北海道江別市でケアプランセンター、小規模多機能ホーム、デイサービス、訪問介護施設を運営するみのりの丘グループ

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人を欺き搾取する輩

2024.7.12

以前に当ブログで

「自分以外の人から搾取することでお金持ちになれるのだとしたら、その財の一部

は何らかの形で還元されるべきだろう。そんな志も目的意識もない者たちばかりが

”お金持ち”に成り上がるのだとしたら、世も末だな。」と申し上げた。

 

世の中には、人を欺き搾取することで一定の財を築く不届き者がいる。

その中で私が最も軽蔑する犯罪は「詐欺」である。

詐欺を働く者は、明確に人を欺くことで利益を得ることを目的としている。

 

詐欺事件が報道された場合に、「騙された方も悪い」といった論調で語られることを

よく耳にする。しかし、それは被害者に対する誹謗中傷以外の何物でもなく、また

詐欺の実態を全く理解していない無知な者の言葉でしかない。

 

犯罪者を称賛する気持ちは微塵もないが、詐欺を働く者(特に首謀者)の多くは、

私たちの想像をはるかに超えるほどよく心理学や行動学を学んでいる。そして、

こうした学問に精通している者でも欺くことができる方法論を熟知している。

 

周囲で「何で詐欺になんて遭うのだろうか。私なら絶対に騙されない。」という人を

見かけると、私は「あなたのような人が一番騙しやすいんですよ。」と声をかけたく

なる。

 

前回の当ブログで

『「失敗が許されない事柄であるほど、失敗することを前提としなければならない」

これが私の持論である。そうした前提に立って初めて、失敗を限りなくゼロに近づ

けるための準備に取り掛かることができるし、万一失敗した場合にも原因の究明が

しやすい。』と申し上げた。

 

詐欺の被害を未然に防ぐためには、「詐欺被害に遭うかもしれない」という想定の下

で、必要な準備を進めることのほかない。

この手の犯罪者は、しっかりと準備を整えても、その想定を超えてくるので非常に

厄介である。

 

最近流行っている詐欺は、「あなたの通帳が不正利用されており、このままではあな

たも共犯者になる」といい、示談金と称して金銭を要求する手口があるそうだ。

これまでの手口も同様であったが、相手をパニック状態に陥れるため、深夜や早朝

に電話をかけてきたり、身近な者に相談する隙を与えないように畳みかけるように

指示するようだ。

結果的に相手の判断能力を低下させて詐欺を成立させるのである。

こうした手口の巧妙さは増していくばかりで、私たちの想定をはるかに超えていく

ため、個人の力では十分に防ぐことは難しい。

失敗するから失敗しない

2024.7.1

「私失敗しないので」

これは、某テレビドラマで米倉涼子さん扮するスーパードクターの決めゼリフだ。

このテレビドラマは、かなり誇張されたフィクションなので、やや現実とはかけ

離れた点が多く、医療関係者から批判を受けることがある。

しかし私はちょっと違った視点でこのドラマを見て楽しんでいた。

 

このスーパードクターは、「失敗しない」と自信満々に公言している反面、検査デー

タを入念にチェックし、手技を繰り返し練習し、想定外の状況をできる限り予測し

たうえで最善の準備をして手術に臨んでいる。

これって、「失敗しない」ということを前提としている人の振る舞いだろうか。

むしろ、「失敗する」ことを前提として、失敗を限りなくゼロに近づけるために出来

得る限りの準備をして本番に臨んでいるのではないだろうか。

 

私は立場上、当方の事業運営にかかる事柄の最終チェックをすることが多くある。

そしてそのチェックをする場合においては、「間違いがある」ということを前提とし

て内容を確認することとしている。

そんな私の姿を見たスタッフから「自分たちの間違い探しをしているみたいで意地

の悪さを感じる」と指摘されたことがある。

 

チェックをして間違いが見つかった場合に、当該スタッフへどのように伝えて改善

を図るのか、当該スタッフに対する最大限の配慮とリスペクトの欠ける振る舞いを

避けることは大前提となるが、それでも「意地悪」という捉え方は非常に危険で

あり、時として不適切な考え方だと私は思っており、指摘したスタッフにはなぜ

不適切なのかを説明することとしている。

 

「失敗が許されない事柄であるほど、失敗することを前提としなければならない」

これが私の持論である。そうした前提に立って初めて、失敗を限りなくゼロに近づ

けるための準備に取り掛かることができるし、万一失敗した場合にも原因の究明が

しやすい。

「多分失敗はしないだろう」と高をくくって、十分とは言えない準備で事に臨んだ

結果、失敗してしまった場合には後に残る物はほとんどなく「次回は気を付けます」

という無意味な反省の弁を聞くことになるか、最悪の場合には隠蔽が行われる。

 

私たちが人間である以上は、「100%失敗しない」ことを実現することは不可能で

ある。そしてそのことに対する理解が深い人ほど失敗する確率が低いのではないか

と思ったりする。

 

目的と手段

2024.6.28

一般的に人の言動には”目的”がある。

「お金持ちになりたい」と思うのは、「豊かな暮らしがしたいから」とか「老後も

不安なく過ごしたいから」などの目的があり、その目的を実現する”手段”として

財を築くことを考えるのである。

 

時々、日常会話の中で「社長業は儲かりますか?」とか「どうすればお金持ちに

なれますか?」と聞かれることがある。

そういった質問を受けた場合には、「どうして社長になりたいのか?どうしてお金

持ちになりたいのか?」と問いかけることにしているが、そういった質問をする

方の多くはその問いかけの答えを持ち合わせていない。

つまり、そういった方は「目的意識」を持っていないか、「手段が目的そのもの」と

なっている場合が非常に多いと考えられる。

 

別段、お金持ちになることが目的でも問題はないし、誰かから責めを負うことでも

ないと思う。ただし、手段が目的化してしまうことには危うさがあると感じる。

なぜなら明確なゴールが見えないからだ。

 

例えば、「お金持ちになりたい」が目的であった場合に、どこがゴールなのかわから

ないので、どこまでも財を築くことを追求することになる。

始めは真っ当に事業を行って財を築いていったとしても、「もっともっと」という

気持ちが強くなれば、「真っ当な商売だけでは金は稼げない」との思いに行きついて

しまう人も多くいることだろう。その流れから不正や犯罪行為が生まれることは、

決して珍しいことではない。なぜなら、「ルールに縛られず、時に人を欺く」ことに

成功すると財を築く確率はさらに上がるからだ。

 

私は経済の専門家ではないので、「どうすればお金持ちになれるのか」の問いに対す

る明快な答えは持ち合わせていないが、恐らくは「生産性が高い事業を独占的に

行う」ことができればお金持ちになれる確率は上がるだろうし、「自分で作るのでは

なく人が作った物を利用する」とさらにその確率は上がることだろう。

 

私が毛嫌いしている『人材派遣・紹介業』はその最たるものだろう。彼らは、自ら

人材を雇用して育成するわけではなく、どこかの企業に属している人材を別の企業

へ”右から左へ移す”ための仲介をしているに過ぎない。

そして時には、「御社が求めている人材を紹介できます」とか言って、ミスマッチな

人材を高額な紹介料で押し付けてくるのである。

こんな事業が大きな財を築けてしまうのだから恐れ入る。

 

山が高いのは、平地があり谷があるから相対的に高くなる。

お金持ちは、そうではない人たちがいるから相対的に多く財を築いていることに

なる。「自分以外の人から搾取することでお金持ちになれる」のだとしたら、その財

の一部は何らかの形で還元されるべきだろう。

そんな志も目的意識もない者たちばかりが”お金持ち”に成り上がるのだとしたら、

世も末だな。

ケアマネジャー資格の更新制

2024.6.26

私は、経営者としての職務に従事しながら現役のケアマネジャーとしての職務にも

従事している。そのため、ケアマネジャーの有資格者でなければならない。

そしてケアマネジャーの資格は、高齢者介護事業にかかわる資格の中で唯一更新制

が導入されており、私は新型コロナウイルス感染症の特例措置による2年間の更新

延期手続きを行っていたため、今年がその更新のタイミングとなっており、来月

から更新に必要な研修を受講する予定でいる。

しかし、5年毎に更新することが義務付けられていることに疑問を持つ者が多く、

根強い「更新廃止論」が沸き起こっている現状でもある。

 

私は、数年前まで約10年間、『北海道介護支援専門員研修の企画委員』を委嘱

されていたので、同研修の受講者と主催者側の両方の立場を経験してきた。

同研修の企画委員を担っていたころは、「受講者にとってより有用な研修とするため

にはどのような内容を盛り込んでいくべきか」を主眼に置いて、テキストや研修の

進め方を委員の皆さんと喧々諤々話し合い、時には企画会議が深夜にまで及ぶこと

もあった。こうした経緯を持って開催されている研修が「無駄!」の一言で片づけ

られてしまうことには複雑な思いを持っている。

 

しかしその一方で受講者の立場で考えた時に、「何でケアマネジャーだけが更新を

必要とする資格なのか」との疑問を払拭することができない。

もしも更新が必要な理由として「常に最新の知識が必要」ということが挙げられる

のなら、高額な受講料や膨大な時間を要する更新研修という形式ではなく、最新の

知識に関する情報提供を受けることができればよいだけの話だろう。

残念ながら、主催者側がどれだけ「受講者にとってより有用な研修を」との思いを

持って開催しても、高齢者介護事業にかかわる資格の中で唯一更新制が導入される

理由に足る説得力を持つ内容とすることは非常に難しい。

 

さらに、医師が法に基づかない安楽死に手を貸したり、教員による暴力や性的虐待

といった報道を何度も耳にするたびに、こういった資格こそ適性を図るための更新

制を導入したほうが良いのではないかと思ったりする。

他に更新制の導入が検討されなければならない資格が多数あるにも関わらず、それ

らの資格は導入が見送られたり、廃止になる一方でケアマネジャーの更新制だけが

廃止にならないのは、役人の天下り先とその財源の確保にはなくてはならない存在

であるため、それなりの母数はあるが政治的発言力の弱い資格を狙い撃ちして、

「資格更新制」をもっともらしい理由をつけているからだろうと予想される。

 

この手の話は、きな臭い利権と金の動きが見え隠れする。

そんな裏側が透けて見えるような更新制では、主催者側も受講者も報われない。

夏を先取り!ビアガーデン

2024.6.25

週末の土曜日と日曜日に当方が運営する「のみくい処とっかり」で

『夏を先取り!ビアガーデン』を開催した。

 

 

 

数日前まで雨予報だったが、当日は暑すぎず寒すぎずの天気だった。

近隣でもいくつかイベントが開催されていて、相乗効果?もあってか

多くの来店客に恵まれ、盛況のうちに終えることができた。

(私は1日中ブタ串を焼き続けていたので、月曜日は体中が痛かった)

 

来月にも同様の企画を実施したいと考えている。

今回ご来店いただいた皆様、ありがとうございました。

今回都合が合わなかった皆様も含めて、次回お待ちしております。

年収の壁対策って?

2024.6.18

先日、厚生労働省から事業主宛に「年収の壁対策として助成金を支給します」との

趣旨の案内文が届いた。

 

労働者不足が深刻化してきている現状を踏まえて、国会では「年収130万円の

壁」を解消する案が議論されているところであるが、「年収130万円の壁」とは

扶養者が会社員の場合、自分の年収が一定の金額を上回るまでは、扶養者の「社会

保険上の扶養」に入ることができるため、社会保険料を払わなくて済むが、年収が

「130万円以上」になると本人が社会保険に加入することになるため、給与から

社会保険料が差し引かれて、手取りが減ることになるという仕組みのことを言う。

 

今回送られてきた案内文を読むと「社会保険料の支払い分に相当する手当を支給

する取り組みを行った事業者へ助成金を支給する」というものである。

一見すると”より良い取り組み”に見えなくもないが、「差し引かれる社会保険料に

相当する分を国が直接補填することは難しいから事業者を経由して補填しよう」と

いう魂胆が見え見えな政策である。

手取りが減る分を国が補填するなど原理原則を無視した暴論でしかないため、この

ような姑息な手段を講じたのであろうが、はっきり言って「浅はか」としか表現の

しようがない政策である。

 

そもそも、昭和の古き良き時代の一般的なモデルである「お父さんが会社で働いて

専業主婦のお母さんがパートに出る」といった概念を令和のこのご時世に当てはめ

ようとすること自体無理がある。生き方も働き方も多様化している今を生きている

人たちを大昔の概念に当てはめてもミスマッチしか起きない。

「年収の壁」は”昭和資料館”にでも飾って、今を生きている人たちに合わせてその

壁は完全に取り払うべきであろう。無駄な壁を残そうとするから補填とか助成とか

無理やりな政策が出てくるのである。

 

一方で、「扶養という考え方があるから少子化を防ぐことができている」という人が

いたりするが、その意見もまた時代錯誤のミスマッチである。

扶養は、例えば子供や高齢者のような就労することが難しい人を対象とするもので

あって、子育てをしている人に当てはめるべきものではない。

今は、「仕事も子育ても両立できるのであればそうしたい」と考えている人がとても

多くいる。しかし「両立に寛容ではない社会の仕組みがあるため、どちらかを選ば

ざるを得ない」として、仕事か出産のどちらかを諦めてしまう人が多くいる。

 

当ブログで何度か話題にしていることではあるが、両立に寛容ではない社会の仕組

みの代表的なものが「夫婦同姓と年収の壁」があると私は考えている。

古き良き時代から抜け出せず、今を生きていない政治家や官僚がどれだけ議論して

も、少子化対策も労働力不足も解消することは困難を極めるとしか言えない。

年齢性別を問わず、「今を生きている人」を国政に送り出す必要がある。

コミュニケーション力

2024.6.13

当ブログで何度か紹介している通り、当方では毎年市内外にある大学の学生実習を

受け入れている。

先月に複数の大学へお邪魔して、担当教諭にお話を聞きにいった際に札幌学院大学

さんから、学外講師としてこれから実習に向かう大学生を対象とした講義の依頼を

受けた。

 

そして先日、同大学へ伺い実習を控える6名の大学生とお話をしてきた。

現役の大学生の生の声を聞く機会が少ない私としては、とても楽しみであったし、

より有意義な場にしたいとの思いがあったため、講義形式というよりはディスカッ

ションに近い形式で進めさせていただいた。(先生のオーダーと違ったので申し訳

ないとも思っている)

その場は活発な意見交換ができて、私にとってはとても刺激的で有意義な時間と

なった。(参加した大学生にとっても有意義であれば尚良いのだが・・)

 

その場における実習を控える大学生が抱える不安として多く聞かれたことの一つに

「コミュニケーションの取り方」があった。

日常的にはかかわることが非常に少ない年代の方であったり、介護を必要とする方

障害をお持ちの方とどのようにコミュニケーションをとっていけば良いのかが想像

しにくいといった声や介護現場で従事する職員とのコミュニケーションの図り方に

ついて思いを巡らせているといった声が聞かれた。

 

介護現場では、「ご利用者に馴れ馴れしい言葉遣いは避けて敬語を使いましょう」と

か「清潔感のある身なりを心がけましょう」とよく言われる。

しかし、私はこうした言葉を聞くたびに違和感を覚える。

なぜなら”敬語”や”身なり”は結果でしかないにもかかわらず、なぜそのような結果

が生まれるのかという本質(経過や経緯)が語られずに、結果のみをなぞることが

正解であるかのように扱われている場面が散見されるからである。

 

例えば、我々がサービス提供しているご利用者の多くは、戦前後を生き抜いた先達

であり、今の平和な国の礎を築てくださった方である。直接自分を育ててくれた人

ではなかったとしても、感謝と尊敬の念を抱く対象であることに変わりはない。

そういった思いを持って接すると、言葉遣いや身なりは自然と見えてくる。

 

さらに、我々がサービス提供しているご利用者は「顧客」である。

数ある施設や介護サービスの中で”我々”を選んでくださった方である。その顧客の

満足度を高める振る舞いが求められることはサービス提供者として当然のことで、

そういった思いを持って接すると、言葉遣いや身なりは自然と見えてくる。

 

そして、その日は私が大切にしている二つの考え方をお伝えして大学生にエールを

送ることとした。それは、「想像力」と「情報の収集分析力」である。

特に初対面など相手の人物像がわからない状況においてコミュニケーションのとる

時には、自分のどのような振る舞いが相手の好意や嫌悪を生み出すのかを想像する

ことが極めて重要である。その際に「自分や自分の身内がその立場だったら」とい

ったことをきっかけにして想像を膨らませることも有効であるとお伝えした。

 

ただし、関係を継続する上では「自分だったら」という主観だけでは不十分である

こと、思考や性格は十人十色であることを踏まえて、「相手を知る」ことが極めて

重要である。そのためには、成育歴や生活歴、習慣などからその相手の思考性の

理解を深める情報の収集や分析が必要となるとお伝えした。

 

今回参加された6名の大学生から”あついあつい”熱意を感じた。

未来ある若者の一人でも多くが介護現場に足を踏み入れてくれることを熱望して

いる。(皆さんありがとうございました。実習がんばってください!)

生産性向上の成れの果て

2024.6.4

自動車関連企業の不正が相次いでいる。

昨年、ダイハツ工業が開発を行った海外市場向け車両の側面衝突試験の認証申請に

不正行為があったことが発覚した。

そして昨日、大手自動車メーカー3社(トヨタ、ホンダ、マツダ)のトップによる

国の認証試験で行われた不正に対する謝罪会見があった。

 

車は、国民生活を支える重要なツールであるばかりか、間接的にではあるが人の命

にかかわる性質を持っているため、安全性の担保は非常に重要である。

こうした事実を受けて、自動車メーカーに対する不信感を募らせていたり、怒りを

覚える方も多くいることだろう。

しかし私は、この報道を耳にして別のことが頭をよぎった。それは「生産性を追求

した成れの果てがこうした不正行為であろう」ということである。

 

良質なものを丁寧に作ろうとするとどうしても手間とコストがかかる。

質より量に重きを置いた場合には、最低限許容される質を担保しつつ、大量に生産

する方法を追求していくことになる。

車は、移動手段としてばかりではなく、物流や移送も含めた国民生活に欠くことは

できないものである上に、輸出品として日本の経済を支える重要な役割も担って

いるため、多量にそして安価に市場流通させる必要がある。

そのためには、生産性を追求することは必然といえる。

 

今、介護業界では「生産性の向上」が呪文のように唱えられ、その流れに乗ること

が当然のこととされてきている。

受け手となる高齢者が増え続け、担い手となる若者が減り続けている昨今、生産性

を上げることは重要なミッションである。

しかし、生産性を上げるということは、質より量に重きを置いて、最低限許容され

る質を担保しつつ、大量に生産(サービス提供)する方法を追求することである。

政策や国会の議論を聞いていても、私には生産性を上げることばかりが独り歩き

していて、最低限許容される質に対するコンセンサスを得る話し合いが抜け落ちて

しまっているように思えてならない。

 

介護保険サービスは、人の生活や生命に直結する事業である。最低限許容される質

を曖昧にしたまま、大量に生産(サービス提供)する方法を追求することは危険

極まりない。

将来、生産性の向上を妄信した介護保険サービス事業者による不正の発覚が多発

することは予想に難くない。

しかし、自動車メーカーしかり介護保険サービス事業者しかり、悪意を持って不正

を行うというよりも、政治や消費者が最低限許容される質を都合よく曖昧にした

まま生産性の向上を強要してきた結果ではないかと思ったりする。

 

間接的にではあるが人の命にかかわる性質を持っている自動車メーカーよりも、

人の生活や生命に直結する事業である介護保険サービスは、最低限許容される質は

より厳格でなければならない。

はっきり言って、受け手となる高齢者が増え続け、担い手となる若者が減り続けて

いる介護業界において、このままの状態を放置しておくと、ただ普通に職務に従事

しているだけで、「不正行為だ」と言われかねない。

 

低負担高福祉も幅広いニーズに応える社会保障制度の維持も現実的ではないことを

国民に理解してもらう政治判断が求められている。

ペンキを塗っても沈没は避けられない

2024.5.28

先週開かれた経済財政諮問会議で今後の社会保障制度あり方が議論された。

当然のことながら、増え行く介護ニーズに対応する介護現場の人手不足にどのよう

に対応していくのかが、議論の中心となった。

 

そして、これまでと同様に「テクノロジーの活用、事業所・施設経営の大規模化、

保険外サービス事業者との連携」など解決策が提案されていた。

いずれの提案も、より効率的なサービス提供体制を構築する上で重要ではあるが、

テクノロジーの活用、事業所・施設経営の大規模化については、高品質な社会保障

の維持と年金受給者の低負担の維持を大前提としていることから、「やらないよりは

マシ」という程度のことであって、とても解決策とはいいがたい。

例えるなら、大量の水が入ってきて今にも沈没しそうな船で、柄杓を使って水を外

へかき出して沈没を食い止めようとしているようなものである。

この行為で数分数秒、沈没を遅らせることはできても結局は沈んでしまう。

 

今一番やらなければならないことは、大量の水が入ってくることを食い止めること

に他ならない。

この例えでいうところの”大量の水”とは、介護保険サービスの対象者のことを私は

指している。この先数十年間は、黙っていても高齢者人口が増え続ける。つまり

水は増え続けることは抗うことができず、現実として受け入れるしかない。

問題なのは、その大量の水を沈むことがわかっていながら船内に入れ放題にするの

かどうかであろう。

そこで求められる英断が、介護保険サービスそのものと対象者の絞り込みである。

言い換えるなら、高品質な社会保障の維持と年金受給者の低負担の維持を大前提

から外すということである。

 

しかし、ここで話を終わらせてしまえば、これまで支援を受けていた方を見放すと

いうことになってしまうが、私はそうあるべきではないと考えている。

そしてそのためには、保険外サービス事業者との連携という狭い領域に限るのでは

なく、広域的なインフォーマル社会資源を機能させることが必須であろう。

 

社会保障制度の在り方を議論するとは言っても、インフォーマル社会資源の開発を

語らずして議論も何もあったものではない。

政府も官僚も学者も、何でそんな当たり前のことがわからないのかがわからない。

 

泥船にペンキを塗って奇麗にあしらえたところで、沈んでしまえば一緒であろう。

本質の議論を避けて体裁だけ整えたところで問題は悪化する一方だ。

令和6年度年次総会

2024.5.24

本日、NPO法人の令和6年度年次総会が開催された。

 

NPO法上、法人の活動に賛同してくださる会員の皆様のことを”社員”と呼ぶ。

ここでいう”社員”は、会社に属する会社員のことではない。

 

当方には、今日現在で30名の”社員”が在籍されているのだが、その多くが年配者

である。

当方としては、一人でも多くの方に年次総会へご出席いただきたいと考えており、

昨年から同総会の前に食事会を開催することとしている。

 

もはや得意技と化してきた「のみくい処とっかり」に食事を準備してもらって、

参加された皆さんと役員とでおいしくいただいた。

 

 

 

食事会の後、残っていただいた方とともに前年度の事業報告と次年度の事業計画を

話し合った。ただし、議論が交わされたというよりは、激励といたわりの言葉を頂

くことがほとんどだった。(その言葉がとてもありがたく、心強く感じた)

 

 

お忙しい中、足を運んでいただいた”社員”の皆様、

ありがとうございました。