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2025.3.19
先日、日本介護経営学会のシンポジウムに登壇した日本介護支援専門員協会の会長
が、トータルケアマネジメントの評価と給付管理が居宅介護支援の報酬に連動する
現行の仕組みの見直しを提言したとの報道を見た。
トータルケアマネジメントとは、介護保険制度の枠にとどまらずに日常生活全般の
多様にわたる相談を受け、介護保険制度の枠を超えた多様な支援につなげるための
仲介・調整などを行うケアマネジメントのことを指す。
言葉にすると何だか小難しいことのように聞こえるかもしれないが、何と言うこと
はない一般的なソーシャルワークの枠組みに他ならない。
困っている人がいたら、支援してくれる人や団体や制度を活用して、その困りごと
の解決を図ると言うだけのことである。
しかし残念なことに、現役の多くのケアマネジャーや社会福祉士を中心としたソー
シャルワーカーの多くは、関係する制度や社会保険サービスの理解はあるが、関係
性の低い制度や制度の枠組みにはないインフォーマルサービスに対する理解が明ら
かに不足している。
支援してくれる人や団体がどこのいるのかがわからない、まして必要な支援が目の
前に無いのなら自分達で創造しようなどという人は皆無と言っていい。
わざわざトータルケアマネジメントなどという言葉を使っているところからも、
現状できていないことを示してしまっている。
こんな状況ではトータルケアマネジメントという言葉が独り歩きするだけで、結局
はトータルケアマネジメントのための公的制度やサービスを新たに作る必要がある
などという本末転倒な話が出てくることがオチだろう。
そしてもう一つの課題となる「給付管理が居宅介護支援の報酬に連動する仕組み」
についてであるが、遠い昔の私がケアマネジャーに成り立ての頃のことが思い出さ
れる。
担当したあるご利用者に対して、介護保険サービスを一切組み入れずにインフォー
マルサービスのみでケアプランの原案を作成したところ、かつての上司に「そんな
プランを作っても一円にもならないだろ、我々はボランティアではないんだから」
といって怒られたことを思い出した。
介護保険制度上、ケアマネジャーが報酬を得るためには、介護保険サービスをケア
プランに位置付け、同サービスの利用実績が有って初めて発生する仕組みとなって
いる。
プロとして業として実務を行う場合においては、収入を意識しないわけにはいかな
いことは言うまでもない。やがて私もケアプランに介護保険サービスを組み入れる
ことを意識せざるを得なくなっていった。
限られた国の予算や介護サービス提供にかかる専門職の人材不足を考えても、介護
保険サービスを組み入れないインフォーマルサービスのみのケアプランは有効だと
思うが、現役のケアマネジャーや社会福祉士を中心としたソーシャルワーカーの多
くも理解できていないのに、誰がこのようなケアプランを評価して報酬として位置
づけることができるのだろうか。
日本介護支援専門員協会の会長には、言っていることはわかるが、同時に現場レベ
ルでその土俵ができていないことも理解するべきだろうと伝えたい。
2025.3.17
先日、あるご利用者が逝去された。
その方との(仕事上の)お付き合いは長かったこともあるが、その方が希望する
在宅生活を継続するために我々がどのような支援を行うことができるのかを考えた
結果立ち上げた事業が看護小規模多機能型居宅介護(ナーシングホームみのりの丘)
だったこともあり、特に思い入れがあった。
この場を借りて、ご冥福をお祈り申し上げます。
私が新規事業を立ち上げる際には、目の前にいらっしゃるご利用者をイメージして
事業の組み立てを行うことから発想することが多くある。その対象となるご利用者
が複数人いらっしゃる場合もあるが、いずれにしても実生活を過ごしていらっしゃ
る方をイメージしているため、より実践的なサービスができていると感じている。
そしてその後出会ったご利用者の生活ニーズを肉付けして、よりよいサービス提供
を目指すこととしている。
ナーシングホームみのりの丘の象徴とも思える方が亡くなられたことは本当に悲し
いしとても残念であるが、その反面「この事業があったからあのご利用者が在宅生
活を長く過ごすことができたのではないか」との声が周囲から聞こえてくると、「こ
の事業を立ち上げてよかった」との思いもめぐってくる。
我々は、そのご利用者の支援を通じて多くのことを学んだ。
その学んだことを今後の事業に生かすことで、そのご利用者への感謝の気持ちを
伝えたいと思う。
ありがとうございました、そしてお疲れさまでした。
2025.3.14
最近というわけでもないが、ここのところよく耳にする言葉に『生成AI』がある。
ただ、言葉は耳にするがあまり中身のことを知らないという方や使ったことが無い
という方も多くいらっしゃるのではないだろうか。
生成AIの意味を検索すると「膨大なデータのパターンや関係性を学習し、その学習
成果をもとに新たなコンテンツを生成する人工知能(AI)で、人間のように文章や
画像、音声などの新しいコンテンツを作り出せる点が大きな特徴」と出てくる。
これまでもAIは様々なビジネスシーンで活用されてきている。
例えば、学習したデータに基づいて業務の最適化を図ったり、未来予想による事故
を予防したりすることに活用されてきた。
ところが、生成AIの場合は今までにはなかったものを新たに生み出す機能が備わっ
ているというのだからびっくりさせられる。
そんな素晴らしい(恐ろしい)機能を持つ生成AIであるが、どこか他人事のように
感じておりこれまで積極的にかかわることはなかった。
ところが先日、当方内部の運営会議の場で、ある管理職が「ChatGPTを使って企画
書を作ってみました」といって議題に上った企画の提案を行った。
その内容を見ると中々上出来な企画案となっていたことにとても驚いた。
こうした状況を目の当たりにして、これまで多くの時間と労力を費やしてきたこと
があっという間に出来上がることで、「人間にしかできない、ご利用者と直接的に
かかわるための時間をより多く作ることができる」という期待感と、「人間は考える
ことをやめてしまうのではないか」という不安感が入り混じった感情が沸いた。
文明が進化することは歓迎するが、同時に人間が退化していくことが心配である。
2025.2.21
当ブログで繰り返し取り上げている『小規模多機能型居宅介護』について、未だに
同事業に対する理解が深まっていないと感じることが多くある。
『小規模多機能型居宅介護』とは、
「通い」を中心として、要介護の様態や要望に応じて、随時「訪問」や「泊り」を
組み合わせて一体的に提供するサービスで、24時間365日切れ目なくサービス
を提供する事業のこと指す。
多様なサービスを切れ目なく利用できることで、今までであればあきらめなければ
ならなかった在宅生活の継続が実現できるとして、『小規模多機能型居宅介護』は、
在宅サービス最後の砦などと表現されることもある。
こうした機能を理解したうえで、在宅生活の継続を実現するために同事業所を選択
する方が多くいらっしゃる一方で、「泊り機能があって、24時間365日切れ目
なくサービスを提供するのだから」といって、明らかに在宅生活が困難な状況の方
に対して、数か月あるいは数年単位で「泊りサービス」の利用を求めてくる相談
支援者がいまだに後を絶たない。
この様な考えを持つ相談支援者が、適切な事業運営を歪め、最終的には事業の存在
意義をも無いものにしてしまう。
繰り返し言うが、『小規模多機能型居宅介護』は、在宅生活の継続を実現することを
目的とした在宅サービスである。
数か月あるいは数年単位で施設に泊まる必要があるということは、そのニーズは
在宅サービスにあるのではなく施設サービスにある。
昨今、施設サービスと一口に言っても、要介護の様態や要望に対応し得る様々な
種類の施設がある。
対象者がどのような身体の状態にあって、どのような生活状況にあるのか、そして
どのような要望を持っているのかを把握もせず、またどのような機能を持った施設
があるのかを理解せずに、手当たり次第に空いていそうな事業所へ連絡して調整を
進めようとする相談支援者に対しては、「相談援助職として必要な情報の収集を怠ら
ず、そして提案する能力をもっと磨いてほしい」と強く訴えたい。
先日も、ある医療機関の相談援助者から「当院の退院の日程はもう決まっているが
在宅に戻ることは無理なので施設入所の申し込みをしている方を順番待ちをしてい
る施設の空きが出るまでの間、泊りで対応してほしい」との相談があった。
よく話しを聞くと、「施設の空き待ち」とは聞こえはいいが、施設入所できるめどが
全く立っていない状況にあることが分かった。
恐らくこの相談援助者は、治療が終了して退院したあとは自宅へ戻ると想定してい
たが、いざ退院する段階になって自宅へ戻ることが難しい状況にあることがわかっ
て、あわてて施設を探して申し込みをしたのだろう。
全ての人がそうではないと信じたいが、医療機関の相談援助者にはこの手の輩が
非常に多くいる。そしてその中には「自分は調整しているが対応できる事業所が
無い」とか言ったりする。
はっきり言って、事前準備と情報収集、様々な状況を想定した提案力が著しく劣っ
ているだけで、受け入れできない事業所が悪いわけでも何でもない。
現在、医療機関の相談援助者の多くが「社会福祉士」という国家資格を有している
のだが、この資格の質って・・・。
2025.2.20
最近、地域で長年活動してきたボランティア団体や任意の互助活動団体、それから
自治会の方と話をする機会が多くあったのだが、多くの方が共通しておっしゃって
いたことは「活動メンバーの高齢化が進み、世代交代もうまくいかず、活動の継続
や存続の危機に瀕している」といった内容だった。
この話だけを聞くと、今の若い世代の多くがボランタリーな活動や自治活動に興味
を持っていないのではないかと連想させるが、果たしてそうなのだろうか。
私が日々かかわりを持っている20代の方々に話を聞くと、決してボランタリーな
活動や自治活動に興味を持っていないわけではないようだ。ただし同時に聞こえて
くる声としては「年配者とかかわりを持つ接点がなく、どのように接したらよいの
かがわからない」とか「価値観の違いを理解してもらえず、閉塞感を覚える」など
があった。
そこで私が思うこととしては、「ボランタリーな活動や自治活動の世代間の継承には
一定のルールや理念を共有したとしても、必ずしも同一の考えや同一の価値観を
備える必要はない」ということである。
言い換えると、世代交代が上手くいっていない原因のひとつは、考えや価値観を
強く押し付けすぎたからではないのだろうか。
時代が変わると生活様式や思考、価値観、優先されるべき事項が大きく異なること
がある。そしてそのことによって、ルールが変更されることもある。
古き良き伝統や歴史を重んじる方からは、「古くから続いた伝統は、時代の変化と
いう言葉で安易に変更するべきではない」との声が聞こえてきそうであるが、その
考え方は共すると「優先されるべきは伝統や歴史であって人々の生活ではない」と
言うことにつながってしまうのではないかと思う。
何も伝統や歴史を軽んじるつもりはないし、まして否定するなどと言うことはない
が、人々の生活あっての伝統や歴史という基本に立ち戻る必要があると感じる場面
が非常に多くあるようにも思える。
「昔はよかった」とか「昔からこうしていた」一辺倒では世代間の継承は上手く
いかない気がする。
2025.2.18
気が付けばもう2月の中旬が過ぎて、3月に入ろうかという時期に入っている。
私はというと、この時期は株式会社の年度末決算処理を終えて、NPO法人の年度末
決算に取り掛かるところである。
つまり、まあまあ忙しくしている。
久しぶりとなる当ブログに何を書こうかと思い悩んでいたら、
『介護福祉士国家試験の受験者数が4年ぶりに増加』との記事を目にした。
ここのところ減少の一途を辿っていた受験者数が微増であっても増えたことは業界
に身を置く者として大変喜ばしいことである。
過去を振り返ってみると介護福祉士国家試験の受験者が前年から半数に激減した年
があった。それが業界で話題となった『介護福祉士2016年問題』のことだ。
元来、介護福祉士国家試験を受験するためには、養成施設等を卒業するか、介護の
現場で実務経験を3年以上積む必要があったのだが、後者の要件を満たしたことを
持って受験する方が多くいた。
それが、2016年度の同国家試験の受験要件から、介護現場の3年の実務経験に
加えて「実務者研修の修了」が求められることに変更された。そしてその研修の受
講時間は450時間(320時間に短縮される場合もある)もあり、実務に就きな
がらこの研修を修了することは難しい方が続出して受験者数が激減した。
こうした状況から同国家試験の受験者数を増やす目的で「実務者研修の修了」を
要件から外すべきだと言う議論が起きた。
受験者数を増やそうと思えば、そういった考え方には一理あるが、私はそもそも
国家試験の受験要件に「実務経験○○年」があることに違和感がある。
介護現場における実務経験といっても、所属する法人(会社)の理念や運営方針、
配属された事業所の種別や規模によって大きく異なってくる。そんな大きく異なる
”経験”を一つの指標として国家試験の受験要件としていることがどうかしている。
特に我が国の特徴である介護サービス事業者の大多数が小規模零細事業者なので
しっかりとした研修システムが構築されている事業所の方が圧倒的に少なく、未だ
に「先輩の背中を見て覚えろ」的な事業者も少なくない。
介護業界に身を置く者の共通の願いは、「介護福祉士の人数を増やす」ことで間違い
はないのだが、この国家資格を簡単に受験できるあまりに安っぽいものにしてしま
うと、給与所得も安く扱われてしまうのではないだろうか。
2025.2.4
ここ最近、訪問介護(ヘルパー)事業所に新規の利用者調整をしようとすると
「今、空きが無いので受け入れられない」と言われることが増えてきたと感じる。
調整しておきながら言うのもなんだが、それはそうだろうと思う。
現状は、訪問介護事業所のスタッフは増えていない。事業所によっては減る一方と
言うところも少なからずある。それに引き着替え、ご利用を希望する方は増える一
方なのである。
つまり、需要過多で供給が圧倒的に不足している状況ということだ。
訪問介護のように在宅系の介護保険サービスは、原則として「利用者を選ぶ」こと
は許されていない。
「公的社会保険サービスにあっては、事業者が恣意的にご利用者を選別することは
許されない」という考え方に異論をはさむ余地はないだろう。
ただし、今ある現状を踏まえた場合にこの考え方を押し通すことには多いに疑問を
感じている。
なぜなら、事業者は当該ご利用者の緊急性や必要性の高低にかかわらず並んだ順に
対応することを求められる。たとえ長蛇の列ができていたとしてもだ。
さらに言えば、緊急性や必要性が比較的低い方が先に並んでいて席が埋まってしま
えば、そのあとに来た緊急性が高く、訪問介護の援助を受けなければ生活や生命の
危機に陥るとしても席が空くことを待たなければならない、所謂”席取合戦”の様相
を呈している。
現行の制度では、たとえ緊急性や必要性が低いからといって席を譲る義務はないし
当然の権利として介護サービスが利用できることが保障されている。同サービスの
利用を希望する方には何の落ち度もないし、順番に対応する事業者も同様だ。
それでも江別市内の訪問介護事業者の中には、緊急性や必要性が高いと判断して、
事業所内の創意工夫を行って(はっきり言ってかなり無理して)、何とか受け入れ
ようと試みているところが少なくない。(本当に頭が下がる思いだ)
ただし、このような事業者の情意情熱に頼りっぱなしで、同スタッフに過度な負担
をかけ続けることが正解なのだろうか。
同じ介護保険制度の中でも特別養護老人ホームは、その社会性や公益性そして数に
限りがあることなどの理由で”並んだ順”を撤廃して、複数の評価項目から緊急性や
必要性が判断されて順番が変動する方式が導入された。さらに現在は原則「要介護
3」以上の方でなければ申し込み自体ができないように変更された。
今や在宅系の介護保険サービスも”数に限りがある”状況になってきている。
平等の名のもとに、重度要援護者を切り捨てることは絶対にあってはならない。
全ての介護保険サービスが”並んだ順から必要性の高い順へ”変更する時が来ている
ように思えてならない。
2025.1.23
ここ最近、芸能タレントの性加害問題で世間の話題はもちきりとなっている。
私はその真実を知らないのでこの場で詳細を語るつもりはない。
ただし、2年ほど前に大きな話題となった”芸能事務所社長による小児性加害”に
対して、『マスメディアの本音は「自社の利益追求に比べたら、性被害など造作も
ないこと」といったところだろう。そもそも、マスメディアは個人の人権のこと
などは一切考えていない。性被害に遭っている個人の人権は完全に無視し続けて
きたのだから。』と申し上げたことを思い出した。
マスメディアは、社会正義だの権力の監視だのと自分たちの存在意義を美化したり
するが、やってることと言ってることのつじつまが全く合わないので”マスゴミ”
と揶揄されるのであろう。
そして、彼らこそが監視の対象となるべきだろう。
今回の話題が事実であれば、性加害者は相当な鬼畜だが、マスゴミも負けず劣らず
の鬼畜ぶりを発揮していると言えよう。
そして今回当事者となっているTV局は、事の顛末を説明する場を非公開とした上で
その場に入場できる記者を制限したことなどを踏まえると、彼らに自浄能力は全く
なく、ほとぼりが冷めたら同じようなことを繰り返すことが容易に想像できる。
さらに言えば、他局がこぞって当事者であるTV局を非難しているが、システムも
登場人物も変わり映えのない他局に同様のことが全く起きていないとは到底思え
ない。
ただ残念なことに、多くの国民が下衆なマスゴミを重用し、企業がその後ろ盾と
なってしまっている現実がある。この国では、性被害が他人事として扱われ、時に
下衆な趣向を満足させる道具として使用される。そして、いつの日か自分や自分の
身近な者にそういった被害が降りかかって初めて自分の愚かさに気が付く。
性被害は、その時だけの痛みや苦しみでは終わらない。長い年月にわたって痛みや
苦しみが続く方も多くいらっしゃる。その苦しみに耐えきれずに自ら命を絶つ方も
いらっしゃる。
だからこそ、性被害の事実に対して、詭弁を使って黙殺し隠蔽することなどは絶対
にあってはならない。実際に自分の身に降りかからないとわからないのかもしれな
いが、少しくらい想像力を働かせることはできるだろうに。
今回当事者となっているTV局が批判を受けていることに対して、「TV局の中には
真面目に働いている人もいる」という方もいるようだが、はっきり言ってその思考
が性被害の事実の黙殺や隠蔽につながっていると自覚した方がいい。
もういい加減、TVを中心としたマスメディアを主な情報源とすることはやめた方が
いいと強く訴えたい。彼らは信用に値しない。
下衆な情報の提供者として見るのはいいが、まともな情報源にはなり得ない。
2025.1.22
今週の20日は、1年で最も冷え込む期間に訪れる季節を表す”大寒”の日。
ところが、江別市近郊では最低気温もプラスとなっていて、一番寒いとは程遠い
状況になっている。
比較的温暖な場所にお住まいの方からすると「暖かいんだからいいじゃない」と
思われるかもしれないが、雪国ではこうした状況はある種の地獄である。
なぜなら、雪が少しだけ溶けて凍ってしまうので、路面はスケートリンクのような
状態になってしまうからだ。
今朝はそうした状況を想定していつもより早く家を出たのだが、車道のあちこちで
スリップしている車や恐らく何かに衝突したのであろうが路肩に停車している車が
続出していた。その中には、乗客を乗せているバスもあった。
そしてこの状況は車道ばかりではなく歩道も同様の状態で、この短時間でこれほど
多くの方が転倒している場面に遭遇したことはないというほど、危険な道路となっ
ていた。
職場に到着してからは、事業所の玄関周辺に滑り止めの砂を撒き、スタッフには
「早めの行動と遅れてもいいから慎重に運転する」ことを伝えた。
こうした状況を介護保険制度設計に携わる方に是非とも知っておいてもらいたい。
「通常通りに訪問や送迎を実施することは自殺行為となる」ことを
2025.1.17
東京商工リサーチによると、昨年1年間の介護事業者の倒産件数は、172件で
過去最多を大幅に更新したらしい。
この倒産や廃業の増加は、介護報酬改定における基本報酬引き下げの影響により
事業経営が難しくなってきていることが影響していると思われる。
ただし、事業者の数を見てみると、倒産件数が最も多かった訪問介護事業者数は
右肩上がりで増え続けている。
つまり、倒産件数は増え続けているがそれ以上に新規開業件数が増えているという
ことになる。
ではなぜ倒産件数が増え続けているのだろうか。
昨年倒産した事業者(法人)のうち、資本金1千万円未満が約9割で、職員10人
未満が8割以上と、多くが零細事業者となっている。
このことからわかる通り、”弱肉強食”が加速度的に進んでいるということだろう。
そして、さらにその状況を加速させているのは「介護職員等処遇改善加算」の存在
ではないかと思われる。
ただでさえ資金力がないのに、同加算の算定によって介護報酬アップを図ることが
できなければ、事業運営にかかる資金繰りが難しくなるだけではなく、人材確保に
かかる価格競争(給与)で競り負けてしまう。
こうして、事業所間の競争が激化して、スタッフの高齢化と相まって、必要人員を
確保できない事業所が淘汰されていくことになる。
ではなぜ、零細といわれる事業者も積極的に「介護職員等処遇改善加算」を算定し
ようとしないのだろうかと疑問を持つ方もいるかもしれない。
それは、「算定したくてもできない」ということが実情だろう。
同加算の算定要件は、介護職員の賃金改善や職場環境の整備が必須となっており、
さらには、資質向上に向けた研修の実施、育児と仕事の両立や休業制度の充実を
図る、スタッフに対するヘルスケアの促進、生産性向上にかかる役割分担の明確化
やICT・介護ロボット等の導入などが求められている。
どれをとっても、手間とお金がかかる内容ばかりだ。
つまり、国が同加算を創設した際の本音は、「手間とお金をかけることができない
事業者はどうぞ潰れてください」といったところだろう。
日本の多くの業界に共通していることではあるが、介護事業者も同様で、中小零細
事業者の数がとても多い。そして今年はさらに事業者間の二極化が進み、介護業界
の再編成が加速することが予測される。
おそらくは、これまで以上に経営者の資質が問われる時代となってくると思われる
ため、とても身が引き締まる。