北海道江別市でケアプランセンター、小規模多機能ホーム、デイサービス、訪問看護ステーションを運営するみのりの丘グループ

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取りにくい加算を作るのはもうやめて!

2020.8.7

3年に1度見直しが行われている介護報酬の制度改定が、来年4月に施行される。

コロナ禍にあって、審議が停滞傾向にあったが、先月あたりから話し合いの場が

活発化してきている。

 

先月の社会保障審議会・介護給付費分科会の内容に対するヒアリングが今月3日に

実施されたが、個人的に気になっているのは『生活機能向上連携加算』の取り扱い

についてである。

 

前回(平成30年、2018年)の改定で、通所介護事業者へ門徒が開かれた

同加算は、ご利用者が在宅生活を末永く過ごす上で必要な生活機能の向上を図る

ことを目的として、医療機関等に所属する理学療法士等のリハビリスタッフからの

助言をもらいながら、共同で介護計画を作成した場合に算定できる。

 

通所介護事業者にはリハビリスタッフが配置されていないことが多く、身体機能に

かかわる専門的視点が弱いことから創設された同加算は、ご利用者にとっても意義

のあるものであるはずだった。

しかし、同加算を算定している通所介護事業者は全体の3%程度しかいない。

 

とても良い物なんだから、多くの事業者が算定できるように制度設計するべきで

あろうが、そこは物事を深く考えることができず世間一般の常識が欠けている厚生

労働省、そして加算は「取りにくく設計する」という歪んだ思考を持つ官僚が

なせる業である。

 

同加算を算定したい通所介護事業者から依頼を受けた医療機関は、無償でリハビリ

スタッフを派遣しなければならないため、同一法人や関連法人などの結びつきでも

なければ、派遣することは難しいであろう。

ただ働き前提で、多くの医療機関が賛同すると本気で思っているのか厚生労働省!

また、対象となるリハビリスタッフは、医療機関や同併設の介護サービス等の医者

が配置あるいは深く関与している事業者に限られていることも算定率を下げること

につながっている。

 

リハビリスタッフは、上記に挙げた場所にしかいないわけではない。

当方が運営する訪問看護ステーションには、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士

を総勢5名配置している。

「リハビリスタッフは病院にしかいない」とでも思っているのか厚生労働省!

 

在宅における生活機能向上に精通している同リハビリスタッフを使わずしてどう

するんだ。病棟にいるリハビリスタッフよりもよっぽど機能すると思う。

 

今回の審議では、「取りやすい設計」を強く望む。

裸の王様たち

2020.8.6

「なんで、先生と名の付く人たちは、こうもエラそうな態度をとるのか」という

話題をよく耳にする。

その疑問への答えはいたって簡単である。

周囲がそういった『先生』を崇め奉り、煽てるからである。

 

ではなぜ、周囲はそういった態度をとるのかというと、『先生』の多くは特殊な

技能や知識、権力や権限を持っていて、それらは人々の生活や生命に直結するから

であろう。

 

人間は誰しも煽てられると木に上るものである。

そして、上から下の者たちを見下ろすのである。

 

私が今まで出会った『政治家、医者、弁護士』は、特にこの傾向が強い。

そして、その『先生』たちは、崇め奉られていても、「尊敬」されていないことに

は気が付いていない。

 

技術や知識、常識や道徳心が著しくかけている『先生』などには、手を合わせて

ありがたがる必要など全くない。ましてや、「生涯同じ先生に」などと思う必要も

ない。

 

あくまでも私見ではあるが、殺人を嘱託したALS患者だった女性は「尊敬する

先生」だからお願いしたのではないだろう。自分の思いを遂げてくれる人で

あれば、看護師だろうと事務員だろうと誰でもよかったのではないだろうか。

 

その根拠として、ALS患者だった女性はその医者へ多額の報酬を支払っていたこと

が後日明らかになった。

『お金で解決する尊敬』など、どんな理屈を唱えても無理がある。

 

それにしても、『間抜けな先生』を煽てて、いいように使っている下々の者の方が

「したたか」なのかもしれない。

一億総中流社会は幻

2020.8.5

『格差是正』の発想は、決まって平均以下の者から生まれる。

 

平均以上の者が、平均となるためには自分を落とさなければなれないので、

自ら進んで平均を目指す者はそうそういないだろう。

「金持ち喧嘩せず」とは、そういった発想から生まれたことわざではなかろうか。

 

そうすると、平均以下の者が平均を目指して自分を高めればよいと思うのだが中々

そうはならない。自力ではどうすることもできない『決定的な外的要因によって

努力を阻まれる』こともあるだろう。

 

しかし、そういった状況ではなく、平均を目指すことができる環境下にありながら

あえてそれを目指さない者たちもいる。

その者たちは、「面倒だから。失敗したくないから。今のままで満足だから。」と

いう。

 

「満足しているならいいか」と思いがちであるが、その実は違っていて、平均以上

の者への憎悪とも受け取れる凄まじい嫉妬心で溢れかえっている。

そして、自分はさして努力もせず、平均以上の者たちを何とか引きずりおろして、

平均値を従来より下げようと躍起になる。

勤勉なものを何とかして堕落させよう、失敗させようとすることばかりに労力を

払うのである。

巷で話題になっているネットによる誹謗中傷などもその類ではなかろうか。

 

平均値が下がれば、低いままの自分が救われるとでも思っているのだろうか。

 

一昔前の日本では、『一億総中流社会』と表現する声があった。

「皆が平均的な生活を営んでいて、格差などない。」と信じたい者たちの願望が

うかがえる。

 

しかし現実は、「金持ちは喧嘩してでも、自分の富や名声をさらに高めようとして

いる」ため、格差の広がりはとどまるところを知らない状況になっている。

 

人の足を引っ張るだけの能力や気力、体力があるのなら、

自ら平均値を上げるよう努力し、結果が出た暁には、『決定的な外的要因によって

努力を阻害されている者』へ支援の手を差し伸べる方が『格差是正』につながる

のではないだろうかと思ったりする。

相談援助の専門職

2020.8.4

「この人はさすがプロだなぁ」と思えるケアマネジャーに出会えることは非常に

稀な気がする。

 

ケアマネジャーは平成12年(2000年)に制度化されて生まれた資格で、歴史

が浅く技術面において体系化されていないところが多分にある。

また、国が定めた資格を持ち、一定の実務経験があれば受験資格を与えられ、合格

すると僅か1週間程度の研修を受けると資格が付与される。たとえケアマネジャー

として必要不可欠な相談援助にかかる実務経験や専門的な知識がなくてもだ。

 

例えるなら、診療の知識や技術を持たない者に医師免許を与えるようなもので、

今更ながら、考えただけでゾッとするような制度設計となっている。

 

とりわけ、ケアマネジャーの力量の差を感じるのは、「ご利用者やご家族が明確な

意向を示さない(示せない)」場面に遭遇した時である。

在宅のケアマネジャーに与えられる介護報酬は、ご利用者が介護サービスをご利用

して初めて発生する。そのため、多くのケアマネジャーは介護報酬を得るために

介護サービスの調整に必死となり、いろいろと提案をする。

しかし、ご利用者やご家族から「特に必要としていない。今はまだいらない。」

などと言われてしまうとお手上げ状態になってしまう。

 

タチの悪いケアマネジャーは、その時点で相談援助を終了してしまい、ご利用者側

から介護サービス利用の意向があるまではほったらかし状態にしてしまう。

何時しか、ケアマネジメントの目的が『ご利用者やご家族にとってより良い生活を

支援する』ことから、『介護サービスを調整する』ことに代わってしまっている。

 

相談援助の原則は、クライアント(相談者)にありのままの感情を表出させてあげ

ることであり、その感情を善悪なしに受容することから始まる。

会って間もない人から「デイサービスやヘルパーを利用しましょう!」などと不躾

な物言いをされるとそこでご利用者との信頼関係の構築が終わってしまう。

たまたま介護サービスの利用に結びつく場合は、ご利用者側に初めからそういった

意向があったからに過ぎず、ケアマネジャーの力量によるものではない。

 

ご利用者やご家族の思いに寄り添いもせずに、勝手にカテゴライズして、得意の

介護サービスを提案・調整するだけなら、専門職ではなくてもできる。

相談援助の知識や技術を深めた方が良いケアマネジャーが多くいるように思う。

 

この制度設計では資格取得と同時に一定の知識や技術を持つことは非常に厳しい

ところがあるので、個々人が実務につきながら学んでいく姿勢に期待したい。

地域交流カフェたんぽぽ(体力測定)

2020.8.3

今月から再開した、毎週金曜日に開催している『地域交流カフェたんぽぽ』

のイベントと食事会の様子をお伝えしたい。

 

今回の食事会前のイベントは、『体力測定』だった。

我が訪問看護ステーションの理学療法士に協力してもらい実施した。

 

メニューはこんな感じで

 

 

 

私も皆に囃し立てられて、やらされたが膝がガクガクしている。

皆さんお若い!

 

半年に一度ぐらいのペースで実施しているので、前回との違いや1年前、2年前の

自分との比較もできて、客観的に自分を評価できる。

 

食事のメニューはこんな感じで

 

皆さん、お疲れ様でした。

またお待ちしてます。

ターミナル期と通常時は大きく異なる

2020.7.31

先日、当方のケアプランセンターで担当していたご利用者がお亡くなりになった。

 

癌の末期で自宅療養されていた方であるが、数日前までは自力で歩いてトイレまで

行くことができていた。

ところが、週末に病状が急変して、車いすや特殊寝台(電動ベッド)がなければ、

日常生活を営むことが難しい状態となっていた。

 

主治医との話し合いで、急遽車いす等の福祉用具の利用を調整することになった

が、このご利用者は『要介護1』という軽度の認定結果を受けていた。

そのため、通常の手続き以上の手続きを行わなければならない状況にあった。

 

そんな矢先にご利用者がお亡くなりになってしまったため、手続きが後手に回る

ことになってしまった。

 

これは偏に、担当ケアマネジャーの見込みの甘さである。

 

当ブログの『ターミナル期のケアマネジメント』でも取り上げた通り、

いわゆる『ターミナル期』の対応においては、在宅のケアマネージャーの役割や

提供すべき情報が通常と若干異なることが多い。

 

介護保険制度上、ケアプランの作成者はケアマネージャーであるが、日々刻々と

病状や状態が変化する中においては、頻繁にアセスメントしてケアプランを修正

していても、事が間に合わない場合が多い。

 

こうした状況において重要なことは、

①医療従事者との情報連携を密にとる。

②予測されるリスクをご利用者やご家族へ丁寧に伝える。

③そして何より、『後回しにしない』ことである。

 

通常のケアマネジメントでも重要とされていることではあるが、そのスピード感が

通常と全く違う。

日々、刻一刻と状態が変化していく中では、月単位でのんびり構えていると、

とんでもない損害をご利用者やご家族へ与えてしまうことにもなりかねない。

 

幸いにも今回は、ご家族へ損害を与えずにことを済ませることができた。

ご利用者やご家族には申し訳ない言い方かもしれないが、担当したケアマネジャー

もいい勉強になったことだろう。

 

それにしても、『ターミナル期にある方々の要介護認定のあり方』について行政も

もう少し学習したほうが良いように思う。

 

認定調査を行った数日や数週間後には、自力で歩くことが難しくなっていることが

あらかじめ予想されているにもかかわらず、平気で『要支援』の認定結果を出して

くる。

認定調査を行ってから認定の結果が下りるまで数週間かかることから、結果が出た

ころには、車いすや特殊寝台(電動ベッド)が必要な状態となっている。

 

そのため、間髪入れずに『認定区分の変更申請』を行うこととなるが、ご利用者は

その間にお亡くなりになってしまって、所定の手続きができずじまいになってしま

うこともたびたびある。

 

ターミナル期とそうではない状態とでは、考え方を変えていかなければならない

ことをケアマネジャーも行政も学習したほうが良い。

大麻地域創造会議(大根づくり編その2)

2020.7.30

先月、久しぶりに再会したこの会議。

『住みやすいまちを自らの手で作っていこう』と発足したこの会議は、コロナ禍で

休眠状態となっていたが、先月に引き続き、三密に気をつけつつの開催となった。

 

今年のテーマ『食を通じて活動の輪を広げよう!』の具体的な企画が決まった。

 

8月初旬に秋大根を200本~300本程度植えて、10月中旬に収穫するという

内容になった。

コロナ禍において、どの程度範囲を広げて参加協力をいただくべきかが議論の争点

となり、「種まきは少数精鋭で、収穫は状況を見て判断する」という結論に

至った。

 

収穫祭が可能となれば、酪農学園大学さんのご協力をいただいて、『子供たち向け

の食育講座』も開催しようと企画している。

 

如何せん、思い付きで始めたこの企画、ましてやコロナ禍の状況にあって、どう

なることやらといったところである。

それでも、久しぶりの土仕事に私一人だけワクワクしている。

 

来月の種まきの様子などを当ブログでご紹介したいと思う。

死に対する尊厳

2020.7.27

前回当ブログで取り上げた『ALS患者の嘱託殺人』について、マスコミ各社が連日

こぞって、その行為を肯定するかのような報道を繰り返している。

自分たちの主張する方向へ世論を導こうと印象操作する手法は、いつものことで

あるが、今回ばかりは許せない。

 

情状酌量の余地があるか否かは、その後の裁判で取り上げられれば良いことで

あって、殺人は殺人でしかない。たとえどんな理由があろうともだ。

 

間抜けなマスコミは、「生き地獄」=「安楽死肯定」と短絡的に結論付けているが

今回の事件では、同時により深く考えなければならないことは『延命処置』に

ついてではないだろうか。

 

その処置の内容にもよるが、一度選択すると「もうヤダ!」と言って、途中で止め

ることができないものが多くある。

ALS患者にとっての人工呼吸器もその一種だろう。

医療が進歩して、様々な延命処置が可能となっている昨今だからこそ、人の尊い死

をより深く考えるべきではないだろうか。

 

以前、親交のあった医者がこんなことを言っていたことを思い出した。

「年老いて、病気が原因ではなく食べることができなくなることは、人間が死に

向かって準備している状態である。それなのに、胃瘻を作って無理やり延命する

ことは人の死への冒涜である。」

 

この場で、この発言の賛否を論ずるつもりはない。

でも、生きることを大切にするということは、死ぬことも大切にするということ

ではないのだろうか。

医者って、いつから神様になったの?

2020.7.25

手術において卓越した技術を持つ医者を『神の手』と表現されることがあるが、

私はその表現が大嫌いである。

 

先週、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患う女性から頼まれ、薬物を投与して殺害し

たとして、嘱託殺人の疑いで、2名の医者が逮捕されるという事件が起きた。

人を殺めたのであるから罰せられて当然のはずが、この事件に関しては、業界内で

も賛否が分かれている。

 

なぜかというと、

ALSという病気は、重度化すると「生き地獄が待っている」と言われるほど患者を

苦しめる恐ろしい病気だからである。

 

ALSとは、運動神経系が侵され全身の筋肉が動かなくなり、最終的には呼吸器機能

が動かなくなって死に至らしめる進行性の難病で、その原因や治療法がいまだに

確立されていない病気のことを言う。

 

自発呼吸が難しくなると延命措置として人工呼吸器を装着することになるが、体の

大部分は全く動かないにもかかわらず、比較的意識はしっかりしているため、患者

は自分の状況を把握できていても自分ではどうにもできない恐怖心と闘わなければ

ならず、個人差はあるもののその状況が10年以上続くこともある。

また、痰を自力で出すことができないため、窒息しないように数十分おきに痰の吸

引を行う行為は患者本人はもとより介護者をも苦しめる。

 

私も以前、同様の方を担当したことがあり、『意思伝達装置』という特殊な装置を

利用してその方との意思疎通を行っていた。

そしてその方も「死にたい。地獄だ。」とよく言っていたことを思い出した。

 

そのため、人工呼吸器をつける決断に迫られたとき、多くの患者や家族だけでは

なく担当の医者も非常に迷うとよく聞く。

 

だからと言って、

情にほだされたからと言って、やっていいことと悪いことがある。

医者は神様ではない。

 

自殺を考え、ビルの屋上から飛び降りようとする人に対して、背中を押す行為を

正当化しようというのか。

 

患者や家族と一緒に悩んでくれて、親身になってくれる医者もいるが、

消えかけた命を救うことによって、神の手などと煽てられることによって

勘違いする医者も数多くいるように思える。

 

「おい!お前は神様じゃねーぞ、勘違いすんじゃね~!!」

地域交流カフェたんぽぽ(熱中症予防)

2020.7.24

コロナ禍で中断していた、毎週金曜日に開催していた『地域交流カフェたんぽぽ』

を今月から再開し、先週から同活動内の食事提供も再開した。

 

今回の食事会前のイベントは、『熱中症予防』の講話だった。

我が訪問看護ステーションが誇る保健師によるありがたい講話をいただいた。

 

「150㏄を目分量で、それを8回繰り返して1200㏄の水分を!」と言われても

その目分量がなかなか利かない。

ということで、みんなで実践してみた。「ピッタリー!」とか「全然少ない!」

などと盛り上がった。

 

今回もソーシャルディスタンスを取りながらの食事会となった。

 

ご参加いただいた皆さん、お疲れさまでした。

またのご来場をお待ちしております。