違う。この言葉
の語源をたどれば、「奴隷や召使」にたどり着く。日本ではどちらかというと語源
に近い使い方をしているように思う。「サービス残業、サービス品」などがその
代表的な使われ方だ。しかし米国では、「労働すること」そのものをあらわすとき
によく用いられる。
日本における”サービス”は、おもてなしの心を持って奉仕することを意味し、労働
の一部と解釈されることが非常に多くある。しかし欧米諸国における”サービス”は
対価を伴った労働で、奉仕はあくまでも奉仕であって労働の一部ではないと解釈
されることが多い。
つまり、同じサービスを提供するとしても、欧米諸国と比較すると日本の労働量が
労働の一部と位置付けられている奉仕の分だけ多いということである。これが、
日本が他の先進国と比べて労働生産性が低いと言われる所以だろう。
そんな状況下で、欧米先進国を手本とした”働き方改革”を推進すると、「労働量は
相変わらず多いのに人手ばかりが減っていく」という労働者にとっての地獄が待っ
ているように思う。そんなことになれば、労働者のための改革が本末転倒だろう。
多くの日本人が、欧米人と同様に「奉仕はあくまでも奉仕であって労働の一部では
ない」と解釈してくれれば、その改革もうまく機能するのかもしれないが、長年
定着してきた文化的思考はそう簡単に変えることはできないだろう。