以前に当ブログで取り上げた『芸能事務所社長による子供たちへの性犯罪』という
重罪に対して、マスメディアや一部の企業が自社の利益を優先したいがために、
何とか事実を曖昧にして時がたつことを待っている様子を見て、「この国は本当に
大丈夫なのか」と不安に苛まれる。
年齢性別を問わず性犯罪は、歴とした犯罪行為である。
しかし、幼い子供へのその行為は、人間が人間であるためには絶対に黙認・黙殺
してよいものではないはずだ。ケダモノ以下だ。
特にそのことを象徴しているのは、マスメディアや一部の企業が頻繁に使用して
いる「タレント個人に責任はない」という発言である。
私個人としては、どうしてもこの発言を聞き流すことができない。
この発言をしているマスメディアや一部の企業は、当該芸能事務所に所属している
全てのタレントがこの犯罪行為に直接的あるいは間接的に一切の関与もしていない
ということを十分に検証したうえで、確証を持って言っているのだろうか。
別段、当該芸能事務所に所属しているタレントを糾弾したいわけでも、目の敵に
しているわけでもないし、”やっていない”ことを証明することは『悪魔の証明』と
表現されるほど現実的には難しいので、『推定無罪』の原則に沿えば、責任がある
かのように論じることも適切ではないだろう。また、現役タレントの中には被害者
だっている可能性もある。
ただし、そうであったとしても、「タレント個人に責任があるとは言えない」だけ
であって、「タレント個人に責任はない」と言い切っていいのだろうか。
そもそも数十年にわたって、数百人と言われる被害者への犯罪行為の全てに対して
当該芸能事務所社長の単独犯行など可能なのだろうか。協力者が全くいない状況で
長きにわたるこの犯行は成立するのだろうか。本当に内部に協力していた者が一人
もいないのだろうか。また、そうした事実を見聞きしていながら黙認していた所属
タレントは皆無なのだろうか。
実行犯だけをつるし上げて、あとはみな無関係を装うことで終わらせてよいのか。
結局のところ、『責任はないという無責任』からこうした悲劇が生み出されてしま
うのではないだろうか。
イジメの現場で、実行犯だけが悪くて、「私は見ていただけだから責任はない」と
胸を張って主張することが正しいことなのだろうか。
今回の件もこの世に蔓延るイジメやハラスメントの構図と同じではないのか。
大した調査もしないで、「わが校にイジメはなかった」と主張する教育関係者や
「我が社にハラスメントはなかった」と主張する企業とかわらない。
もはや被害者のことなど、どうでもよくなってしまっている。結局、被害者は救わ
れず、反省されないままに次の被害者を生み出すことになる。
どうしてもこの発言を聞き流すことができないと言っておきながら矛盾するようだ
が、「タレントに」責任が有るか無いかはどうでもいい。この言葉を使って、何事
もなかったかのように事実を曖昧にして、被害者などいなかったかのように振舞う
ことがどうしても解せない。
「○○○に責任はない」は言い換えれば、「自分に責任はない」と主張したいため
に使っているにしか過ぎない。この言葉を使っているマスメディアや一部の企業は
タレントの名を借りて、「我々に責任はない」と主張したいだけなのだろう。
だから、実行犯だけを吊し上げて自分たちの落ち度を真剣に検証しようとしない。
少子化が問題とされている昨今において、
「小児性犯罪天国のこの国で、だれも責任を取ろうともしないこの国で、本気で
子供を産みたいと思う者がいるのだろうか」