北海道江別市でケアプランセンター、小規模多機能ホーム、デイサービス、訪問看護ステーションを運営するみのりの丘グループ

みのりの丘

みのりの丘代表ブログ

月別: 2024年5月

ソーシャルワークは死んだのか(その1)

2024.5.17

先日、病院にお勤めのMSW数人とお酒の席でお話をする機会があった。

その時に話題となったことの一つに「ソーシャルワークは死んだのか」があった。

長年、病院や介護施設に所属してソーシャルワーカーの業務に従事していた者とし

ては、「ソーシャルワークが死んだ」とは思いたくはないし口にも出したくはない。

 

『ソーシャルワーク』とは、生活上の課題を抱えた個人への働きかけを通じて、

社会全体の課題として取り上げて、社会に対して働きかけを行うこと。

また、社会に直接働きかけることによって、個々が抱える生活上の課題を解決へ

導くことであり、その担い手となる専門職がソーシャルワーカーであるが、なぜ

「ソーシャルワークは死んだ」という話題になるのだろうか。

 

先人たちの尽力によって、介護や福祉にかかる様々な制度が制定されて、同時に

様々なフォーマルサービス誕生した。

その誕生の過程で、生活上の課題(ニーズ)に対応する支援(サービス)が洗練さ

れるとともにマネジメントがシステマチックに構築されることとなった。

そのことによって、より多くの困りごとを抱えた方が救われたことだろう。

 

しかし、サービスが洗練され、マネジメントがシステマチックになるほどに、ソー

シャルワークが掲げる本来の目的や役割が見失われてしまっているように感じる

ことも増え、その様を「ソーシャルワークは死んだ」と表現されることがある。

 

例えば、フォーマルサービスは多様なニーズに応えるために、変化を繰り返し進化

し続けて、より有用なサービスになっている。そのため、マネジメントの過程で

その有用なサービスを調整する機会が格段に増えていった。

そのこと自体は大変素晴らしいことではあるが、結果としてインフォーマルサービ

スの存在が軽視される傾向が強くなってしまったように思う。

 

全てのニーズにマッチする最良のサービスがフォーマルサービスとは限らない。

場合によっては、インフォーマルサービスの方がマッチするニーズも存在する。

しかし、軽視され続けたインフォーマルサービスについて、ソーシャルワーカーの

中には存在そのものが無いもののように取り扱う者も少なくない。

そこから転じて、ソーシャルワークの目的や役割がフォーマルサービスを調整する

ことへ置き換わってしまっているように感じる場面に数多く遭遇する。

 

また、マネジメントがシステマチックになるほどに、そのシステムを維持すること

あるいは、そのシステム上に要援護者を乗せることが目的となってしまっている

場面に遭遇することも増えてきたと感じる。

生活上の課題を抱えた個人を対象者とするのではなく、そのシステムに乗る人を

対象者としてしまっている時点で、ソーシャルワークの目的から大きく逸脱して

しまっている。

 

ちょっと長くなってきたので続きは次回に持ち越すこととしよう。

 

 

各国の強みを持ち寄って

2024.5.16

昨晩、2日前に当方事業所へ視察にいらっしゃった韓国のユン先生を含めた数名で

オフ会を行うとのことでお誘いを受けてお邪魔してきた。

視察にいらっしゃった際には十分にお話しする時間が持てなかったこともあって、

そのオフ会では聞くことができなかったことを沢山質問することができると楽しみ

にして伺った。

 

やはり韓国でも日本と同様に少子高齢化そして人材不足が深刻化しているとのこと

であった。また、日本でも同様に取組を行っていることではあるが、東南アジアを

中心に韓国で就労を考えている方との橋渡しが極めて重要なミッションだという

ことも教えていただいた。

ただし、お聞きした限りでは「とても厳しい」と認識していた日本の就労ビザの

取得よりも韓国のビザ取得の方が審査が厳しいと感じた。

 

介護政策や事業運営について、日本と大きく違う点がいくつかあったことも大変

興味を持って聞くことができた。

例えば、今回視察にいらした社会福祉館のような介護支援施設の事業運営の財源は

半分が国からの補助で半分は企業等からの寄付金で成り立っているそうで、同館

館長の重要な仕事に「企業からの寄付金を集めるための営業活動」があるとのこと

だった。

日本では考えにくいシステムではあるが、全ての事業運営費を保険料や税金などで

賄っている(一部自己負担金はあるが・・)日本よりも企業努力が一層要求される

という点において韓国の介護支援施設は、非常に勤勉であることが想像できる。

 

また、韓国には日本の介護保険のような独立した社会保険制度はなく、医療保険

制度の中に療養保険(確かそのような表現をしていたと思う・・)があって、日本

の介護保険制度における訪問介護や通所介護にあたるサービスはあるが、多機能系

サービスはないとのことで、先方が当方の運営する多機能系サービスにとても興味

を持たれていたことが印象的だった。

 

様々な話を伺い、日本の介護福祉施策の強みと弱み、韓国の同施策の強みと弱みを

垣間見ることができたように思う。

出来るだけ早いうちに韓国を訪れて、現地で生の声を聞きたいと強く思うこの数日

であった。

韓国の社会福祉館職員の視察

2024.5.14

数年前、知人に誘われて韓国の東西大学で地域福祉を研究しているユン先生と食事

の場でご一緒する機会を頂いた。

偶然にも私とユン先生とは同じ年ということもあって意気投合した。(ただし、二人

とも母国語しか話せないので、翻訳アプリや片言の英語を駆使しての会話だった)

 

先月久しぶりに人を介してご連絡を頂き、韓国の江南区社会福祉館の職員20人を

連れて、当方の施設見学がしたいとの依頼を受けた。

当方は大型の施設ではないこともあってその依頼を受けることを躊躇していたら、

当方の「商店街という立地を生かし、地域に密着した福祉事業やインフォーマルな

活動に大変興味がある」とのお話を頂いて、視察団の受け入れを快諾した。

ちなみに、韓国の社会福祉館は、日本の社会福祉協議会と地域包括支援センターを

足し合わせたような機能を持っているらしい。

 

そして、今日がその視察団の来所日である。

日本と韓国の社会保障や福祉制度の類似点や相違点についての有意義な意見交換や

江別市大麻の特徴、当方の事業理念や活動内容についてご説明した。

 

(お土産に私の大好きな韓国のりをいただいた。スタッフみんなでおいしく頂戴

することとした。ありがとうございます!)

 

意見交換のあとは、当方の多機能事業所を見学していただいた。

 

 

 

 

ちょうどお昼の時間になることもあって、見学の後は「のみくい処とっかり」で

昼食を摂っていただいて解散となった。

 

 

帰りがけに、福祉館の館長から「今度は是非韓国に来てください」と誘われた。

他国の社会福祉事業はとても勉強になる。「できるだけ早くに韓国へ伺いたい」と

お返事してお別れした。

韓国視察団の皆さん、有意義な時間をいただきありがとうございました。

引率いただいたユン先生、中田先生、大変お世話になりました。

また皆さんとお会いできる日を心待ちにしております。

(でもお会いする際にはもう少し韓国語がわかるようになっておこう)

スタッフ対象の豪華バイキング(第2弾)

2024.5.10

昨年の暮れに、当方が運営する給食センターのスタッフから「懸命に働くスタッフ

の皆さんへの感謝の気持ちを込めて、バイキング形式の少し豪華な食事を昼食とし

て提供したい」との提案があり、大盛況のもと第1弾が開催された。

そして今日はその第2弾

 

 

 

 

 

彼らも同様に懸命に働いてくれたスタッフなのに、他のスタッフを労う提案をして

くれたことに感謝!

そして、相変わらずのクオリティーの高さと品数の多さに毎度驚かされる。

 

 

 

スタッフ一同でおいしくいただいた。

(私は食べすぎて、午後からの仕事は睡魔との戦いとなった・・・)

給食センタースタッフの皆さん、ありがとうございました。

 

今後の社会保障制度の在り方(その2)

2024.5.8

前回の続き

我が国の経済成長が停滞し、また少子高齢社会の人口構造の大幅な変化などから、

社会保障費の財源徴収と給付のバランスが大きく崩れ始めており、世界に誇る高品

質低負担な制度を維持することが困難を極めているため、今後の我が国の社会保障

制度は大幅な変革が求められている。

 

この変革を論じる際に多くの専門家は、「所得保障や生活保障を含めた高品質な社会

保障の維持」、そして「年金受給者である高齢者の低負担の維持」を大前提としてい

ることがほとんどである。

 

しかし私は、この前提がそもそも間違っているように思えてならない。

我が国の高度経済成長期はとっくの昔に終わっている。

他国では真似ができなかった高品質な社会保障が実現できたのは、この経済成長の

おかげ以外の何物でもない。30年以上経済が停滞している我が国には、高品質を

担保できるだけの財力はない。

 

さらには、50年前の高度経済成長期は10人に1人が高齢者という比率であった

が、現在は4人に1人が高齢者という比率に変わっている。社会保障を支える世代

の経済的、身体的負担は計り知れないほど増え続けている。この世代には、高品質

な社会保障を支えるだけの財力も人材も足りていない。

加えて、高齢者の低負担を維持するために、この世代の負担をさらに増やすという

ことになれば、多くの人が貧困者となり社会保障費受給者となってしまう。

 

こうしたことを前提として考えた時に、今後の我が国の社会保障制度は「身の丈に

合った品質の社会保障に戻す」ことが求められていると思う。

そして、社会保障制度の元来の目的である貧困対策を主軸として、出来る範囲内の

所得保障や生活保障の実現へ考え方を改める必要がある。

 

そのためには、行き過ぎた社会保障サービスを終了すると同時に、元来我が国の

強みであった家族や地域の相互扶助機能の再構築を図ることが重要であろう。

幸いにして我が国には、高度経済成長期を支えてきた知識や技術を十分に兼ね備え

て定年を迎えた猛者たち山のようにいる。

この人達のことを「高齢者、弱者、要援護者」と一方的に扱っていることがそもそ

もの大間違いである。

 

この人達こそ、我が国の窮地を救うかけがえのない人材であり”救世主”であろう。

そして、大変ありがたいことに、当方が運営する事業所の所在地である江別市大麻

は”救世主”と呼ぶにふさわしい人材の宝庫である。

今後の社会保障制度の在り方(その1)

2024.5.7

当ブログで何度か紹介している通り、当方では毎年市内外にある大学の学生実習を

受け入れている。

毎年受け入れているにも関わらず、担当教諭とお話する機会を積極的に持つこと

怠っていたことを反省し、先日複数の大学へお邪魔して、昨今の大学生の思考性や

抱えている課題、実習に向かう姿勢などについてお話を聞くこととした。

 

担当教諭から非常に興味深い話を伺うことができ、とても有意義な時間を持つこと

ができた。この場を借りて、対応いただいた先生には厚く御礼申し上げたい。

その話の延長線上で、学外講師として、これから実習に向かう大学生を対象とした

講義の依頼を受けることとなった。

 

その講義の内容は、介護や福祉の現場の目線で実習への心構えや事前準備について

講話することが期待されていることと思うのだが、これをきっかけに30年以上前

に大学で学んだ社会保障制度について、今一度整理しておこうと思った。

というわけで、勝手に我が国の社会保障制度について私見をおおいに交えてまとめ

てみることとした。

 

社会保障制度は、元々貧困対策を目的として創設された制度で、現在の役割を担う

に至る歴史をさかのぼると「貧困層への救済を目的としたイギリスの救貧法」や

「傷病等によって生活が困窮することを未然に防ぐことを目的としたドイツの社会

立法」などが起源と言われている。

 

また、社会保障と経済の発展は切っても切れない深い関係性がある。

産業革命以降の経済発展は、人々の生活を豊かにしていった一方で多くの貧困者を

生み出すことにもつながってしまった。

その結果として、単なる貧困対策から労働者階層の貧困化対策や生活保障等のより

複雑化した社会保障制度へと変貌していくこととなり、現制度へと繋がっている。

 

我が国でもヨーロッパ先進国から数百年遅れて社会保障政策が制度化された。

やはり始めは貧困対策が主な目的であったが、明治維新以降の社会構造の変化や

産業の発展に伴って、生活保障等のより複雑化した社会保障制度となった。

そして、戦後以降に先進諸国が社会保障をより生活保障へとシフトしていくことへ

追従するように我が国も生活保障の充実を図るようになった。

さらに、国民皆保険制度の制定や高度経済成長の後押しもあって、我が国の社会保

障制度は世界でも類を見ないほど高品質低負担な制度へと進化を遂げていった。

 

しかし現在、社会構造の変化に伴って、社会保障制度の在り方について大幅な変革

を余儀なくされている状況にある。

我が国は、経済成長が停滞して一昔前の金持ち国家ではなくなってしまった。

また、少子高齢社会の人口構造の大幅な変化や定年退職後の平均寿命が延びている

ことなどから、社会保障費の財源徴収と給付のバランスが大きく崩れ始めており、

世界に誇る高品質低負担な制度を維持することが困難を極めている。

 

それでは、今後の我が国の社会保障制度はどのように変革していけばよいか。

ちょっと話が長くなってしまったので続きは次回に持ち越すことにしよう。

健康であれば問題は解決する?

2024.5.6

30年間、介護や福祉の現場に身を置いて、つくづく思うことは、我が国における

介護予防や自立支援にかかる施策は、「健康であれば問題は解決する」一辺倒の考え

方にあるように思う。

国は、”運動、栄養、口腔機能の維持向上”を呪文のように繰り返し、「健康さえ維持

しておけば要援護状態になることも自立した生活を脅かされることもない」とうそ

ぶいている。

 

確かに健康でいることに越したことはないし、健康を害することでできなくなる

行為はある。しかし、要援護となることも自立した生活を過ごせなくなることも、

他人から見ると”些細な事”と思われるような小さな躓きから始まることも決して

少なくはない。

そしてその小さな躓きは、”運動、栄養、口腔機能の維持向上”の呪文を唱えても

解消することが難しいことが多くある。

 

だいぶん昔の話になるが、

定年を迎えた知人男性が、突然妻を亡くして一人で生活することになった。

仕事一筋だったその男性は、一切の家事を妻に任せていたこともあって家事に関す

る知識も経験もなかった。また、身内は全て遠方にいて、仕事以外の付き合いの

ある人もいなく、身近に家事の支援をお願いできる人がいなかったし、家政婦に

依頼するほどの経済力もなかった。

ただし、至って健康であり生活も困窮してはいなかったため公的支援の対象とは

ならなかった。

 

半年ぶりにその方にお会いしてビックリした。

ふくよかだった体格はやせ細り、白髪が増えて表情も乏しく、この数カ月で10歳

以上年を取ったように見えた。おそらく、その時に要介護認定申請を行っていれば

「要支援」の認定結果が出ていたとしても驚かないくらいの状態にあった。

 

そこで私は、近所の民家で主催していた料理教室へお誘いした。初めは渋々参加し

ていたその方であったが、これまで格闘していた調理がスムーズにできることを

知り、またその他の家事も教わることができることを知ってからは、毎週の教室が

楽しみとなっていた。

さらには、その方がお住いの自治会長にその方を自治会活動に誘い出していただく

ことをお願いした。やはり初めは渋々の参加であったが、やがて活動に慣れて仲間

が増えてからは、自ら進んで自治会活動に参画していた。

 

久しぶりにその方にお会いすると、見違えるように若々しかった。

そして、「来年ここの自治会長になることになったよ」という笑顔がまぶしかった。

 

もしもその時に私が要介護認定の申請を代行して、”謎の呪文”を唱えながら、介護

保険サービスを調整していたら、全く別の結末が待っていたように思える。

介護支援専門員=保険代行屋?

2024.5.2

介護保険制度が施行されて25年目に入っている。

この歴史の中で、制度は何度も見直されて国民にとって無くてはならない社会保険

制度へと洗練されてきているのではないかと思う。

そして、同制度の要と言われている介護支援専門員への期待もより一層広がって

きているように思う。

 

そうした中で、あくまでも私見ではあるが、介護支援専門員の仕事ぶりを拝見して

いると、同じ介護支援専門員であっても本質的な業務に対する考え方や振る舞いが

「ソーシャルワーカー」と「保険代行屋」に二分されてきているように思える。

 

『ソーシャルワーク』とは、生活上の課題を抱えた個人への働きかけを通じて、

社会全体の課題として取り上げて、社会に対して働きかけを行うこと。

また、社会に直接働きかけることによって、個々が抱える生活上の課題を解決へ

導くことであり、その担い手となる専門職がソーシャルワーカーだろう。

私の理解では、介護支援専門員はソーシャルワーカーとしての役割を担うことを

期待されて世に生み出された専門職と認識している。

 

ごく少数ではあるがソーシャルワーカーとしての役割を担っている介護支援専門員

は実在する。しかし残念ながら、絶滅危惧種に指定されてもおかしくないほど減り

続けているように思える。

それは、介護支援専門員=「保険代行屋」と認識する者が増えてきているからでは

ないだろうか。

 

ここでいう保険代行屋とは、給付対象となる保険情報を管理して、利用可能な保険

サービスを調整し、現物支給化することで対価を得ている人達を指している。

この人達は、ご利用者に保険サービスを利用してもらい、代行手続きに係る行為を

対価として報酬をいただくことが目的であるため、保険サービスを利用するか否か

が一番の関心事となる。

当ブログで何度か触れている「右からケアプランを作る人」がまさしく保険代行屋

に該当する。

 

ここでいう保険代行屋の特徴は、「生活上の課題を抱えた個人に関心があるのでは

なく、保険サービスの利用に結び付く生活上の課題に関心がある」ことなので、

「社会全体の課題把握や社会への働きかけ」には全く興味がない。さらに言えば、

生活上の課題はあっても保険サービスに結び付かなければ、興味の対象から外され

てしまう。

 

最近、介護保険政策にかかる諮問会議に出席している学者から「ルーティン化でき

るケアマネジメント業務を行う準ケアマネ」なる資格の創設が提案された。

バカバカしい提案ではあるが、現状を見ると”言い得て妙”である。

あえてその学者の提案に乗っかるならば、保険代行屋まがいの介護支援専門員を

「準ケアマネ」として、ソーシャルワークができる介護支援専門員を「正ケアマネ」

とすると言ったところだろうか。

 

冗談のようだが、現状を見るとあながち冗談ではなくなるようにも思える。

ルーティン業務を行う保険代行屋なら、深い見識や広い知識は無くてもある程度の

役割を担うことは可能かもしれないし、人手不足の解消に一役買うことにつながる

かもしれない。

 

でも本当にそれでいいのだろうか。