大学を卒業して社会人になったばかりのころ、よく先輩や上司に「とにかく仕事は
丁寧にやりなさい」と指導されたものだ。勿論その教えは今も守っており、できる
限り丁寧に仕事をするようにしている。
しかし、年数を重ね経験を積んでいくうちに、「丁寧に行うことと、時間をかける
ことを混同しているのではないか」と感じる場面が増えてくることに気が付く。
我が国においては、「手間暇や時間をじっくりとかけて」を美徳とし、その行為が
良質なサービスと捉える考え方が根強くあるように思う。
何も時間をかけることを全否定しているわけではない。時間をかけなければ完結し
ない仕事は少なからずある。しかし、時間をかけなくても完結することができる
仕事まで「どれだけ時間をかけたのか」が評価の対象となったりする。
そして、私見ではあるが介護業界のようなサービス業は特にそういった点が評価の
対象となりやすいように感じる。
「どれだけ長い時間、相手の話を聞いたのか」、「どれだけ時間をかけてケア内容
を話し合ったのか」、「どれだけ時間をかけて説明をしたのか」などなど上げると
きりがない。
人材も財源も時間も無限にある状況であれば、それでも良いのかもしれないが、
そんなことはあり得ないし、我が国においては人材も財源も減り続けているの
だから、時間の制約もよりシビヤになってきているはずである。
また、時間をかけることによる弊害という意識があまりに薄い方がこの業界には
多くいるように感じている。
長時間かけてケア内容にかかる会議を行っている場面や長時間電話でご利用者や
ご家族と話し合っている場面に遭遇すると特にそのように感じる。
会議や電話が長くなる原因はさまざまであるが、往々にしてその原因はまとめる力
が著しく欠落していることにある。議題が定まっていない会議に参加することほど
苦痛なものはない。
それから、自分以外の人と長時間何らかの作業を実施するということは、その相手
を長時間拘束することになる。合意なくこうしたことが行われていたとすると、
それはもはや軟禁である。
そもそも、長時間にわたって行われた会議の最初の議題など誰も覚えちゃいない。
私は、「如何に限られた時間の中で仕事を完結するか」が重要と考えている。
ただし、そういうことを言うと「手早く行うことと、適当に行うことを混同する人
が出てくる」というイタチごっこが始まったりもする。