北海道江別市でケアプランセンター、小規模多機能ホーム、デイサービス、訪問看護ステーションを運営するみのりの丘グループ

みのりの丘

みのりの丘代表ブログ

平均値を追い求める思考

2023.9.28

日本の憲法では、全国民に対して「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が

保証されている。

しかし”最低限度の生活”と言われても、人それぞれ最低と思う感覚には違いがあり

個人差が大きい。そのため、国は細かなルールを決めた上で、社会情勢等を加味し

て複数年に一度”最低限度”の定義の見直しを行っている。

 

そして、国民がその最低限度を下回る境遇に身を置くこととなった場合には、国の

保障により救済されることになっている。その代表的な社会保障制度に生活保護が

ある。生活保護では、衣食住や医療・介護、教育等に必要な最低限度の費用が保障

されている。また、日用品等のなかには、国民の7割以上が所有しているため、

贅沢品とは位置づけずに、生活保護受給者にも所有することが認められている物も

ある。

 

我々が深くかかわっている社会保険サービスである介護保険サービスも生活保護と

同じ社会保障制度である。

ここでいつも違和感を覚えることとしては、生活保護と同じ社会保障制度でありな

がら、本来は最低限度を保障するはずの介護保険サービスが、”平均値”あるいは

”最高値”を保障する制度にすり替えられている帰来があることだ。

これは、日本が金持ちで生産年齢人口がたくさんいた頃の最低値がとても高かった

ことから、そのように誤解されたのではないかと考えている。

 

生活保護は、平均的なマンションの家賃や平均的な食事代を保障する制度ではなく

あくまでも最低限度の費用を保障するものである。

そしてこのことは、同じ社会保障制度である介護保険サービスにもあてはまるはず

である。がしかし現状を見る限りは、”平均値”や”最高値”が求められているよう

に思えてならない。

いくら要支援や要介護の認定を受けているからと言って、自宅で一人で入浴できて

いる方に対して、送り迎え付で”介護付きの銭湯通い”を公費でサービス提供するの

は流石にやりすぎだろう。極上の生活を担保することが社会保障の役割ではない。

 

もしも日本が産油国のように天然資源によって潤沢な財源を持っているのであれば

話は変わるが、そうではない限り、社会保障制度において”平均値”を維持するには

国民から搾り取れるだけ税金を徴収しない限り不可能なことである。

平均以上の人たちが平均未満の全ての人を支えなければならないとなれば、支える

側の負担の大きさは計り知れない。そうすると、支える側にいたはずの人が負担の

大きさに持ちこたえることができずに支えられる側に変わってしまう。そうすると

支える側の負担がさらに増大してしまって、最終的にはほとんどの人が支えられる

側に変わってしまう。そんなことになれば、国家が沈没してしまう。

だから社会保障制度は、”最低限度”の保障を前提としておく必要がある。

 

ろくに財源を確保しようともせず、平均値を追い求めようとするので、介護保険

サービスは財源不足でパンク寸前となっている。いい加減、「あれもこれも介護

保険で」という平均値を追い求める思考はやめにした方がいい。

このままでは、介護保険制度を支えるはずの人が持ちこたえられずに支えられる人

になってしまう。その結果、介護保険制度はおろか国が滅びてしまう。